かつて、“月の蜜”と呼ばれた花がありました。
月の光がさしこむ場所にしか咲かないといわれているその花は、長い年月をかけて、その蜜に月の魔力をためこんでいきます。その力はあらゆる万病に効くといわれていて、数々の研究者たちや、冒険家たち、それに医師たちが、こぞって“月の蜜”を探したものです。
ですが、それもいまや幻。
月の蜜の伝説も色褪せてしまって、わざわざ探索に赴く者たちは誰もいなくなりました。
ただし、数少ない人をのぞいては――
イレムの森の住民たちは物陰に身を潜めていました。もちろん、住民といっても民族とは限りません。森には多種多様な生き物たちが棲んでいます。
ツキノワグマをさらに凶暴で大きくしたグレゴルという巨熊たち。赤と黄色のまだら模様をした、トカゲの数倍はあるような小竜族たち。がささっと音を立てて、生い茂った木々の梢を飛び移っているのは、森では珍しくない、バッタのような体に大きな虫羽を生やした昆虫でした。
そんな森に足を踏み入れた青年は、ぽかんと大きく口を開きながら、あたりをきょろきょろと見回しつついいました。
「ここかぁ……。“月の蜜”があるっていう森は」
青年の名はレイン・ハーブルといいました。
知っている人は知っているかもしれませんが、ほとんどの人はきっと知らないはずです。なぜなら彼はまだなんの権威も持たない薬草研究家だからです。薬草のことについては、独学で学びました。
学校? 大学? いえ、そんなものは一つもいっていません。レインの実家は貧乏だったのです。とてもそんな余裕はなく、まして机に座ったままの学舎なんて……。レインには薬草を摘んでたり、薬草についての本を読んだりしている自分の時間が、なにより幸せなものでした。
今日も、ある幻の薬草を求めて森へ踏み入ったところです。
道は険しいものでした。そこは人がほとんど立ち入らない秘境の森だったのです。イルミンスールのさらに隅の隅にありました。イルムの森なんて名前も古い書物を見たり、近辺の村や町の人に聞いた話をもとに見つけた名前でした。
身の丈ほどもあるぼうぼうに茂った草木を掻き分けて、ジャングルみたいにツタや巨大な葉っぱのある場所を抜けて、川を抜け、小高い丘のようになった場所を越え、ようやくレインは、どうやら誰かが住んでいるらしい、あけっぴろげになった広場に出ました。
森に住んでいたのは、花妖精や精霊たちが一緒になり、集落のような村を形成している種族でした。よく見れば、ハーフフェアリーや獣人の姿もありました。どうやら集落は、一つの種族じゃなく、複数の種族が混ざりあって暮らしているようでした。
村の住民たちはレインをあまり快く歓迎してはくれませんでした。それも仕方ないかもしれません。村の人たちは、耳のない人間を久しく見ていなかったのです。
レインは村の長老である老精霊のもとに案内され、話をしました。レインは村の人たちに危害を加える気はないといいます。“月の蜜”さえ手に入れば、すぐに引き上げると。だけど、村の人たちはそれは出来ないといいました。
「なぜです?」
レインはたずねます。老精霊のクライブルはこたえました。
「“月の蜜”はもはや手に入らない場所にある幻の薬草なのです。禁じられた森をご存知でしょうか。あそこには、遺跡があります。かつて人間たちが作った機晶石の研究所の跡地です。知っておりますか? 研究所ははるか昔に打ち捨てられてしまいましたが、あそこにはいまだ機晶石のパワーを引き出すなんらかの装置が置かれているといいます。そこから流れる負のエネルギーが、森の植物たちを浸食しているのです」
禁じられた森も、かつてはイルムの森のように緑豊かな美しい森だったと老精霊はいいました。だけど、いまやそれを覚えている者は老精霊ぐらいのものとなりました。他の者たちはすでにどこか遠い場所に移住の旅に出て、残された者たちだけで、細々と暮らしているのです。
「あなたにはわるいですが、ここにいる者たちは人間たちに対してあまりよい感情を持ってはおらん。研究所を作った人間たちは、装置を放棄して出ていきおったのでな。出来れば、いますぐにでも立ち去ってほしいぐらいじゃ」
レインはしかし、立ち去る気はまったくありませんでした。
「それは出来ません。僕も、“月の蜜”を探してずっと旅を続けてきたんです。ここで引き返すわけにはいきません。目的のものがどこにあるのかわかった以上、僕はなんとしてでもそれを手に入れるつもりです」
「禁じられた森には、戦闘用機晶姫の番人たちが潜み、いまも侵入者を探してさまよっておるぞ。それでも行くというのかね?」
「幸い、この森を出て町に行けば、地球人たちに助けを求めることもできるでしょう。彼らは契約者と呼ばれていて、普通の人間にはない力を持っているのです」
レインはそう言って、一泊する間もないうちに、村を後にした。
村の花妖精や精霊たちは、レインが余計なことをしないだろうかと心配になりましたが、わざわざそれを引きとめるようなことはしませんでした。いまさら、禁じられた森になにかあったところで、これ以上の被害にはならないはずでしたし、ましてや人間のレインの命など、仮に失ったところで誰も気にとめることはなかったのです。
レインはこうして、町に戻ってきました。
だけど、再びイルムの森に向かい、禁じられた森にも向かうことでしょう。
レインはさっそく、契約者の人たちに呼びかけることにしました。果たしてどのような契約者が集まるのか、想像がつきませんでした。だけどもしかしたら、忘れられない旅になるかもしれない。そんな予感が、レインの心によぎっていたのでした。
薬草研究家のレイン・ハーブルが、契約者たちに助けを求めました。
目的のものは、打ち捨てられた研究所の遺跡にあるとされる“月の蜜”と呼ばれる薬草。
みなさんの手で、ぜひレインを助けてあげてください!