天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

さよなら貴方の木陰

リアクション公開中!

さよなら貴方の木陰
さよなら貴方の木陰 さよなら貴方の木陰

リアクション

 ―その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯―

 本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)の指が、リュートの弦をポロポロと弾いた。
 クラシックともギターとも違う、弦が余さず響きあうような素朴な音色が人々の耳を挽きつけた。
 遺跡で発見されたオルゴールを復元し、コードを参考にして作ったものだ。

   花々は咲き乱れ、収穫の恩恵を祝い、笑いありて歌い踊れ
   楽しきは呼び、悲しきは去り、微笑みは訪れ、別れは遠く、眠りはしばし逃げ失せり
   少女は片割れと共に、手を取り合ってサーカスの輪へと踏み込めば、果たして運命はねじれ…

   ああ、やさしい言葉は喧騒に逃げた
   おお、いとしい姿は雑踏に紛れた
   彼らが再びめぐり合うまでに、世界は幾つ舞台を転じようか

   …さあ、これより始まるはある機晶姫の少女のための物語。皆さんが持ち寄った物語が彼女の記憶を呼び覚ます呼び水とならんことを。
   ひと時の木陰の邂逅を、どうぞご覧あれ。

 涼介がヒパティアの前でリュートを爪弾き、劇場へといざなう口上を述べ、彼女にお辞儀をして大仰に締めくくる。
「まあ…」
 全ての演出が自分のためになされていることを、マリーは驚愕のうちに知った。
 いつものように電脳空間に降り、ヒパティアと共にいつの間にか定位置になった木陰にいると、周りに人が沢山集まってきていた。
 先日から沢山の人が訪れ、ヒパティアの電脳と接続していると、記憶を保持することができるようになっていたから、とても賑やかになったという印象が鮮明に残っている。
 そしてここで劇をするのだと聞いて、とても楽しみにしていたのだ。
 今の自分には、この記憶を残すことができる、楽しみをたのしみと、喜びをよろこびと、幻のようにはかないものだけではなく、確たるものとして感じ続けることができるのだ。
「マリー、楽しみにしていてくださいね。がんばって沢山演出しましたから!」
 ヒパティアが嬉しそうなマリーを見て、自分も手伝ったことをアピールする。
 今やヒパティアにとって、マリーはフューラーに次いで身近な存在になりつつあるのだ。
 マリーは幕開けの期待に手を叩く。
 これほど力強く手を打ち鳴らせたこともまた、目覚めてよりないことだった。


 エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)は、マリーの前を辞した涼介の服の裾をつかまえた。
「ん? どうしたんだ?」
「…今回のマリー様の事を見て思いました。わたくしも将来彼女みたいになってしまうのでないかと」
 心細げにたたずむ妹のような存在に、涼介は屈みこんで顔をのぞき込む。
「なぜなら、わたくしは魔道書。わが身はその書物が失われぬ限り生きることができます。しかし兄さまには寿命がある」
「そうだね、仕方がないことだけど」
 将来、彼女のように悠久の時の中で兄さまの面影を探して彷徨う事になるかもしれない。せっかく、こうして出会い、パートナーとなったのにまた、前のように暗い書架に戻るのは嫌だった。
「ですから、兄さま。約束してくださいまし。
 いつか死が二人を別つともわたくしが兄さまのことを忘れぬように、私の心のページに兄さまのことを書き記してくださいね」
「ああ、約束するよ。いくらだって書き込んでいこう」

