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ひとひらの花に、『想い』を乗せて

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ひとひらの花に、『想い』を乗せて
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第6章 想いの白雪

 戦闘から数時間後――。

 御上は、救護テントに、怪我人の様子を聞きに来ていた。午前中の戦闘では、さすがに一般生徒も無傷という訳にはいかず、少なからぬ人数が負傷した。

それで、今日の夜に控えたミヤマヒメユキソウの群生地へのアタックの前に、負傷者が参加出来るかどうか確認しにきたのである。

「みんなの様子は、どうですか?」
「あ、御上先生!」
 デスクに向かって書き物をしていた円華が、御上に気づき、駆け寄る。

「傷の方は、魔法でほとんど治癒してます。刀真さんと月夜さんは、少し疲労が激しいですが、元々が鍛えられた方達ですから。今はどちらかというと、心のケアの方が大変ですね」

「もう、すぐ目の前なんだよ。大丈夫、ここのみんなで必ずたどり着こうよ。」
 円華の視線の先では、ネージュ・フロウが、一人の生徒を必死に励ましている。

「皆さんの歌のお陰で、随分ショックは和らいでいるんですが……」
 テントの中には、相変わらず4人の奏でる《幸せの歌》が響いていた。

「巨人とはいえ、『人』なのには変わらないからね。やっぱり、ショックは大きいか……」
「でも、きっと大丈夫ですよ、皆さん。届けたい『想い』があるんですもの。きっと、一緒に行ってくれます」
 さすがに御上は、円華ほどには楽天的には慣れなかったが、しかし今は、心からその言葉を信じたいと思った。

 出発の時刻を迎えた午後3時。円華の予言通り、一人脱落者も出すこと無く、登山隊は群生地目指してキャンプを出発した。

「皆さんに、神と女王の祝福がありますように……」
「幸運を、祈ります」

 列になって、次々とキャンプを出て行く生徒達を、火村 加夜と蓮花・ウォーティアが《パワーブレス》で祝福する。生徒達は、心地良い高揚感に包まれながら、山を登って行く。

 群生地まではなだらかな斜面が続き、登るのに1時間もかからない。今日は、群生地のすぐ隣でビバークし、月の出を待つことになっている。
今日は、満月の一日前。術をかけるのが可能な月齢である。万一少々天候が悪くても、円華が術を使い、無理矢理に雲を払い除ける予定だった。



 誰もいなくなったキャンプで、互いに寄り添うようにして、樹月 刀真と漆髪 月夜が、
今にも稜線に消えようとしている太陽を見つめている。

「刀真、本当にいいの?」
「俺は、みんなに迷惑を掛けた。俺のせいで、花を手に入れることが出来なかったかも知れないんだ。そんな俺に、花を手にする資格はない。月夜こそ、参加して良いんだぞ?」

 刀真の言葉に、月夜は静かに頭を振る。

「ううん。刀真が行かないのなら、私も行かない」
「……そうか。済まない」
 月夜は、そっと、刀真の肩にもたれかかった。

「あら、私達の他にも、留守番組がいたのね?」
 その声に2人が振り返ると、そこには、リカイン・フェルマータとソルファイン・アンフィニスがいた。ソルファインは、河馬吸虎を抱えている。

「リカイン達は、どうして行かないんだ?」
「あ、アハハ……。いやそれが、個人的にちょっと行きにくい事情があったりなかったり……」
「このエロ河童は単に、環菜から借りた金を、踏み倒そうかどうか迷ってるだけだ」
「踏み倒そうだなんて、思ってないわよ、失礼ね!ただ、『少しでも返済期限が延びるといいな〜』って思ってるだけよ!」
 河馬吸虎の指摘に、ムキになって怒るリカイン。

「あ!ほらあそこ!月ですよ!」
 ソルファインが指差す隣の尾根の影から、今、大きな月がゆっくりと顔を出そうとしている。

「自分が花を贈らなくても、ドキドキしますね、やっぱり」
「……そうだな」
(せめて、一人でも多くの人が、環菜を想ってくれると良いのだが……)

