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【四州島記 巻ノニ】 東野藩 ~擾乱編~

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【四州島記 巻ノニ】 東野藩 ~擾乱編~
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第九章  首塚大社

 話は、その日の朝に遡る。

 周防 なぎさ(すおう・――)から、「首塚大社の宮司が、会いたがっている」という連絡を受けた円華たち一行は、首塚明神を訪れていた。

「それで、私たちにお話というのは、一体……」

 挨拶もそこそこに、話を切り出す円華。

「他でもありません。皆様の東遊舞(とうゆうまい)をもって、大神様を鎮めて頂きたいのです」

「あの、大神様というのは?」
「そ、それは――」

 五月葉 終夏(さつきば・おりが)の質問に、宮司はためらいながら口を開く。

「ここ首塚大社の御祭神、首塚大神(くびづかのおおかみ)様でございます」
「え?御祭神!?」

 驚きのあまり声をあげてしまった東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)は、はっとして口をつぐむ。

「『御祭神を鎮める』って……、それ、宮司さんの仕事じゃないんですか?」

 日下部 社(くさかべ・やしろ)が独特の関西弁で訊ねる。

「それは、確かに仰る通りです。神様にお仕えし、神様をお慰めするのが我等の役目。ですが、もう我等の手には、負えなくなってしまったのです」
「――事情を、お聞かせ願えませんか?」

 円華に促され、宮司はポツリポツリと話し始めた。


 当直の神職が本殿への侵入者に気づいたのは、昨日の夜も更けた頃だった。

 不審な物音に神職が駆けつけた神職は、本殿の扉が破られ、中に誰かがいるのを見て、咄嗟に声を上げた。
 その声に驚いた侵入者たちは慌てて逃げていったのだが、時既に遅く、本殿の中では大変なことが起こっていた。

 御神体が、汚されてしまったのである。
 大神大社の御神体である巨石には、注連縄が巻かれ、自然石を積み上げて作った大きな台座の上に鎮座しており、
台座を構成する石の一つ一つには、大神を慰撫する呪印が記されている。
 しかし、神職が本殿の中を覗いた時には、台座は崩され呪印は血で塗りつぶされ、御神体は大きく傾いていた。そしてその御神体の前では――。

 眷属である鬼の怨霊たちに取り囲まれた首塚大神が、神職を憤怒の形相で、見下ろしていたのである。

 宮司たちは御神体を元に戻そうとしたが、暴れまわる眷属たちに行く手を阻まれ、とても御神体まで近づくことが出来ない。
 何とか大神に怒りを鎮めてもらおうと、外から呼びかけてみたが、却って大神の怒りを買い、本殿を壊されてしまう始末。
 
 結局神職たちは、本殿の周囲に結界を張って、眷属たちが外に出てこないようにするのが精一杯だったという。


「一体どうしたら良いか途方に暮れていたのですが、その時、周防殿から皆様のお話をお聞き致しまして――」

 円華たちは先日、大洪水で壊滅的な被害を受けた風舞衣(かぜのまい)という街で東遊舞を舞い、その地をさまよい続ける幾多の魂を救っていた。

「東遊舞なら大神様の怒りを鎮めることが出来るのではと思い、お呼びした次第にございます」

 ここまで言うと神職は、床に額を擦り付けんばかりに土下座した。

「お願いにございます!このまま大神様の怒りが解けぬようなことになれば、国中に如何なる災厄が降りかかるか、考えるだに恐ろしい事!どうかこの東野の、そして四州の民を救う為、どうか皆様のお力を、我等にお貸し下さい!」

 ほとんど叫ぶような声で、訴える宮司。
 円華は宮司に歩み寄ると、そっとその手を取った。

「どうぞ、頭をお上げ下さい。宮司様」
「五十鈴宮様……」
「元よりこの東遊舞は、東野の人々が生み出した、東野の為の物。たまたまそれを、私たちが知っていると言うだけに過ぎません。私たちに出来る限りのことを、させて頂きます」
「おお、それでは――!」

