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リアクション
一章 決意と覚悟
朝の陽光が届かない路地の奥の礼拝堂のような廃墟で、彦星明人は思いつめた顔をしていた。
「……っ」
彼の視線の先には、ボロボロのソファーにリュカが寝そべっている。
彼女の寝息は安定し、うなされることも少なくなった。けれど、顔色は一向に回復の兆しを見せず、ずっと青ざめたままだ。脈も鼓動も弱々しい。
(……今の僕にはこれぐらいのことしか出来ない、か)
看病に務める明人も、体力の限界は近かった。
しかし、横にはならない。体はそれを求めているが、心がそれを拒否している。
そんな献身的な明人を横目で見ながら、リネン・エルフト(りねん・えるふと)は呟く。
「リュカは……目を覚まさないわね。下手に動かしたら……危険かな」
「……そうですね。ハイテク忍犬の僕の観点から言えば、リュカさんが回復するまで、ここで寝かせておいたほうが賢明だと思います」
忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)は、リネンと同じように二人を見つめて頷いた。
この二人は前日に明人とリュカと合流し、ここまで一緒に行動してきた。そのまま安全なところに避難しようとしたが、リュカの容態が急に悪化して、休息をとることを強いられているのであった。
「敵戦力は不明、こちらは……契約者二人。
逆探知の危険もあるから助けも呼べない……ここでふんばるしかないわね……」
リュカが目を覚まさない限り、自分たちはここから動くことが出来ない。
リネンはそう思い、顎に手を添える。それは、この廃墟を防衛する方法を考えるためだ。
「考えるのよ……私が敵ならどう攻めるか」
独りごちるリネンを余所目に、ポチの助はリュカを注視していた。
それは、自分でも良くは分からないが、なんだか彼女が気になって仕方がないからだ。
「……本当に、どうしたんでしょうか。僕は」
ポチの助は自分の胸に手を当てる。
いつもより少しばかり早い鼓動が、とくんとくんと手を伝って感じることが出来た。
この胸の高鳴りの原因は昨日。詳しく言えば、リュカに手を握られてからだ。
それからというものの、ずっと彼女のことが心配で仕方ない。それどころか、守りたいという強い保護欲まで沸いてくる始末。
「これは、悪い病気……なんですかね? ご主人様がいれば、教えてくれそうですけど……」
ポチの助は悩む。
そんな彼に、リュカの看病から離れた明人が近づき、声をかけた。
「ポチくん、ちょっといいかな?」
ポチの助は不満そうな表情を浮かべる。
それは仕方ない。ポチの助は、明人のことが気に入らない。それは、彼がリュカと一緒にいるところを見ると、胸がズキズキと痛むからだ。
「……なんですか? ひょろ眼鏡」
リネンとはあからさまに違うその反応に、明人はムッとしながらも我慢して言った。
「僕にも出来ることはある?」
「ふんっ。ひょろ眼鏡なんか居ても防衛の役に立ちませんし足手纏いです。お前は大人しくリュカさんの傍で震えていればいいのですよ!」
それは訳せば、彼女の傍に居ろ、ということだ。ポチの助にとっては不器用なりの優しさなのだろう。
だが、明人もポチの助が気に入らないらしく、その言葉をそのまま受け取ってしまい、
「なっ……このワン公! 失礼にもほどがあんだろ!」
「失礼? 事実を言っただけですよ! このひょろ眼鏡!!」
売り言葉に買い言葉。
二人は先ほどまでの葛藤はなんのその、がるるっと今にも噛み付きそうな表情で睨みあう。
「んだと、この犬!」
「犬ですよ! 何か文句あるのですか!?」
「やんのかっ!? この犬っころ!」
「はんっ。この科学の犬、優秀なハイテク忍犬の僕に喧嘩を売ったことを後悔させてや――」
「二人共、いい加減にして。今はそんなことをしている暇はないの」
掴みかかろうとした二人を、リネンが冷たい声で制止する。
二人は「はんっ」と吐き捨てそっぽを向く。リネンは眉間に手を当て、深く嘆息をした。
「……でも、明人。本当のところ、防衛に関して貴方が出来ることは何もないわ。
酷いようだけど、今は一刻を争うの。ここはこういう荒事に手馴れている私達に任せて」
「……そう、分かった」
明人はそう言われ、引き下がろうとした。
しかし、リネンは「待って」と彼を引きとめ、真剣な表情で問いかけた。
「……明人、あなたの覚悟はどれくらい?」
射抜かれるような視線を受け、明人は思わず口をつむぐ。
構わず、リネンは言葉を続けた。
「貴方も契約者なら気づいているはずよ。『契約』の奇跡の可能性を」
「契約の……奇跡の可能性……」
「うん。実力的には私が契約するのが最善。だけど決断できるのはリュカと貴方だけよ。よく考えて」
リネンはついでに、《ワイルドペガサス》を格納した《騎獣格納の護符》を手渡す。
「……あと、これも。いざとなったら使いなさい。私は自分で飛べるから」
リネンはそう言うと、罠を仕掛けるために踵を返す。
ポチの助も罠を仕掛けるために彼女の後についていく。その途中で振り返り、
「お前は黙って僕たちに守られていればいいのですよ!」
「……っ。分かってるよ。そんなことぐらい」
今度はポチの助の言いたいことが分かった。
無理はするな、ということだ。思いつめた表情がばれていたのだろう。
明人は《騎獣格納の護符》を握り締め、いまだ意識を取り戻さないリュカの元へと歩いていく。
(僕は、どうすればいいんだろう……?)
