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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

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●Κ、Μ

 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は迷わず、『Κ、Μ』の洞窟を選んだ。
 デルタが送ってきた映像に、気がかりな点があったからだ。
 フレンディスは出発前、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)に打ち明けていた。
「私は映像に映っていたあのご婦人……くらんじΜさんの本心を知りたいのです」
 と。
「本心?」
 そのときベルクはこう言った。
「あれはデルタってやつの仲間だろ?」
「なんとなくですが……そうは思えないのです。Δとおっしゃる方が悪意からとはいえずっと笑顔だったのに比べると、あのご婦人は、不本意ながらあの場所にいるようにお見受けしました……居心地が悪いとでもいうかのような……」
 なるほど、と溜息まじりにベルクは答えた。
「……それを確かめに行きたい、って言うんだな」
「さすがマスター! よくおわかりで」
「そりゃわかるさ」
「私がかようなげぇむに呼ばれた理由は謎ですが、任務ならばまっとうするだけ。しかしながら不思議とあの着物のご婦人……Μさんが気になりますゆえ、向かわせて頂きたく」
「止めはしねぇぜ。むしろ、行ってこい、って言うつもりだ
 それが残された俺の役目だろうから……と付け加えたベルクの表情に、やや陰りがあるように見えたのはフレンディスの気のせいだったろうか。
 ――もし私が感じる違和感通りならば、他のくらんじさんと同様、この戦に巻き込んだΔさんは許せませぬが……ただ私の力であのご婦人へ手を貸せるのでしょうか?
 まずはミューと会う、そこからフレイははじめるつもりだ。

 このときフレイとともに、カーネリアン・パークス、シリウス・バイナリスタも洞窟に足を踏み入れている。
「おそらくは……お前たちのコピー、あるいはクローンみたいなのが待ち構えているんだろうな……戦う自信はあるか?」
 なんなら、カーネリアンは見ているだけでも……と言いかけたシリウスに、カーネリアン・パークスは首を振ってみせた。
「気遣いは無用だ、シリウス。むしろ自分には、『あれ』を葬ってやるべき義務があると考えている」
「なら、いいんだ」
「貴様には言ったことはなかったな。かつて自分が有していた変身能力……あれは恵みではなく苦しみだった。その苦しみは終わらない。やつに情けをかけたいのであれば、解放してやることこそが、情けだ」
「それって……カーネ、お前自身、今も苦しんでるって意味か?」
 カーネリアンは答えなかった。
 黙って、前方の光景を眺めていた。
 いつの間にか、彼らのいる場所は洞窟ではなくなっていた。
 東南アジアの都市だろうか、耳慣れぬ言葉が飛び交う夕暮れの繁華街に変わっている。うんざりするほどの人出があり、めいめい忙しく行き交っていた。見知らぬ魚がさばかれ、味の想像もつかないような果物が山盛りで手押し車に乗って運ばれていく。むっとするほど甘い煙草の匂いがした。
 ただ奇妙な点があるとすれば、それは繁華街の人々が、どれも同じ顔をしているところである。作り物のような平板な顔つきに喜怒哀楽の乏しい表情、それが、呼び込みをしたり値段交渉をしたり、観光客として写真を撮っていたり、通行人を装って他人の財布をくすねたりしているのだから気味の悪いことこの上ない。
「ここでやり合おうってのか……カーネリアンの偽物……いわばΚc(カッパ・クローン)が紛れ込むには最適の状況だろうな」
 クローン、という言葉に、シリウスはヒリヒリするような怒りを覚えている。
 彼女のパートナーリーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)の正体は、古王国時代に作られた ティセラ・リーブラの予備……『ティセラクローン』ともいうべきものである。シリウスと出会ったことでリーブラの運命は大きく舵を切り、やがて彼女はただの『写し』ではない『自分』を見出すことができた。左利きで機械音痴の彼女は、リーブラ・オルタナティヴ以外の何者でもない。
 シリウスからすれば、デルタのやっていることはそれを数等劣化させたものだ。
 クローンをコピーとして、物扱いするその行為……許すわけにはいかない。

 そのリーブラと、やはりシリウスのパートナーサビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)は固唾を飲んで中継モニターを見守っている。
 ――デルタの名簿にボクらの名前はなし……ま、当然か。
 サビクの口元は笑みに似たものを形作っている。冷笑のように見えないでもない。。
 シリウスが代表として選ばれたことを誇らしく思う気持ちが半分、自分が選ばれなかったことを悔しく思う気持ちも、半分。(実際、ダリル・ガイザックのようにパートナーながら選ばれた者もいる)
 特殊な磁場でも形勢されているのだろうか、あの場所にいるシリウスに、サビクのテレパシーは届かない。だから――
「わたしくたちができることはもう、祈ることだけ、ですか……」
 サビクの思考を読んだかのようにリーブラが言った。
 リーブラは真剣な目でモニターを注視している。まるでそうすることで、見えているあの世界に入ることができるとでもいうかのように。
 いや、実際、リーブラの一部はあの場所にあるといっても過言ではない。
 なぜならリーブラの愛刀『対星剣・オルタナティヴ7』は今、シリウスに託され、彼女の腰からさがっているのだから。

