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恋歌は乾かない

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恋歌は乾かない
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chapter.5 乞い待つも乞い求めるも雑多なり 


 少し時間は戻り、様々な男女が青レンガ倉庫で服を見ている頃。
 同じ青レンガ倉庫の雑貨系のお店が立ち並ぶエリアでは、ファッション系のお店がある区域とはまた違った賑わいを見せていた。

「はーい、そこのかっこいいお兄さんっ、私と一緒にデートしない?」
 ピンクのミニワンピを着た遠野 歌菜(とおの・かな)が、おどけた口調でパートナーの月崎 羽純(つきざき・はすみ)に声をかけた。独り身以外が待ち合わせて入場するのが外法と知っていた彼女は、逆ナンを装ってみたらしい。が、そのセリフを言ってからじわじわと恥ずかしさが込み上げてきたのか、歌菜は頬を赤らめる。
「……」
 何言ってるんだか、といったような視線を黙って送る羽純。歌菜は、ますます気持ちの置き場に困ってしまった。
「ちょっ、ちょっと羽純くん、なんかリアクションしてよ! これじゃ私、なんか馬鹿っぽい」
「……くっ」
 しばらく沈黙を守っていた羽純だったが、堪え切れずに笑みをこぼした。
「ぽい、じゃないだろ? ばぁか」
「あー、馬鹿って言った! 馬鹿って!」
 今度は頬を膨らませる歌菜。笑ったり、恥ずかしがったり、不安そうな顔をしたり、と思えば今度は怒ったり。百面相そのものだな、と羽純は思った。
「面白いな、歌菜は」
「……また、馬鹿にしてる?」
 むくれたままの歌菜の手を取って、羽純は歩きだした。
「褒めてんだよ。ほら、買い物するんだろ? 行くぞ」
「あっ……うんっ!」
 不意に手を繋がれた歌菜は少し驚いた後、また照れ顔に戻っていた。
「で、何買うんだ?」
「えっとね、こないだコーヒーカップを割っちゃったから、新しいのが欲しいなー、って」
 できたらお揃いで、と小声で歌菜がつけたす。聞こえたのか聞こえなかったのか、羽純は特にそれには反応せず雑貨店へと歌菜を連れていった。
 ふたりが入った店内には、歌菜お目当ての食器類や生活雑貨から、ちょっとしたアクセサリーなども売っていた。
「カップはあっちだな」
 羽純が歌菜の手を引いたまま、スタスタと店内を進んでいく。カップ類が置かれている棚まで来たふたりは、じっくりと品定めを始めた。
「うーん、これもいいけどこっちもいいなぁ……ねえ、羽純くんはどっちがいいと思う?」
 二種類のカップを彼の前に差し出す歌菜。色や形はほとんど同じだが、取っ手の部分のデザインが微妙に違っていた。
「……何が違うんだ? それ」
「えーっ、全然違うよお! ほら、こっちはここがクルン、ってなってて、こっちはここがカクッ、って」
「あーもう、細かいことぁいいんだよ、どっちでもいいから早く買っちまえ」
 羽純の態度がやや不満なのか、歌菜は少しぶすっとしながら片方のカップをかごに入れた。と、その直後それと同じものを羽純がもうひとつかごに入れる。
「……え?」
「なんだよ。お揃いって言ったのは歌菜だろ?」
 さっきの、聞こえてたんだ。歌菜は嬉しさと恥ずかしさが混ざって、じとっとした目で羽純に言った。
「……いじわる」
 カップふたつをかごに入れたふたりは、それを持ってレジに向かう。その途中で、歌菜がガラス細工のコーナーを見つけた。
「わあ、綺麗……ねえねえ、ちょっとだけ見てっていい?」
 羽純の返事も待たず、歌菜はかごを持ったまま駆け寄った。ガラスで出来た指輪を、うっとりした瞳で眺める。
「欲しいのか?」
 後ろから覗きこんだ羽純が、歌菜に聞く。今度は、羽純が彼女の返事を待たずに続きを言った。
「欲しいなら、買ってやる」
「ほ、ほんと!? 嬉しいけど……どうしたの、急に?」
 羽純は歌菜の持っていた指輪を手に取ると、かごに入っているカップの中に入れた。そのままかごを歌菜から取ってレジへと向かう羽純。
「ねえ、なんで?」
 背中に声がかかる。羽純は振り返ると、にやっ、と微笑みながら言った。
「歌菜から、初めて逆ナンパというものをされた記念」
「……っ!」
 待ち合わせの時のことを思い出し、ぼっ、と一気に顔が火照った歌菜は一瞬言葉に詰まってしまう。
「うー、やっぱり、いじわるだ」
 彼の背中を鋭い視線で追いかけながら呟いた。けれど、それはどこか嬉しそうでもあった。