自分達を守ってくれる仲間たちが出来て、考える余裕が生まれた。
そして、いっぺんに様々なことが起こりすぎて、頭が混乱している自分に気づいた。
(僕はリュカに心から笑ってほしくて……必死に助けようとした。
でも、僕にはそんな力はなくて。バカな僕は、そんな簡単なことに、あの時まで気がつかなくて……)
そして、今まで必死で気がつかなかったが、今になって怖くて足が震えている自分に気づいてしまった。
一度そのことを知ってしまえば、もう二度と、彼女を守ろうとすることなんて出来ないように思えてしまう。
そう思うと、恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて……絶対に守る、なんて口だけの自分が嫌になった。臆病な自分が、心底嫌いになった。
(……自分は邪魔なだけなのかもしれない.
だから、踏ん切りをつけた。自分の命を差し出しだすぐらいなら、してやろうって決意した。けど、)
明人はリネンの言われた言葉を思い出す。
『契約』。契約をすれば、自分の死がリュカの死に繋がるかもしれない。言うならば、運命共同体のようなものだ。
(そうなったとき、僕は誰かに立ち向かうことなど出来るんだろうか……?
ただ逃げて。リュカの側で震えて。それで守られて――そんなの嫌だ。絶対、嫌だ)
役立たずから脱却したい。自分の力でも、リュカを守ることの役に立ちたい。
それは、きっと、ポチの助と同じ保護欲から来ているもの。しかし、力のない者がそれを持てば、ただの我がままと同じなのかもしれない。
「分かってる。分かっているんだ。そんなことぐらい……!」
明人はやり切れない思いを乗せ、応接間の壁を思い切り殴った。
鈍い音と、鋭い痛みに明人は顔を歪める。裂けた皮膚からは、血がぽたぽたと零れ落ちた。
その時。
「明人、くん……」
小さな声が、自分の名前を呼んだ。
明人は慌ててリュカに駆け寄る。緑色の瞳がかすかに開き、彼を見つめていた。
「明人くん」
リュカは掠れた声で一言、あの時に言い忘れた言葉を口にした。
「ありがとう、私を守ってくれて」
「……っ。守るなんて……俺は何も出来なくて、弱くてっ」
「明人くんは強いよ。あの時も、今までも。ずっと私を守ってくれたもの」
明人の涙腺が緩む。両目から涙がこぼれ出しそうになった。
「そんなこと、ない……っ」
「ううん。まだ、ありがとう、を言い足りないぐらい、私は君に守られてるよ」
リュカが精一杯の笑みを浮かべ、言った。
「君は、私のヒーローだから」
「……ッ!」
その言葉と笑顔は――明人の胸の奥で、何かに火をつけた。
明人は、拳を握っていた手を開く。もう一度握る。
痛みも疲労もどこかに吹っ飛んだ。大事なことが分かったから、他はどうでも良くなった。
守る。
絶対、守るんだ。
明人はそう決意を固めた。もう二度と、何があっても揺るがないために。
ガラリと雰囲気の変わった明人に、リュカが問いかける。
「どうしたの……?」
「……君にお願いがあるんだ。聞いてくれる?」
リュカが小さく頷く。
これを言ったら、引き下がれない。
「リュカ――」
でも、引き下がる気なんて、もうとっくにない。
「――僕と契約しよう」
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