スレッド 「【英霊人別帳】―自己紹介―」 への投稿
(全 92件) |
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ジャック・ザ・リッパー
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年12月23日 17:04:25 ≫
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全身カットも来たことだしぃ、とりぁぇず僕の設定でも晒してみょぅかなぁ
【人物名】 ジャック・ザ・リッパー(本名不詳) 【所属】 空京大学 【アピール・概略・その他】 1888年8月31日から11月9日までの間、ホワイトチャペルにて売春婦5人をバラバラにした連続殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーこと切り裂きジャック ・・・ではなく、実際は450年ほど昔の解剖学黎明期の時の無名の解剖学者 本名は本人曰く「忘れたしぃ、覚ぇてぃてもぉ、教ぇる気はなぃよぉ」とのこと 本当の切り裂きジャックは死体を見つかるように遺棄していたが、当人はひたすら隠し続けていたため、無名となり後世の切り裂きジャックと同一視された模様 現在は解剖学の研究をまったりゆるりとし続けている
こんな感じかなぁ、ともかくょろしくぅ
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十河 存英
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年12月19日 23:37:12 ≫
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眠いからぐぐって出たカンペでいいか…
【人物名】
十河 存英(別名 惣次大夫)
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】 生年月日不明(説では1575年) 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。
1586年、父が戸次川の戦いで戦死すると豊臣秀吉から所領相続を認められずに改易され、幼くして流浪の身となる。
1615年5月、大阪の陣に豊臣方として参陣し、摂津尼崎で戦死。
彼の死と同時に十河氏は滅びることとなる。
…で、お家復活のために戻ってきたんだが、もうどうでも良くなってきたな。
第二の人生を謳歌するつもりだ。よろしく頼む。
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バルバロッサ・ハイレディン
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年12月19日 19:46:42 ≫
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俺達の仲間は全員入ってるようだな、ここは流れで入るのが妥当だろう…
【人物名】
バルバロッサ・ハイレディン(洋名:ハイレディン・バルバロッサ)
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 オスマン帝国の提督。
エーゲ海のレスボス島出身と言われる。【バルバロス(赤髯、バルバリアの王の意)】と呼ばれ、ヨーロッパ人から恐れられた大海賊。アルジェを拠点として北アフリカで活動する海賊を率いていたが、オスマン帝国に艦船や人員丸ごと帰順した。帰順後、オスマン海軍司令官職のカプタン・パシャに命じられ、スペインとのプレヴェザ海戦において、オスマン帝国を勝利を導いた。
現世に転生してからも海賊を続けたが、ある時、隆政の船を襲撃した際に返り討ちにされそのまま隆政に降る事になった。
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張 宝
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年11月20日 23:57:08 ≫
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あの女顔が入ってやがるのに、俺様がはいってねぇのは納得いかねぇ! って、事で邪魔するぜ。 【人物名】 張宝(字不明) 【所属】 葦原明倫館 【アピール・概略・その他】 後漢末期の人。 黄巾の乱首謀者である張角の弟であり、地公将軍を自称していた。 乱を起こした時既に兄が床に臥していた為、実質的には張宝が指揮を執っていた様だ。 史実では籠城末、大敗。三国志演義では部下にやられている。(他では劉備に) …だが、死ぬ間際に自身の魂を竹簡に移し変え、生き延びた様だ。 今ではただのヤンキーチックな兄さんとなっている。 因みに本体の竹簡は生前自身が書き記した妖術が記されているらしい。
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馬謖 幼常
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年11月16日 18:02:52 ≫