「覚えたての拙い舞で、果たしてどの程度大神様をお慰め出来るかはわかりませんけど、精一杯、舞わせて頂きます」
「神様の前で歌うなんて、これ以上ないくらい名誉なことじゃない。私、やるわ!」
「私もやります!」
「僕もやります」
「任せて下さい、宮司さん!」

 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)響 未来(ひびき・みらい)に続き、皆が賛同の声を上げる。

「皆様……本当に、本当に有難うございます!」

 嬉しさのあまり涙を流して喜ぶ宮司。

 そんな一同の中で、ただ一人社だけが、引きつった顔をしている。
  
(か、神様の前で演奏なんて……。どないしよ、ちゃんと演奏出来んのか、俺……!)

 このメンバーの中で唯一社だけが、風舞衣(かぜのまい)での演奏に参加していない。
 社の背を、冷たい汗が伝った。


「練習熱心だね、やっしー」
「お、オリバー。俺だけこの間の演奏に参加してへんからなぁ。それに、そもそもみんなより練習量が少ないし……」
「そ、そんなに気負わなくても……」
「俺もそない思うんやけど――『俺の演奏に、この国の人たちの運命がかかっとるんや!』思ったら、なんだか急に自信無くなってきてしもうて……。イカンなぁ。いっつも未来やらウチのプロダクションの連中やらにエラそうなコト言っといて、イザ自分がその立場になってみたらコレや……」
「やっしー……」

 終夏は、社の隣に腰をゆっくりと下ろす。

「やっしーこの間、私に言ってくれたよね。『オリバーなら、きっと出来る。自分には励ますことしか出来ないけど、励ますことやったら誰よりも上手に出来る自信がある!』って」
「あ、あぁ」
「あと、こうも言ってくれた。『自信が無くなったら、何度でも言ってや!何度でも励ましたるさかい!』って」
「そうも言った」
「私、やっしーほど上手に人の事励ませないけど、けど、何度でも励まして上げることは出来るよ。――大丈夫だよ、やっしー。やっしーなら、出来る。だから、もっと自分に自信を持って。そんな風にウジウジしてるの、やっしーらしくないよ」
「俺らしくない――」

 終夏の言葉を、オウム返しに繰り返す社。

「うん。私の好きになったやっしーは、もっと元気で、勢いがあって、『この人といればどんな事でも出来る!』って思わせてくれる、そんな人だもの」
「……え?オリバー、今なんて――」

 さらりと終夏の口をついて出た一言に、思わず耳を疑う社。

「私ね、やっしー。やっしーのコト、好きだよ」

 わずかに頬を紅潮させながら、しかし決して目をそらすこと無く、終夏は言った。

「この間の演奏の時、私、やっしーのお陰でちゃんと演奏することが出来たの。だから私も、そんな風に――いつもやっしーのそばにいて、いつもやっしーを元気にしてあげられる、そんな人になりたい」
「お、オリバー……!」

 突然の告白に、すっかり気が動転している社は、終夏の名前を呼ぶのが精一杯だ。

「一緒に頑張ろう、やっしー」

 キュッと、終夏の手が、社の手を包む。
 柔らかく、温かい手。
 その手から、終夏の優しさが伝わってくる。

「オリバー!」
「キャッ!」

 気がつくと、社は終夏を力一杯抱き締めていた。

「俺、やる!もう役にも立たんこと、グジグジ言ったりせん!俺の演奏で、必ずこの国の人たちを救ってみせる!」
「うん、それでこそやっしーだよ!」

 すっかりヤル気を取り戻した社に、終夏も弾けるような笑みを返す。
 二人は、どちらからともなく瞳を閉じ、口づけを交わした。
 触れ合うだけの、短いキス。

「……ふふっ」
「……ハハッ!」

 額が触れ合うほどの距離で、笑い合う二人。
 もう一度、今度は社から、情熱的に口づけを求めた。

 真っ赤に染め上げられた世界の中、一つに重なる二つの影。それがどこまで長く、長く、伸びていく――。


 そして、その影の先――。

「うわー……。終夏さん、カッコイイ……」
「ウンウン。あの『いつもやっしーのそばにいて、いつもやっしーを元気にしてあげられる、そんな人になりたい』ってくだり、思わず胸にジーンと来た!」
「ねー!すっごいステキなセリフだよねー!」

