そこは、ツァンダのどことも知れぬ街の片隅に看板を出す店でした。
スリルとロマンと謎が満ちる冒険斡旋所――その名も、〈夜の黒猫亭〉。
その店には危険を恐れぬ者が冒険を求めて訪れるという。
そう。そして、今日も――
カランカラン。
〈夜の黒猫亭〉の扉が開き、鈴の音が鳴りました。
カウンターの奥で本に目を落としていた、店の主人のクロネコが顔をあげます。
店に入ってきたのは、外套(ローブ)を羽織り、フードを頭からすっぽり被った、一人の若き少年でした。
少年がおもむろにフードを取ります。
「ここが黒猫亭か」
ぼそりと、零すように言いました。
美しい顔立ちをした少年でした。白皙の面(おもて)に白銀の髪。瞳は胡桃色で、引き込まれそうなほど深い色合いをしています。その、かすかな幼さを残した顔の少年が、クロネコのもとに近づいてきました。
「……なあ、ここは冒険をくれるって本当か?」
少年が言うと、クロネコは、
「ああ、そうだよ。ここには沢山の冒険が集まってくる。それこそ、死の危険すらあるぐらいにとびっきりのから、迷子の黒猫探しまでね。君はどっちをご所望だい?」
にこっと口元を笑みの形に変えたのでした。
少年はそれを見て、険しく眉根を寄せました。クロネコが胡散臭い主人だったからです。
少年も同年代にしては背丈が低い部類に入りますが、クロネコはそれより頭一つ分ぐらい低いのです。言うなれば、幼いということ。しかし、口調や、その醸し出す雰囲気が老獪した者のそれを思わせるため、そのアンバランスさに、少年は戸惑いを覚えるのでした。
更には、クロネコの目が、目深に被った猫耳ニット帽で隠れていることも、それに拍車をかけます。一体どのようにして視界を確保しているのか。少年には皆目見当もつかないのでした。
「……まあ、いい」
聞こえるか聞こえないかの囁くような声で、少年はつぶやきました。
(依頼さえもらえればそれで十分なんだ。俺が、魔法使いとして一人前であることを……独り立ち出来るということを、証明できるものがあれば)
思いの丈を募らせ、ぎりっと唇を噛みます。
少年の脳裏を追憶が過ぎるのです。師のもとで伴に修業に励んでいた兄弟子たちが、高笑いをする追憶が――
「冒険は危険があればあるほど良い。それに報酬も欲しい。たっぷりな。……どちらも満たせるようなものはあるか?」
「そうだねぇ……なにかあったかな……。ああ、そうだ。例えば、こういうのはどうだい?」
ごそごそとカウンターの下をさぐっていたクロネコが、少年に依頼の情報が書かれた羊皮紙を差し出しました。
「ツァンダを荒らし回る謎の盗賊集団?」
「うん。ここ最近になって出没してるらしいよ」
「……なんだってそんなものがここに。正規の軍人どもにでも頼めば、すぐに向かうんじゃないか?」
「いやー、それがそうもいかないんだよ」
「なにか事情でも……?」
「実はこの盗賊集団ね。実際に荒らされてしまった村に住んでた村人の話だと、なんでも……骸骨の集団なんだってさ」
クロネコはわざと声を沈めて言いました。少年が片眉を曲げます。
「噂だと、どこぞの盗賊達の亡霊たちが出たとかいう話。まあ、実際は骸骨系のモンスターなんだろうけど、人づてで、しかも亡霊だなんだとか騒がれてたら、なかなか信じられない話でね。それでボクのところに回ってきたってわけさ」
クロネコが肩をすくめます。
「――なんだっていいさ」
少年はクロネコの話に飽きてきたらしく、切り上げるように言いました。
「とにかく、依頼はもらった。あとはこちらでなんとかする」
「おいおい、まさか一人でじゃないだろうね?」
クロネコに呼び止められた少年が、それがどうかしたか、とでも言うような顔で振り向きました。片手で顔を覆うようにして、クロネコはオーバーなリアクションを取りました。
「そりゃあ嘆かわしいよ。相手は亡霊軍だよ。“軍”って呼ばれてるんだよ? ちょっとは仲間でも連れていかないと、太刀打ちできないさ」
「知ったことか。俺は一人でもやれる」
「のんのん。そういう気合いは大事だけど、分が悪い賭けはするものじゃない。見たところ、君はまだ初めての冒険なんだろ? ちょっとはアドバイスに耳を傾けるのも悪くないんじゃない?」
クロネコがにこっと口元を笑みに変えると、少年は憮然としました。
どうして初めての冒険と分かったのか。その疑問もあったのでしょう。しかし、それ以上に、クロネコの言う事が間違ってはいないと、少年にも気づいたからでした。
「――分かった。仲間は雇う。それで良いんだろ」
そっけなく少年は言います。
それから再びフードを被ると、少年は店を出て行きました。
カランカラン。鈴の音が鳴って、店の中に静寂が戻ってきます。
クロネコは、ふぅ……と、一仕事を終えたとばかりの息をついて、どさっと椅子にもたれかかりました。
「悪い子じゃないのかなぁ」
少年を評したクロネコの声は、独り言として空気に溶けていったのでした。
夜の黒猫亭を訪れた少年が、死の亡霊軍退治へと赴きます。
ぜひ、皆さんの手で彼を助けてあげて下さい!