空京で喫茶店を開き、幾日か経った。初夏らしい爽やかな風も湿気を含み、タシガンでは特に霧が濃くなってきたようにも感じる。
あのとき、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)は何かを企んでいる様子はあったが、その真意を多く語ろうとしなかった。ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)が水面下で動いていることと『兎狩り』という言葉。呼び出された真城 直(ましろ・すなお)とエリオ・アルファイ(えりお・あるふぁい)は、彼の命令に奔走することになるのだろう。
――しかし、薔薇の学舎では再び突発的なパーティが開催されるという。
その頃、カールハインツ・ベッケンバウワー(かーるはいんつ・べっけんばうわー)たち新入生の間でとある噂が流行っていた。
「……男子校に女の子、ねぇ。そんなバカみたいな話、あると思う?」
全く持って信じていないアルネ・ブレプスは、盛りあがるクラスメイトを横目に頬杖をつく。小柄でオレンジ色の長い髪をまとめている彼は、からかい半分に「おまえも女じゃないか?」と言ってきた同級生を反論出来ないまでに叩きのめし、以後は平穏な学生生活を送っているようで、この噂には不快感を露わにしていた。
「可愛い女の子が忍び込んで、わざわざオレに会いに来るってのは歓迎するが……まあ現実的じゃねぇな」
何故かアルネに懐かれてしまった感のあるカールハインツも話半分と言った様子で、出所も不明なその噂を信じることはなかった。
顔立ちの綺麗な者がいれば、その中に女顔がいても不思議ではないし、日本文化に造詣が深いジェイダスが女形の伝統に理解があるからこそ「男の娘」なる常に女装した者やそれをパートナーに強制される者もいる。まして少女趣味な乙男なんて者までいれば、女性に飢えた生徒が多少の見間違いをしてもおかしくない気さえするからだ。
「こら1年、何を騒いでいるんだ」
プリントを届けに来たフェンリル・ランドール(ふぇんりる・らんどーる)が注意を促すと、扉から近い位置にいたカールハインツが立ち上がり、それを受け取ろうとする。
「くだらない噂話ですよ、男子校に女がいるかもって」
「ああ……俺のときもあったな。綺麗な先輩方が多いから、見間違えることが多くて」
少しわざとらしいくらいに大きな声でフェンリルがそう言えば、ピタリと教室は静けさを取り戻す。しかし、暫く間があって誰かが呟いた。
「あーあ、先輩が言うなら嘘かぁ。学園から調査が入るって言うから何をするかと思ってたけど」
「オマエは変な事でも考えて、期待し過ぎてたんじゃないのー?」
再び賑やかになった教室の入り口で、フェンリルは手にしたプリントを見る。それは、毎年恒例でもなんでもない突発的なイベントの知らせ。
「……センパイ? どーしました」
「いや、なんでもない。これをクラスに配っておいてくれ」
押しつけるようにしてカールハインツへプリントを渡すと、フェンリルは手分けをしてプリントを配っていたウェルチ・ダムデュラック(うぇるち・だむでゅらっく)の元へ急ぐ。先に配り終えていた彼は、下級生の廊下を懐かしそうに眺めて待っていた。
「ウェルチ! その、何もないか?」
「何もってなに? もしかして噂のことかな。去年みたいにからかわれそうになったから、魔鎧の材料になってくれたら教えてあげるって……」
――学園側が事実確認をするという話だ。
小声で告げるのは、去年までは確かに無かった噂。あくまで噂は噂だが、警戒するに越したことはない。
「仕掛けてくるなら、このイベントでだろう……噂が事実なら、俺は学園側に意見するつもりだ」
「落ち着いてよ。そんなことをすれば、真っ先に疑われるのはボクだ」
「だから、まずは協力者を集めよう。きっと、いるはずだ」
理由があり通う生徒を、無理矢理退学にさせるような真似はさせない。そして、その考えに同調してくれる者は必ずいるはず。フェンリルたちは各教室へ配ったプリントの、掲示板に貼る用として残った最後の1枚に一筆加えて張り出した。
マスカレードパーティのお知らせ
霧濃くなり気分の晴れぬ毎日を、開放的に過ごしてみませんか?
マスカレードなら、普段は隠しているパートナーの愚痴や恋人への不満をもさらけ出せます。
衣装はもちろんスーツからドレスに仮面まで、ウィッグなども含めて全て学園側で用意します。お気軽にご参加下さい。
なお、参加者は薔薇の学舎を中心に他校へも募集をかける予定です。
女生徒がいるので、ジェイダス校長が興味を示される女形のような美しい異性装を気軽に身に纏う良い機会かもしれません。
本音で語り合える素晴らしい出逢いがあるように、役員一同願っています。
異性装を着てみたいが迷ってる者は経験者が相談にのる。
2年 フェンリル・ランドール
そうして、新入生の興味が噂話からマスカレードパーティに向いた放課後。早速どんな格好をして出席しようかと空京まで下見に出かける生徒が多数いる中で、1人自室に籠もりプリントを眺める姿。
「女のいる男子校、女装が許されるパーティ……性別調査。バカにしてるの?」
プリントをくしゃくしゃに丸めてみても、腹立たしさは収まらない。すんなり受け入れておいて、今になって文句を言うなど聞き入れたくないと言わんばかりに強く机を叩いた。
「絶対に欺いてみせる……絶対に、負けないんだからっ!!」
この企画に何かあると考え闘志を燃やす者もいれば、小首を傾げる者もいた。木犀の香る部屋で、様々な絵本を取り出してみては唸っている。
「パーティなのに、王子様はいらっしゃらないのですか? 忘れ物をしてもいけませんのでしょう?」
「そう。顔を隠して名前を隠して……ああ、でも呼ぶときに困るか」
優しく髪を梳くように撫でてやりながら来客は考え込む。ずっと何重にも鍵をかけたこの部屋で隔離していた彼女を、ここに連れて来て初めて外へ出す。心配もあるが、たまには外へ連れ出さないと弱らせてしまうかも知れない。
「そうだ、ミラはどうかな。不思議な子、だから」
色々な人物が、それぞれの思惑を持ってやってくるマスカレードパーティ。
薔薇学に潜む少女たちと学園の、静かな戦いが始まるのだった。