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我々は猫である!

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第三章 平常

 閉鎖され、騒がしさで充満する街の中でひっそりと佇む空間がある。
 街に佇む高層ビルの屋上がその一つだ。
 太陽光への対策なのか丈の高い木々が周辺に配されたそこは、休息のためのベンチや軽食を売る出店がある。
 そのベンチから、フェンス越しに街並みを見る秋月 桃花(あきづき・とうか)の姿があった。
「郁乃様…………今どこにいるのですか?」
 溜息付きで顔を曇らせた彼女は、更に溜息を吐き、
「あの時、守れていれば……」
 接近してくる猫人に気付かなかった上、噛みつきからも防護できなかった。
 悔いても仕方ないと思いつつ、しかし今の状態を考え見れば悔いざるを得なかった。
「郁乃様……。お願いですから、無事で……」
 他の仲間も探しているとはいえこの騒ぎだ。どう転ぶかは想像がつかない。
 悪い予感が湧いて、それを否定してもまた湧いてくる。
「……お願いですから…………」
 秋月が俯き、眼を伏せ涙を浮かべていると、
「――――」
 ふと、気配を感じた。
 己が座るベンチの右、デパート屋上への出入り口からだ。
 秋月がそちらに目を向けると、
「にゃあ……」
 目尻を擦りつつ近づいてくる芦原 郁乃(あはら・いくの)がいた。
「郁乃様……!?」
 秋月は驚き、しかし同時に安堵の笑みを浮かべていると
「に……」
 おぼつかない足取りで郁乃は秋月の元へ向かう。
 郁乃の目尻は下がり、顔には疲れの色が見える。
「みー」
 一鳴きすると郁乃は座る秋月の膝へ倒れ込んだ。
 頭を膝に擦りつけ、転がり、そして目を閉じる。
「……眠いのですか郁乃様?」
 郁乃は答えることなく、秋月の膝に納まっていく。
「やれやれ…まさかとは思ってたんだが、やっぱりここか」
「わー、本当にいましたー」
 その光景は新たにデパート屋上にやって来た者、アンタル・アタテュルク(あんたる・あたてゅるく)荀 灌(じゅん・かん)たちにも伝わった。 アンタルはベンチで寝転がる少女に視線を向けると、
「ほれ郁乃、そんなとこで寝ちゃ桃花がつらいだろ」
 と、彼女の身体を揺さぶる。しかし郁乃は起きようとしない。それを見た秋月は微笑みつつ、
「いいんですよ。ワクチンができるのを待てばいいのですし。
 それに、
「こうしていれば郁乃様が人を噛むことを見なくてすみますから……」
 秋月は己の膝に身を預ける少女の喉元を撫でながら眉尻を下げて、
「……すみません。わがまま言って」
「いやぁ、あやまるこたぁないさ「んじゃ、もぅしばらく待つとしますか」
 言うと、アンタルはベンチの背もたれに腰を預け、秋月らを見降ろす。
 その横では荀が秋月の顔を覗き込んでおり、
「桃花お姉ちゃん、足痺れてないですか? 大丈夫?」
「ありがとう、荀灌ちゃん。今は大丈夫ですよ。それよりすぐに連絡しなかったこと、許して下さいね」
 その言葉に荀は笑い、
「ううん。今さっきのことなんだし仕方ないですよ。……それにしてもお姉ちゃん、こうしてるとほんとに猫みたいですね」
「ふふっ…そうですね」
 眠る郁乃を中心に、少女二人は笑い合い、
「猫化しても桃花お姉ちゃんに懐いてるところは変わらないんですね。こうして帰って来たんですから」
「そうだと、嬉しいですけれどね」
 秋月は照れながらも、郁乃の髪を撫でて笑みを浮かべる。
 屋上での一時は平和なままに過ぎていく。


