「今日だったっけ、入荷日?」
とだけ告げてクリス・シャーウッドが片手を出したのは、「見せて」という意味である。いちいち言葉を交わさなくとも、蓬莱いつきとクリスの間には、そのくらいのコミュニケーションは成立してしまう。
「いいけど……ちょっとだけだからな。変なトコいじるなよ、ついさっき手に入れたばかりなんだから」
「はいはい、わかってますわかってますって」
いつきから最新型携帯電話を受け取り、クリスは改めてその薄さ、小ささに舌を巻く。
「はー、これが『cinema』かー、ぱっと見じゃケータイとはまず思わないだろうな……」
しかし本当に驚くべきは、『cinema』が有するホログラムディスプレイ機能だろう。片手で軽くスイッチを押すだけで、最大三面のディスプレイが空中に出現するのだ。電話、メールといった基本はもちろん、このディスプレイでネット接続に動画鑑賞、ナビ検索までできてしまう。しかもすいすい動くではないか。これまでもホログラムディスプレイを有する携帯電話機はあったものの、投射できるのは二画面がせいぜい、本体にしたって、気軽に片手操作するには不自由する大きさだった。
「なるほど、このディスプレイ、反対側にも透過できるけど、メールの文面や電話番号表示は、裏から見たら巧い具合にごまかされて、デザインの一環みたいになってるじゃん。結構結構」
クリスはそれが面白いらしく、本体を表替えし裏返しして感心している。
「もういいだろ。まだ一度も電話もメールもしてないんだから」
もぎ取るようにして、いつきはクリスから携帯を取り返した。
「おっと、まだだったか? ということは、これからいよいよヴァージン・フライトってわけ?」
「……ま、そうだけど……って、見るな!」
誰に電話する気かな〜? などといって画面を覗きこもうとするクリスを、いつきは左手で追い払う。
「メールだよメール、メールの送信試験っ。こっから先はプライバシーなんだから覗き見禁止!」
「おやおやこれは失礼いたしました、っと。ならオイラはここに腰を下ろして、いつきが送り終わるのを待つとしますか」
クリスは肩をすくめ壁ぎわに座った。
「ところで誰にメールするんだ?」
「だ、誰でもいいだろっ!」
いつきは地球人、クリスはそのパートナーだ。多少引っ込み思案の傾向があるものの芯は強いいつきと、飄々とした口調を主とするが実は信義に厚いクリス、ときに悪態をつきあい本気のケンカもするが、二人のパートナーシップはここまで、概ね上手くいっている。――いや、『概ね』というのは表面上のこと、本心では互いを、これ以上ない相棒として信頼しあっているのだ。
この日、二ヶ月も前から予約してやっとの思いで『cinema』を入手したいつきだが、この携帯電話、つまり、浮遊大陸パラミタで買った最初の携帯電話からはじめてのメールを送る相手はもうずっと前から決めてあった。文面も、少しだけ加えておくものの、当初から考えていたものを流用する。
「クリスへ。
本当は別の人に送るつもりだったのだけど、現在、すぐ横にいるクリスが『ねえ俺にメールして、初メールして〜』と哀願の気配を送って来ているので、仕方なく初メールを捧げてあげます。感謝しろ(笑)
えっと、まずは、今まで一度も言えなかったお礼。
初対面のあの日のこと、覚えてるか? 俺の『いつき』って本名を『女みたい』と言わなかったのは、クリスが初めてだ。そればかりか、笑顔で『良い名前だ』って言ってくれた。
あのときは平然と聞き流したような顔をしていたけれど、俺、本心ではすごく嬉しかったんだ。
まず、そのことをありがとう。
そして、その日からずっと一緒にいてくれること、さりげなくいつも護ってくれていること、対人恐怖症気味だった俺を、世界に連れ出してくれたことに、ありがとう。感謝してる。
それと、もう一言だけ。
これからも、よろしく。
……って、素直にこんなこと書いてたら恥ずかしくなってきたじゃないか! すぐ隣にいる相手に送れるってレベルじゃねーぞ!
だからこのメール、いきなり届けたりなんかしないからなー。
来週末にあるクリスの誕生日、忘れた頃にポン、と届くように設定しといてやる!
そもそもクリスが、そんなところにいるから悪いのだ。あと二三日は、『誰に送ったんだろう?』とヤキモキするがいい。ザマミロ(笑)」
いつきは携帯電話をポケットにしまった。
「送信完了」
「ずいぶん長文だったみたいだな。誰に送ったんだ、え? 例のあの子か? ほら、目がくりっとしてて黒髪で、小山内って名前の……?」
「黙秘権を行使いたします」
「いいじゃないかヒントくらい教えてくれても〜」
と言いながらクリスは上着のポケットに手を入れ、自分の携帯電話が振動しないか、そっと確認しているのである。
「黙秘権ったら黙秘権っ!」
笑いながらいつきは駆け出し、ポケットの内側で携帯を握ったままクリスはそれを追った。
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2020年秋のこの時期、パラミタで一斉に、携帯電話の新モデルが発売されました。
注目を集めているのはやはり『cinema(2020秋モデル)』ですが、それ以外にも使いやすいもの、丈夫なもの、原点回帰的なレトロなもの……といったように、多種多様な携帯電話機が店頭に並ぶことになったのです。今年秋はひさびさの『新モデル当たり年』だったらしく、新規加入や買い換えのキャンペーンも盛んに行われ、多くの者がこの時期に、新たな携帯を手にすることになったといいます。
あなたもまた、新たな携帯電話を手に入れたばかりの一人でした。
その携帯からの「はじめて」のメールを、あるいは「はじめて」のコールを、あなたは誰に発信しますか?
「はじめてのひと」は特別の人、きっとあなたにとって、かけがえのない人のはずです。たとえ、なんとなく頭に浮かんだ最初の相手であったとしても、それはあなたが真っ先に思いついた人なのですから、ご自分の意識以上に、心の奥底では大切だと感じている相手なのかもしれません。
面と向かっては伝えにくい感謝の気持ちや愛の言葉、あるいは告白……はじめての電話というワン・アンド・オンリーの機会を使って、貴重な言葉を伝えてみませんか?
あるいははじめてのメールで、そっと胸の内を明かしてみては?
2020年秋モデルには、そのほとんどの機種に「タイムカプセル」機能というものが搭載されています。
これを使うと、今出したメールを、最短一週間後から、最長十年後までの指定日に届けるというサービスを受けることができるのです。たとえば、十年後の自分への手紙を書くのはどうでしょう。三年後には結ばれているであろう婚約者に、現在の気持ちを伝えるのも素敵です。親への感謝の言葉にしたって、今は照れくさくて言えなくても、届くのが五年後だとすれば正直に書けるのではありませんか?
忘れないでください。
はじめて、は一度だけだからはじめてなのです。不慣れでつっかえつっかえになっても、途切れがちな言葉になってしまっても、「はじめて」の価値はいささかも減じるものではありません。
ほんの少し、素直になってみましょう。できればほんの少し、緊張してみてください。
そして、あなたがメッセージを送りたい「はじめてのひと」を想いながら、携帯電話のスイッチを入れましょう。
きっとその人は、あなたからのメッセージを待っているはずです。
さあ、どうぞ。