ツァンダの名門クロカス家は、領内に幾つかの別邸を所有しています。
そのうちのひとつが、蒼空学園から程近い、豊かな緑に囲まれた農村ケルンツェルの端にひっそりと佇んでいました。
ひとびとはこの別邸を、ケルンツェル屋敷と呼んでいます。
ある日のこと。
このケルンツェル屋敷を、ひとりの年頃の娘が訪問しました。その娘は、幾分くたびれてはいるものの、豪奢なデザインで仕立てられたドレスを優雅に着こなしています。
彼女の名は、ラーミラ・フェンザード。
ツァンダ領内に籍を置く、かつては上流貴族として名を馳せていた名門フェンザード家の令嬢です。
ところが現在は、急逝した先代の浪費癖が祟って財力の大半を失い、今や典型的な没落貴族として、日々の生活にも事欠く有様でした。
ラーミラがその日、ケルンツェル屋敷にレティーシア・クロカス(れてぃーしあ・くろかす)を訪ねたのは、しかし、全く別の用件からでした。
「契約した覚えも無いのに、コントラクター化した疑いがある、のですか?」
ケルンツェル屋敷の応接室でラーミラを出迎えたレティーシアは、口元に運びつつあったティーカップを持つ手を止め、思わず相手の顔を真正面から覗き込んでしまいました。
ラーミラは幾分小顔で、やや幼さの残る雰囲気を漂わせてはいますが、整った目鼻立ちが印象的な美しい娘です。そのラーミラが、本当に困り果てた様子で深い吐息を漏らしながら大きく頷きました。
「はい……自分でも信じられないのですが、噂に聞くコントラクターというひとびとに近しい力が、突然身についてしまったようなのです。でもわたし、地球の方と契約した覚えはありませんし、そういう訓練を受けたこともありません。もう、本当に訳が分からないのです」
ラーミラの途方に暮れた様子に、レティーシアはただただ驚きの視線を送るばかりです。
何故これ程までにラーミラが困り果てているのかというと、実は彼女、近々輿入れの予定があったのです。
当初は然程気にも留めていなかったのですが、その超人的な能力の発現は、次第にひとびとの間で噂になり、輿入れ先である富豪メルケラド家から事実確認の問い合わせが届くという有様でした。
メルケラド家への輿入れは、ラーミラの母親であり、現フェンザード家当主であるカズーリの肝煎りで実現したものでした。
ラーミラ自身は、この輿入れは全く乗り気ではなかったのですが、輿入れすればメルケラド家からの金銭的支援を受けられるようになり、フェンザード家の再興も叶うというカズーリからの強い要望を受け、仕方無く輿入れを受諾した、という経緯があります。
カズーリはとにかく、メルケラド家からの金銭的支援を受けて、フェンザード家の再興を果たすことを目的としています。その理由は、ラーミラの双子の兄であり、カズーリが溺愛する長男ラムラダへの家督相続を実現する為、でした。
そんな事情を抱えていたラーミラですが、一度決めた以上はメルケラド家の一員となるべく、あらぬ疑いをかけられてはならないと真剣に考え、今回のコントラクター化疑惑は早急に解決しなければならないと決意を固めていました。
「フェンザード家のご事情は、よく分かりました……ですが、これはお話を聞いただけでは、何ともいえませんね。一度調査する必要があるとは思いますが、餅は餅屋ということで、調査の為にコントラクターの方々を募集してみましょう」
レティーシアの提案に、ラーミラはソファーを立ち、深々と頭を下げました。
* * *
ラーミラがケルンツェル屋敷を辞した直後、今度は全く別の人物が客人として現れました。
その客人の名は、クレイグ・バンホーン。気象研究学者であり、同時にパラミタ上の遺跡を発掘する考古学者でもあります。
このバンホーン博士がケルンツェル屋敷を訪れた理由はひとつ。新たな調査団を編成する為の資金提供を、依頼する為でした。
「今度は一体、何を発掘なさったのですか?」
つい先程までラーミラが腰掛けていた客人用ソファーに、今はバンホーン博士が渋い表情で腰を下ろしています。そのバンホーン博士に、レティーシアはいささか呆れた様子で問いかけました。
現在、クロカス家はバンホーン博士のパトロンではありましたが、バンホーン博士の発掘調査には度々、莫大な資金を要しており、今やすっかりクロカス家のお荷物と化した感があったのです。
そんな事情はありましたが、それでもバンホーン博士は決して怯むこと無く、堂々と資金提供を要求する理由を口上に登らせ始めました。
「最近、各地で伝説上の魔物らしき姿が目撃されているのは、聞いておるかね?」
「えぇまぁ、噂程度には」
レティーシアの応えに、バンホーン博士は僅かに気分を良くしたのか、頬を幾分緩めます。
そして不意に、持参した鞄の中から一冊の古びた書物を取り出しました。
「つい先日、ツァンダのとある遺跡で見つけた古文書なんだがね、内容が実に興味深い」
曰く、先程バンホーン博士が口にした伝説上の魔物を、この古文書がひと纏めにして記している、というのです。
何が興味深いかといえば、近頃目撃されている伝説上の魔物達は、出現地や伝承の内容から、それまではお互い全く無関係であろうと考えられていたのですが、バンホーン博士が持参したこの古文書に因れば、これらの魔物はいずれも因果関係を持っているらしい、ということだったのです。
「これは大発見かも知れんぞ。これまで何の接点も無く、独立した存在じゃと思われていた魔物達が、実は何らかの関係を持っていたとしたら、どうじゃ?」
「そう……ですね。それは確かに、興味深いかも知れません」
各地で目撃証言が相次いでいる伝説上の魔物とは、オクトケラトプス、デーモンワスプ、そしてアイアンワームズという三体の怪物達でした。
ここでバンホーン博士が、ところが、と妙な表情を浮かべます。
「実はこの古文書には、他に聞き慣れない名前も挙げておるのじゃよ。ほれ、ここに書いてあるのじゃが……テラハウンド、フォートスティンガー、そしてメギドヴァーン。お前さん、聞いたことあるかね?」
「いえ……初めて見る名前ですわ」
レティーシアが眉間に皺を寄せて、それらの謎の名が記されている項をじっと凝視していると、更に別の名前も散見されました。
「メガディエーターって……確か半年程前に空京に現れたという、空飛ぶ巨大鮫、でしたね」
「そうじゃ。知っての通り、メガディエーターとは太古の昔、当時のイコン開発者達が開発中のイコンと戦わせる為に製造した、巨大サイボーグ生物のことよ」
そのメガディエーターが、この古文書では他の伝説上の魔物達と同列に扱われている、というのです。
レティーシアは、訝しげに首を傾げました。何故、人工巨大生物と伝説の魔物達が同じ括りの中で扱われているのか、全く理由が分からなかったからです。
ですが、この古文書の中には他にもうひとつ、謎の表記が存在しました。
「この……フレームリオーダーっていうのは、何ですか?」
「さぁな。これはわしにも分からん。分からんといえば、この絵図も謎じゃ。一体何を示しているのやら」
バンホーン博士が示した、謎の絵図。
それは、イコンと思しき金属の巨人と、魔物の面影を残した謎の巨人とが相対して激闘を展開している、というものでした。