   ◇  ◇  ◇

 昔々あるところに、クルト・ルーナ・リュング(くると・るーなりゅんぐ)おじいさんと稲荷 白狐(いなり・しろきつね)おばあさんが住んでいました。
「私がおじいさんで、いいのですか?」
「お付き合いさせて申しわけありませんが、少しの間ですので」
 二人は正直もので、日々を穏やかに過ごしていましたが、ただ子供がおらず、シロという子犬(白菊 珂慧(しらぎく・かけい))を子供同然に可愛がっていました。
「僕、白いけど犬っていうか、猫なんだけどな」
「白菊、申し訳ありません」
「ごめんなさいね、ちょっとの間ですから」
「まあ、別にいいけどね。耳出しておけばいいかな」
 シロはやさしいおじいさんとおばあさんになつき、元気いっぱいに大きくなりました。
 ある日シロはおじいさんとおばあさんを畑のすみに連れて行き、「ここほれワンワン」と吠えました。
「ここほれというのだから、掘ってみましょうおじいさん」
「そうですね、シロのいうことですからおばあさん」
 二人は言うとおりにその場所を掘り返すと、金銀財宝がざくざく出てきました。
 そのおかげで二人は急にお金持ちになり、ますますシロをかわいがりました。
 しかし住んでいる村はよく橋が崩れたりするので、二人はそのお金を橋を丈夫に修理するために使ってしまい、皆は喜びましたが、二人はほとんど元の暮らしに戻ってしまいました。
「いえ、みんなでいられることが、いちばんの幸せですよ、シロ、おじいさん」
「そうですね、皆でいることがいいですね、シロ、おばあさん」
「なんか照れくさいけど、同意しとくよ、ワン」

 またある日、シロは今度は庭の大きな松の木に向かって、「ここ切れワンワン」と吠えました。
「ここ切れというのだから、切ってみましょうおばあさん」
「そうですね、シロのいうことですからねおじいさん」
 二人は言うとおりに松ノ木を切り、臼にして餅をつくことにしました。
 すると、餅がどんどんあふれてきて、食べるものに困らなくなりました。
 しかし、これだけあっても餅は食べきれないかもしれません。
 二人は村の子供達に餅を配りました。すると子供達はすくすくと大きくなり、村のためにもりもりと働いて、皆が幸せになりました。
 二人はまたもとの暮らしに戻りましたが、今度もやっぱりみんなでいられることが幸せだ、とわらうのでした。
「それに、大きくなった子供達が畑を手伝ってくれます、助かりますね、シロ、おばあさん」
「子供が無事に大きくなるのは、うれしいことですね、シロ、おじいさん」
「みんな活気付いてきたね、いいことだよ、ワン」

 ある日、おじいさんが臼を間違えてくわで割ってしまいました。
 おじいさんは目が悪く、臼を薪と見間違えてしまったのでした。
「すまない、臼を壊してしまった」
「子供達もすっかり大きくなったし、もう臼もいいでしょう、しようがありませんよ」
「気にすることないよ、いつものようにお風呂をわかして、明日かまどをのぞいてみてよ、ワン」
 その日はゆっくりとお風呂につかり、血行をよくしておじいさんとおばあさんは何歳か若返った気持ちで翌朝目が覚めました。
 かまどをのぞくと、薪は灰になっています。
「それを集めて枯れ木に撒けばいいよ、ワン」
 今度もシロのいうことです、二人は庭の木に灰をまきました。
 すると枯れ木に満開の花が咲いたではありませんか! おじいさんもおばあさんも驚きました。
「花が咲きましたよ、おばあさん」
「花が咲きましたね、おじいさん」
「まだまだ灰はあまってるよ、村中の木に撒きにいこうよ、ワン」
 村中の木に花が咲きました、満開の桜の花が村中にあふれ、その評判は遠くまで届きました。
 すると、そのすばらしい桜をひとめ見ようと、あちこち遠くから観光にやってくる人が増えました。
 橋は丈夫になっています、どれだけ人がこようとびくともしません。
 子供達も大きくなって、働き手には困りません。なんとお嫁さんを見つけたものもいるようで、ますます活気付いて村は大きくなっていきました。
 そして村のうわさは都のお姫様の元まで届き、わざわざ花見に参られることになりました。
 マリー姫様は見事な桜並木にお喜びになり、うわさはますます遠くまで届いて、人が沢山訪れる賑やかな場所になりました。

 ―そうしておじいさんおばあさんだけでなく、村中がしあわせに末永く暮らしましたとさ、ワン!


