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リアクション
「…………ちゃん」
――ん……
「……ちゃん、エリザベートちゃん」
――なんですかぁ……私はまだ、眠ってたいんですぅ……
「エリザベートちゃん、朝ですよ。起きてください」
――いやですぅ。朝は嫌いですぅ。ずっと夜になってればいいんですぅ。
「もう、そんなこと言わないでください。起こせなくなっちゃうじゃないですか」
――起こさなくていいですよぅ?
「そうはいきません。私はエリザベートちゃんのお世話係なんですから。
……それっ!」
――ああっ! か、返すですぅ!
「ふふ♪ おはようございます、エリザベートちゃん」
――あれぇ? どうしてアスカがここにいるですかぁ?
「あら、言いませんでしたか?
私、正式にエリザベートちゃんのお世話係になったんですよ?」
――う〜ん、そうでしたかぁ?
……ふわぁ、まだ眠いですぅ。
「そうみたいですね。
じゃあもう一度、眠ってください」
――自分で起こしておいて、眠れだなんておかしいですぅ……
「……大丈夫です。安心して、落ち着いてください……」
――意味が分からないですよぅ……
――…………
――……
「……!!」
バッ、とエリザベートの目が開いた瞬間、周りを取り巻いていた枝が枯れるように細く痩せていき、やがてバラバラ、と砕け散る。
「お母さんっ!!」
エリザベートを取り巻いていた壁が取り払われたと同時、ミーミルがエリザベートに背後から抱きつく。
「お母さんっ……良かった、元に戻ってくれたんですね……」
「? ちび、私は私ですよぅ? 一体何を言って――」
そこまで呟いたところで、エリザベートは視界に映るものを見つけてしまった。
そちらへ、まさかという思いを抱きながら、首を向ける。
「……大丈夫です。安心して、落ち着いてください……」
エリザベートの両目は、
しっかりと、
はっきりと、
イルミンスールの伸ばした枝に腹部を貫かれ、
鮮血を滴らせ、
口からも血を零しながら、
笑顔のまま、
枝を撫で、
言葉を紡ぐ明日香の姿を、
捉えていた。
「……!!」
同じく視線を向けたミーミルが、エリザベートにその光景を見せまいと、両手で目を塞ぐ。
だが、一足早く、エリザベートがテレポートの魔法を唱え、ミーミルの前から姿を消す。
「……アスカ?」
次の瞬間には、エリザベートは明日香の目の前にいた。
枝を伝う赤い液体が、明日香の血であることは、否定のしようがなかった。
枝は明日香を貫いて、その向こうまで伸びているのが、エリザベートにも見えてしまったから。
「……大丈夫です。安心して、落ち着いてください……」
エリザベートの呼びかけに、明日香は答えない。
いや、既に聞こえていないのか。
「……アスカ!!」
震える声で、それでも精一杯紡いだ声に、明日香の動きがぴた、と止まる。
光の消えた瞳を、青を通り越して土気色と化した顔を、笑顔と呼べるのか分からないが笑顔にして、明日香が口を開く。
「ふふ……おはようございます、エリザベートちゃん……」
その言葉を遺して、
その笑顔を遺して、
ふっ、と明日香の姿が、エリザベートの視界から消えた。
「アスカああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
イルミンスールが枝を引っ込めたことで、明日香の身体は保持される物がなくなり、地上へと引かれるように落ちていく。
エリザベートの伸ばした腕も、声も、もう明日香には届かないのか――。
「……死なせない!
絶対に、死なせるものか!!」
明日香の落下点に立った緋桜 ケイ(ひおう・けい)の掲げた両の掌に、癒しの力が集められていく。
(……分かってる。俺は、無力だ。
校長を助けようとあんなに意気込んでいたのに、俺は、自分と同じ生徒に挑むことすら出来なかった……)
ケイの脳裏に、イルミンスール地下で明日香と遭遇した時の光景が思い出される。
エリザベートを『護衛』するため、同じ生徒であっても手を出す、そんな覚悟を抱いて対峙する一人の少女に、身動き一つ取れなかったことを。
そして今また、その少女は自らをなげうち、エリザベートを救った。
生徒を自ら手にかけてまで、自分の命をなげうってまで、大切な人を助ける覚悟が、自分にあっただろうか――。
「……ある!!
俺だってイルミンスールを――みんなを守りたいんだ!!」
負けたくない――
負けたくない――
負けたくない――!!
「役に立たない力なら、捨ててしまっても構わない!!
……それでも、この力で、魔法の力で、誰かが救えるなら……!
