リアクション
卍卍卍 マホロバ将軍の寝所。 すでに将軍が休む時間というのに、一際大きな男の声が聞こえてきた。 葦原明倫館のアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)である。 アキラは夜着のまま、中奥御殿にある貞継の寝所に上がりこんでいた。 「大奥が女だけだなんて、誰が決めやがった。そんな古いシキタリじゃあ、マホロバの行く末もたがが知れるってもんだ」 「……しきたりも何もお前は男だろう」 「男が卵を産んで悪いか。それに別に一つってわけじゃねーだろ。欲しがるやつ全員にくれてやりゃあいいじゃねえか。だから俺にもくれ」 アキラは色気も飾り気もない。直球に本気で迫っていた。 貞継は呆れ顔だ。 「お前が女ならそれも適うかもしれないが……」 「が、我慢ならできるぞ。俺なら」 アキラははっと自分の尻を押さえる。 「俺だって恋する相手なら女だよ。でも……」 彼は真面目に考えていた。 「……誰かとずっと一緒にいたい、添い遂げたい。そういう混じりっ気ない純粋な気持ちが大事なんじゃねーの?、男だの女だのつまんねーこと持ち出すなってんだ。無粋だぜ……!」 貞継はアキラに気倒されて観念したのか、黄金布団に潜り込むとぽんぽんと柔らかな布団をたたいた。 「今夜は精進日(歴代将軍の忌日)だ。奥への渡りをせず、ようやく存分に寝ることができる。お前に托卵は無理だが、共に眠ることはできよう」 「え……」 「来い」 「……」 「卵は口や何かから吐き出されるとでも思うたか。竜やトカゲであるまいし。男女の交わりで子ができるに決まっておろう」 ・ ・ ・ 「上様、夜分に失礼とは存じておりますが、火急な用のため御無礼をお許しください」 アキラが一睡もできず夜も更けたところ、老中楠山が護衛を従えぞろぞろとやってきた。 老中の顔には普段あまり見られない焦りの影がある。 「賊が大奥に入り込んでおります。また、信用ならぬ連中も……」 老中は将軍のすぐ脇にいる若い男にチラを視線を送ったが、すぐに伏せた。 「どうやら城の地下に誰ぞ入り込んだ形跡があるのです……」 そして手には漆の箱がある。 貞継は一目で理解したらしい。 起き上がると隣の部屋に控えていた御従人(ごじゅうと。将軍付きの警護等をする親衛隊)となった牙竜と悠に命じて、懐刀と綿布を持ってこさせた。 「一体、何を?」 訝しむ牙竜をよそに、将軍は懐刀を手に取ると自らの腕に刃を当てた。 「上様、マジかよ!?」 それは、悠が止めるより早かった。 何の迷いも、ためらいもない刃の引きだった。 「これで……良いのだろう。楠山」 貞継の腕から鮮血が、紙の束上へと流れ落ちる。 ぽとり、ぽとり 赤く、赤く染めていく…… 「これで、大奥の女たちの命が守られるのならば……流す血も痛みも、なんと言うことはない」 「お、おい。やめろよ、何してんだよ!」 事の成り行きに呆然としていたアキラ我に返って叫んだ。 貞継は表情一つ変えずに言う。 「これは儀式の一つだ」 「儀式だって?」 「大奥での秘密を守らせる儀式だ」 楠山が背後からアキラの肩を掴んだ。 たちまち多くの護衛が彼を羽交い絞めにした。 これだけの屈強な男たちに押さえ込まれては、身動きは取れない。 牙竜や悠も動けない。 「や……やめろ!」 暴れるアキラの指先に短刀が当てられ、すっと引いた。 真新しい紙にムリヤリ押し付けられる。 よく見ると『大奥御法度』と書かれた血判状だ。 流れる血と共に、何度も紙に指を擦りつけさせられ、そこにアキラ・セイルーンと名が書かれた。 「これでお前にも秘密が守られる。命が守られるのだ。公方様に礼を申すが良い」 老中は冷ややかに言った。 その言葉を受けたように貞継はつと立ち上がると、自分のまだ止血されてない腕をたった今アキラの名が書かれた血判状にかざした。 ぽと……り。 将軍の血が紙を濡らす。たちまち血判状は真っ赤に染まった。 「何……だよ。これ」 混乱する頭を必死に奮い立たせ、アキラはうめいた。 「これが鬼の血脈……鬼城家の血『天鬼神の血』だ。こうして二千五百年もの間、天子様より譲られし力と秘儀が守られてきた。この血で契約したものは、この血判状に書かれてある通り、城外でこのことを話すことができなければ、書き記すこともできない」 貞継は独り言のようにつぶやく。 その切れ長の目はいつもの穏やかで涼しげなものとは違った。 深い悲しみと憐れみが宿っているようでもあり、また力強い、狂気のような、得体の知れない不気味さがあった。 「もし、大奥で起こったことを外に漏らすようなことがあれば、その者は地の果てまでも鬼に追われ、殺され、遺体をむさぼり喰われることだろう。そうでなくとも、鬼城家の兵が命を狙ってくるだろうが……」 貞継はアキラの手を取り、まだ血の止まらない切れた指先を舐める。 「安心するがいい。この血判状が、『天鬼神の血』が、お前たちを守る」 将軍は微笑んだ。 無垢な少年のような笑顔だった。 やがて貞継は、そのまま気を失って昏倒した。 |
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