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別れの曲

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【結婚】


 それ程遠く無い未来、とある式場の花嫁控え室で佐々良 縁(ささら・よすが)は、『腹をくくる』心持ちで鏡に映る自分を見つめていた。
 友人や妹分達が着用するのを眺めていた代物に、遂に自分が袖を通す日がやって来た――否、彼女風に言うのならば『来てしまった』というところだろうか。
「何だろう、夢みたい。ドキドキしすぎて実感がないというか……」
 人知れず呟いてしまった通り、この期に及んで縁は自分が結婚するのだという事に実感が沸かない。だから改めて鏡を見てみたものの、普段は着ないドレープの優雅なドレスのラインも、袖や襟を包む細やかなレースも、髪を飾る生花も、何もかもが嘘のような、夢の中の出来事のように感じられて事実と心に折り合いがつかないのだ。 
「でも……」
 もう一度呟いて、縁は鏡の中の自分を見つめる。
 彼女の横にぽっかりと空いたスペース。
 これからそこに立つ人が居るのだ。
(自分だけじゃなくて、虚雲くんにとっても人生の節目だししっかりしなきゃ)


 人ひとり分の大きさ程度の噴水がさらさらと水を落す音を聞きながら、鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)が花嫁を待っていたのは、こじんまりとした庭園の、花のアーチの入り口だった。
(よもや俺がこの場に立とうとは思わなんだ。夢を見ているようだが……)
 知れず未だ姿を見ぬ花嫁と同じ心持ちになりながら、彼は今日という日を迎えられた事を嬉しく思っている。
 参列してくれた友人や、何より縁への感謝の想いを胸に――

 夢見るように閉じかけていた睫毛をゆっくり上げ花婿を見つめる花嫁の掌が、一つに重なった。
 互いに贈りあったブレスレットが、二人を祝福するように煌めいている。


 式は祝宴へと続く。
 参列者の挨拶を貰い、記念撮影などが一段落すると、それぞれ歓談の時間へ入って行った。
「綺麗で、よく似合ってる」
 ストレートな物言いに縁が何時もより幾分おしとやかな反応を見せると、虚雲は思わず赤面してしまった自分を誤摩化すように、スパークリングワインへ口をつけた。
「こういう場の会話って、皆大体の内容は同じなんだな」
 ワインとともに虚雲が吐き出した言葉に、縁は苦笑する。確かに――縁曰く――悪友や身内連中は皆一様にニヤニヤと笑いながら「二人のなれ初めは?」だの「どっちから告白したの?」だの、同じような質問をぶつけて来た。
「――思えば紅葉を一緒に観に行った所から始まった気がする。
 あの時は何故か分からなかったけど俺から誘ったんだったか……
 もし誘わなかったら今ここに二人で立っていなかったし過去の俺よくやった!」
 ガッツポーズをする素直な虚雲に、縁はくすりと笑う。
「初でぇと、だよねぇ。うん、その頃みんなに特訓してもらって
 やっと人類が食べれる程度の料理作れるようになってきたころだねぇ……」
「あぁ……縁ねえの料理は……でも今はまだ食えるから……」
 互いに遠い目をしながら目を反らす、夫婦はそんなところも息がピッタリだった。
 間の後に同時に吹き出して、先に喋り出したのは虚雲の方だ。
「俺が告白した時も今となっちゃ懐かしいな
 本当……若かった」
 片手で顔を覆って隠す彼の様子は可愛らしいが、縁も思い出せば胸の奥が熱く、頬が火照る。
「あ、うん。事故とはいえ蒼学の全校放送で大告白されたからなぁ
 ……返事くらいは二人で落ち着いたところでしたかったものぉ」
「思い出したら恥ずか死にそうになったが
 縁さんのクロネコ通りでの返事も結構どきどきしたんだぞ
 仕返しがキ、キスとか……! 当時の俺はだな――」
 こそこそとした内緒話は、二人が気付かぬうちに参列者達の注目の的になっていた。たった今、生まれたばかりの夫婦は、皆に微笑ましげに見守られている事も気付かずに、楽しげに言葉を交わす。


 宴の終了は庭園から夫婦の退場だったが、その前に花嫁たる縁には一仕事残されていた。
「未婚の皆さんお待ちかね、なのかな?」
 参列者をぐるりと見回して、縁は悪戯っ子のような笑顔を見せ、虚雲と一度だけ視線を交わす。 
「さーて、幸せのおすそ分け、誰に届くかなぁ?」
 一度振り上げた腕は空かさず反対側へ空を目指すように高く高く飛んで行く……
 縁らしいブーケ・トスに会場が沸いている。
 ブーケの行方を見守りながら、虚雲は胸を包む幸せを噛み締め、この場に居ないパートナー達へ「行く先に幸あれ」と静かに願った。

 こうした最後のひと騒ぎが終わると、いよいよ二人は再び手を繋ぎ、アーチを逆方向へ戻って行く事になった。
 と、此処でもう一つのサプライズがあったのだ。
「わ――っ!」
 花嫁の可愛い悲鳴が上がってしまったのは、花婿が彼女を急に抱き上げたからだ。横抱き――所謂『お姫様抱っこ』の状態に、拍手と囃し立てる声は否応無しに盛り上がる。
「おめでとう!」の声と共に、会場を白い鳥が飛び立って行く。
 花片のシャワーを浴び、皆の祝福の歓声を聞きながら、虚雲は縁のベールを外してキスを贈ると、騒ぎの中で彼女にしか聞こえないボリュームで密かに愛の言葉を囁いた。


 * * * 



 2025年の事だ。
 結婚を期に地球へ帰った縁が、友人達に会う為に久々にパラミタへやってきた。
 地上よりも空へ近い場所の空気を吸い込んで、縁は虚雲を見上げる。
「色々あったけどさー、ここで、みんなに会えて。
 あなたの手をとって一緒に歩いていくようになれて、私、幸せだよ」
 彼女がそうであるように、虚雲もまた溢れる笑顔を零して返す。
「俺も縁さんに会えて本当に、良かった
 縁さんと綴ってきた思い出は今でも俺の胸の中にある」

 幸福な告白の後に二人が同時に前へ顔を向けたのは、子供達の声が彼等を呼んだからだ。
 パラミタで得た掛け替えの無い養子と、それから二人の間に生まれた愛の結晶。
 子供達があげる楽しげな笑い声に引っ張られ、二人は未来へ向かって歩みを進めて行く。

 皆で共に歩もうと、虚雲が願い続けるように――。