卒業式を控えた三月のある日の早朝です。
<はばたき広場>ほど近く、ヴァイシャリーの大運河に面した小さな屋敷を、百合園女学院校長桜井静香(さくらい・しずか)とラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)が訪れました。
「みんなおはよう」
「おはようございます」「おはようございますわ」「おはよう、校長先生」
静香のあいさつに、奥にいた女生徒たちが立ち上がると、一斉にそれぞれの挨拶をしました。
「まだ朝は寒いねー」
「そう仰られると思って、温かいココアをご用意しました」
百合園女学院生徒会・通称白百合会の前会長伊藤 春佳が奥のソファーへ案内しながら、二人の前にカップを置きます。
ラズィーヤは微笑むと、早速カップを手にしました。
「いただきますわ。……何だか寂しいですわね、こうやって生徒としてお話するのも最後になるのかしら」
「私にはラズィーヤ様が何を仰っているのか分かりません。それに私は卒業後、秘書になる予定です。今度はラズィーヤ様の部下であると同時に、政治家として新しい生徒になるわけですから」
春佳が隣の親友・そして生徒会執行部・白百合団の前団長桜谷 鈴子(さくらたに・すずこ)を見やると、鈴子も静かに頷きます。
「ええ、卒業しても、百合園で学んだ生徒であることに違いはありません」
「ふふ、そうですわね」
「──お話の途中、宜しいかしら?」
回顧気分に浸りそうな三人に、水を差したのは、現生徒会長のアナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)でした。
「その話はごゆっくり後でなさってくださいません? 皆さんお待ちかねでしたのよ。もうすぐ来賓の方もお見えになりますわ」
「そうでしたわね」
ラズィーヤは、周囲に座っている百合園の生徒たちを見回しました。
前副会長の井上 桃子を始め、前書記山尾 陽菜、前会計遠藤 桐子、同じく前庶務野村 弥生とした旧生徒会役員。
アナスタシアをはじめとする新役員──副会長の鳥丘 ヨル(とりおか・よる)、書記稲場 繭(いなば・まゆ)に庶務七瀬 歩(ななせ・あゆむ)。会計の村上 琴理(むらかみ・ことり)。
鈴子以下、白百合団の前副団長神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)。
新たに白百合団を担う風見 瑠奈、副団長のロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)とティリア・イリアーノ、副団長補佐レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)、そして係員として団長秘書の秋月 葵(あきづき・あおい)。
新旧の役員が一堂に顔を合わせるのは、役員交代もあり、更に其々に任務を背負った今では、滅多にない機会です。
これだけの人数が集まったにのは、勿論訳があります。今日は、白百合会本部執行部の合同主催で、ヴァイシャリーへの感謝祭が開かれることになっていたのでした。
──百合園女学院パラミタ校が開校してから、本当に様々なできごとがありました。
勿論、ヴァイシャリー家の一人娘であるラズィーヤや、父であるヴァイシャリー家当主の存在があるのは言うまでもありませんし、契約者たちの働きもありました。
それでも、何度も戦禍に晒されてきたこの街は少女たちに、表立っての罵倒や非難などはせず、今までずっとこの学校を支え、受け入れてくれました。これはそのヴァイシャリーへの恩返しなのです。
加えてもう一つ理由があります。
先頃行われた生徒会選挙では、当選者からも残念ながら落選してしまった生徒からも、幾つもの学校生活への提案が為されました。その中で、シャンバラとパラミタ各国や地球との文化交流的な側面が望まれていることが分かりました。
あれから小規模な学校内での「文化交流会」が行われていましたが、今回はそれをヴァイシャリーの住民と百合園女学院で共に行おう、というのです。
「マナーや風習を知ることで、もっと互いを身近に感じ、理解を深めようというものですの。
それに、顔も分からない人間を憎むのは簡単ですわ。でも言葉をどこかにぶつけて、その相手の顔を見て初めて分かることというものもありますものね」
成功を確信したような言葉は、実感で得たものです。
お祭りの準備としての、イベントの企画や告知の作成会場の装飾は、既に本部・執行部合同で住民の意見を聞きながら進められていましたが、その間の交流に自信をつけられたのです。
この屋敷も、バルトリ家というヴァイシャリーの名門貴族の別邸です。当主と夫人が交流の過程で運営本部にと貸してくれたのでした。
「では、内容を簡単におさらいいたしましょう」
アナスタシアは厚いファイルをめくります。中には、その文化交流の詳細な予定が収められていました。
「百合会本部は、このお屋敷で、運営を行いますわ。全体の進行管理が主な仕事ですわね」
来賓の対応もありますが、これはラズィーヤや静香が行ってくれることになっています。
続いて瑠奈が、手元の同じファイルを繰りながら、
「白百合団は、<はばたき広場>内の救護・迷子センターを担当します。荷物や落し物のお預かり、お子さまの一時預かりも行います」
感謝祭は、大運河を中心とした運河とはばたき広場を、主な会場として行われる予定です。
救護・迷子センターは中心に近い方がいいため、本部と活動場所が異なっています。
子供たちを退屈させないために遊具を置き、また訪れた人には、白百合団員が作ったヘルシーなお菓子や健康飲料を配る予定です。
