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第4章 歩き出して

 捕虜交換が行われた日にも、ユリアナ・シャバノフの元を訪れていた者達がいた。
 朝霧 垂(あさぎり・しづり)は、街が祭りでにぎわっている時間。
 墓地に誰もいない時間に、ユリアナの墓へと近づいて。
 墓前に立った。
「よぉ……まさか久しぶりの再会がこんな形になるとは思ってもいなかったな……」
 垂は、任務でユリアナを教導団へ連れて行ったことがある。
「俺の事を『今更どの面下げて現れたんだ」って罵るか? ……言われても仕方ないよな、俺はお前に『協力する』と言っておきながら何もしてやれなかった……傍に居て、お前を助けてやる事が出来なかった!!」
 その時に『お前にはやるべき事があるんだろ? 諦めずにその目標を成し遂げようぜ、俺達も協力するからさ!』と、垂はユリアナに話してあり。
 垂に連れられながら、ユリアナは『ええ、必ず』と答えていた。
「……知ってるか? シャンバラとエリュシオンとの間に和平条約が結ばれたんだぜ? これで二ヶ国間の戦争は一応終わり、自由に両国を行き来出来る様になる筈だ」
 まっすぐ墓石を見詰めながら、垂は言葉を続けていく。
「今更過ぎるよな……もう少し、もう少しだけ早く戦争が終っていれば……きっと、お前も……」
 言葉を詰まらせて。
 拳を握りしめ、胸の内を吐き出す。
「俺はもう、お前みたいな存在を出したくは無い。守るべき者を守り、救える命を救い続ける!」
 強く強く彼女の――面影さえも見えない、墓を見ながら垂は決意を語る。
「だから、そっちで見ててくれ……自分勝手な誓いをする、俺の今後を」
 突如。
 垂は仕込み箒から刀を抜き放ち、後ろに一閃。
 空に、長い髪を束ねていた、白いリボンが舞う。
 彼女の髪は、肩くらいの長さになっていた。
 片手に掴んでいた黒髪の束を、落ちたリボンで結び、垂はユリアナの墓前に置く。
「もう絶対に、悲しい存在を誕生させはしない!」
 強く誓い、刀を収めてその場を後にする。
 暑い夏の陽射しが、彼女の心をより熱く燃やしていく。

○     ○     ○


 淡い月の光が降り注ぐ夜。
 祭りにはいかずに、墓地を訪れる者は他にもいた。 
 清泉 北都(いずみ・ほくと)白銀 昶(しろがね・あきら)が訪れたのは、ヴァイシャリーを守った軍人達の慰霊碑。
 離宮から連れ帰った軍人達も、ここに埋葬されていた。
「好みが分からなかったから、色んな種類のお酒を持ってきたんだよ。好きなのをどうぞ」
 北都は担いできた鞄を下す。
 中から、数種類のワインと、実家から取り寄せた酒と、グラスを出して。
 ワイングラスにワインを注ぎ、慰霊碑の前に置いていく。
 酒とワインと、それからタシガンから持ってきた青薔薇を供えて。
 それから、北都は手を合わせた。
 昶も一緒に、手を合わせて目を瞑る。
 昶は、彼らが亡くなった事件で、自分の無力さを知った。
「契約者への感謝や、アレナさんを救世主として讃えるイベントもあるようだけれど、救世主と呼ぶならここに居る全員が救世主だと思う」
 北都は慰霊碑と墓石を見回す。
 ヴァイシャリーを守る為に、命を賭けた人達。
 生きて戻ったアレナだけではなく、ここには多くの救世主が眠っているのだ。
「これは僕達からのプレゼント。花と酒と。美人さんが居ないのは我慢して下さいね」
 祭りの音は、離れたこの場所までわずかに響いてくる。
「これが貴方達が守った平和です」
 眠っている人達にこの音は、人々の喜びの声は、届いているのだろうか。
 それは判らない。
(ここで死んだ人はナラカに行き、地球へ生まれるんだよね。記憶は無くても想いは残ると思いたい――)
 この平和の喜びを持って行って欲しい。
「次の世でも平和を愛する人として生まれますように」
 目を閉じて、北都は祈り続ける。
 その間にも、祭りの音は響いていた。