 彼女らがいた店からさほど離れていない、雑貨店が立ち並ぶ通路。
 ナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)は当てもなく、ぶらぶらしていた。強いて言えば、倉庫内に溢れているカップルたちを見て黄昏ようか、くらいの意識だった。
「ピエロは大人しく恋じゃなくて大道芸してろってかァ? 上等だ、えぇ?」
 カップルとすれ違う度、ナガンは小声で毒づいていた。誰に聞かれたわけでもなかったが、すらりとした長身とピエロメイクはやはり人目を引くのか、かなりの高確率でナガンは二度見されていた。そして、若干距離を開けられていた。それがまた、ナガンをよりやさぐれさせるのに一役買っていた。
「恋人とか恋愛なんていらねぇし……ん?」
 ファンシーグッズの売り場を通りがかった時だった。ナガンは、そこに見知った顔を見つける。赤い髪にヘッドホンを装着しているその人のところへ、ナガンは近づいた。
「よォ、こんなとこで会うなんて意外だなァ」
 後ろからすっとヘッドホンを外し、話しかける。驚いて振り向いたのは、佐伯 梓(さえき・あずさ)だ。
「わっ……って、あれ、ナガンだー」
 ミーナちゃんの人形を抱えていた梓はそっとそれを戻して、ナガンに答える。ふたりは、ある空賊船に何度か一緒に乗り込み、その空賊団の一員として共に過ごした仲間だった。
「せっかく会ったんだ、買い物にでも行こうぜェ」
 同じ空賊団員として情が動いたのか、ナガンが誘う。梓はそれを二つ返事で受け入れた。
 ナガン、俺のことどんな風に思ってるんだろうなー。俺は一緒にいて楽しいから結構好きなんだけど。
 隣を歩くナガンを見ながら、梓はふとそんなことを考えていた。
「実はひとりで心細かったんだー。だからナガン見た時安心しちゃった」
 ぽわんと柔らかい笑顔で話しかける。もしかしたら、彼なりにカマをかけてみたのかもしれない。
「ナガンを見て落ち着くとか、やべェんじゃねーかァ?」
 おどけた顔と声色でナガンが返す。そこから本心は読み取れない。
 その後ふたりはぬいぐるみを見て回ったり、帽子屋で互いに帽子を被せ合ったりして楽しんだ。ついつい買い物に夢中になり、ナガンは両手に紙袋を持っていた。それを見た梓が、さりげなく片方を持つ。
「片方貸してー。持つから。あっ、ていうかちょうどあそこに腰かけるところがある! 座ってちょっと休もー?」
 ナガンの開いた右手を、梓の左手に触れた。そのまま、ぐい、と引きよせると、梓とナガンの距離が一気に縮まった。
「わっ」
 驚きのあまり、素で声を上げてしまったナガン。ふたりは手を繋いだまま、肩を並べてソファーへと座りこんだ。
「ふう、どうしよ、顔真っ赤かも」
 荷物をそばに置いた梓が、手をパタパタとさせている。下がららない体温は窓から差し込む暑い陽射しのせいか、それとも。
「熱あったらどうしよ。触ってみて、ほら」
 ナガンの右手に添えたままの自分の手を、それごと頬へ持っていく。ぺと、とくっついたそれは、ひんやりとした感触だけを彼に与えた。
「あ、そか……」
 梓は自分の軽い行動を反省した。ナガンの右手は、機晶姫用につくられた義手だったのだ。何とフォローを入れるべきか分からず、梓は黙ってしまった。義手に視線を落としたままの彼を見て、ナガンが言う。
「これは高性能な義手でなァ、ちゃんと熱さも測れんだ。佐伯梓、お前の熱だって、伝わってるぜェ」
「え……ほ、ほんとなのそれ?」
「あァ? 冗談だよ、ヒヒッ、ヒャハハ!!」
 大声で笑ってみせるナガンにつられるように、梓も笑顔に戻った。ナガンの言葉がどれほど本当かも、どういうつもりで言ったのかも梓には分からない。でも、やっぱり一緒にいて楽しいんだということだけははっきりと分かる。
「ねー、ナガン」
 笑い声が静まったところで、梓が名前を呼ぶ。その表情は、きりっと引き締まっていた。
「さっき言ったのは、本当だよ。ナガン見てると、ほっとする」
 繋ぎっぱなしの手。体を寄せ合うには遠くて、言葉を聞き逃すには近い距離。梓はもっとナガンの手を寄せることで、それを埋めた。
「だから、もっとこうしてたいんだ」
 頭を傾け、ナガンの肩に預ける。ナガンは何も言い返しはしなかったが、その頭をどかすこともしなかった。そのままでいる必要もなかったが、振り払う理由もない。無理矢理理由をつくるなら、さっきから心臓がやけに速いテンポで鳴っているわけと、そのリズムが梓に聞こえているのかどうかが気がかりだったから。
 それでもナガンは、肩に感じる重みを払いはしない。



