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2月14日。

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2月14日。
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リアクション



10


「わたし、チョコつくりたい!」
 クロエが言った言葉に、黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)はぴくりと肩を動かした。
 ――クロエがチョコを作る……だと!? わ、我も……!
 音穏には本命チョコを贈るような相手は居ない。パートナーの七刀 切(しちとう・きり)にすら贈っていない有様だ。
 けれど、友チョコなら渡せる。何せクロエは友達だから。
 作りたい。一緒に作りたい。だけど言いだしづらい。なぜなら音穏の傍には切が居るし、それだけならまだしもクロエの傍には本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)が居た。切だけならともかく、他に人がいると恥ずかしい。
「チョコ、作りたいのか?」
「うん、つくるの! りょうすけおにぃちゃん、おしえて!」
「いいよ。じゃあトリュフを作ろう」
 言いだせない間に、クロエと涼介の間ではいろいろと決まってしまって。
 ああもう無理だ、一緒に作るのは諦めよう。クロエがチョコを作っている間に街まで行ってチョコを買ってこよう、市販品で申し訳ないけれど。
 そう結論付けた時、くいっと音穏の布が引かれた。
 何だ、と振り返ると、
「クロエ?」
「ねおんちゃんも、チョコつくろ!」
 にこー、っと笑ったクロエが居た。
「……クロエが誘うなら、仕方がないな」
「音穏さんの意地っ張りー」
 言いだせないでいる音穏を見ていた切が、からかうように笑った。ので、睨みつけておく。黙ったので良し。
「きみも一緒に作るかい?」
 問い掛けた涼介に頷き、「音穏だ。宜しく頼む」簡潔な挨拶。
「じゃあリンス君。今日もキッチン借りるね」
 それからリンスに声をかけて、いざキッチンへ。


 トリュフというお菓子は、作るのが難しいと思われがちだが、その実とっても簡単である。
「じゃあチョコを刻んで。無理に細かくしなくていいからね」
「わかった。クロエ、包丁で手を切らないように気をつけろ」
「うん!」
 細かく刻むと、鍋に生クリームを入れて火にかける。
「沸騰しないように見ていてくれ」
「わかった」
 沸騰寸前になったら火を止め、そこにチョコを入れて融かす。
「これでガナッシュの完成だ」
 絞り袋に入れて絞り、形を作ったら冷蔵庫に入れる。
「ガナッシュが固まるまでコーティング用のチョコをテンパリングしようか」
「てんぱりんぐ?」
「なんだ、それは?」
「チョコの質を均一にするために行う過程だよ」
 チョコレートには、多くのカカオバターが含まれている。
 しかし、そのカカオバターを構成する何種類かの油脂分の融点は異なり、そのまま使おうとすると表面に斑点状のシミのようなものができてしまうのだ。
 この現象を防ぐために行われるのがテンパリングである。
「何をするんだ?」
「まずはチョコを湯煎で溶かして。それから温度を32度に保つんだ」
 本当は、28度に下げて、再び湯銭にかけて32度にして……ともう一段階あるのだが、今回は一番シンプルな方法でやる。
「できたら、パレットナイフにちょっと取ってみてくれ」
「かたまったわ!」
「お見事。テンパリング成功だよ」
 32度に保ちつつ、もう少し時間を置いてチョコガナッシュを完全に冷やしたら形成だ。
「丸く形を整えて。そうそう、二人とも上手いな。それじゃ、チョコをつけて。最後にココアパウダーをまぶして出来上がりだ」
 不揃いながらも、完成したトリュフ。
「簡単だったな」
 音穏はそう言ったけれど、顔にはしっかり達成感がにじみ出ていた。クロエも満足そうに笑っている。
「応用として、ガナッシュを作る際にラム酒を入れて風味付けすると大人向けになるよ」
 それを聞いて、音穏がひっそりとガナッシュにあるものを混ぜ始めた。何やら不穏なので干渉することは控えておく。
「じゃ、向こうで食べようか。リンスくんも待ってるだろうしね」
「はーい!」


