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リアクション
第34章 ひとつ屋根の下1 〜思い込みの、力〜
蒼空学園の調理室で、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)は1ホールのチョコレートケーキを無事に完成させていた。彼が手作りのプレゼントを用意していることを、御神楽 環菜(みかぐら・かんな)は知らない。今頃、どうしているだろうか。
『ちょっと、山葉先輩に所用で呼ばれて』
そう言って家を出て、食材を買い込んでからのケーキ作りでもう数時間は経っている。
ケーキを前に思い浮かべるのは、環菜の笑顔。きっと、驚くだろうなと思いながら、陽太はケーキを丁寧に箱に入れ、ハート模様の入ったリボンでラッピングした。
家に帰り、リラックスした服装に着替えてリビングへ。
切ったケーキを小皿に乗せて、午後にくつろぎのティータイム。絞った生クリームとピンクのチョコが乗っている部分を環菜が。ハートのミルクチョコが乗っている部分を陽太が取る。
先の方をフォークで切り、環菜は一口、ケーキを食べる。
「……ど、どうですか?」
自分の分はまだ食べず、緊張した面持ちで陽太は聞く。
「ええ、美味しいわ、ありがとう」
「ほ、ほんとですか、良かった!!!」
心から安心して、陽太もまたケーキを食べた。自分で作ったお菓子を、奥さんが美味しいと言ってくれる。2人で分け合って、笑い合える。それは、何にも代え難い幸せだ。
そして、食後に提案するのは――
陽太は、こっそりと用意していたある薬を環菜に見せた。ピンク色の小瓶に、何か液体が入っている。何か怪しさを感じたのか、彼女は警戒するように目を細める。
「……それは?」
「ホレグスリです」
「…………」
即答されて、環菜は黙り込んだ。その呆れたような顔は、薬に対してなのか薬を持ってきた陽太に対してなのか。
「やっぱり……話に聞いたことはあったけれど……。捨ててきなさい」
「え、ええっ! ちょっと待ってください!」
問答無用、という口調でベランダを示され、陽太は慌てた。
「だって、私達にそんなもの必要無いでしょう」
環菜はソファーに背を預ける。媚薬なんて必要無い、と当たり前のように言ってくれる。それは凄く嬉しかったけれど。
その後、少し寂しそうな表情をされたのには流石に焦った。
「それとも、陽太は……私が陽太をそんなに好きじゃないって、そう思うの?」
「それは違います! 俺は環菜を愛していますし、環菜からの愛も感じています!!」
「…………」
力説されて、環菜は黙った。びっくりしている。目を見開いてびっくりしている。
「そ、それなら、どうして……」
「これは、希釈したホレグスリなんです。今日はバレンタインですし……、環菜、ゲームをしませんか?」
「ゲーム……ですって?」
「そうです。この『ホレグスリ』を飲んでから、キスをお互いに我慢する勝負をしませんか?」
「勝負?」
説明を聞く環菜の顔が怪訝そうなものになっていく。その彼女に、陽太は説明を続けた。
「普通のホレグスリは飲むと理性が無くなってしまうようですが、これはそんな事ありません。先に、キスしないでいるのを我慢できなくなった方が負け。敗者は勝者の言うことを1つ聞くってことでどうでしょう? 期限は今から1時間……。それまでお互い耐え切れたら引き分けです」
「…………」
環菜はピンク色の小瓶をじっ、と見ている。彼女の返事を、ドキドキしながら陽太は待った。実は、この小瓶の中身はホレグスリではない。プラシーボ薬に薄く味をつけて作った、単なるシロップ水だ。でも、環菜がこれをホレグスリと思い込めば、彼女は――
「分かったわ。勝負というのなら受けないわけにいかないわね。勿論、私が勝つけれど。……たった1時間でいいんでしょ? 簡単だわ」
「はい、1時間で」
陽太はにっこりと笑って、2人でプラシーボ薬を分け合った。飲む時は、陽太も“これはホレグスリだ!”と思い込むようにしたが――
――1時間。その間、陽太と環菜は雑談やDVD鑑賞をして過ごした。合間合間に、環菜は時計をちらちらと見ていた。冷静そうに見えたが、頬はいつもより上気していて、薬が効いていることが如実に分かる。腕を組んだり、そう思ったら離したり、でもいつの間にか手を繋いでいたり。
意地になっている彼女の姿は、いつも以上にかわいくて、きれいで。
一方、陽太は自身があまり変わっている気がしなかった。環菜がかわいく見えるのは多分、環菜が色々と我慢しているからで。愛の量は、いつものように溢れるほど。
やっぱり、薬の正体を知っているだけに陽太に思い込みの力は働かなかったようだ。
「……〜〜〜〜〜〜〜〜〜……!」
環菜の我慢は限界間近になっていて。
「ああもう!」
時計の針がカチッ、と1時間経過を告げた途端、彼女は陽太にキスをした。
いつもよりも長くて、甘くて、ちょっとだけチョコレートの匂いが感じられて、それ以上に愛情も感じられて。
「……ちゃんと1時間待ったわよ。負けてないからね!」
――環菜……
それは、薬の魔法。でも、正真正銘、本当の気持ち。
沢山の愛を感じて、沢山の愛を与えて。夕方も近くなり、2人は入浴を済ませて揃いのパジャマに着替える。普段なら食後に入浴だが、今日この日は、特別だ。
「はい、これ。私も準備してたのよ。作るのは……あの、まだ自信なかったから、買ったやつなんだけど……だけど、ぎ、義理とかじゃないわよ!」
夕食後、環菜から渡されたのはチョコレートの詰め合わせだった。薄いピンク色の箱に、ハート型のチョコが、4つ。
「ありがとうございます、環菜。あの……実は……」
チョコレートを受け取り、陽太は『ホレグスリ』についてネタばらしをする。
「…………!!!!? ……それって……」
流石の環菜も、それには驚きを隠せなかった。
「バレンタインに盛り上がるかな、と思って……。俺には効かなかったみたいです。でも、俺が環菜を愛してるって……あの時、伝わりましたよね?」
「……………………。何か、私だけ余計に恥ずかしいじゃない……。馬鹿」
彼が申し訳無さそうに言うと、環菜は少々空いたままだった口を閉じて――少しだけ怒ったように唇を尖らせ、横を向いた。