春、新学期の始まり、新入生が入って来る季節。
「ショートカット同好会でーす。ショートカットの女の子、募集してまぁす!」
いつもよりも元気な声を上げ、新入生へ呼び掛ける松田ヤチェル(まつだ ――)。
ショートカット同好会の会長である彼女は、新学期が始まってからというもの、新入生の勧誘に熱心でした。
とはいえ、立ち止まってくれる生徒はなかなかいません。
いい加減に日も暮れてきて、ヤチェルは部室へ戻ることにしました。
「あら、カナ君は?」
いつもと変わらない部室のはずなのに、そこにパートナーの姿はありません。
室内にいた仲間たちは一様に知らないと答え、ヤチェルは溜め息をつきます。
「まったく、無駄に心配されてるかと思ったら、今度は無駄に心配かけるんだから」
ヤチェルのパートナー、由良叶月(ゆらかなづき)は同好会を結成してからしばらく、ヤチェルのそばに付き添っていました。ショートカットに萌えたヤチェルが暴走するのを食い止めるためです。
しかし、それが何故かここ最近、姿を見せなくなっていました。大学に通っている彼は、授業が終わると必ずこの部室へと直行していたのに、不思議なものです。
「それとも、もう心配じゃなくなったのかしら」
そう呟きながら、ヤチェルは心の中で不満に思っていました。――急にいなくなるなんてひどいわ。何だかんだで、気に入ってたくせに。
その夜、痺れを切らしたヤチェルは叶月の住んでいる部屋を訪ねました。
「カナ君、いる? 入ってもいい?」
取っ手を握ると、扉は勝手に開いてしまいます。
「もう、鍵かけなきゃ駄目でしょ」
と、中へ足を踏み入れるヤチェル。
「……誰だ?」
叶月の声がし、ヤチェルがそちらを見ると――異様な光景が目に入りました。
散らかり放題の室内、椅子に腰かけた叶月、いつもは見せていないはずの翼、テーブルに置かれた薬らしき瓶。
「ぁ、あたしよ、ヤチェルよ……」
いつもとは違う彼の姿に怖気づきながら、ヤチェルがそう返すと、叶月は彼女を睨みました。
その目付きは彼女の知っているものではなく、初めて見る鋭さを持ったものです。
「知らねぇな。俺は今、気分が悪いんだ。さっさと帰れ」
「え――?」
翌日、ヤチェルは考え込んでいました。
叶月は確かに自分を見たけれど、知らないと言った。――記憶喪失? まさか。
「ねぇねぇ、聞いた? 今流行りの『ちーとさぷり』あるじゃん?」
「え、それがどうかしたの?」
「ここだけの話だけど……実はこれ、記憶を消しちゃう薬なんだって!」
耳に入ってきたクラスメイトの会話に、ヤチェルは昨夜のことを思い出しました。
――そういえば昨日、カナ君の前に薬らしきものが置かれてた!
はっとしたヤチェルは放課後、仲間たちへ告げます。
「カナ君を助けに行くわよ!」
× × ×
能力を強化する力があるといわれる植物「チートの花」。
その花の蜜を原材料にして作られたのが「ちーとさぷり」です。しかし、「チートの花」は実在するかどうかも分からない伝説の植物。一説には水辺に生えるとも、山の中、谷の底、地中の奥深く……ともいわれ、確かな情報がありません。
その伝説に沿うように「ちーとさぷり」も入手が難しく、噂には仏滅の夜、空京の外れにその店は現れるとか。
店内には店員が一人いるだけですが、詳しいことは分かりません。ただ「ちーとさぷり」を売るだけで、一言も喋らないのです。
これだけ怪しいのに「ちーとさぷり」が流行した理由とは、その効果にありました。
一粒飲んだだけで、手にとるように能力が強化されていくのです。種類が豊富なこともあり、あっという間にこの話は広まりました。
ですが、服用を続けている内に副作用が起こることも分かってきました。
『記憶が失われる』というものです。
個人差がありますが、ただ全ての記憶を失くすのではなく、ある一定の時期から現在までの記憶を失くしてしまうのです。
この副作用を止めるには、まず薬をやめさせなければなりません。しかし、一度能力を強化してしまうと、さらに強くなりたいと思うのが心情です。
薬の効果が切れれば自然と副作用もなくなるのですが、それを自覚できる人はほとんどいないので、現在のところは、周囲の人が薬を取り上げるしか方法がありません。
この噂はまだ広がり始めたばかりで、知らずに服用を続ける人も大勢います。
薬の効果と引き換えに記憶を失くし、それまで築いてきた絆がなかったことになってしまう。
――こんな悲しいことは、一刻も早く終わらせましょう。