 東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)キルティス・フェリーノ(きるてぃす・ふぇりーの)は、まるで名作映画を観終えた観客のように、終夏の告白にすっかり感動してしまっている。

「ステキな告白でしたね、お嬢様〜!……お嬢様?」

 円華はなずなに声をかけられたのにも気づかず、顔を真っ赤にしたまま硬直している。
 どうやら、社と終夏のキスシーンにすっかり当てられてしまったようだ。

「しょうがないわよ。マスターとオリバーのハーモニー、スッゴイステキだったもの!」

 悪魔である未来は、人や場所の持つ雰囲気やムードを、音として捉えることが出来る。
 その未来から見ても、今のシーンは相当に素晴らしかったようだ。

「しかし、さり気にヘタレなマスターを、告白で奮い立たせるなんて……。オリバー、なんて恐ろしい子!」
「終夏さんは天然なようでいて、押さえる所はビシッと押さえてきますからね〜。お嬢様にも、アレくらい出来るといいんですけどね〜」
「でも、流石の対応力だわ、なずなちゃん。これで私も、千尋ちゃんに一部始終報告ができるというものよ」
「お褒めに預り恐悦至極です〜」

 ここにいるメンバーは全員にいち早く召集をかけ、連れてきたのはなずなだった。『げに恐ろしきはくノ一の諜報力』である。
 もっとも、二人をそれとなく見張るように頼んでおいたのは、他ならぬ未来だったが。


「いいな〜!私もあんな風に、真之介さんとキスしたいな〜!」

 御上とキスするシーンでも想像しているのか、なぎさは両手を組み合わせて、遠い目をしている。

「キミね、今の告白見てて、最初に出てくるのはそれ?」

 露骨にイヤそうな顔をするキルティス。

「あら?なら貴方は、真之介さんとキスしたくないのね?」
「な、ななななんで僕が御上君と、そ、そそそんなコト――」
「あらあら、すっかり慌てちゃって――もっとも、貴方みたいな男なんだか女なんだかわからない方、キスしたいと思っても真之介さんが相手にするはずないですけど」
「な――!」

 怒りにかられ、懐に常に伸ばすキルティス。
 そこには、御上とお揃いのメガネを常に忍ばせているのだが――。

(だ、ダメだ、これは最後の切り札!最大限の効果を期するなら、御上君と二人の時に使わないと!)

 キルティスは、必死に思いとどまった。

「そ、そういう君こそ、君みたいな子供、御上君が相手にするとは思えないね!」
「あら、私はもう19歳です!法的に、結婚が認められている歳ですわ!」
「19なんて、10歳以上も歳の離れた子供を、御上君が相手にするとはとても思えないね」
「子供じゃありません!」
「そうやってムキになる所が、子供なんだよ」
「あら、ムキになってるのは、貴方のほうでしょう?」
「誰が!」


「……で、どうしてなぎさちゃんも連れてきたの?」
「いえ〜。お嬢様を呼びにいったら、ちょうどなぎささんがいまして〜。ついて来ちゃったんですよぉ〜」
「マスターとオリバーの次は、御上先生か――手強いわね」
「……ですね」


「誰が手強いって?」

「え、それはだから――って、ま、ままままマスター!?」
「こ、この私がこうもあっさり背後を取られるとは――いやそれよりも何故ここが!?」
「アホかいっ!あんだけ大声で喧嘩しとったら、誰でも気づくわっ!!」