 青レンガ倉庫ではたくさんのカップルが買い物を楽しんでいる、が、訪れる人々の中には恋とは少し離れた騒動を起こしている者もいるようだった。
 アズミラ・フォースター(あずみら・ふぉーすたー)は何の因果か、泣きべそをかいている小さな男の子を連れて倉庫内を歩きまわっていた。連れて、というよりも抱きかかえて、と言った方が正しい。
「私、ウインドーショッピングしに来たはずなんだけど……まさか服じゃなくて親を探すことになるなんてね」
 どうやら、買い物途中で迷子の子供を見つけてしまい、親元に届けることになってしまったようだった。
「よしよし、ほら、これでも食べて泣きやんで」
 さきほど買ったソフトクリームを、腕の中にいる子供に与える。ちびちびと口に入れる子供を見て、やっと落ち着いてくれたといった様子でアズミラは一息ついた。しかし、彼女の苦難はここからさらに続く。
「迷子の子供を探してる親に、心当たりはない?」
 ひとりでいる女性を主なターゲットに、手掛かりを見つけるべく聞き込みを行うアズミラ。だがすぐに答えは得られない。10人目かそのあたりだろうか、アズミラが同じように尋ねる。
「迷子の噂、どこかで聞かなかった?」
 アズミラが話しかけたのは、鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)だった。
「迷子? それ……もしかしたらボクのことかも」
「……え?」
「あのね、ボク、お買いものしようって思ってここまで来たんだけど、ひとりだとすぐ迷子になっちゃうんだ。っていうか今ちょっとなりかけちゃってたんだけど」
 だから、誰かがボクを見て迷子の噂を流したのかも、と氷雨が付け足した。
「そうか、ごめん、聞き方が悪かったのね……迷子の噂じゃなく、迷子を探してる親の噂が聞きたかったの」
 言って、抱っこしている子供を見せながら状況を説明するアズミラ。
「そうだったんだー……」
 ちょっと残念そうに、氷雨が呟く。その話を聞かなければ、自分が迷子にならぬよう一緒に買い物をしてくれないか頼もうとしていたからだ。が、ここで氷雨はあることを思いついた。
「あっ、そうだ! ボクも一緒に探すの手伝うよ! その代わり……その子が無事に帰れたら、お買いものにちょっとだけ付き合ってほしいんだ。ダメ、かなぁ……?」
 申し訳なさそうな表情の氷雨。アズミラは少し返事を躊躇ったが、やがて決心したようにふうっ、と息を吐き氷雨の頭を優しく撫でた。
「ひとり面倒見るのもふたり面倒見るのも変わんないしね。いいわよ、付き合ってあげる」
「ほんとっ? わぁい、ありがとう! じゃあ早く、その子の親を見つけてあげないとね!」
 そしてアズミラと氷雨は、並んで歩きだした。