「元の物語には悲しい場面も沢山出てくるのですが、とにかく楽しく、幸せになれるようにしてみたのです」
 マリーは物語の中に少しだけ自分も出演することになったので、楽しさもひとしおだったらしい。
「みんなが幸せで、素敵でした」
「楽しい思い出としてもっていただければ嬉しいですわ」
 桜の花を咲かせた大樹の下で、マリーは微笑んでいた。
「僕は、マリーとヒパティアに…空の色を見せてあげたくてさ」
 劇に出演したのは、びっくりしたけどね。
「自然に訪れる現象で、いちばん印象に残る色の変化や感動できる色合いって、なにかなって考えてみたんだ」
 陽が少しずつ射しこむ紺青も、昼の白い光と青も、夕方の朱色も、夜への玄も。
 ヒパティアが手の中にガラス球のようなものを出すと、その中に彼が思い起こした空の色が映し出されていく。
「ただ綺麗なだけじゃなくて、その時々で、なにか、引っ掛かる場面があればいいなって。
 色の記憶って、結構鮮明だと思うから。たとえば、夕暮れに染まった部屋の様子とか、輪郭とか。
 ……これ、僕の体験談だけど」
 思い出せなくても、今も昔も、空の色が劇的なのは変わらないよって、伝えたかったんだ。


「マリーのパートナーは、幸せだね。やさしいって、そんな綺麗な印象の記憶なんだもの」
 (……僕は、どうだろう)
 そっと傍らのパートナーを伺い見る、普段あまり喋らないものだから、どう話せばいいのかわからないのだ。
「大丈夫ですよ」
 見上げてくる珂慧にクルトは微笑み返した。
「空の色は、私にとっても特別です。
 目覚めて間もない頃、外に出ることすらできなかった私に、外の世界を象徴する空の色を教えてくれたのは、白菊のスケッチブックでした」
 クルトは本当に視力が弱い、特に強い太陽光などは耐えられない。
 しかし電脳空間では、色や光は全て情報に置き換えられ、視神経を痛めつける刺激とはならない。
 (あなたの見ているものと同じ空を、見ることができたのですから)
 もし記憶をなくすことがあっても、空を見さえすれば、わたしは貴方がわかるでしょう。
 空の色は、私にとって貴方の名前を持っているのですから。

   ◇  ◇  ◇

 マリーと同じ木陰に足を踏み入れ、水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)はマリーに挨拶をした。
「ええと…私は劇ではないのですけれど、お話をして差し上げられれば、と思いまして」
「どうぞ、お聞かせいただけますか?」
 鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)は傍に控え、彼女らのやり取りを見守っている。
「その…既に知っていることかもしれませんが、日本の神道の生死観についてお話してみようかな…と」
 彼女はパラミタに来る前までは神社で巫女をやっていたので、そのような観念について親しかった。
 気休めなのだ、と自信なさげに断ってからマリーへと語る。
「日本の神道の考えでは、人は死後霊として、自分を愛し敬ってくれた人たちを見守るのだといいます。
 この場合の人は所謂子孫のことですから、他に血縁といった概念の存在しない機晶姫に当てはまるかは分かりませんが…それでも、マリーさんを覚えてくれている人がいるなら…きっと一人ではなくなると思います。
 もしかしたら、今傍でパートナーさんが見守っているかもしれないですし…。
 なんにせよ…あなたは一人ではありません」
「あの方が、居てくださればよいですね…」
 マリーはそのイメージに心を馳せる。
 その時傍らでがさり、と一瞬ノイズのような音が聞こえ、やがて深く落ち着いた男の声にチューニングされていった。
「…あながち、その意見は間違いではない。
 子孫の残せない機晶姫だからこそ、他者によって記録、或いは記憶されることが、自己の存在認識において重要になる」
「九頭切丸…あなたなの…?!」
 彼にはそもそもの発声機構がなく、喋る手立てもなかったはずだが、この声は彼に間違いなかった。
 どこから発しているのかはわからないが、確実に彼のほうから声は伝わってくる。
「死にゆく我々に出来る事は、いかに自分の生きた証を後の人々に伝えられるかではないだろうか。
 …パートナーもまた然り。もっと話してやるといい、貴方がたのことを。
 貴方の記憶は決して無駄にはならないはずだ」
 