応えてくれ、イルミンスール!!」
(イルミンスールを守ってくれた仲間を、ここで失いたくない……!
お願い、イルミンスール……私の魔力も使って、その人を助けてあげて……!)
ケイに続いて、飛んできた悠も癒しの力を集めて、空に放つように掲げる。
ルアラは温厚な表情の中にも真剣な態度で、マリアはまだどこか疑問を抱いているような、それでも悠の願いならばと、自身の魔力を捧げるように手をかざす。
『――――』
瞬間、イルミンスールの枝葉がざわめく。
ケイの、そして悠を始め、その他の生徒がかざした掌から放たれた魔力の奔流と、イルミンスールから吹く魔力を孕んだ風――それをきっと、生命の息吹と言うのだろう――が明日香を上下から包み込み、ぼんやりとした光が周囲に展開される。
しばらくその光景が続いた後、光が晴れ、ゆっくりと明日香の身体が地上へと落ちていく。
警戒のため展開していた生徒たちが明日香を受け止めると、服こそぽっかりと穴が空いていたものの、その奥にある身体は元通りになっていたし、ちゃんと脈動も感じられた。
「……ん……あれ?」
直後、明日香が目を覚ます。視界に飛び込む大勢の生徒の安堵した表情に、戸惑うような表情を浮かべる明日香。
「アスカぁ……」
そこへ、テレポートでやって来たエリザベートが、目に大粒の涙を浮かべて佇む。
生徒の助けを借りて立ち上がった明日香が、優しく微笑んで、両手を広げてエリザベートを待ち構える。
「アスカぁーーー!!」
飛び込むように抱きついてくるエリザベートを、今度はしっかりと、明日香が抱きとめる。
「ごめんなさい、ごめんなさいですぅーーー!! 私、私……」
「……いいんですよ、エリザベートちゃん。いいんです……」
わんわんと泣き声をあげるエリザベートの、頭と背中を優しく撫でてやりながら、明日香が頭を振ってエリザベートの言葉を止めさせる。
そうして、ようやくエリザベートが泣き止んだ頃、
「……ケイ! おい、しっかりしろ、ケイ!」
どさり、と何かが地面に落ちる音がして、皆の視線がそちらへと向く。
そこには、魔力を使い果たして倒れ伏すケイを、悠久ノ カナタ(とわの・かなた)が抱え起こそうとしていた。
「イルミンスールに連れて行くですぅ! 大ババ様なら、何とかしてくれるはずですぅ!」
エリザベートと明日香が二人の下へ向かい、エリザベートがテレポートの呪文を唱えると、一行の姿がふっ、と消える。一瞬の後、エリザベート一行の姿は校長室へと現れた。
「おお、無事じゃったか。事情はおおよそ把握しておる、すまぬがケイを医務室へ連れて行ってくれぬか。私もすぐにそちらへ向かう」
再び校長室に一行をテレポートさせたアーデルハイトの指示で、生徒の一部がケイを医務室へ連れて行く。
「明日香さん……ですよね? 幽霊とかじゃないですよね?」
僅かの間ではあるが、繋がりが絶たれかけたことによる影響か、目の前にいるのが本当に自らのパートナーである明日香なのか信じられない様子のノルンに、明日香がちょっと怒ったような表情を浮かべて口を開く。
「幽霊じゃないですよ〜。触って確かめてみれば済む話です♪」
「うっ……明日香さーん!!」
ぽふ、と、しゃがんだ明日香の胸にノルンの頭が収まる。
「エイムちゃんも、ノルンちゃんを守ってくれて、お疲れさまです♪」
「はいですの♪」
同じくしゃがんだエイムの頭を、明日香が優しく撫でる。
「ソアお姉ちゃん、ごめんなさい……私、ソアお姉ちゃんが止めるのも聞かずに……」
「ミーミルが無事なら、いいんですよ。……でも、ちょっと、心配しちゃいました」
謝るミーミルの胸に、ソアがぽす、と頭を埋めて静かに嗚咽を漏らす。ミーミルが微笑を浮かべて、両腕と羽を使ってソアを包み込む。
「ふぅ、どうなることかと思ったぜ。ま、元通りになってよかったぜ!」
「……うーん、せやけど、何かこう、忘れとる気がせぇへんか?」
「ああ、私もそれは思っているのだが――」
『テメェら……オレをいつまでこのままにしとくつもりだぁ?』
「…………」
全身を枝に串刺しにされたニーズヘッグの、恨みのこもった声が、一行を現実へ引き戻したのであった――。