 青レンガ倉庫入り口付近。
 白菊 珂慧(しらぎく・かけい)はパーカーにジーンズというカジュアルなファッションで、この近辺をうろついていた。手には、さっき梓が眺めていたのと同じミーナちゃんの人形が。
「グッズ、あったのはよかったけど。やっぱり本物に会いたいな」
 普段はカップルだらけのこの場所も、こういうイベントの日ならひとりでいても大丈夫だろうと考えた彼は、ミーナちゃんを思うあまりここまで来たらしい。
 珂慧は気だるそうなオーラをまといつつも、時折きょろきょろと首を回し視線を移している。ミーナちゃんを探しているのはもちろんのこと、知り合いに見つかりたくないという理由もそこにはあった。
「あとちょっと探してみて、見つからなかったら帰ろうかな」
 珂慧が諦めかけた時だった。ついに、彼の前にそれが姿を現した。
「これは……予想以上かも」
 普段は無表情の珂慧も、さすがに目を丸くした。なんとミーナちゃんは、足元を光らせふわふわと宙に浮いていたのだ。
「怖いです! ただでさえ怖いのに、余計怖いですよそれは!」
 その後ろからは、慌てた風なナットくんが声を上げながらドタドタとミーナちゃんを追いかけてきた。くねくねと不気味な動きで珂慧の前を通り過ぎるミーナちゃん。と、突然その動きが止まった。同時に光も消え、着ぐるみはふわりと地面に着地した。直後、ミーナちゃんがぐらりと傾き、倒れ伏す。
「フリッカ!」
 ナットくんが駆け寄り、急いでミーナちゃんの着ぐるみを脱がせた。言うまでもなく、中から顔を出したのはバイトしていたフレデリカだった。ナットくん――もとい、ルイーザもナットくんの着ぐるみを取り、フレデリカに呼びかける。この熱さの中ずっと着ぐるみを着て激しく動き回っていたフレデリカは、ついに限界が来て倒れてしまったのだ。氷術で中を冷やしながらバイトすることも考えていたが、氷術のスキルを持っていない彼女たちにそれはどう逆立ちしても不可能なことだった。
「……」
 様子を見ていた珂慧が、倒れているフレデリカにそっと近づく。額に手を当てた珂慧は、携帯を取り出し救急車を呼びだした。
「あ、ありがとうございます」
 気を失っているフレデリカにナーシングを施しながら、ルイーザがお礼を言う。珂慧は特に反応を示すわけでも恩を着せようとするでもなく、静かにその場から去っていった。
 彼が見せた親切がミーナちゃんへの感謝の気持ちからか、それともただの気まぐれかは誰にも分からない。

 同じく倉庫入り口付近では、契約者の優子に財布を持ったまま帰られたアンが誰をターゲットにするか決めかねていた。
「金持ってそうな子か、素直に言うこと聞きそうな子がいいね……」
 完全に、求めているものがデート相手ではなくかつあげ相手である。しばらく青レンガに出入りする人の流れを眺めていたアンは、やがてひとりの少年に目をつけた。
「お、よさげじゃないか」
言うや否や、颯爽と少年の前に現れる――いや、進路を塞ぐアン。彼女は胸の前で腕を組み、ウインクをしながら尋ねた。
「おーら、ボク。暇?」
「えっ? あっ、いえっ、あの、僕これからみなとテラスの方に行こうと……」
「そうか暇なんだね! それはよかった! あたしもお金がなくて……じゃなくて、相手がいなくて暇してたんだよ。これも何かの縁だし、一緒に今日のイベントを楽しもうじゃないか!」
 アンが強引に話を進める。話しかけれた少年はただうろたえるだけで、何も言葉を返せずにいた。
「さて、まずはどこに行こうか? 男の子なんだから、行き先くらい決めてるでしょ?」
「あ、はい、だからみなとテラス……」
「え? スイーツのお店だって? 君、外見通りのスイーツ男子ってわけだね! よし分かった、付き合うよ!」
 そのままアンは、少年の腕を組み勝手に歩き始めた。
「わあっ、あの、ちょ、ちょっと……」
 その後アンは、少年のお金でソフトクリームを買い、数口食べただけで少年に渡した。
「あとはあげるよ。大丈夫大丈夫、気にしないでいいんだよ! 遠慮なく食べて!」
 少年のお金なのだから当然である。
 それからもアンは、少年を小一時間ほど連れ回した。「そろそろ勘弁してください……」と少年が弱音を吐いたところで、アンはようやく少年を解放する。
「アディオス、チコ ボニート。君と出会えて良かったよ」
「チコ、ボニート……?」
 日本語に訳するなら、可愛い男の子、といったところだろうか。アンは流暢なスペイン語でそう告げると、少年に顔を近づけた。直後、少年の頬に柔らかい感触。
「わっ……!」
 そのままアンは、手を振って施設出口に向かっていった。その後ろ姿をぼんやりと眺める少年。と、数分もしないうちにアンが走ってもどってきた。彼女はすっかり忘れてた、といった様子で笑いながら言った。
「ごめん、帰りの交通費くれない?」
 少年は何かを諦めたようにアンに小銭を渡し、本来の目的地であるみなとテラスへと向かった。