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【人物名】 馬謖 幼常 【所属】 イルミンスール魔法学校(ウィール支城・ウィール砦に駐屯ちゅ) 【アピール・概略・その他】 後漢末期から三国時代にかけての武将。蜀に仕えた。字は幼常。襄陽宣城の出身。襄陽の名家である「馬氏の五常」の中の五男として誕生した。白眉で知られた馬良の末弟。 228年春3月に諸葛亮は第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭の守備を命じた。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。 その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫する。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、馬謖を処刑した。諸葛亮はこの為に涙を流し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった。王平伝には馬謖及びその配下の将軍である張休・李盛を軍規に基づいて処刑したとある。
全てはその字が悪かったのだの典型例。(ぁ とは言え、汚名返上の機会を得たーと健気に現在砦にて書類と格闘中。
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吉川 元春
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年11月08日 12:21:18 ≫
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出来れば、父上が居られる内に挨拶に参上したかったのですが……
【人物名】
吉川駿河守元春
【所属】 天御柱学院(※現在は姉妹校のアカデミーに所属)
【アピール・概略・その他】
享禄参年生まれ。
その武勇は父の毛利元就をして『我は戦では元春に及ばぬ』といわしめた。
生涯で76度の合戦に臨み、64度の勝利を収め、一度として敗れたことのないとされる毛利家屈指の武将。
中国地方の覇者として名を馳せた毛利元就の次男であり、後に名門の吉川家に養子へ出され元就の中国地方統一に大きく貢献した。
実弟の小早川隆景と共に「毛利両川家」と呼ばれ文字通り毛利家繁栄の屋台骨となったが、隆景、更には実姉の五龍局との間で度々喧嘩が絶えず父の元就に諌められたという記録が残っている(三本の矢の訓戒は此処から生まれた)
宜しくお願いしますね。
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程昱 仲徳
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年10月26日 22:14:19 ≫
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あ、今更だけど人別帳に記しておくね
【人物名】
程昱 仲徳(ていいく ちゅうとく)
【所属】
葦原明倫館
【概略・アピール・その他】
日輪を持ち上げる夢をみて程立から程昱と改名する。
山にこもって学問にふけっていたところを、荀彧の推挙で曹操に仕えた。後に郭嘉を推挙する。
官渡の戦いが始まる前に、袁紹が大軍で黎陽から渡河しようとき、程昱は対岸の城に七百の兵で守っていた。曹操は援軍を派遣しようとしたが、援軍を断った。袁紹は程昱の城を攻撃せずに別方向へ進軍した。これを見た曹操は程昱の肝の太さを賞賛し、「程昱の度胸は、孟賁・夏育(戦国時代、秦の武王に仕えた勇士)をしのぐものがある」と言った。その後、倉亭の戦いでは『十面埋伏の計』で袁紹軍を撃破。
赤壁の戦いでは、呉軍の火攻めに用心するように進言し、黄蓋の偽装投降を真っ先に見破ったが、間に合わなかった。
しばらく隠居し、曹丕が即位すると衛尉に復職し、安郷侯に昇進した。そして三公に抜擢されようとする矢先、八十歳で死去、曹丕は涙を流し車騎将軍を追贈した。
しかし、現世では只の隠居おにーさんである
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于禁 文則
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年10月26日 21:46:09 ≫
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【人物名】
于禁 文則
【所属】
シャンバラ教導団
【アピール・概略・その他】
曹操の配下として活躍し、五将の一人に挙げられた。
剛毅で威厳があり清廉な人柄だったが、法律を以て人を率いた為、兵や民からは恐れられはしたが人望はなかった。
219年、樊城の戦いで関羽の水攻めの前に降伏し、捕虜となった。一方、廰徳も関羽に敗れて捕らえられたが、忠義を貫き関羽を激しく罵倒、斬死した。これを聞いた曹操は、「于禁を知って30年ほどだが、死に臨んで廰徳に及ばないとは知らなかった」と嘆いた。こうして名将于禁はその名を失う事となった。
221年、呉から魏に還される。文帝は表向きは苦労を慰めた後、曹操の陵墓を参拝するよう命じる。そこには関羽の前に降伏する自分の姿が描かれていた。于禁は怒りと恥の為に病を発し失意のうちに没した。
諡号は厲侯。厲は「無辜の者を殺戮した」「災い」「厳しい」という意味で、死後までも嘲られたのだった。
この事が原因で卑屈でひねくれた性格になって復活してしまった。