 なぎさとキルティスを指差して怒る社。社の後ろには、顔を真っ赤にしている終夏がいる。
 ここにこの目をメンバーがいる以上、覗かれていたのはほぼ確定である。

「社さんっ!終夏さんっ!」

 横合いから突然現れた円華が、目をうるうるさせながら社と終夏の手をガシィ!と掴む。

「社さん、私、感動しました!終夏さんもあんな風にはっきりと自分の『想い』を伝えられるなんて、すごいステキです!お二人とも、幸せになって下さいね!!」
「い、いや。あの、その……お、お嬢?」
「私たち、結婚する訳じゃないんだけど……」

 怒りに来たはずが、涙を流して喜ぶ円華の勢いにすっかり飲まれてしまう社と終夏。

「ああ、みんなこんなところにいたのね。一度リハーサルをしたいんだけど――どうしたの円華さん。何か、いい事でも?」

 みんなを呼びに来たリカインが、嬉し泣きしている円華を見て首を傾げる。

「いや、何でもない!何でもないねんて!」
「いえ。今お二人にお祝いを言っていた所なんです――『幸せになって下さい』って」
「あら……!結婚するの、貴方達?」

「まぁ」という顔で二人を見るリカイン。

「だから結婚やないて!」
「あらごめんなさい、婚約だったのね!」
「だからそうやないと――はぁ……。もう勝手にしたってや……」
「キャーッ!マスターの許可が降りたわ!早速千尋ちゃんに一部始終を報告しなくっちゃ!」
「ちょ……おま……、千尋に一部始終って――ナシ!今のナシ!!」

「なんて言うか……グダグダですね、終夏さん。カップルになったばかりなのに……」

 同情と気まずさのこもった目で、終夏を見る秋日子。

「グダグダだね……。でも、楽しいよ、とっても」
「楽しい?」
「ウン。やっぱり、こういう方がやっしーらしいよね。それに……」
「それに?」
「今、私嬉しいんだ、とっても!」

 終夏の、非の打ち所の無い笑顔。
 見ている秋日子の方が真っ赤になってしまう。

「り――」
「り?」
「リア充、爆発しろっ!」
「キャー!」

 秋日子にもみくちゃにされ、黄色い悲鳴を上げる終夏。

「でも、本当に良かったね。終夏さん」
「――ハイ!」

 秋日子の耳打ちに、終夏は、満面の笑みで応えた。




 そして、その日の夜――。

 準備万端整えた一同は、本殿と扉一枚隔てた拝殿に集結していた。

「それでは、もう一度作戦を確認します」

 神狩 討魔(かがり・とうま)が、口を開く。

「本殿の扉を開けたら、すぐに舞楽隊が東遊舞を開始して下さい。こちらに向かってくる敵は、我々4人が防ぎます」

 4人とは、討魔となずな、それにエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)ネームレス・ミスト(ねーむれす・みすと)の事である。
 今回エッツェルは、まどかたちの舞楽隊の護衛を、自ら買って出ていた。

「すみません、エッツェルさん。危険なお仕事ですが、よろしくお願いします」

 円華は、深々と頭を下げる。

「いえいえ、お気にならず。その代わり、いずれ騒ぎが収まったら、その時は少々私に付き合って下さい」
「え、ええ……。それは構いませんけど……」

 エッツェルの真意を測りかね、キョトンとしている円華。

「さて。私は、討魔さんと前に立ちます。ミストはなずなさんと、舞楽団の皆さんを守って下さい」
「お嬢様たちの事は気にせずに、思う存分暴れて下さ〜い」
「ええ、それはもう」
「円華様達の……護衛……。護衛……クククク……」

