スレッド 「【英霊人別帳】―自己紹介―」 への投稿
(全 92件) |
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筧 十蔵
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年03月12日 21:21:36 ≫
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【人物名】 筧 十蔵(かけい じゅうぞう)
【所属】 蒼空学園 【アピール・概略・その他】 豊臣譜代の蜂須賀家の家臣であった。 秀吉に招かれ大坂城内の蜂須賀屋敷に身を寄せている幸村に心を引かれ、志願して家臣となる。 銃を使う、十勇士の中でも異色の存在。 力も強く、分別もあり、夏の陣後、薩摩落ちにも同行している。 ・・・とまぁこんな所だろう 今はガウェインと共に同じ主に仕えている。 ・・・宜しく頼む。
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松永 久秀
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年04月05日 17:40:14 ≫
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久秀よ。“色々”とよろしくね(クスクス 【人物名】 松永久秀 【所属】 空京大学(故あれば……) 【アピール・概略・その他】 日本三大梟雄と評された戦国時代の武将の一人。 出自、出生を含めた前半生の詳細がよく分かっておらず、後半生の「三好義興の暗殺」「将軍義輝を殺害」「讒言で三好長慶に弟安宅冬康を殺させる」「奈良東大寺の大仏殿を焼く」などを行ったという記録があるものの、確固たる“証拠”はない。 これら記録者側から「悪人」として書かれることが多いが、連歌や茶道に長けた教養人であり、領国に善政を敷いた名君という面を持っている。 (資料からを目を離し)―――だそうよ? 今? そうねぇ……こんな“純真無垢”な姿になったことだし、“清楚”で“お淑やか”に今世を楽しむつもりよ(クスクス
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サー パーシヴァル
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年04月23日 22:44:22 ≫
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イラストが納品されたので、せっかくですから・・・
【人物名】 サー パーシヴァル
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 アーサー王伝説に登場する円卓の騎士の一人 聖杯探索関係で最も有名な人物の一人でもある 「アーサー王の死」では投槍が得意
父の死後、母にウェールズの森に連れて行かれ、その時に見た騎士に憧れる その後、自身が素晴らしい騎士であるということを証明し、アーサー王に円卓の騎士へ誘われ、その一員となった
一度聖杯探索に失敗するものの、最終的にガラハッドらと聖杯探索に成功させた三人の騎士の一人となる なお、一部の物語ではローエングリンという名の息子がいる
とのことです(文献を閉じる)
まあ、物語は物語、私の経験とはまた別ですからね かつての盟友たちもいるようですから、再びよろしくしたいものです
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上杉 三郎景虎
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年05月21日 12:23:03 ≫
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肖像画が届いたのだから挨拶に行けと言われた。 【人物名】 上杉三郎景虎 【所属】 イルミンスール魔法学校 【アピール・概略・その他】 北条氏康の七男。のちに上杉謙信の養子となる。 謙信の病没後、義兄弟の上杉景勝と家督を争い、敗北。享年26歳。 省略しすぎか? ・・・所詮は敗軍の将、あまり語るのもな。 ・・・俺は謙信公も氏康公も慕っている。故に三郎景虎と名乗らせてもらった。 三郎でも景虎でも好きに呼んでくれて構わん。
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マリア・テレジア
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年05月22日 01:47:34 ≫
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皆さま、ごきげんよう。初めまして。僭越ながら、私もご挨拶を…
【人物名】 マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】
1717年~1780年
ハンガリー女王、オーストリア女大公、ボヘミア女王
オーストリア系ハプスブルク家男系最後の君主
「女帝」と呼ばれたオーストリアの国母(実際には神聖ローマ帝国皇帝に即位していない)
父、神聖ローマ皇帝カール6世が死んだ事で周囲国が娘が存続する事を認めず領土分割しようと攻め込んで起きたオーストリア継承戦争、オーストリア継承戦争でプロイセン領となったシュレージェン奪還を目指した7年戦争が彼女の戦歴である
ハンガリーに息子と共に乗り込み説得したり、女性三人によるプロイセン包囲網を形成させたりとしている
オーストリアを強国にする為に徴兵制度の改新や小学校の新設など様々な改革を行った
夫とは当時では珍しく恋愛結婚。夫の死後、喪服で過ごしたという
結婚政策でも有名で、自分の子供達をブルボン系一族と結婚させている
それでは、宜しくお願いしますね♪
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楊 任
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年06月01日 15:41:33 ≫
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【人物名】 楊任
【所属】 シャンバラ教導団
【アピール・概略・その他】
封神演義に登場する、両目から掌に目のついている腕が生えているという異形の容姿の道士。
元は夏(殷)の上大夫だったが、紂王への諫言で怒りを買い両目を抉られて放逐されたところを清虚道徳真君という仙人に救われて弟子となる。その際、失われた目に仙丹を与えたところ、眼窩から腕が生えた。
