「ふむ……これでも無いか」
とある郊外にある小さな研究所。そこの研究者であるザクソン教授は目の前にある小さなリング状の物を調べていました。
彼の調査対象は不思議な力を持つ古代の遺物。いわゆるマジックアイテムと呼ばれる物です。
最近の調査で見つかったこのリングもマジックアイテムである可能性が高いという事でザクソンが引き取って調べてはいるのですが、今の所目ぼしい成果はありません。
「やむを得ん。一旦休憩するとしよう」
調べ始めてから既に結構な時間が経っていました。ザクソンは立ち上がって軽く腰を叩くと入り口へと向かい、隣の部屋で待たせていた篁 透矢(たかむら・とうや)達を招き入れます。
「お疲れ様です。調査の方はどうですか?」
「残念ながらさっぱりじゃな。今の所は手がかりすら掴めんよ。それより、待たせてすまんかったの」
「いえ、気にしないで下さい。それでは、これを」
透矢が不思議な装丁の本を取り出し、ザクソンへと渡します。
この本は以前洞窟で発見された、持ち主に必要な事が書かれるというマジックアイテムでした。
とある事情でそのうちの一冊が篁家の手に渡り、洞窟で起きた出来事の末に参考書として中等部3年の兄弟達の勉強に役立っていたのですが、試験も無事に終わって不要になったので研究者であるザクソン教授へと寄贈しに来たのです。
「うむ、確かに受け取った。もうマジックアイテムとしての力は無さそうじゃが、後で調べさせて貰おう。――む、その本は?」
透矢から渡された本をしまったザクソンが、篁 花梨(たかむら・かりん)の持っている小さな本に気付きました。こちらは何の力も無い普通の本の様です。
「これは地球の小説です。七つの海を船で行く船長さんの冒険物語ですね」
「七つの海、か。確か地球は陸よりも海の方が広いんじゃったな」
地球の海の様な物は、パラミタには地球人が内海と呼ぶ大陸中央の物一つしかありません。
地球に足を踏み入れた事の無い生粋のシャンバラ人であるザクソンにとって、多くの海を股に掛ける男の物語というのは非常に興味をそそられる物でした。
「無理にとは言わんが、良かったらその本を貸して貰っても構わんかの?」
頼まれた花梨が本の持ち主である透矢に視線を向けます。それを受け、透矢は構わないとばかりに頷きました。
「俺はもう何回も読んでるからいいけど、花梨は途中じゃないのか?」
「私は隣の部屋で待っている間に読み終わりましたから」
「そうか。それなら問題無いな……大丈夫ですよ、教授。この本、お貸しします」
「おお、助かるわい。研究の合間にでも有り難く読ませて貰うとしよう」
「それじゃあ俺達はこれで。また今度伺いますよ」
「お邪魔しました。失礼しますね」
用件を終え、二人が部屋の外に出ようとします。それを見送りながらザクソンは再び机に戻り、リングを手に取りました。
「さて、ではもう少しこれを調べたら本を読むとしようか――何じゃ?」
今まで何をやっても反応の無かったリング。その輪の中央に突如として光が集まり始めました。
「むぅ! 魔力を持ったこの光……いかん!」
ザクソンが危険を自覚しますが時既に遅し、光がリングから一直線に飛び出しました。
「なっ……!」
「きゃっ!?」
運の悪い事に、その光は丁度部屋の扉を開けた透矢と花梨を巻き込み、更に研究所の外にまで伝わっていきました。二人を始めとして、光に当たった者達は次々とその場に崩れ落ちて行きます。
「な、何という事じゃ! これ、しっかりせい!」
慌てて駆け寄り二人を揺さぶるザクソン。ですが、彼らの意識は遥か遠くへと飛んでいました――
「透矢さん! しっかりして下さい! 透矢さん!」
「う……花梨……?」
「良かった、気が付いたんですね」
パートナーの声に目を醒まし、身体を起こす透矢。次の瞬間、彼の目には見慣れない景色が広がっていました。
「何だここは……港?」
「そうとしか思えませんよね? 教授の方から光が飛んできたのは見えましたが、内海にでも飛ばされたんでしょうか?」
「どうだろうな。とりあえず、他にも俺達と同じ状況の人がいるみたいだ。彼らと協力して――」
――時は大航海時代。人々は新天地に夢を求め、遥かな海を旅していました。
「何でしょう? 今の声は。空から聞こえた様な直接脳に響いた様な……変な感じです」
花梨が訝しげに空を見上げますが、そこには何もありません。その横で透矢は何かに気付いた表情をしていました。
「透矢さん?」
「――『ある者は新天地へと辿り付き、またある者は志半ばで海へと消えて行きました』」
透矢の口から語られる物、それと一言一句同じ言葉が先ほどの様に響きます。
「この文句、やっぱりそうだ」
「……? 透矢さん?」
「何度も読んでるから間違い無い。今聞こえているのは『キャプテン・ロアの航海』の冒頭だ」
『キャプテン・ロアの航海』。その言葉を聞いた花梨が驚きの表情を浮かべます。
「それって、さっきまで私が読んでいたあの本の……それじゃあここは――」
しかし、中にはどこまでも先を目指し、果てしない航海を続ける者もいました。
どこまでも夢を見続ける男達。そんな彼らを率いるのが――
どこからとも無く現れる一艘の船。それを見ながら透矢がつぶやきました。
「ああ、ここは……本の中の世界だ」
アークライト号の船長。人呼んで『キャプテン・ロア』です――