カナンに平和が取り戻されて、幾日が経とうとしていました。
いまだ、カナンの各地では復興作業が行われています。
ネルガルの支配からは解き放たれたものの、そのすべてが元通り……というわけではありません。確かに砂漠の世界は消滅し、元の緑ある世界が取り戻されましたが、それはカナンという世界の下地に過ぎないのです。
ネルガルによってもたらされた各地への打撃は残されておりますし、辺境ではいまだ倒壊した村の姿も残されているといいます。
それでも、シャンバラの助けもあり、カナンは着実に元の姿を取り戻そうと復興への道を歩み始めていました。
そして、それは南カナンもまた――
「視察?」
「はい……左様です」
目の前の執事が提出してきた復興事案を聞いて、南カナンは領主シャムス・ニヌアは怪訝そうに眉を曲げました。
そんな主の顔を知ってか知らずか、素知らぬ様子で執事が続けます。
「征服王ネルガルの打撃から早幾日……。カナン全体で復興作業が早々に進められていることは、当然のようにシャムス様もお聞き及んでいることかと思われます」
「無論だ。そして、南カナンは特にその復興に余念を欠かさない。なにせ……二度も敗戦を期しているからな。戦争に負けた傷は深いとも」
椅子に深く腰を据え置き、シャムスは己の無力さを嘆くようにため息をつきました。
思い起こされるのは二度の敗戦です。エンヘドゥを人質にとられ、あまつさえ彼女を敵に回すことになってしまったという要因があったとはいえ、領主としては何とも苦い思いを強いられたものでした。
いずれにせよ、それが南カナンにとって各地への深い痛手となっていたのは当然のことです。
南カナン兵たちも、いまは各地に赴いて復興の手伝いをしています。
「ええ、その通りです。そして、いかんせん南カナンはカナンの軍事力の要でございます。一刻も早く元の体制を取り戻したいところなのです」
「だから、こうして各地から提出された復興事案を念入りにチェックしてだな――」
「そこで……です」
シャムスの言葉を遮って、執事がキランと瞳を光らせました。
幼き頃よりこの執事――ロベルダと付き合って生きてきたシャムスには分かります。これは、なにか嫌な予感がする、と。額の汗は警告を発していました。
「不肖、このロベルダ。シャムス様にお仕えいたしまして早10年余り。南カナンに骨を埋めてはすでに50の年月が経とうとしています」
「う、うむ……」
詰め寄ってきた執事に、シャムスはたじたじとなって答えました。
「私には分かるのです。いま、この南カナンには何が必要で、何が求められているのかっ……! ですから、ですから……! さしでがましいことと思いながらも、こうしてシャムス様にご意見申し上げた次第なのです!」
「……で、それがこの視察か?」
「はっ……!」
シャムスは本日二度目となる、眉を曲げた苦い顔をつくろいました。
視察。それだけを聞けば平凡な事案だ。領主自らが各地に赴き、民に顔を見せて交流を深めることで、彼らの気力や活力を与えていくのである。同時に、復興状況を間近で見ることもできる。今後の計画を立てる上でも、決して不満のある事案ではない。
しかし……しかしでした。
「この、視察の服装が――なぜ、『スカートに限る』なのだっ!? しかも、エンヘドゥが選んだものを、だとっ!?」
「エンヘドゥ様のご厚意にございます」
「やはりか……! くそ……あの馬鹿妹め。平和になってからというものの、何かあればやれ『お姉さま』だ『スカートを着ろ』だ『女らしくしろ』だ。こないだなど、言うに事欠いて『これが舞いの正式な格好なのです』とか言って、巷の少女雑誌からこれで男心を一発でわしづかみ! フリフリ妖精スカート! などという代物を持って来たのだぞ! ……日が経つにつれて手が込んできてる」
女性が舞いを踊るときにそれ相応の格好をすることは決して間違ってはいませんでしたが、どうやらエンヘドゥの目的はそうじゃないようでした。
いろいろと妹への鬱憤を漏らすシャムス。
そんな彼女の注意をひきつけるため、ロベルダはこほんと一息鳴らしました。
そこでようやく落ち着くシャムス。嘆息の息をつき、いろいろと細かく書かれた事案書を机の端に寄せます。
「とにかく……これは保留だ。視察については、また私から詳細を……」
「お言葉ですがシャムス様」
「ん?」
「すでに――議会の承認はいただいております」
唖然と、目を丸くするシャムス。
ギリギリ……と、不気味なきしんだ音を発して振り向いた先にある事案書の一番下には、確かに議会の判子が押されていました。
「こほん。議員たちより伝言です。『すみませんシャムス様。エンヘドゥ様には逆らえません』とのことで」
「エ、エンヘドゥウウウウウゥゥゥ!!」
怒り心頭で叫びをあげた主を、やはり冷静な素知らぬ様子で見ながら、執事は内心でぐっと親指を上げていたのでした。
さて、そして――。
その肝心の領主は妹ぎみ……エンヘドゥ・ニヌアはというと。
「ひ……くしゅんっ! あら……? 誰か、噂でもしているのでしょうか?」
呑気な声でのほほんとそんなことを言いながら、ご自慢の『お兄さま用洋服ダンス』を念入りにチェックしていました。
南カナンの領主とその妹が、各地の復興作業へ視察に参ります。
ぜひとも、彼女たちの視察の旅を大いに盛り上げてくださいませ!