師の命を受けて下山して周軍へと加わわり、地上のあらゆる物を見通す掌中目と五火神焔扇という強力な宝貝の力で活躍した。しかし朝歌に到る前に袁洪の妖術にかかり、頭を割られて戦死。
後に封神され、甲子太歳神となった。
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長尾 顕景
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年06月16日 22:14:36 ≫
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イラストが出来てからと思ったまま挨拶が遅れてしまっていた。 改めて自己紹介をさせていただこうかな。 【人物名】 長尾 顕景 【所属】 蒼空学園 【アピール・概略・その他】 史実を簡単に教えると感情を表に出さない、女嫌い、厳格で愛刀家っと言った所かな? 上杉景勝っという名前の方が知っている者が多いかもしれないな……おっと、別に上杉に何かしら嫌悪がある訳じゃないぞ?こちらの方が気に入っているだけだ。 他で有名な話をあげるなら、前田慶次郎が暴挙出来なかった相手と言った所だろうな(笑) ああ、史実がどうであれ、私は私だ。 以後、お見知りおきを。
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隠岐次郎左衛門 広有
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年08月05日 00:37:11 ≫
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【人物名】 隠岐次郎左衛門広有 【所属】 シャンバラ教導団 【アピール・概略・その他】 鎌倉時代末期頃の人物。太平記の「広有射怪鳥事」による怪鳥・以津真天退治の逸話で知られる弓の名手。 その際、褒美として「真弓」の姓を賜っており、某在坂球団で活躍したプロ野球選手はその末裔であるという。 ぶっちゃけ、某超有名同人STGのBGMのタイトルの元ネタとしての方が有名かもしれない(http://www.youtube.com/watch?v=SmzWs1Kt360)
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グレゴワール・ド・ギー
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年08月13日 20:38:18 ≫
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英霊の集う場所があると聞いてな。 名はグレゴワール、よろしく頼む
【人物名】 グレゴワール・ド・ギー
【所属】 イルミンスール魔法学校
【アピール・概略・その他】 中世最強とまで謳われながら、陰謀により解散させられたテンプル騎士団の上級騎士(元貴族階級)の一人 本人曰く、癩王ボードゥアン4世と獅子心王リチャード1世のもとで戦っていたとのこと 個人としての逸話や伝説はないが、騎士としての日々の鍛錬とエルサレムでの日常的な戦闘が彼を世の英雄たちと並ぶほどの戦士に鍛え上げた 自身の最期については記憶が曖昧で、彼が唯一覚えているのは戦いの中で命を落としたということだけ
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フルリオー・ド・ラングル
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年09月29日 09:58:36 ≫
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【人物名】 フルリオー・ド・ラングル 【所属】 シャンバラ教導団 【アピール・概略・その他】 本名:ポール=アントワーヌ子爵フルリオー・ド・ラングル。 フランスの冒険家っすw 1788年にオセアニアで消息を絶ってから早何百年?... ま、こうして異世界で生きてたっすwww 王制時代のフランス海軍では貴重な?海軍指揮官っすからヨロシク!!
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フランソワ・ポール・ブリュイ
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2012年10月02日 11:32:09 ≫
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えーあー、あぁー、げひっほふっがっ... 咽た、咽たよ。 あーびっくりした(汗 ナポレオン時代のフランス海軍中将やってました。 というか死後中将になったので現役時代は少将ですな。 宿敵、ネルソン提督(一応礼儀として提督と呼ぼう!)の追撃をかわし幾つかの予防線を張り巡らしておいて――この結果。無念を通り過ぎていっそ清清しい。 ま、逆に提督の方が不完全燃焼じゃないかな? 革命の影響でベテラン兵を欠くわが海軍事情がなければ大艦隊戦も夢ではなかったろうにな。 【人物名】 フランソワ=ポール・ブリュイ・デガリエ 【所属】 シャンバラ教導団 【アピール・概略・その他】 南フランス・ガール県ユゼ生まれ。 共和制フランスにあっても頑なに祖国を守り続けた勇将。 ナポレオンに心酔してたかは不明。 最後の御言葉 「フランスの提督は後甲板で死なねばならない」 ま、艦と最後を共にするってのは良くある海男の心意気みたいなもんだろうか。
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森 長可
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2013年04月07日 00:11:49 ≫
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【人物名】 森 長可 【所属】 シャンバラ教導団 【アピール・概略・その他】 織田家家臣。美濃金山城主・森可成の次男で、乱(蘭)丸らの実兄。後に武蔵守を自称し、鬼武蔵、夜叉武蔵と渾名された猛将。 父と兄が相次いで戦死した為若干13歳にして家督を継ぎ、愛用の十文字槍・人間無骨を携え、名馬・百段と共に伊勢長島をはじめ、甲州侵攻などでその武勇を振るったが、小牧長久手の戦いにおいて眉間に銃弾を受け27歳で戦死した。
非常に気性が激しいことで知られ、一部の歴史ファンからは戦国DQN四天王の1人として愛されているとかなんとか。
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