 時間は三人がキッチンへ入る前に遡る。
「はー……音穏さんって、本当クロエちゃんには甘いよねぇ。あの音穏さんがねぇ。クロエちゃん恐るべし」
 切は、誰にともなくぽつりと呟いた。
「こんなところに居ていいの?」
 そんな切に、リンスが問う。どういう意味だろうと首を傾げると、
「2月14日」
 バレンタインだけど、ということか。
「……平日だね!」
 涙を飲んで、切は言う。
 ああそうさ、平日さ。何の変哲もない平日だ。音穏がチョコを作りに行ったが、間違いなくクロエに渡す用であり、切の分は無いと思っておいた方がいい。
 ――いいんだいいんだ。パートナーから貰ったし。
 市販品だけど。
 ――片想いしてる相手にはこっちから送ったししねぇ。
 そしてそれ以外には何もないけれど。
「…………」
「七刀。涙出てる」
「出てないよ! 悔しくもないし妬んでもないよ!」
 と言いつつも、差し出されたハンカチは受け取っておく。
 受け取った時、リンスが作っていた人形を見た。可愛い人形だ。女の子を模した人形。
「リンスさん、ワイも人形作りたいんだけど、なんか簡単なのない?」
 ふと思いついて、思いつきを口にしてみた。
「あるよ。これ作成キット」
 渡されたキットには、型紙と布、綿が入っていて。
 切は作業に入る。
「あれ。器用」
「意外そうに言うねぇ」
「うん、意外」
 手先の器用さには自信があった。さすがに特技を持っている人には劣るけれど、特技なしの中では上位に入ると思っている。
 ――なんせ、家事で裁縫担当がワイだからな!
 不可抗力的に勝手に上がっていった才能だった。
 型紙通りに布を切って、ちくちくちくちく、縫い合わせて行く。
 キッチンでは楽しそうな声。音穏はクロエたちと楽しくチョコを作っているらしい。
 クロエと違って、感情をほとんど表に出さないこの人形師はどうなのだろう。
「なぁなぁリンスさん」
「ん」
「人形以外に興味あるものってないのー?」
 クロエが料理に興味があるように。
 この間一騒動あった時の彼が写真を撮るように。
 しばらく間を置いたあと、
「……んー。ない、かも? そもそも意識したことがない」
 リンスが答えた。
「ありゃ。ないんだ」
「うん、けど不自由したこともないから、いいのかなって」
 それはどうだろう、と切は思う。
 だって勿体ないじゃないか。
「うーん。パラミタって色々あるし、居るしさぁ。見てみたいものとか、行ってみたいものとか、あってもいいと思うよ」
「そう?」
「そうそう。そういうのがあったらさ、皆で行ってみるのも面白そうじゃね?」
 言ってから、再びの沈黙。
 考えているのか、どうなのか。手元だけは変わらず動いている。切も黙々と手を動かした。
「花」
「んあ?」
「好きだよ、花」
「んじゃ花見かねぇ? もっと暖かくなってからかな」
 工房によく集まるメンツで花見とは。
 何やら面白くなりそうだ、と想像して笑った。


 さて、切との話が一段落したのを見て、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)はリンスに近付いた。
「リンス様」
 そして、そっと声をかける。涼介には聞かれたくない、秘密のお願いなのだ。
「どうしたの?」
 エイボンのこっそりとした雰囲気に気付いたらしく、リンスも声を小さくしてエイボンに向き直ってきた。エイボンは、懐から一枚の写真を取りだす。
「この二人の人形を作ってもらいたいのです」
 そこに写っていたのは、涼介と涼介の恋人である。
 この間、晴れて恋人同士になった二人。
 何かして祝ってあげたいと思っていたのだ。
 だけど、エイボンに出来ることは多くはなくて。
 出来ることを考えた結果、こうなった。
「何より二人にはこれからも末長く幸せになってもらいたいから」
 姿の変わらない人形を作ってもらうことで、ずっと続く幸せを届けたいな、なんて。
「わかった。サイズは?」
「えっと……デフォルメして、可愛い感じになるようにお願いします」
「としたら、20センチくらいかな。いいよ、わかった。とびきり幸せそうに作ってあげる」
 リンスの表情が、エイボンにもわかるほど優しかった。
 ――ああ、リンス様もお祝いしてくださるのですね。
 それが嬉しくて。
「お願いします」
 エイボンは、ぺこりと頭を下げた。