「それにしても、貴方が喋っているなんて…」
「電脳空間では理論上できるだろうと思った。うまくイメージできなかったから、聞き苦しかっただろう」
「いえ、貴方の声を聞くことができて、うれしいです…」

   ◇  ◇  ◇

「3人それぞれから思い出話を集めたんだけど、集めてみると面白いもので話の中に共通点があるんだよね」
 芦原 郁乃(あはら・いくの)は興奮気味に続けた。
「それは『思いは続く』ってことよ!
 死や別れがあっても、思いがあればきっと時空も超えるんだわ」

 秋月 桃花(あきづき・とうか)は自分の記憶を慎重に辿る。
「私は昔の記憶はありませんが、集落の守り神として封じられていた間に沢山の願いを聞きました」
 目を閉じて、胸に手を当てた。人々の祈りを聞いていたときのように。
「一番多く聞いたのは、生まれ変わっても同じ人と出会いたいという祈り…。
 結ばれた人も引き離された方もいましたが、みなその切実な思いは強いものでした。
 ですから強く覚えております。
 命は短く儚いですから、そうした思いのどれだけ大事なことでしょうか」
 目を開き、まっすぐに郁乃をみつめて唇をひらく。
「桃花は郁乃様に出会えてどれだけ幸せなことでしょうか。
 そうした思いを聞くだけでなく、こうして伝えることができるようになったのですから。
 本当に出会えてよかった。桃花はここにいて、いつまでも郁乃様を愛しています」

「私が初めて契約を結んだのは、ある街の老呪い師でした」
 蒼天の書 マビノギオン(そうてんのしょ・まびのぎおん)はなつかしい人を思い出す。
「彼は強力な魔力を持ちながら権威を好まず、私塾を開いて子ども達に学問を授けていました
 彼は亡くなる時に『自分が認めるものが現れるまで力を与えてはならぬ。必ずそういう者が現れるから』とあたしに約束させました。
 …その後、私は図書館に収められたのです」
 少し、図書館に収められた心細さを思い出してしまう。
「…彼に会いたいです…。今のあたしを、見ていただきたい。
 ようやく安心して力を授けられる主人を得たのですから…。
 彼はきっと祝福してくださるでしょう」

「ワタシの昔の記憶ですか…」
 十束 千種(とくさ・ちぐさ)は、昔を思い起こして空を見上げた。少し誇らしげに唇の端を上げている。
「ワタシはかつてある国の若君の刀として生を受けました
 それは隣国とにわかに緊張が高まった年でした。
 体のいい人質ではあったのですが、そうして若君は隣国に婿入りしました」
 ふと、悲しみを思い出すように声の調子が沈む。
「若君と隣国の姫君はそういう経緯で出会ったとは思えないほど微笑ましくも仲睦まじい様子でした
 しかし対立は不可避となり戦争となりました
 若君の父は奮戦空しく首を獲られ、若君もまた叛乱の疑いを負わされ処刑されました。
 死の前夜に若君は姫君にワタシを形見として渡し、ワタシの初の契約者はその姫君なのです
 その時若君は『戦士としての魂と剣にかけて、再び出会おう』と誓われました
 ですから2人はきっと生まれ変わって出会われていることと信じています…」

 郁乃はパートナー達一人ひとりの手を握り、心からの言葉を送った。
「桃花、出会いはほんの偶然だったも知れないけど、わたしも出会えて嬉しいです。
 わたしがこんなに愛する人ができるなんて思いもしなかったもの。
 これからもよろしくね」

「ね、マビノギオン。わたしも老呪い師に会いたかったです。
 これからもわたしが道を誤らないようしっかり見張っててね」

「わたしも2人が再会できていることを信じるわ。千種。
 だって一番近くにいたあなたが心から信じているのだもの。
 運命が交わればどこかで再会できるかもね。
 その時はなんて声をかけるのかしら…楽しみね」