いいよなぁ、イラストがある奴らは・・・
どうせオレなんて・・・
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サー ガラハッド
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年10月22日 17:11:32 ≫
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やっとイラスト来たから、遅ればせながらちゃちゃっと自己紹介するねっ
【人物名】 サー ガラハッド 【所属】 天御柱学院(現在) 【アピール・概略・その他】 アーサー王伝説、聖杯伝説に登場する円卓の騎士の一人 そして聖杯を発見した三人の騎士の一人でもある。 円卓の13番目の椅子「危難の椅子」に平然と座り呪いに打ち勝ち 「最も優れた騎士にしか抜けない」岩に刺さった剣を見事引き抜いて見せた。 円卓の騎士に加えられパーシヴァル卿、ボールス卿と共に聖杯探索の任務を与えられる。 最期は聖杯を発見し、最も穢れの無い騎士として聖杯、聖槍と共に天に召された。 【現在】 パラミタに召喚された際に女性化してしまった。 原因は不明だが、本人は「なってしまったものはしょうがない」と全く気にしていない様子。
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伊藤 若冲
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年10月09日 21:16:23 ≫
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どうもでーす!すっかり挨拶が遅くなってしまいました。申し訳ないです! お誘いを受けたので加入させていただきましたよー!今後ともよろしくでーす!
【人物名】 伊藤若冲
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 江戸時代中期に京にて活躍した日本画家。 写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。 生前は人付き合いが苦手で引篭もって妻も娶らずに絵ばかり描いていたが、どういう訳か正反対の性格で復活した。 しかし簡単に元の性格なんて変えられるはずもなく、ただ無理をしているだけなのが実情のようだ…。
まあ細かいことは気にせず仲良くしてくださーい! あ、画像検索なんかでオレの名前入れれば生前描いた絵なんかも見れちゃったりするので、興味があったらチェックしてみて下さいね!本当便利な世の中ですよねー!
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クリスチャン・ローゼンクロイツ
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年10月06日 23:16:04 ≫
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以前誘われてたんだが、今日付けで加入させてもらったよ。
名前は長いから、クリスって呼んでもらえると有難いね。
【人物名】
クリスチャン・ローゼンクロイツ
【アピール・概略・その他】
14~15世紀に生きていたと言われる中世ヨーロッパ伝説の魔術師。 10代にて様々な国を渡りその土地の賢者と呼ばれる人物から技を授けられる。
魔道書として有名な「Mの書」もそのときに授かる。
故郷のドイツに持ったクリスチャンは数人の同志や弟子と共に「薔薇十字団」を結成、
その存在を秘匿しつつ、無償で病を患う民を救い続けた。
その106歳で没したが、死ぬ間際に残した碑文には「120年後に蘇る」と書き残された碑文があったという。
…というのが史実だが、実際はナラカから這い上がるのに2世紀ほどかかり、
予言通りとはいかなくなりかっこよく登場できなくなって今に至る。
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馬 超
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年10月02日 06:22:35 ≫
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蒼空学園所属の馬 孟起(ば もうき)と言う者だ。 懐かしき友に会えることもあると聞いて失礼をさせてもらった。
宜しく頼む。 【人物名】
姓:馬 名:超 字:孟起
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】
扶風郡茂陵県の出。 父は馬騰。弟に休、鉄。従弟に岱という者がいる。 父の馬騰は羌族との混血であり羌族からの信望が厚かった。
若き頃より剛力称えられ、父・馬騰と共に各地の戦場で戦っていた。 父から軍の指揮権を引き継ぐと韓遂と共に曹操に対して反旗を翻すが敗北する(潼関の戦い)。
再起を図り夏侯淵や張郃を相手に転戦を重ね、建安19年(214年)、劉備に降伏し幕僚として迎えられる。 その後も漢中攻略戦に参戦するなど戦いを続け、左将軍に任命されるまでとなる。
222年、47歳で病没。
劉備陣営での評価は高く、多くの人物が彼を賞賛する言葉を残していたという。
