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黒薔薇の森の奥で

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黒薔薇の森の奥で
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 その頃。森の片隅では、奇妙な試合も行われていた。エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)が、吸血鬼相手にチェスを行っていたのだ。
 折り畳みのテーブルと椅子、チェスのセットを持参で森へ向かい、リュミエールが吸血鬼を誘いかけた。
「ジェイダス校長のお使いで、少し聞きたい事があるんだ。僕ら二人が相手するけど、どう?」
 美しいものには目のない吸血鬼たちだ。エメとリュミエールの二人は、この上ない獲物だった。そうして誘いかけた吸血鬼は、チェス盤を前にやや意外な顔をした。当然だろう、森の中で、そのような勝負を持ちかける者などそうはいない。
「おもしろい。我らが勝てば、餌食になると?」
「まぁ、それは仕方がないよね」
 リュミエールは肩をすくめてそう言った。もっとも、エメが万に一つも負けるわけがないとわかっているからだったが。
「さぁ、始めましょうか」
 駒を並べ、エメは乳白金の髪を揺らして微笑んだ。彼がそうしていると、ここが陰鬱な森ではなく、まるで貴族のサロンのようにも見える。
 そもそもエメは薔薇学の生徒ではない。今回ここにこうして訪れたのは、薔薇学の友人たちへの協力のためだ。それと、単純に『面白そう』だったからに他ならない。
 チェスの試合が始まる。エメの一手は異様に早く、しかもかなり厳しく攻めてくる。最初は鼻歌交じりだった吸血鬼たちも、次第にその表情を険しくしていった。
「エメ、少しは手加減してやったらどうだ?」
「それも失礼にあたるかなと思いまして」
 くすくすと笑いながら、リュミエールはエメの長くウェーブした毛を手のひらにすくい取り、見せつけるように接吻ける。吸血鬼の欲をわざと煽り立て、平静でなくすためだ。
「……少し、待ってくれ」
「嫌です。貴方の待ってを聞いていたら、夜が明けてしまいますよ」
 何度目かの『待った』に、エメは困ったようにため息をつく。それから、白手袋に包まれた指先を顎にかけ、何気なく尋ねた。
「ああ、ところで……、皆様は、何故このような所にお住まいに?」
 通常ならば、そのような問いかけにわざわざ吸血鬼たちは答えなかっただろう。しかし、今は時間稼ぎがしたいという点において、あっさりと口を開いた。
「ここが、我らの聖地だからだ」
「聖地? 黒薔薇の墓所っていう奴?」
 リュミエールが尋ねると、「ああ」と吸血鬼は頷いた。
「そこに、あの方がいる」
 そう言ったのは、背後で試合の成り行きを固唾をのんで見守っている吸血鬼の一人だ。
「ウゲン、ですか」
 エメの言葉は、半分はカマをかけたようなものだったが、否定はない。つまり、黒薔薇の墓所にウゲンが眠っているというのは正解なのだろう。
「わざわざそんなところで、眠らなくたっていいだろうにねぇ」
 リュミエールの呟きに、吸血鬼が答えた。
「あの方が黒薔薇の森で眠られたのではない。あの方が眠られたからこそ、ここが黒薔薇の森となり、我らが聖地となったのだ」
「……ふぅん」
 なるほど、そういう順番だったのか。エメは新鮮な驚きと、知的な喜びを感じつつ、そう呟いた。
「もしかして、ウゲンが眠ってる場所だから、ここに集まっているんですか? 君たちは」
「我らは黒薔薇とともにある」
 曖昧な返答ではあったが、おおまかにはあっているのだろう。ようやく指された次の手に、すぐさままた次の一手をエメは指した。
「何故ウゲンは眠ってるんだ?」
「…………」
 返答はない。かわりに、苦し紛れのような一手。
 エメとリュミエールは目配せをし、エメの白手袋に包まれた指が優雅に動いた。
「……チェックメイト」
 試合は終わった。吸血鬼たちは、極上の獲物を前に、引き下がる他にない。約束を破るような美しくない行為は、彼らは犯さないようだった。
「残念だ」
 そう言い残し、吸血鬼たちの姿が森の霧に消える。残されたエメは、さて、と携帯電話を開いた。さっそくこの情報を、送ろうと思ったのだ。
 しかし。
「……あれ? 参りましたね」
「どうした?」
「圏外です」
「…………」
 仕方なし、二人は森の外へと出ることにした。少なくとも、校内にいる黒崎には連絡がつくし、他の面々も、メールも後で見ることはできるだろう。
「ふふ、なかなか楽しかったですね」
 チェス盤を片付けながら、エメは穏やかに微笑んだのだった。