「……まずいことになった」
危険物倉庫の扉を力いっぱい閉め、シャンバラ教導団秘術科の新人女性教官董琳(とう・りん)は呟いた。その顔は、決して夏の暑さのせいだけではない汗にまみれていた。
董琳は、秘術科の中でも武器などに魔力を付与する研究をしている。教導団にはもともと魔法のノウハウが少なく、失敗作も多い。その失敗作の中でも危険と思われるものを、専用の倉庫に封印してあるのだが、先日鏖殺寺院に教導団本校が襲撃された後、復旧作業等のごたごたもあって、しばらく倉庫内部の巡視を怠っていた間に、不快害虫等が繁殖してしまったのだ。しかも、封印されていた魔法具の影響があったのか、しばらくぶりに入った倉庫の中には、体長2メートルのゴキブリだの一抱えはあるダニだの、カビの集合体がモンスター化したものだのがのし歩いており、董琳は命からがら逃げ出して来たのである。
「しかし、隠しおおせることでもないだろうし、仕方がない、主任教官の判断を仰ぐか……」
冷や汗をぬぐい、董琳はとぼとぼと本校の教務課へ向かった。
董琳の報告を受けて、秘術科が決死の覚悟で調査した結果、危険物倉庫の壁に戦闘によるひびが入っており、そこから不快害虫やカビが侵入し、魔法具の影響で巨大化・モンスター化したのだろう、という結論に達した。
「しかも、エサの少ない場所で飢えてるみたいで、調査隊を襲って来た、ですか……」
報告書を読んで、董琳は頭を抱えた。内部でお互いに食いあってはいるようなのだが、殖える速度が速いらしく、微妙な均衡を保って、ある意味共存しているらしい。ゴキブリとダニが特殊能力を獲得していないのが不幸中の幸いと言えるだろうが、カビは獲物を見ると、胞子を吹き付けて来るらしい。目潰しにもなるし、万一胞子が体の中で増殖を始めれば大変なことになる。
「壁のひびは早急に塞ぐよう工兵に依頼するとして、中の巨大不快害虫やカビモンスターを放置しておくわけには行かないでしょう。魔法具を壊されたり触られたりしたら、暴走して危険物倉庫の外にも影響が及ぶ可能性もあります。董教官、生徒たちを指揮して、早急に不快害虫等の駆除に当たってください。学校から毒物等の処理に使用する防護服の貸し出しを受けていますので、全員が着用するように」
「……あの、燻蒸式の薬品とかを使うわけには……?」
主任教官に言われ、董琳はおずおずと質問したが、
「あの巨体に効くだけの濃度の薬品と言ったら、人間にとっても毒ガスレベルでしょう。それに、カビにそういう薬品は効かないでしょうし。さ、二次被害が出る前に、さっさと行って来なさい」
と冷たくあしらわれ、董琳はしくしく泣きながら、駆除部隊募集の張り紙を作り、掲示板に張り出した。
「内部に封印してある魔法具を壊してはいけないから、範囲攻撃はまずいし、一匹ずつ狙い撃つか、魔法攻撃しかないだろうな……あれらを直視するのもおぞましいのだが……」
精神的な意味で涼しくなれそうな任務だが、果たして董琳を助け、害虫どもを駆除する猛者は現れてくれるだろうか?