 ミストも、気合充分といった感じだ。

「東遊舞の効果に現れれば、大神の怒りも収まり、眷属も大人しくなるはず。そうしたら、宮司様たちが本殿に侵入。御神体を安置し直します」

 白一色の浄衣を着た宮司以下神職が、揃って頷く。

「ところで、もし東遊舞が効果がなかったらどうするのですか?」
「その時は、本殿を封じる結界を張り直した上で一度撤退し、策を練り直す――それでよろしいですね、宮司様」
「よろしゅうございます」
「他に質問は?――なければ、30秒後に作戦を開始します」

 楽隊がそれぞれに楽器を手に取り、舞を舞うリカインが拝殿の中央に進み出る。
 エッツェルとミストが本殿の扉の真ん前に立ち、討魔となずなが両者の間に立った。
 神職たちは、舞楽隊の更に後ろに一塊になって控えている。

「では、行きます――なずな」
「ハイッ!」

 討魔の指示と共に、放たれた手裏剣が、扉を封じていた注連縄を切る。
 その途端、扉の隙間から猛烈な妖気が漏れだした。

「おお、これは……!」

 扉の向こうから姿を現した大神の眷属を見て、エッツェルが歓喜の声を上げた。
 恐ろしげな形相の鬼の怨霊たちが、雪崩を打って拝殿に押し寄せて来る。
 拝殿は、たちまち戦いの渦に飲み込まれた。


「ほらほら、どうなさったのです。大神様の眷属と言うから期待していたのですが――その程度ですか?」

 扉の真正面に仁王立ちになったエッツェルが、邪悪としか言い様のない笑みを浮かべる。
 眷属たちは、恐ろしい声を上げながら彼に向かって押し寄せてくるだが、エッツェルは仁王立ちの姿勢のまま一歩たりとも動くこと無く、眷属を倒していく。
 エッツェルの【絶対闇黒領域】内に踏み込んだ眷属たちは、まず最初に、彼の背中から生えた骨の翼《死骸翼「シャンタク」》が巻き起こす、冷気の洗礼を受ける。
 吹き荒れる吹雪に怯んだ所に襲いかかるのが、彼自身が《歪な肋骨》と呼ぶ、六本の刃である。
 彼の身体から生えた鋭い刃は、まるで触手のように自由自在・伸縮自在に動き、眷属たちを切り裂き、貫いていく。
 運良く肋骨を切り抜け、エッツェルに迫った者に対しては、《異形化左腕》が待ち受けていた。
 巨大な地虫のように膨れ上がり、至る所に目玉のようなモノがついた腕は、まるでそれそのものが一個の生命体であるかのように動き、獲物目がけて襲いかかっていく。
 腕の先端の開いた巨大な口は、一度捕らえた獲物を決して離すことはない。
 それがどれほど大きな獲物であっても、いやらしい蠕動運動を繰り返して、飲み込んでしまうのだ。
 そしてそのたびに、エッツェルの放つ禍々しい瘴気は、その濃さを増していくのである。

「これでは、どちらが敵なのかわからん」

 討魔は、エッツェルの余りに冒涜的な戦い振りに、うんざりしたように言った。

「お前に喰われている鬼共の方が、哀れに思えて来るな」
「私は味方ですよ。少なくとも、今のところは」
「もしお前が味方でなかったならば、誰をおいてもまずお前から切って捨てるだろう」
「『神狩り』を行う貴方にそう言われるとは、私も一流と言うことですね」

 新たな眷属を飲み干しながら、エッツェルは、嬉しそうに言った。


 エッツェルと討魔が構成する一次防衛ラインをくぐり抜けた眷属たちは、舞楽隊の前に立ちはだかるミストに向かって殺到する。

「ここから先は……通さない……」

 霊体である眷属に対して有効な攻撃手段を持たないミストの役目は、「壁」となる事。
 ミストが敵を足止めしている間に、なずなが眷属を始末するのである。

 ミストは《瘴気の大虎》にまたがり、自らの身長を遥かに上回る大きさの大斧《要塞崩し》を振り回して、眷属の行く手を阻む。
 自分の身体がどれほど傷付こうとも、ミストは怯むことも、退くこともない。
 そもそもが《魔鎧「六式」》であるミストは、痛みを感じることもないし、死に対する恐怖心もない。
 ただただ黙って、敵の攻撃を受け続けるのみである。
 そうして受けた傷も、《百獣の王》にして《幻獣の主》であるミストは、すぐに回復してしまうのだ。