 静かな空間はまだある。
 街の外れに存在する、常緑の木々と草花、そして街灯で囲まれる公園がその一つだ。
 一辺が十メートルを超す正方形状で、中央にはこじんまりとした石のサークルと塔が配置されており、空へ延びる先端部から水の噴き出しがある。
 長閑をそのまま表情にしたような顔で噴水を見つめるのは如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)で、
「いやー、罠も仕掛け終わったし後は待つだけ、か。今日は今日で騒がしくも良い日になりそうだな」
 緑に三方を囲まれたベンチに座り背伸びをしながら、ほう、と落ち着きの吐息を漏らす。
「……に、しても遅いな。飲み物買いに行くだけでどんだけ時間かけているんだろ。まあ罠にかかるまで暇だから良いけどさ」
 己の仕掛けた罠は視線に入っている。
 緑の茂みの向こう、公園の入り口付近に置いた焼き魚がそれだ。
「魚は猫を呼びよせるっていうけれど、……どうなんだろうな」
 解らない。ならやってみる価値はあるだろう。
 故にこの茂みに囲まれたベンチで休息しながら経過を確認しているのだ。
 猫か猫人が来てくれれば万々歳。来た者を付けて行けばビラの猫に出会えるだろう、と如月はそう考えていた。けれども、その目論見は少しずれた。
「……噛みたい……」
「――へ?」
 確かに猫人となった巫女服の少女、神威 由乃羽(かむい・ゆのは)は来た。罠の方でなく、自分の背後に。
「……噛む……」
「え、いや、ちょっとまっ――――」
 如月の静止も虚しく少女は口を開け、肩にその犬歯を当てた。
 噛み方としては甘噛に近いもので、ましてや服の上からだ。
 歯は如月の肉にまでは届かない。
「えーと、これはウイルス的に大丈夫なんだろうか」
 そんな疑問をぼやいた瞬間、
「浮気現場発見――!」
 缶飲料を片手で持ったアルマ・アレフ(あるま・あれふ)が、奈落の鉄鎖で如月と神威に重力をぶち込んだ。それだけではない。
「御免なさい。ちょっとビリッと行きますわ」
 ラグナ・オーランド(らぐな・おーらんど)が追撃として雷撃を叩き込み、
「なななな、何をを」
「…………ん」
 神威と如月の身を引き離したのだ。
 痺れ、動けなくなった両者は簡単に身を離し、地面に倒れ込む。
「す、少しやり過ぎだぞ!」
 如月は雷撃で回り難くなった口を無理に動かして文句を発するが、
「あ、理性が残ってるって事は感染してないのね。よかったよかった」
「そうですわね。もし感染していたらこの場で取り押さえねばなりませんから」
 と、両者ともに全く堪えた様子はない。
 彼女らの返しに額に脂汗を浮かべながら、しかし何かを思い出したかのように飛び起き、
「そ、そうだ。俺は兎も角この人が! だ、大丈夫ですか!?」
 意識を失っている神威に呼びかけを行いながら介抱を始める。
「うわ、気絶した女の子にそんなことしちゃう?」
 如月は茶化して来たアルマを一括してから、仰向けで横たわる神威の顔を覗き込み、
「だまらっしゃい。気絶させて置いたままにしておけないって。――大丈夫ですかー。意識あるなら何か喋って下さーい」
 耳元で呼びかけを続ける。ショック性の気絶の場合、安静にしながら覚醒させることが第一だと知っているからだ。
 すると、こちらの声が届いたのか、
「…………し……から」
 何ごとかを口にしている。如月は耳を彼女の口に近づけ音を聞き取っていく。
 神威が薄れかけた意識で語りかけてきた言葉の内容は、
「契約……したから……」
 約三十秒、如月には何を言っているのか理解できなかった。その為、
「え?」
 疑問形の一語を発してしまった。それに被さって来る少女の台詞は、
「私と……契約、してるから。解除も…………返品も効きませ……ん」
 それだけ言って、今度こそ神威は気を失した。そして、如月も、
「え、えええええええええええ!!」
 ただただ絶叫し、しばし驚愕に身を任せていただけだった。


 だがこの場は、如月の驚きだけでは終わらなかった。いつの間にか契約が終わって、それを自分自身に納得させようと如月が自発的に意識トリップ、つまりは現実逃避をしていた時。
 噴水横の街灯に背を預け、如月たちを生温かい眼で観察していたラグナは突然、背後から服の裾を引っ張られた。
 何か、と思い彼女が振り向いた先には、
「あの、すみ、まっ、せん…………。わ、私の、ね、猫、知りません、か?」
 泣きベソを掻きながらも何かを必死で伝えようとする少女が、そこにいた。