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荀攸 公達
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年09月18日 08:29:03 ≫
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はじめまして、荀公達と申します。
今は同じ主に仕える許褚殿から誘われましたので・・・
【名前】
荀攸 公達(じゅんゆう こうたつ)
【所属】
天御柱学院
【アピール・概略・その他】
157~214年
叔父の荀イクとともに謀臣として活躍。
豫州潁川郡出身。元は朝臣で、董卓の暗殺を計画したが露見して捕らわれる。董卓死後開放され、後に曹操にスカウトされ仕官。白馬、官渡など曹操の主だった戦いで軍略を披露し、曹操の軍師として長年にわたり活躍。孫権討伐に従軍中、惜しまれつつ病死した。
陣中奥深くで策をめぐらせる役柄だが、軍事に長けており、多くの合戦に従軍した。
曹操に仕えてからは分をわきまえ、目立つことなく、慎ましく生きた。しかし、自らも立志を望んでいたように、目の肥えた人物には敬愛されたであろう。曹操も、息子の曹丕へ「荀攸は人の手本となる人物である」と言い聞かせていた。
と、まぁこんな所でしょうか。
叔父の荀彧の子孫やかつての同志も多いようですから楽しめそうですね。
でわ改めて宜しくお願いいたします。
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後藤 又兵衛
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年09月15日 22:26:33 ≫
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契約主のメールを通じて紹介を受けたから、入ってみた。 自己紹介、と言っても……話す事が思い浮かばないんだが。
【人物名】 後藤 又兵衛(本名:後藤 基次) 【所属】
蒼空学園 【アピール・概略・その他】
まだ頭がぼんやりしているから、ロクな説明が出来ないな…許せ。
えーっと………。(資料を見ながら)
1615年、大坂夏の陣の「道成寺の戦い」で奮戦したけれど死んだ…らしい。 黒田氏に仕えていた時は「黒田二十四騎」や「黒田八虎」の一人に数えられて、 大坂の役では豊臣氏に仕えて、何か「大坂五人衆」の一人に数えられていたらしい。 ………詳しい事は本なり何なり見てくれ、俺まだ本調子じゃないから。
気づいたらパラミタにいて、ぼーっとしていたら、契約主と出会って、 今はそいつの家に転がり込んでいる。 人生の目的が見つからないから、これからどうしようか考えているところだ。
このコミュニティ、覚えのある名前もちらほら見かけるな………。 まあ、今後とも、よろしくな。
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イゾルデ・ブロンドヘアー
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年09月11日 21:41:34 ≫
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お初にお目にかかります・・・(ペコリ)
トリィの夫、イゾルデと申します。
【人物名】
イゾルデ・ブロンドヘアー(金髪のイゾルデ)
【所属】
葦原明倫館
【アピール・概略・その他】
円卓の騎士の一人、トリスタンの思い人
彼女とトリスタンとの関係については諸説あるが、設定としては
「叔父のマルク王の命でトリスタンが手に入れた媚薬を共に誤飲した結果、押し殺されていた恋愛感情が呼び覚まされ、不義の恋に落ちた」事になっている
その後幾つもの不幸に見舞われ、最終的に彼女はトリスタンに先立たれた。
不束者ですが、よろしくお願い申し上げます・・・
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ハンニバル・バルカ
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年08月26日 18:57:36 ≫
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はじめましてなのだ。
何か面白そうだったので入らせてもらったのだ、うむ。
【人物名】 ハンニバル・バルカ
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】
カルタゴの将軍。ハミルカル・バルカの長子。
ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、
「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷光」という意味である。 第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、
カルタゴが滅びた後もローマ史上最大の敵として後世まで語り伝えられていた。
とまあ、Wiki先生に教えてもらった感じだとこんなんだな、うむ!(ぉぃ
とりあえずよろしく頼むのだ。
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アーシュラ・サヴェジ