 「生きた壁」として、ミストはこれ以上ない位優秀だといえるだろう。

「スゴイですねぇ〜、ミストさんは。エッツェルさんもそうですけど、お味方になってもらえばこれ程心強い人もいないですよ〜」
「大丈夫……。私は……味方……。主公が……そう望む限り……」
「うわ……。出来れば、末永くそうあって欲しいですねぇ」

 なずなは、心の底からそう思った。


 目の前で繰り広げられる、この世のものならぬ戦い。
 しかしその衝撃的な光景も、舞楽隊の心を掻き乱しはしなかった。
 先日風舞衣(かぜのまい)で演奏した時もそうだったが、この舞には舞手や楽士の心を捉えて離さない、不思議な力がある。
 自分が、歌に歌われている鬼そのものであると錯覚してしまうような、不思議なシンクロ感があるのだ。
 そしてそれは、舞手であるリカインに一番顕著である。

 先程から、リカインは涙を流しながら舞っていた。
 いつの間にか、鬼の苦しみが自分の苦しみとなり、鬼の悲しみが、自分の悲しみとなっていたからだ。

「オオォォォン……」

 低く悲しげな声が、あたりに響き渡る。
 耳には聞こえても、空気を震わすことのない、異世(ことよ)の声。
 その声は、リカインの口から発せられていた。

「ぐ、宮司様!」
「これは一体!?」

 動揺する神職たちの目の前で、リカインの身体はみるみる膨れ上がり、額からは巨大な角が生えていく。
 【鬼神力】が発動しているのだ。

「大神様が……。大神様が、舞手に降りられたのだ」
「では、【神降ろし】が!?」
「そうだ。今リカイン様の身体の中には、大神様が居られるのだ」

 宮司は、尚も舞を止めようとしないリカインから、片時も目を離そうとしない。


「鬼が……止まった……?」

 眷属たちの突然の変化に、刀を振るう手を止める討魔。
 今の声を合図に、眷属たちは暴れるのを止め、その場に立ち尽くしている。

「オオォォォン……」

 もう一度、声が響く。

 眷属たは、一人、また一人と姿を消していった。
 

「大神様が、泣いておられる……」

 宮司は止めどなく流れる涙を拭おうともしない。


「オォン……!オオォォォン……!」

 最後に、社全体を震わすような大きな声が響き――。

「リカインさん!」

 真っ青になったなずなが、リカインに駆け寄る。
 リカインは、糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。 



「もう一度聞くけど……貴方は、本当に首塚大神なのね」
「そうだよ。僕は、首塚大神の生まれ変わりなんだ。信じてもらえないかもしれないけど、これは真実なんだ」

 猪洞 包(ししどう・つつむ)と名乗った少年は、なぎさの質問に明瞭に答えた。


 リカインが倒れた後、全ては順調に進んだ。社の中からは大神はおろか眷属も一人残らずいなくなり、神職による本殿内の復旧作業も、滞り無く進んだ。その結果、御神体の安置も終了し、全ては元通りとなった。

 ただ一つ、「首塚大神の生まれ変わり」を名乗る少年が、御神体の巨石の上に座って、足をプラプラさせていた事を除けば。


「円華さん。あの子の言っていることは、本当なのですか?」

 なぎさが、当惑した表情で訊ねる。

「今の段階では、何とも……。神様が分霊という形で顕現された例は幾つもありますが、真実だと実証された例は、極めて少ないんです。また実証された場合でも、何かのきっかけで強力な力が発現した結果、そうとわかった場合がほとんどで、客観的な証拠があったことは無いんです。ですが……」
「ですが?」
「あの男の子からは、不思議な力を感じます」
「それに宮司さんたちは、すっかりあの子の言う事を信じちゃってるみたいだよ?」