「やる」
「へ?」
「チョコだ」
 切は、キッチンから出て来た音穏に渡されたものを見て、
「…………」
 硬直した。
「ね、音穏さん? ワイにデレるのはおかし」
「ふざけるなよ?」
「ですよねっ」
 ラッピングこそはされていないが、手作りのトリュフチョコ。
 つんっとした表情の音穏。
 ――ワイ、市販品以外のチョコ、貰えたよ……!!
 感無量、と言った具合で頬張ると、
「――っ!!?」
 悶える羽目になった。
「ねおんちゃん、きりおにぃちゃんがたいへんよ!?」
 クロエに心配されるほどである。
「大丈夫だ、クロエ。ちょっと悪戯しただけだから」
 クロエの頭を撫でる音穏の顔には、清々しい笑み。
 ――ね、音穏さん……この仕打ちは、ヒデェ……。
 この刺激的なお味は、恐らくタバスコであろう。しかも、大量に入れたようだ。ピリピリとかそういうレベルを超えた。辛いじゃない。痛い。
 だけどチョコだから、甘くもある。なんという不協和音。
「クロエには、こっちを……やる」
 音穏がクロエに渡すチョコを、悶絶しながら切は見た。
 可愛くラッピングされたトリュフチョコだった。形も綺麗でまんまるく、大きさも均一。
「ふえ……いいの? わたしがもらっちゃっても」
「もちろんだ。……その、なんだ、お前に渡したかったからな。ずっと。
 ……っ、勘違いするなよ!? 友チョコという意味でだ、それと、ひ、日頃の……ありがとうを、込めて、だな……」
 どんどんと小さくなる声。
 ああ、愛らしい。クロエにだけこうもデレて甘甘になる音穏が、可愛らしい。
 だけど凶悪なチョコを受け取った切からすれば、
「ね、ねおんさん……なんでワイのはこんないじわる……」
 その一言に尽きるわけで。
「友チョコだからな」
「どういう理屈……っ!」
「あと、切の方が器用でむかついたからかな」
 絶対にそっちがメインだ。
「七刀、水、要る?」
 切の悶絶に気付いたリンスが水の入ったコップを渡してくれた。それを一気飲みして、
 ――ま、音穏さんが楽しそうだから、いいかねぇ……。
 クロエに喜ばれて、また、クロエからチョコをもらって、照れくさそうに、でも嬉しそうに笑う音穏を見て、そう思った。


「で、きみはチョコを貰ったの?」
「友チョコなら」
 トリュフを食べながら、涼介はリンスと他愛もない話をした。
「なんかすごいの貰ったよ」
「すごいの?」
「ベルギーのやつ」
「それはまた」
 中々の気合の入りっぷりである。
 そんな話をしていて、
 ――変わったな。
 強くそう思う。
 こんな風に自分から話を広げてくることは滅多になかったのに。
 自分から大きく動くこともしなかったし、人に頼ることもしなかった。人との関わりをできるだけ避けようとしていたのに。
 ――友チョコを貰えるような仲の子が出来たんだね。
 変わったから、だろうか。
 涼介としても、ここ最近のリンスの変化は喜ばしい。
「きみには幸せになってもらいたいな」
「?」
「一友人として、ね」
「ありがとう。本郷もね」
 その言葉に、恋人の姿が思い出された。
「……にやけてる」
「……仕方ないだろ」
 だって大好きなのだから。
「リンス君は? そういう相手、居る?」
「ノーコメントで」
 ぷい、と顔をそ向けられてしまった。
 言及するのは避けて、トリュフに手を伸ばした。