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年08月15日 20:25:03 ≫
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失礼します。ゲンジョウの紹介を受け今回承認を頂いたので今日より婆娑羅に参加させていただきます。しがない花の精ではありますがよろしく御願いいたします。
【人物名】
アーシュラ・サヴェジ
(偽名…になるのでしょうか?一様生前の名前と関連性はありますが)
【所属】 イルミンスール魔法学校
【アピール・概略・その他】
来歴は…出来ればご容赦していただきたいのですが。
自分を卑下するわけではないのですが、今の私はしがない花の精ですから。かつての自分自身の栄光を語るのは少々おこがましく思うもので…。
ただ…こちらに参加されているトリスタン卿やベティヴィア卿方とは生前に『交友』があった…といっていいのでしょうか?後、ケイ卿とアルトリア王とは…少々深い関わりがあったとだけ。
すみません、隠し事するような真似をお許し願えればと思います。
出来ればよろしく御願いいたします。
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ネロ・オクタヴィア・カエサル・アウグスタ
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年08月13日 23:11:18 ≫
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天照が参加していると聞いて、余も来てみたのじゃ! 何?どこかの聖杯をめぐる戦争の剣の英霊に似ているだと?気にするな! それに剣は好かんのじゃ・・・ まあよろしく頼むのじゃ!! 【人物名】 ネロ・オクタヴィア・カエサル・アウグスタ (生前名:ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス) 【所属】 イルミンスール魔法学校 【アピール・概略・その他】 37~68年、ローマ帝国の第五代皇帝 ローマ大火を起こした暴君として有名ではあるが、当時の国民はキリスト教を嫌悪している者が多かった事や、優れた政策を行った為人気があり支持もされていた 当時は蔑まれていた芸人を目指していた、死ぬ直前に「何と惜しい芸術家が、私の死によって失われることか」と言ったらしいという事は有名である 生前に女装して男性と結婚した話があった為か女性化した 最初の妻を自殺させた日と、自身が自殺した日が同じであった事を自分で皮肉し、女性化した際にネロ・オクタヴィアと名乗ることにした またシステムの関係上、ゲルマニクスまで名乗れなかった
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ケイ・ゴットバルト
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年08月09日 01:30:33 ≫
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【人物名】
ケイ・ゴットバルト
【所属】
蒼空学園
【アピール・概略・その他】
実体は魔道書【アーサー王の死】であるが、ヒト型の際は登場人物のケイ卿の人格・記憶を元にしている。
ケイ卿はアーサー王伝説の円卓の騎士の一人で、アーサーの養父・エクトール卿の子。
つまりアーサーの義兄にあたる。
アーサーの即位後は国務長官の任に就く。
口の悪さに定評があり、「永遠の毒舌家」の異名で以て知られる。
その最期には諸説あるが、モルドレッドとの戦いで果てた、というのが通説である。
幾人か知った顔もあるようですが、お初にお目にかかります。ケイ・ゴットバルトと申します。
は?本当に気分のいい時は背が伸びるのか、ですか・・・?
あなた馬鹿なんじゃないですか?
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荀 灌
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年08月06日 17:49:20 ≫
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は、はじめまして…織田信長さんにご縁あって
お声かけてもらい入会しました
よ、よろしくおねがいいたします(ペコリ
【人物名】
荀 灌 (じゅん かん)
【所属】
蒼空学園
【アピール・概略・その他】
三国志で有名な敬候こと「荀彧」の六代目の子孫
晋王朝末期の八王の乱~五胡十六国の混乱期を生きました
13歳の時、父の「荀崧」が守る要衝「宛城」が反乱軍に囲まれてしまい、南の襄陽城めざして援軍要請の使者の役目をかって出ました
50人というわずかな供を連れ、宛城を密かに抜け出し統率して戦いながら、追ってくる敵の追跡を振り切り窮地を脱しました
襄陽を守る父の友人の石覧に事情を説明し、援軍を送ってもらうことに成功すると、ついで別の軍司令官のところへ行き周訪という人のところで、援軍を借り受けることに成功したんです
知勇を持って宛城を守り、凱旋したので、「さすが名軍師の子孫だ」と褒め称えられました
手前味噌なのですが…あまりメジャーな時代ではないので説明させていただきました
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