再びアナスタシアが説明を始めます。
「メイン・イベントは商工会議所の商人の方が中心になって企画した、市民パレード。大運河を大小の船やゴンドラで、時代物の衣装で仮装した皆さんが通りますの。
それに、バルトリ家の方も出資して、水上で小さなオペラが披露されるそうですわ」
その他ヴァイシャリーの貴族や商人も、水上楽団の演奏に、珍しいガラス器の展示、貸し衣装・馬車の提供などなどヴァイシャリー文化を楽しめるような出店やイベントを多数企画しています。普段広場でクレープや土産物を売っている店主たちも負けていないでしょう。
「それから……あら、いらっしゃいましたわ」
説明を続けようとしたアナスタシアが言葉を切ったのは、新しい客人が来たからでした。
「おはよう従妹殿、皆も揃っているね」
片手を上げて現れたのは、赤髪のすらりとした長身、そして白い軍服──ラズィーヤの従姉妹でシャンバラ海軍ヴァイシャリー艦隊所属、海軍中将フランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)でした。背後には花妖精のメイドもいます。早速席を開けようとする春佳を、彼女は笑って制しました。
「構わないでくれ。すぐ警備に戻る。その顔を見るに、丁度私たちの話をしていたんだろう?」
ラズィーヤが頷きました。
「ええ、そうですわ。海軍の方には今日は警備だけでなく、大運河で、機晶水上バイクのショーなどをしていただけますのよね」
「市民に見てもらえる、と、部下たちも楽しみにしていたよ。こういった機会でもないと軍人は益々遠くなるからな。尤も、中には百合園の生徒とお近づきになりたい、などという困った輩もいるが」
部下だけでなくフランセット自身も楽しみにしているのでしょう。心なしか表情は明るいようです。
瑠奈は彼女が口を閉じたのを見届けて再び続けます。
「勿論主宰である百合園の生徒たちも、自主性を発揮した企画を沢山考えてくれました」
日本出身の生徒は日本文化を、エリュシオンの生徒はエリュシオン文化を、それぞれ伝えようとしていました。特にエリュシオン出身の生徒は、戦争が終わり、シャンバラが共にニルヴァーナを目指そうとする中で、交流する必要があると強く感じているようです。
「他校生も勿論、出店やイベントを企画していただけます。それに加え、誰でも参加できるように、フリーマーケットも開かれます」
そう、人種や出身だけではなく、小さな子供から老人まで、お金のない貧乏な人から貴族まで、ひっくるめてです。
そのための工夫として、生徒会が用意したのは、小さなハンドメイドのチケットでした。
お祭りの最中、直接お金のやり取りをしなくてもいいように、と考えられた金券ですが、綺麗な幾つかのイラスト──アイシャ女王や百合などの花、大運河、ゴンドラ、ヴァイシャリー湖など──が刷られて見るだけでも楽しめますが、子供たちやお金のない人たちには、あらかじめ各自1セットがプレゼントされていました。
「──そう、本当のメイン・イベントは、このチケットが利用され、受け渡しされること、ですわ。ですから役員である私たちにも、勿論自由時間を用意してありますわ」
アナスタシアはそう言って、おさらいを締めくくります。
「皆さん、今日は宜しくお願いいたしますわ。そして、私たち自身も楽しみましょう」
*
お祭りが始まったヴァイシャリーの街は、花びらを敷き詰めたようです。
あちらこちらの空に旗がたなびき、時計塔は花で飾られ、出店の屋根やパラソルやテントが立てられており、どの店にもさまざまな土産物に伝統工芸品、はたまた子供のつくった指編みのたわしなどまでが並んでいました。
と思えば、あちらの出店の前に出された、テーブルの上では空のワインの瓶が小さなお城になっており、なみなみとお酒を注いだグラスを手に、顔の赤い男性たちが大声で笑っています。
百合園女学院の生徒も負けていません。和服の少女が野点や生け花を披露し、フランス出身の少女がガレットの屋台やマカロンの店を開き、エリュシオンの魔法の手鏡や化粧品を並べています。
「ヴァイシャリーは仕事がしやすそうですね」
日傘をさしバッスルドレスを完璧に着こなし、栗色の髪を結った一人のヴァルキリーの女性──三十代でしょうか──が、彼女たちを見て、呟くように言いました。
彼女は手首の時計を確認して、彼女に付き添うメイドに問いかけます。
「打ち上げパーティは、午後八時からの予定でしたね」
「はい、奥様」
「それまでゆっくり、感謝祭を一回りさせていただくとしましょう」
感謝祭に携わった百合園生たちを中心とした、ヴァイシャリー家主催の打ち上げパーティ。
それはお疲れ様の意味を込めてでもあり、今回の感謝祭の売上金の使途を相談したりするものでもあります。
そこに何故彼女が招かれたかというと……。
「ラズィーヤ・ヴァイシャリー様のご期待に添う仕事をするためにも」
彼女・
エヴァット夫人は、先日まで空京にいました。シャンバラ宮殿の女官であり、ある程度の人数の女官たちをまとめる仕事をしていたのです。会社でいえば課長や部長、といったところでしょうか。
それがラズィーヤに招かれ、この春からヴァイシャリーの百合園女学院で働くことになったのです。
百合園女学院ではこの春から、認定専攻科が設けられることになっており、既に学生の募集が行われています。
そこには女官コースも設けられ、彼女はこのコースを主な担当とする教師になります。
「私の未来の教え子たちは、これからどんな道に進むのかしら? どんな思いを込めて、春を迎えるのかしら?」
彼女は青い瞳を穏やかに、行き交う少女たちに向けました──。