パラミタ大陸にある、とある刑務所。
昼間は囚人たちの声がどこからでも聞こえてくる刑務所も、夜になれば静けさだけが支配する空間になる。
だが、今夜の静けさはいつもと内容が違っていた。
その微かな違和感を感じ取った一人の囚人が目を覚まし、格子の外にいるであろう看守に声をかけた。
「よお! 今日はやけに静かじゃねえか! 居眠りでもしてるのかよ!」
これだけ騒げば、いつもなら看守が黙らせに来るのに今日は返事さえ返ってこない
それどころか、囚人は周囲から寝息やいびきが一つも聞こえてこないことに気がついた。
完全な静寂。格子付きの窓から差し込む淡い月明かりが囚人の額の汗を照らした。
「なあ! なあって! 看守! どこに言ったんだよ! 返事くらいしやがれ!」
騒いでも自分の声が反響するばかりで、なんの反応も無い。
明らかな異常事態。
囚人が胸をざわつかせていると、不意に耳が何かの音を捉えた。
濡れた地面を誰かが歩く音。
周囲に水が漏れるようなパイプも通っていないのに、足音はべちゃり、べちゃりと囚人の檻へと近づいていく。
近づく度に、囚人の鼻はある匂いを感じ取っていた。
殺人を犯して、ここに押し込められた彼だから分かる匂い。
濃厚な血の匂い。
「う……」
久しぶりに嗅いだ異臭に囚人は顔を歪める。
異臭の主が近づく度に人の脂と血が混じったような匂いが幾重にも鼻を刺激する。
やがて、その足音と異臭の主は囚人の檻の前に姿を現した。
月明かりに照らされたその人物を見て、囚人はシンプルな感想を一つ抱いた。
死神。
成人男性の身の丈ほどありそうな大鎌を持ち、黒のローブで身を包みフードからはスカルメットが見えた。
「な、なんだてめえは!」
「……」
死神は答えず、そっと格子に手を触れた。
すると、格子はグニャリと歪み始めると意思を持ったように身を捩り、やがて数十匹の毒蛇となって囚人の足下に居座った。
「ひっ!」
唯一、自分の身を守っていた格子が消えてしまい囚人は壁際に背をつけて追い込まれる。
「汝に問う」
突然、死神が口を開く。その声はくぐもって掠れており、男か女か判断することは出来なかった。
「何故、法を犯し、人を殺めた者が法に守られ、数年の不自由な暮らしをするだけで野に放たれ、自由な暮らしを手にすることが出来る」
「ああ? あんた……なに言ってんだ」
「何故、平和に家族や恋人や友人に囲まれて生きてきた幸せな人間を理不尽な理由で殺していながら、汝は法の下に身の安全を守られ今も生きているのだ。何故、法は悪を守る。何故、野に放つ」
死神は自問するように言葉を続けながら囚人の背後に、まるで草刈りでもするように鎌を沿わせた。
「法の庭の羊を食らう無法の狼は、残らず死ぬべきだ」
そう言って、死神は鎌を引いた。
草刈り。
稲刈り。
地面に生えている草を刈り取るように、男の上半身は宙を舞い地面に落ちる。
崩れ落ちる下半身が血だまりを作りながら、死神はローブの袖から紙を出す。
今からちょうど一ヶ月後、ツァンダからシャンバラ大荒野のシャンバラ刑務所へ、犯罪者を移送する計画が書かれた紙だ。
「……無法の狼は我が全て刈り取る」
呟くように声を出した死神は暗闇の中へと消えていった。
次の日になると、この刑務所の囚人がことごとく惨殺された話は瞬く間に広まった。
警備員は全員生存しており、その姿を見た者が雑誌のインタビューで姿形を語り、記者は死神に名前をつけた。
ぱっと見で恐怖を与えないような名前ながら、インパクトのある名前。
記者は彼を、大鎌を持った男。ゼンゼンマンと称してパラミタ中に報道した。
ゼンゼンマンの名前が広まり、囚人護送車の襲撃予告が刑務所に届いたのはその数日後の話だった。