 最後にみんなの顔を見て、郁乃は続けた。
「みんなに会えたことは、私の中ではとても幸運なことなのね
 みんなの話を聴いててそう思ったわ。これからもどうかよろしくね」

   ◇  ◇  ◇

 ある所に唯一の家族である妹をなくした女性がいました。
 姉はセラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)、妹は琳 鳳明(りん・ほうめい)といい、二人に血のつながりはありませんでしたが、肉親以上に仲がよく、かけがえのない姉妹同士でした。
 あまりの悲しみに、女性は妹との思い出を反芻しつづけます、しかしもういない者を想うことはひどく空しく、また報われる望みもありません。やがて女性は疲れ果ててしまいました。
「どうして、あなたはもういないのかしら…」
 そんなある日、彼女が暮らす家を訪ねる一人の少年の姿がありました。
 帽子を目深に被ったその少年は、『お掃除に来たんだ』とだけ言うと、戸惑う姉を尻目に、家の中を歩き回り何処からともなく手にした大きな袋にホコリのような塊をどんどん詰め込んでいきます。
 そして塊を詰め終わると袋を持ったまま中庭へ出て行き、袋の口を広げて高く持ち上げました。
「ほら、もういいんだよ」
 すると塊は次つぎと青空へと昇り、溶けるように消えていきました。
 呆然とする女性は、肩が軽くなっている事に、そして自分が涙を流している事に気づきました。
 少年は帽子を取りながら言います。
「想い出は溜め込む物じゃないよ。重くなったら空に還してあげてもいいんだ。
 ただ、たまに想い出してあげて。
 その想い出が残る限り、私はセラフィーナお姉ちゃんの中で生きているのだから」
 そう言って微笑むと少年、いえ少女は消えていきました。
 その笑顔は、女性の想い出の中の妹、琳 鳳明そのものなのでした…



「…ヒラニィのこのストーリーは、ワタシへの中てつけでしょうか?」
 演じやすいキャラで行ってみたと言えば、それまでなのですが…
 セラフィーナは南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)を少し恨んだ。
 妹役の琳は、ヒラニィがお気に入りの話を脚本にしてくれたものだから、やたらとやる気に溢れていた。
 その為とても口を挟むことなどできなかったのだ。
 (…鳳明がいなくなったら、ワタシもこの女性のように悲嘆に暮れる日々を送るのでしょうか? それとも…)
 正直な所、今現在ではセラには何一つ想像すら出来ない。彼女達と過ごす日々は当たり前のようにあり、それが欠けたところなど、考えたこともない。
 いや、考えないようにしていたのだ。
 自分と違い戦場に赴いて前線に出、そして時に死を意識する鳳明にとっては違うのだろうか?
「今はただ…日々を大切に、共に生きていたいです。ずっと…」

 ヒラニィはマリーの隣に腰を下ろした。
「…わしも機工技師の端くれ、お主の状態を見れば概ね察しは付く。記憶も大分おぼろげだろう。
 だが、その記憶を語る事を止めないでおくれ。その想い出を手繰る行為を空しいと思わんでおくれ」
「ええ、時に理解できない衝動が私を支配します、それは私が魂の底から求めるものだと想うから…。
 そういうものが、私にもあるとすればですが」
「誰かが言うとったな。死後、霊というものになって見守っておると。おぬしの言う魂のようなものか。
 おぼろげでも『居た』ことさえ覚えておれば、その者はまだ生きておる。
 お主が生かしておる。
 そして語ることでまた更に多くの者の中で生きるのだ」
 ―…わしも長く生きた。霞んでしまった想い出も沢山ある。
 だが、一つとして死なせるつもりはない。
 だから、お主もみなの中に生きておくれ。
 ヒラニィは自らの思い出をも手繰り、その中にマリーのことも、ひとつ仕舞いこんだ。