「はい」
 夜風に当たりながら、北都は昶にワインを注いだグラスを渡した。
「僕は未成年だから。お酒の付き合いは任せるよ」
 昶は軽く頷いて、慰霊碑に少し近づいた。
「男の晩酌で悪いが、付き合ってくれよ」
 受け取ったワイングラスを傾けて、昶は中身を飲み干す。
 堅苦しいことは何も言うつもりはない。
 彼らと一緒に飲んで楽しい思い出と共に、生まれ変われるよう祈るだけだ。
 ナラカを通れば忘れてしまうのだろうが。
 自分は――いや、自分達は。
 ずっと忘れはしない。
「ありがとな」
 再び、この地に生まれ変わるまで、自分達がこの地を守っていく。
 そんな誓いを胸に秘めて、昶は慰霊碑に強い笑みを向けた。
「ありがとう」
 北都も眠る人々にお礼を言う。
「離宮が眠っている場所にも行こうか。皆と戦った場所」
 救世主達が命を落とした場所の上にも。
 北都がそう言うと、勿論と昶は頷いた。
 昶にとって、離宮は今までで一番後悔する事が多かった場所。
 だからこそちゃんと見て受け止めたい。今の姿を。
 もう二度と後悔することの無い様に。
「それじゃ、行こう。そして、また明日から頑張ろう」
 北都は空になた鞄を持って、歩き出す。
 自分に出来ることは限られているけれど――何もせず後悔はしたくないから。
 明日からも、頑張ろう。

○     ○     ○


「何もない。残っているのは、傷跡、だけ……」
 鬼院 尋人(きいん・ひろと)は、墓ではなく、ユリアナ・シャバノフが息を引き取った場所――大荒野を訪れていた。
 薔薇学の友人である呼雪天音の協力を得て地図を作成し、1人でこの場に来ていた。
 イコンや物資の残骸は、全て回収したのか――パラ実生が金にする為に、持って行ってしまったのか。何も残ってはいない。
 だけれど、ここで激しい戦いが繰り広げられた証である、大地についた傷跡だけは残っていた。
 風の音しか聞こえない。
 寂しい、場所だった。
 地図を見ながら、呼雪に聞いた話を思い出しながら、尋人は歩いて。
 爆風で吹っ飛んだ彼女が、衝突したと思われる岩に、たどり着く。
 尋人も、あの時、別の場所で必死に闘っていた。
 今は和平条約を結んだ相手と。
(ユリアナはなぜあんな運命を生きなければいけなかったんだろう)
 尋人は、持ってきた花束をその岩の前に供える。
 自分や自分の身近な人が、関わった人達が、これからも命を落とすかもしれない。
 いつか自分も、自分のこの手で、大切な人の命を絶たなければならない状況に陥るかもしれない。
(安全な物陰から見ているだけの人達はいろいろ言うかもしれない、けれど……)
 物事の最前線の現場で、生きるか死ぬかの選択の中で、必死に考えてそれで行き着いた結果であるなら、それは誰にも何も言えないと思う。
 一人、そう思いながら、尋人は岩の前に佇んでいた。
「……でも、やっぱり辛いな」
 離宮の地下で命を落としたヴァイシャリー軍の兵士。
 ウゲン。
 そしてユリアナ。
 それぞれに、墓所があり、それぞれに人々が訪れているだろう。
(だけど、今は――)
 尋人は、この地に花を置きたかった。
 今まで、死に直面することが耐えられず、心の傷を癒すのに長く時間がかかった。
 でも、これからは。
 尋人の脳裏に、黒崎天音の顔が浮かんだ。
 今は、他校の生徒となってしまったが……。
「……もっと強くならなければ。大切な人と、大切な人が守ろうとするものを守れるように」
 強さとは、肉体の力だけではない。
 物事と向き合う強さを、尋人は持ち始めていた。
 体格だけでも、力だけでもなく。着実に、成長をしていた。