「藤麻、藤麻」
闇の中で声がします。
「誰だ?」
藤麻は声の方を見ました。すると、そこには巨大な炎を背負った鬼が立っていて藤麻を手招きしています。
「こっちへ来い、藤麻」
藤麻は、その声に誘われるように歩き出します。その時……
「いけない、兄様!」
誰かの声で、正気に戻りました。しかし、時、すでに遅し。藤麻の体は、どんどん闇へと引きずり込まれていくのでした……
「わあああ!」
藤麻は悲鳴を上げて目を覚ましました。
ここは、葦原城下、日下部屋敷の一室。日下部の次男、藤麻の部屋です。
藤麻はどうやら自分が自室にいるらしき事に気付き、つぶやきました。
「……夢だったか……」
それにしても、生々しい夢でした。目覚めても意識が朦朧として闇に落ちていくような気がします。
「くそ……」
藤麻は正気に戻るために、枕元の刀を抜き二の腕に浅く傷をつけました。真っ赤な血が零れます。
そこに藤麻の双子の弟、竜胆が入って来て叫びました。
「兄様! 何をしているのです?」
竜胆は藤麻の悲鳴で目覚め、駆けつけて来たのでした。
「こんなに血が……」
竜胆は着物の裾を割き、藤麻の腕をしばりました。藤麻は青ざめた顔で言います。
「また、ヤーヴェに招かれる夢をみた。もう少しで、あの邪鬼に心を奪われるところだった……」
ヤーヴェとは、藤麻の体の中に住んでいる邪悪な鬼の名前です。
その邪鬼は、元々は藤麻の兄であり、日下部家の長男でもある日下部刹那に取り憑いていたのですが、自分の余命がわずかと知った藤麻が日下部家を救うために、高僧の力を借りて自らの体の中に封印したのです。
その高僧にもらった封印の念珠の力でヤーヴェは藤麻の体から二度と出てこられないはずでした。また、同じく念珠の力で藤麻の心も乱される事はないはずでした。
しかし、このところ毎日のように藤麻は邪鬼に呼ばれる夢を見るのです。
「邪鬼の力を侮っていたのかもしれない」
藤麻は力なく言います。
「私は、もう駄目かもしれぬ。もし、私が異常な行動をとりはじめた時はお前の手で殺してくれ……」
「そんな……弱気な事をおっしゃらないで下さい」
竜胆は藤麻にとりすがりました。
「私は構わない。どうせ、私の命はあと少しなのだから」
部屋に戻ると竜胆は布団に入って考え込みました。
「どうしたら、兄様を助けて差し上げられるんだろう?」
しかし、何の解決策も浮かばぬうちに、いつしか竜胆は眠ってしまいました。
夢の中で竜胆は、誰かに名を呼ばれました。振り向くと、珠姫が立っています。
珠姫とは日下部家の先祖で、大いなる光の力をもった姫君の名。同じ力を受け継ぐ竜胆の夢枕に、こうして時おり現れるのです。
「珠姫……! なぜここに?」
「お前の悩む声が聞こえて来たのじゃ。藤麻の事で悩んでいるのだろう」
「その通りです。どうしたら、兄、藤麻を邪鬼の魔手より救い、残り少ない日々を安らかに過ごさせてあげる事ができるのか悩んでおります」
「それならば、ただ一つ。邪鬼ヤーヴェを藤麻の体から追い出し、滅ぼすよりない。そうしなければ、いずれ邪鬼は藤麻の心を食い破り、再び魔剣を手に入れようとするだろう」
「それでは、兄にかけられた封印では邪鬼を閉じ込めておく事はできないと?」
「そのとおりじゃ」
「しかし、兄の命は悲しい事に後、1年有るかないか……。兄上の命がつきた時に、兄上自身がナラカに共に連れて行くとおっしゃっておりました」
「皮肉な話だが、その病魔が邪鬼に力を与えておるのじゃ。双方とも闇の力ゆえ、同調しやすかったのだろう。そして、病魔の力で、邪鬼は既にこの世では封印できぬ程の力を蓄えておる。このまま、邪鬼の力を蓄えさせ、藤麻が取り憑かれてしまえば恐ろしい事になる。邪鬼は藤麻が死んだ後も、抜け殻となったその体に居座って操り続けるだろう。そうなってしまえば、もう、手の施し用がない」
「そんな……この世では封印できぬとは……。一体、どうすれば良いのですか?」
「一つだけ方法がある」
「どのような、方法ですか?」
「ヤーヴェの探していた魔剣『双宮の剣』をこちらが先に手に入れる事じゃ」
「ええ? しかし、あれは聖なる者を滅ぼすための剣と聞きます」
「一方ではそうともいえる」
「一方では……とは、どういう意味ですか?」
「双宮の剣はその名の通り二つの属性をもっている。最初に触れた者の性質により聖剣にも魔剣にもなる」
「つまり、最初に触れた者が邪悪な者であれば魔剣に、聖なる者であれば聖剣になるということですか?」
「そうじゃ。聖剣として蘇った場合、その力は邪鬼の魂をも切り裂くであろう」
「しかし。あの時ヤーヴェは言いました。『その魔剣の在処はナラカの一角にあるため、たどり着けるのは奈落人のみ。しかも、魔剣の封印を解くためには『愛する者を殺した罪人の魂』が必要だ』と」
「それは魔剣として手に入れる場合じゃ。聖剣として手に入れるためなら他に方法がある。わらわが力を貸そう」
「どのような方法なのです?」
「日下部家の領地にあるわらわの家に行き、九尾の狛犬より宝玉を受け取るがよい。その宝玉はわらわの聖なる力を宿していて、双宮の剣を聖別出来る。つまり、その宝玉の力を用いて封印を解けば双宮の剣は聖剣として蘇るであろう」
「しかし、封印されている場所にたどり着くにはどうすれば?」
「それは、藤麻に聞くがよい。我が光は闇の道も照らすであろう」
そういうと、珠姫の姿はすうっと消えていきました。
次の朝、竜胆は目覚めるや否や、藤麻と柳生十兵衛にこの不思議な夢の話をしました。
「なるほど。珠姫の家とは『珠姫の祠』の事に間違いない。あそこには、かつて日下部家を救った英霊珠姫がまつられているのだが、その側には昔から九尾の狛犬が住み着いていると言われている。その狛犬は、確かに9つの宝玉を持っているらしい」
十兵衛が言いました。
「それでは、珠姫の宝玉はそこで手に入れられるのですね。しかし、肝心の剣の隠し場所に行く道が分かりませぬ」
竜胆が言うと、
「それならば、私が知っている」
と、藤麻が答えました。
「ナラカへの道は、私が邪鬼ヤーヴェがの力を借りて開く事ができる。日下部領であれば、兄上の閉じ込められていた座敷牢から行けるはずだ」
「そうですか」
竜胆は頷きました。
こうして、早速三人は日下部家の領地に向かう事にしました。
しかし、道中はあまりにも危険です。十兵衛達はいつものように、各学校に張り紙を出しました。
聖剣を手に入れ、邪鬼を滅ぼす勇者を求む!