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はじめてのひと

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●届かぬ想い

 一方で朔のパートナー、スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)は悲しい気持ちでメールを書いていた。宛先は、クランジΦ(ファイ)である――いや、彼女が好んだという通名で『ファイス・G・クルーン』と呼びたい。
(「スカサハはファイス様が一番大変な時に……ファイス様を護る事が出来なかったであります……スカサハは……どうして……あの時、ファイス様の近くに居られなかったのでありますか……それが心残りで……」)
 新しい携帯を手に入れて浮かれたい気分のはずなのだが、スカサハの心は沈んでいた。
 メールを打ちながら、熱い雫が操作キーの上に落ちる。
 ファイスの最期は、聞いた。
 『ハート・オブ・グリーン』と命名された先日の事件で、壮絶な自爆を遂げたのだと。強大な敵を倒すため、自らの身を犠牲に捧げたのだと。事件の舞台となった遺跡はその後、掘り返し調査が行われたが、ファイスの死体はついに見つからなかった。特殊な話ではない。かつて、同じように散ったΧ(カイ)もΨ(サイ)も同様に、残骸らしい残骸を止めなかったという話だ。
 夏祭りの日に誰かが渡したというメール専用機のアドレスに向け、告げられなかった想いをしたためる。
 きっとこのメールが読まれることがないとスカサハは知っていた。それでも、たとえ届かなくても、この想いは記しておきたい……。

「ファイス様へ。

 このメールがファイス様に届く事があるのかどうか……スカサハにはわからないであります。
 ただ、どうしても……謝りたいであります。
 ファイス様をお護りできなくてごめんなさい」


 ここで手が震えてしまって、うまく操作ができなくなってしまった。真っ赤になった両眼を拭って、呼吸を落ち着けてから続きを入力する。

「……スカサハが居れば、何かが変わったとまでは思わないでありますが……『お友達』を護れなかった事が……あの場に居なかった事が……心残りなのであります。

 ファイス様……スカサハは良き『お友達』で在れたのでしょうか……」


 送信する。
 きっとこのメールは、電子の海に埋没してしまうだろう……魂や来世というものをスカサハは理解できないが、なんらかの形でファイスに伝わってほしい、ただそれだけを願った。


 *******************

 ファイスにメールを送ったのはスカサハだけではない。
 七枷 陣(ななかせ・じん)もまた、届かない言葉を電子のメッセージに託していた。
(「オレはどうしたらいい……?」)
 答が得られることはないと知ってはいるが、自問せずにはいられなかった。
(「指先がチリチリして口の中が渇き切って目の奥が熱くなる……この痛みを、どうしたらいい!?」)
 ファイスが散華した日、陣は激しく自分を責めた。
 後知恵とわかってはいても、ああすべきだった、こうすべきだった、と無限の悔恨に身を苛まれる。時間の経過はいくらか、その苦しみを薄れさせたが、喪失の哀しみだけはどうにもならない。
 その日、ふらりと現れた仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)は、携帯の機種変更を陣に勧めた。
 気分転換をさせようとしているのか――と最初こそ思った陣ではあったが、やがて磁楠の真意を知ったような気がした。
(「ファイスへの言葉を書け、って言ってるんだな……新しい携帯で」)
 そうだろ? と、問おうと顔を上げたとき、磁楠の姿は消えていたのだった。
 街の雑踏を抜け、無人の公園へ陣は吸い込まれるように歩みを進めた。
 硬い石のベンチに座って、編み上げたのが以下の文面である。

「ファイスへ
 まず始めに言わせてくれ。
 お前アホやろ?
 手に掛けたからとか血に汚れたとか、
 人並みの幸せを得る資格無いとか、
 そんなのΞを道連れに自爆する際の言い訳だ。
 只の逃げだ、分かるか?
 確かに赦されない事なのかも知れん。
 だが、もし世界中の人が全員赦さないって言ったとしても、
 オレが赦す。
 オレ達が赦す。
 そう言いたかった。
 諦めて欲しくなかった。

 まぁ過ぎた事は仕方ねぇ。
 ゆっくり休め。
 いつかまた、何処かで逢おうな。
 多分ナラカ辺りかな?
 んじゃ、そう言う事で。

 陣。」


「ゆっくり休め、か……」
 自分で書いた文章ながら、なんとも不思議な一文だった。「惜しむ」、とか、「悔やむ」、じゃない。「お疲れ様」というニュアンスの言葉が、ごく自然に出てきたことに陣自身、救われた気がする。
 いつまでも悲しんでいて、それでファイスが喜ぶだろうか。
 いつまでも陣が沈んだままでいることを、彼女が求めていただろうか。
「そうじゃない、よな。ファイスは、休憩しているだけなんだ。大変な人生だったろうし……」
 少しだけ頬が弛んだ。もし疲れたらファイスは、「本機は、充電を必要としている」と大真面目な顔で言うだろう。いま彼女は、長い充電をしているだけなのだ。
「これでいい……これで」
 かすかに震える指で『送信』キーを押した。
「なにが『これでいい』んだ、小僧」
 突然の声に驚いて振り向く。
 磁楠が立っていた。
「陣、お前は、私のようにはならないと言った」
(「鏖殺寺院にパートナーを殺され、怒りも悲しみも後悔も吐き尽くして尚、受け入れられずに復讐鬼へと堕ちた私のようには、な……」)
 胸の言葉は口にせず、逆に磁楠は嘲笑する。
「選んだ道がそれか! ハッ、鏖殺寺院の機晶姫相手に、よくもそこまで女々しくなれるな」
 見下していることを示すため、わざと真上から見おろすようにして顔を寄せる。
 次の瞬間、磁楠は拳で殴られ、ベンチの反対側まで吹き飛ばされていた。
「……ッ」
「磁楠に何が判るっ!」
 怒りに燃えた目で、陣は彼の襟首を引いて立ち上がらせる。
「判るさ」
 陣の目を正面から捉え、切れた唇から磁楠は告げた。
「お前は、私だ」
「なら!」
 磁楠を突き飛ばすようにして、陣は袖で涙を拭う。我知らず、いつの間にか流れていたのだ。
「なぜそんなことを言うんやっ!」
 殴られた自分より、殴った陣のほうが痛みは大きいはずだ……磁楠は知っている。知っているが、回答はしない。
 ややあって口を開いた磁楠の言葉は、やはり陣の問いに直接答えるものではなかった。
「小僧、これから自分のすべきことは、知っているだろう」
 ――乗り越えろ、そうでなければ、悲惨な未来しかない。
「……まだ、送信してない」
 陣は携帯電話を拾って、先のメールに書き加えた。

「追伸:他のクランジ達も、
 目の届く範囲でしか出来んけど、
 助けれるものは助けてやりたいって思う。
 人並みの幸せを持てる事を証明してやっからな。
 本機が自爆したのは早計だった〜とか向こうで後悔しれ、ケケケ」


「それでいい」
 磁楠は頷いた。
 過ぎ去った時間は戻らない。ならば悲劇を繰り返さぬという決意こそ、今すべきことである。
 メールの送信アイコンを押すと、陣は磁楠の胸に顔を押しつけ、声にならない慟哭を上げたのだった。