   ◇  ◇  ◇

 遠野 歌菜(とおの・かな)は、森の遺跡を歩いていました。
 誰かに呼ばれているような気がして、ふわふわとした感じで森に入り、遺跡の中で運命のように、棺の中で眠る月崎 羽純(つきざき・はすみ)を見つけたのでした。
 月影さやかな廃墟の中で横たわる彼の姿はとても幻想的で、彼が眠り姫でないことのほうが不思議なくらい、綺麗な光景になっていました。
「誰かしら、目を覚ましてくれないかな…?」
 棺に触れると、眠る彼は目を覚ましました。
 彼は、それまで封印されていた剣の花嫁でした。
 ぼんやりとこちらを見る彼に自己紹介をすると、どうにも記憶がなくなっているようで、長い時間をかけて自分の名前を思い出していました。
「月崎…羽純、だ」
「じゃあ、羽純くん、って呼ぶね。いきなりだけど私のパートナーになってくれないかな」
 歌菜は契約を申し込みました。
 だって、何故かたまたま迷い込んだ森の中で、長く間封印されていた人が目を覚まして、こうやって会話しているのです。
 きっと、縁のようなものがあるはずです。

 しかし、彼はとても面倒そうに言いました。
「何でだ? それで何か俺にメリットがあるのか?」
 寝起きで低血圧な人はよくいます、ましてや彼はずうっと眠ったままだったので、こう答えるのは予想の範疇です。
 でも歌菜は、ぼんやりしている彼を放ってはおけませんでした。
「歌を歌ってあげるよ」
 とっさにそう答えました、それに歌は彼女の得意なものです。
 自分の歌で誰かが笑顔になってくれたら、それはとても幸せだし、目の前の彼が笑顔になってくれたら、と思いました。
 彼の笑顔が、とても見たいと思ったのです。

 さっと立ち上がって、月の光を腕いっぱいに受け止めて踊りながら、歌菜は歌いました。
 そうして今までいちばんうまく歌えたような気がしました。
 すると、彼は目が覚めてから初めて微笑みました。
「お前、変な奴だな」
 セリフはちょっとひどいけれど、それよりももっと彼が笑ってくれたことを嬉しく思いました。


 羽純は目が覚めてまず、自分の中に何もなくなっていることを感じていた。
 記憶は薄れ、すべてモノクロで遠い存在、名づけるなら虚無感、そしてもう、自分の傍には誰もいないということが分かっていた。
 永いながい時を眠り、あらゆるものを置き去りにし、されたのだ。
 だから目の前に少女がおり、羽純に話しかけていることにしばらく気づかなかった。
「私、遠野 歌菜っていうの、貴方の名前は?」
 この女に封印を解かれたことをようやく理解し、礼儀として名乗り返す。
 するとなんと、パートナーとして一緒にいようと言われたのだ。
 虚無感に襲われたままの羽純はもう、そんな失うだけの繋がりは勘弁なのだ。
「何でだ? それで何か俺にメリットがあるのか?」

「―歌を歌ってあげるよ」

 歌菜と名乗った少女は、そうして月明かりに踊りながら歌を歌い始めた。
 それは一人の女の姿をあまりに鮮やかに思い出させた。
 こんなに鮮やかなのに…今はもう居ない女。
 モノクロの中でも鮮明なその姿を思い出した瞬間、羽純は歩み出すと決めた。

 今のこの俺にも、何もなくはないようだから。

 羽純は手を伸ばし、歌菜はそれを受け取って握手を交わした。

 ―そうして二人は森を出、仲間にも迎えられて、今もこうして一緒にいるのです。



「これが、私と羽純くんの出会いなの」
「素敵ですわ、あなた方の出会いは月に祝福されているのね」
 マリーは幻想的な光景に頬を興奮で染めていた。
「多分、出会い方とかは全然違うと思うけど…少しでも、マリーさんのパートナーへの記憶の手掛かりにならないかなと思って…」


「ねえ、羽純くんが書き足してくれた所、とっても素敵だったよ! 誰かの大事な人って、憧れるなぁ…」
 彼もマリーの記憶を取り戻してやりたいと思っている。
 最初は歌菜だけの視点で書かれていた脚本を、少しでもリアリティあるものにしようと自分視点のパートを付け加えたのだ。
「ああ、そりゃ実体験だからな」
「…え、えええええ!?」