人よ、雪の女王の庭に近づく事、なかれ
其は盟約、古の約定なり
人よ、雪の女王の庭に足を踏み入れる事、なかれ
万が一約定を破る事、あらば
汝と汝の地に災い、降り注ぐと知れ
ツァンダのある地方の、冬語りより
「『癒しの葉』はないの、ごめんねルルナちゃん」
「そんな……」
申し訳なさそうな言葉に、ルルナは絶句しました。
ここの所の寒波到来、雪の訪れもあり、ツァンダでは風土病の風邪が流行っていました。
この風邪には、『癒しの葉』と呼ばれる薬草が特効薬となっており、足りなくなった癒しの葉を求めに来たのですが。
「本当にごめんね、ルルナちゃんの所には、優先的に回して上げたいのだけど」
ルルナが暮らしているのは、ツァンダの外れにある孤児院です。
この孤児院では今、一人暮らしのお年寄り等、風邪にかかり看病を必要とする人達を受け入れていました。
それを知っているからこその言葉なのですが、それは現状、何の慰めにもなりません。
「世話してた人達の中からも、倒れる人が出ちゃって……一応、応援は依頼してあるんだけど」
「この雪でね、癒しの葉を始めとする薬草が着くのが遅れてしまっててね」
困り切ったルルナの目がふと、店のすぐ前に集まる数人の男の人達を捉えました。
雪が降っているとはいえ、街中にしては随分と厚着で重そうなリュックを背負っていたのが、不思議でした。
「おじさん、どこかに行くの?」
その中の一人が薬草店のおじさんだと気付いたルルナの問いに、おばさんの顔が暗くなりました。
「おばさん……?」
「あぁ……今から癒しの葉を採りに行くんだよ。上手くいけば今日中に手に入るから、また明日の朝、来てみておくれ」
何とも歯切れの悪い言葉と様子に、ルルナは首を傾げました。
「今日中に、採りに行く? 癒しの葉ってまだあるの?」
特効薬である癒しの葉は確かに、この辺りでも生えています。
けれど、目に付いたそれらは真っ先に採取された筈なのです。
「……あまり知られてないけどね。あの山の天辺にね、生えてるのよ」
指さされたのは、近くの山の頂上付近でした。
この時期何故か、山頂付近はいつも吹雪いています。
けれど、それを抜けた先には一年中、雪の積もらない場所があると、知る者は知っていました。
それでもそこに近づかないのは、昔からの『おとぎ話』が知られていたからでした。
「『雪の女王様の庭には、近づいちゃダメよ』って先生も言ってるよ?」
普段行く事もあるけれど、それは中腹までで。
そこから上は「決して行ってはいけない危険な場所」と教えられていたルルナは、ビックリしました。
「あたしも止めたんだけどね。『この雪じゃ、いつ薬草が届くか分からないし、世の為人の為って事で女王サンにゃあ許して貰おうや』だって」
そういうおばさんの顔には、不安と恐れが色濃く出ていました。
その時、おじさんがこちらに手を振り……薬草採取隊は出発しました。
「とにかくまた明日、来ておくれね。きっと……薬草が手に入っているから」
見送りつつ、どこか祈るように告げるおばさんに、ルルナは頷いたのでした。
そして、今。
仄白い世界をルルナは歩いていました。
正確には、薬草採取隊の後をつけていました。
凍った川を越え、雪に足を取られつつ、山頂を目指していました。
子供の足では無謀、ですがルルナには一つの想いがありました。
おじさん達は雪の女王に知られないよう、こっそりと薬草を採るつもりのようでした。
けれど、ルルナはそれはダメだと思ったのです。
雪の女王というのは精霊なのだという話を聞いた事がありました。
この時期だけ姿を現す、古い精霊なのだと。
そして以前、ルルナは精霊と関わった事がありました。
迷惑をかけてしまったけれど、精霊達は優しかった、許してくれました。
「だからきっと、一生懸命お願いしたら癒しの葉、分けてくれるはずだわ」
大人達が恐れるような怖いモノではない筈、それがルルナの足を動かしていたのでした。
ド・ド・ド……ドドドドド……
それからどれくらい経ったでしょう?
前方より低く不吉な音が聞こえてきたのは。
白い息を吐き出しながら、顔を上げたルルナは見ました。
白い白い波……高い高い白い波が全てを呑みこもうと、迫ってくるのを。
誰もが呆然とする中、真っ先に我に返ったのはルルナでした。
「なんとか止めなくちゃ」
幸運な事に、雪崩の速度は比較的ゆっくりです……勿論、逃げ切れる程ではありませんが。
不運な事に、だからこそ周囲に積もった雪を巻き込み、雪崩の規模は大きくなっていきます。
けれど、止めねばなりませんでした。
何故ならこの雪崩の先、山の麓には町が……ルルナ達の『家』があるのですから。
『また人が入り込んだか』
『彼女』は物憂げに冷たい吐息を吐き出しました。
『彼女』は静寂と静謐を愛する、古い精霊でした。
かつて人と関わっていた事もありましたが、時と共に人の欲深さに愛想をつかせてからは、専ら関わりを断っていました。
冬の間、この地の周囲を吹雪で覆い、この時期に繁殖する今となっては大分数を減らしてしまった希少な植物を守っていました。
人の中の良き者はその意を組んでくれ、『おとぎ話』という形で此処にむやみに人が近づかないようにしてくれました。
それでも時折、欲深き悪しき者はその魔手を伸ばしてくるので、対処にも慣れたものでした。
『誰ぞ、これへ』
呼び出した数人の年若い精霊に、2メートル程の雪像を幾つか、運ばせます。
吹雪の中、人を模したこれを見ると、盗人達は一様に驚き逃げていくのでした。
脛に傷を持つ悪しき者です、災いや呪いをコトの他恐れるからでしょうか。
いつもと同じ手順。
けれど、今回少し違っていたのは、雪の女王のものだけではない……そう自然の雪が降っていた事でしょう。
『『『『『あっ!!!』』』』』
柔らかな雪に倒れ込んだ雪像、それがパタンパタンと転がっていく様に、精霊達は慌てました。
だがしかし、それは止めるより先に、積もっていた雪をくっ付け瞬く間に大きくなっていってしまったのでした。
『『『『『たたたた大変だぁぁぁぁぁぁっ!!!』』』』』
そう、それは最早雪崩となって、山を下って行くのでした。