 黙って繁華街を見つめていたフレンディスが、やおら口を開いた。
「お二人に申し上げます」
「うん?」
 シリウスだけが返事した。だがカーネリアンもフレンディスに顔を向けている。
「申し訳ないのですが、Κさんのほうはお任せします。仮に、私が帰還を果たせずとも、どうかお気になさらず、先に進んで下さりたく……」
「気にするな、って言われても……おい!」
 シリウスの目の前でフレイは消えた。
 ベルクやリーブラらが見守っているモニターからも消失した。
 シリウスは首を巡らせるが、もうフレイの気配すら感じられない。
 コンマ数秒前まで存在したフレイは、煙のように消えてしまった。
 気配すらない。彼女がついさっきまで存在していたという、そのことのほうが嘘のようにすら思える。
 だがこれはテレポーテーションのような超能力や、ステルスなどの超技術を使ったのではない。すべてはフレンディスの鍛錬が開花したもの、卓越した隠密能力のなせるわざなのだ。フレイは目の錯覚や人間の死角を利用して、繁華街の混雑に同化してしまったのである。
「フレンディスか……一度模擬戦でもしてみたいような……」
 さすがのカーネリアンも舌を巻いたのか、無表情ながらそう呟いた。
「さて、だとすりゃカーネ。オレたちはオレたちで、Κcを探すだけだ!」
 シリウスはそう言い切って、両膝を軽く開いた立ち姿を取り、己の力を一気に解放した。
 彼女の赤い髪がざわざわと生き物のように踊っている。足元から強い風が吹き上がっているのだ。
 シリウスを中心として、神々しい光の円が拡がっていく。
 イクシードフラッシュ、これはシリウスの専用大魔法だ。自身を中心とした半径十メートル程度の範囲で、契約者としての能力やパラミタ種族固有の力、アイテム効果を無効化する。成功すれば、との但し書きはつくが、成算は高いとシリウスは見ていた。まさかΚcもこんな大技がシリウスにあるとは知るまい。
「こいつをカマしながら人混みに切り込む! 相手が動いてきたところを見つけて叩いてくれ……信じるぜ、カーネ」
 だが、
「よせ!」
 意外にも、カーネリアンが発したのは怒声だった。シリウスに飛びつく。そればかりか、シリウスの両肩に左右の手をかけ地面に叩きつけようとした。
「って、何だよ!」
 しかしシリウスはすぐに真相を悟った。
 反りのない短刀、その鋭い切っ先がシリウスの眼前に光ったのだ。
 切っ先は、カーネリアンの左胸を貫通していた。
 赤いものがカーネリアンの傷口からみるみる溢れる。
「クソッ!」
 シリウスはカーネリアンを抱きかかえるようにして体勢を取り戻すと、対星剣を抜刀し遮二無二薙ぎ払った。同時に地面を蹴って、左腕でカーネを抱いたまま後方に飛ぶ。
 黄金の半仮面をつけた暗殺者……Κc(カッパ・クローン)はそこにいた。
 二人のすぐ眼前に、片手にアサシンダガーを握って。
「もうこんなそばまで来てやがった……ってことかよ」
 ――アレは人形じゃない……あのクランジは……クローン、複製体ってヤツだ。
 シリウスは思った。視界の端に、対星剣の輝きを感じる。
 ――よく知ってるよ。とてもよく、な。
 支えるカーネの負傷度合いが気になった。まだ息はある。だがいつまで大丈夫かと言われると答える言葉が見つからない。
「リーブラがティセラねーさんじゃないように……カーネ、あれはお前じゃない。だから……許せねぇ」
 『あれ』が近づいてくる。

 水色の髪を長く伸ばし、白い着物の裾を翻して、
 長い襷で目隠しした彼女は、クランジΜ(ミュー)だ。
 ミューは人混みの中では異様なほど目立った。
 そんな自分を隠す意図はミューにはないらしい。
 茫洋たる人の海のなか、ただ一人、草履でひたひたと歩んでいる。
 その足が、音もなく止まった。
 ひやりとしたものを、ミューは首の下に感じたのである。
 それは白刃、忍刀・霞月の刀身である。
 フレンディスは刃を通して伝えるかのように、ミューにだけ聞こえる声で告げた。
「このまま動かないで下さいまし。あなた様が目を纏う布を取る前に首を獲ることは可能……かもしれませぬ」
「あら、恐ろしいこと」
 ミューは目隠しをしたまま、まるで意に介さぬように歩みを続ける。
 はたからみれば、ミューの身に何が起こったかはわかるまい。
 自然、フレイは彼女に引きずられるようにして共に歩くことになった。
「……もう一度申し上げます」
「無理です」
 ミューはふっと息を吐き出していた。
 それが彼女の目隠し、その布をかすかにはためかせる。
 目の間から洩れたか細い、しかし力強い赤い閃光が、ミューの下にかけたフレイの手に触れた。
「『メデューサ・アイズ』、これがわたくしの能力ですわ。目隠しの下、わたくしの両眼からは常にこの赤光が流れておりますの。……ほんの少しでも浴びた対象は、わたくしにその時間の流れを支配される……」
 ここまでまた呟くように言って、ふっとミューは口元を緩めた。
「といっても、もう聞こえておりませんわよね。フレンディス・ティラ様……」
 雑踏の中、フレイは両膝を地について停止していた。
 まるで、一個の石像にでもなったかのように。