 東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)の視線の先では、宮司たちが、恐縮し切った様子で、少年の事を見つめている。

「ソルファインさん、リカインさんの様子は?」

 なぎさが、リカインのパートナーであるソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)に確認する。


「さっき、目を覚ましました。でも、舞が始まってからの事は、何も覚えていないそうです」
「そう……」

 いかにも残念そうな顔をするなぎさ。

「でも、どうしてリカインさんは、あんな事に……。風舞衣の時には、何とも無かったのに」

 これまで包の事でいっぱいいっぱいで、口に出す暇がなかったが、実は円華は、ずっとその事が気にかかっていた。
 無論、首塚大神がいるからなのだろうが、どうもそれだけが理由では無いように思える。

「それについては、僕に考えがあるんですが……聞いて頂けますか?」

 ソルファインがためらいがちに言った。

「僕は、この舞は元々、降霊、降神の力を持っていたのでないかと思うんです。それも、舞手のみならず周囲にも影響してしまうほどの。鎮魂は、あくまで副次効果に過ぎないんじゃ無いかと……。霊が、冥福を祈る人々に憑依することによって、その想いをダイレクトに受け取ることが出来るようになるからじゃないかなって」
「うーん、だいぶ複雑なプロセスではあるけれど、一応筋は通ってるわね」

 ソルファインの仮説を分析するなぎさ。

「でも、風舞衣での演奏に立ち会った人々から、そういった感想はきかれませんでした。それにお話のとおりなら、演奏していた私たちにも憑依があっても良いような気もしますが、そういった事はありませんでした」

 円華は、ソルファインの説には懐疑的だ。

「そっか……。やっぱり思いつきの仮説じゃダメですね。もっと、色々と検証しないと――って、ああそうだった。リカインさんが、あの男の子と会いたいって言ってますけど、どうしましょうか?」
「是非、会って頂きましょう。男の子の顔を見たら、リカインさんも何か思い出すかもしれませんし」
「そうですね……。それがいいかもしれませんわね」

 こうして包と、リカインは運命的な出会いを果たした。そして、その数日後――。



 包の姿は、首塚大社を去る一行の中にあった。
 包は、リカインを一目見て気に入ってしまい、彼女についていくと言って聞かなかった。
 もちろん皆諸手を上げて賛成したわけではないが――以外にも神職たちは反対しなかった。「全ては大神様のご神慮のままに」という立場を貫いたのである――、これといって反対する理由もない。
 念のため御上にも無線で相談したが「調査団の誰かと同行したほうが、何かと都合がいいだろう」という判断の元に、包はリカインと同行する事になったのである。

 また、この数日の間アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)は包と何回か話し合い、その内容を記録していた。
「包が本当に首塚大神の分霊なのか、確認する手がかりが得られるのでは」と思ったからだが、その過程で思わぬ副産物があった。
 アストライトが以前から研究していた妖怪、「首洗い」について包から話を聞けたのである。

 包によると、それは人を愛しながら、人に受け入れられることのなかった鬼だという。
 その鬼は、無縁仏として首塚にひとまとめに葬られた人々を不憫に思い、塚を掘り返しては、一人ひとり丁寧に供養していたが、その様子をたまたま目撃されてしまう。
 その後、鬼の話が噂となり伝説となる間に、内容が徐々に変容していき、ついには妖怪にされてしまったというのだ。

 包一人の口から出ただけの、何の証拠もない話ではあるが、アストライトは、この話はもしかしたら真実なのではないかと思っていた。
 話の真偽はともかくこの話によって、アストライトの中で、包との旅に対する期待が高まったのは間違いない。

「それじゃ、行こうか。包くん」
「また何か思い出したら、いつでも俺に話してくれよ」
「うん!まかせて!」

 包は、元気いっぱいに言った。