「姉上……私たちはもう終わりなの?」
暗闇の中、真桜(まお)は尋ねました。
気丈な彼女の体が小刻みに震えています。そんな姿を見るのは誰もが始めてでした。
「うろたえるな」
真桜の姉、朝比奈蓮妓(あさひな れんぎ)は静かに言いました。
「武道家たるもの、つねに冷静でなくてはならん」
美しい切れ長の瞳が妹を見つめます。
「それは、分かってるわ……でも……」
真桜はそう言うと分厚い壁の向こう側へと耳を澄ませました。
激しい剣戟の音が聞こえます。ドタドタと床を踏みならす音、そして、肉を切り裂く鈍い音。真桜は思わず耳を塞ぎました。そして、誰にともなく問いかけました。
「どうして、こんなことになってしまったのだろう?」
それは3日前の夕暮れ。3本の角の生えた黒馬に乗って一匹の化け物が現れました。見上げるような巨躯と筋骨隆々とした男の『体』。それだけであれば、村を訪れた一介の武芸者と思ったでしょうが、しかし、その『者』には首がなかったのです。
村に乱入するや否や、化け者は幅広の剣で、次々に村人達の首を狩りはじめました。村人といっても、この赤津城村に住む者ははただの村人ではありません。この村は元々武芸の鍛錬をするべく、領主の日下部家の采配のもと作られた場所であり、村の男達はいずれも腕に覚えのある武道家なのです。
猛者達は化け物を倒すべく、一斉に飛びかかっていきました。しかし、化け物はどれだけ切裂かれても倒れる事なく、心臓を貫いても死ぬ事がありません。
やがて疲弊しきった男達は、次々に魔物の餌食になっていきました。しかも悪いことに、殺された男達は、ゾンビのように蘇って今度は化け物の手先となって仲間達を殺していくのです。
こうして、村の4分の1以上の者達が化け物の手下と成り果てました。
それから、ずっと、死闘はやむ事なく繰り広げられているのです。
村を統治する朝比奈家の頭領蓮妓は、敵の尋常ならざる恐ろしさを素早く察知し、か弱い女子供達をいち早く朝比奈家の道場の隠し部屋に集めて身の安全を図らせる事にしました。ここは、外界とは分厚い壁で仕切られており、村の中では一番安全なのです。そこには真桜と蓮妓、そして朝比奈家の長子である慈恩(じおん)もいます。彼らはいざという時に、村人達を守るためにここにいます。
「いっそ、隠し通路を抜けて村人達を連れて逃げた方がいいのでは?」
慈恩が蓮妓に言いました。
「いいや。既に、村の外にも化け物の手下が潜んでいるようだ。いくら、隠し通路を使ったとはいえこれだけの人数を連れて逃げるのは不可能だろう」
「しかし、いつこの場所も襲われぬとも限りません」
「いや、ここに入ってくる事はいかな魔物といえど無理だ。この壁は石と鉄でできている。大砲でも撃ち込まぬ限り破る事はできん」
「相手は正体不明の化け物です。どんな力を持っているか分かりません。それに、例えこの場所が安全でも、兵糧は限られております」
「備蓄はしっかりしてある。半月ほどならもつはずだ」
「しかし、半月が過ぎても、あの化け物がおとなしく帰らなければ? あの化け物は、何かを探しているように思えました」
「確かに時間は限られている。だが、一つだけ方法がある」
「どうのような方法ですか」
「父上がご存命の頃しばしばここを訪れていた柳生十兵衛というお方を覚えているか」
「覚えております。隻眼で黒ずくめの……非常な手練だったと記憶しています。しかし、それが何か?」
「うん。あの方は、かつてマホロバの地で様々な剣士や妖魔と戦って倒して来たのだ。もしかすると、あの化け物を倒す方法を知っているかもしれん」
「なるほど」
「だから、葦原城下に行きあの方に助けを求めるのだ」
「でも、誰が行くのです?」
慈恩の言葉に蓮妓が真桜を見ました。
「やってくれるな? 真桜」
「ええ? あたしが?」
真桜は不満気です。できれば、ここに残り姉達とともに戦いたいと思っているのです。
「使いなんて、他の誰かにやらせれば……」
「道中は危険だ。村から出るだけでも魔物達の目をかいくぐらなければならん。ただの女子供に勤まる仕事ではない。真桜でなくては無理だ」
「でも、姉上達は?」
「大丈夫だ。葦原城下までは行って帰って3日ほどの距離。お前が帰るまでぐらい持ちこたえられる」
「……分かった」
真桜はしぶしぶうなずきました。
「よし、じゃあ、慈恩。朝になったら、真桜を村の外まで送り届けてやってくれ」
「承知しました」
こうして、真桜は兄の慈恩の力を借りて村から脱出し、馬に駆り葦原城下に向かいました。
そして、数日後。
真桜は無事に葦原城下の日下部屋敷にたどり着き、柳生十兵衛と会う事ができました。
事情を聞くと、十兵衛は言いました。
「その化け物は角の生えた黒い馬に乗り、幅広の剣をふるうというのだな?」
「そうです。血のように真っ赤な色の剣です。そして、腰には自らが刈った首をいくつもぶら下げていました」
「そして、首が無い」
「そのとおりです」
「そうか……」
しばらく考えた後に十兵衛は言いました。
「その化け物の名は『無想』だ。間違いない」
「むそう?」
「そうだ。『我、想フ事無し』と書き、『無想』と読む。かつてマホロバで一度だけ相対した事がある。その頃には首は胴体を離れていなかったが、恐ろしく強く、ひたすら強さを求めてさまよう純粋なる狂剣士だった。ひたすら強者を求め勝負を挑み、殺した相手の首を狩ってはそれを腰にぶら下げて勝利の証とていた。しかし、100年ほど前にこの葦原で何者かにより首を斬られ絶命した。それ以来首を求めてさまよう魔物と成り果てたと聞く」
「じゃあ、その化け物は首を探して村を襲ったっていうのか?」
先ほどから十兵衛の後ろであぐらをかいて話を聞いていたハヤテが言いました。彼は十兵衛子飼の忍者なのです。
「確かに、あの化け物は何かを探してるようだった……首だったのかも」
それから、真桜は少し考えた後に言いました。
「そういえば……村の北側の鏡池の底に首が沈んでいるって聞いた事がある。昔、とある高僧が池の中に封印したって……もしかして、その首が」
「……無想の首かもしれぬな」
「じゃあ、その池の底から首を持って来て化け者に返してやりゃいいってことじゃねーか?」
「でも、そう簡単に行かないかも……」
「どうしてさ?」
「あの池には地祇がいるの。今まで、あたし達ともずっと仲良くやって来たんだけど、ひと月ほど前から急に様子が変になって、人間が池に近づこうとするたびに魔物を使って追い払おうとするの」
「ふむ。どうやら、一筋縄では行かない話のようだな」
十兵衛は言いました。
「よし、助っ人を頼もう」
そして、十兵衛は早速各学校に張り紙を出しました。
「魔剣士の首を探し出し、赤津城村を救う勇者を募集」