 そう、願わずにはいられない刀真だった。



「これが、深山姫雪草か……」
 エース・ラグランツは、万感の想いを込めて、その小さな花を見つめた。
 彼は、【園芸王子】の異名を取る、知る人ぞ知る植物マニアである。

 実物を見る日を楽しみに、敢えて写真は一切見ることなく、(エーデルワイスみたいなのかな〜、それともスノードロップかな〜)などと、一人であれこれと想像を膨らませていたのである。

 そして、実物のミヤマヒメユキソウはというと、これまでエースが見てきた、どの植物ともあまり似ていない気がした。

高さは、10センチもないだろう。太い茎から、厚みのある正三角形の葉が、正確に120度ずれて、互い違いに7〜8枚生えている。萼はなく、やはり肉厚の4枚の花弁を持つ、直径3センチ程の大きさの花が、ちんまりと咲いている。花は、雄しべや雌しべを含めて、全て真っ白で、この白が、葉の濃い緑に一層よく映えた。

 そのミヤマヒメユキソウが、見渡す限り一面に、大地を覆っている。

「お!そうだ!こうしちゃいられない」

 エースは、突然、我に返ったようにそう呟くと、慌ただしく一眼レフを取り出し、写真を撮り始めた。初めのうちはしゃがんで撮っていたのだが、やがておもむろにレンズを交換すると、今度は腹ばいになって撮り始める。

 『想いの白雪』の儀式が始まった後も、エースは、ひたすらシャッターを切り続けていた。周りのメンバーも誰も止めようとしないあたり、いつものコトらしい。



 ひと通りの説明を終えると、円華は、なずなと討魔を連れ、群生地を一望できる岩の上に立った。泪のカメラが、まるで預言者のように立つ、彼女の姿を捉える。

産日の鏡を胸に構え、高い声で、ゆっくりと言葉を紡いだ。五十鈴宮の術は、その多くが、歌の形を取る。今となってはその言葉の意味もわからず、ただ音だけが口伝で伝えられている。

 生徒達の注目を一身に浴びながら、円華は、風に長い髪をなびかせて、歌を歌い続けた。
そして、声の調子が一段と強くなったかと思うと、なずなが、歌に加わった。2人の音程の違う声がハーモニーとなり、あたりに流れていく。胸に構えた鏡が、少しずつ輝き始めている。円華はその鏡を、ゆっくりと頭上に差し上げた。

 鏡が、中天高く昇った月の光を受けて輝いたその時、鏡が、一筋の光を放ち始めた。
円華は、その光をミヤマヒメユキソウへと向ける。
 花に光が当たると、花は、その白さを急激に増していった。それと共に、花弁がキラキラと光を放つようになる。花の表面に、ミクロン単位の微妙な凸凹が生まれ、それが光を乱反射して輝いているのだ。

鏡から放たれる光は、どんどんとその太さを増して行き、ついには、鏡の直径をも上回っていく。円華は、その光をまんべんなく辺りに注ぐ。
やがて、2人の歌が終り、鏡が光を失うと、そこには、乳白色した無数の花が、月の光を浴びて、キラキラと輝いていた。

「さあ、皆さん。『想いの白雪』はかけ終わりました。輝いている花なら、どれでも構いません。想い人に届けたい『想い』を心に念じながら、花を手折って下さい。ただし、手にして良いのは一輪だけです――」

 そこで円華は、言葉を区切る。

「実は、術は皆さんにも掛けられています。皆さんが花に手を触れたとき、これまで登山で経験してきた記憶の数々が、花に刻み込まれます。花を口にした人には、皆さんの込めた想いと共に、皆さんの苦労の数々が伝わります。想い人のために味わった辛い記憶が伝わるからこそ、皆さんの『想い』が、より一層強く、想い人に伝わるのです」

 円華のその言葉に、我先に花に手を伸ばそうとしていた生徒達の間に、動揺が走った。
 自分の体験が相手に伝わるとなると、花を渡すにもそれなりの覚悟がいる。

 尻込みする生徒達を、内心ハラハラしながら見守る円華。

 その生徒達の中から、一人の生徒が決然と前に進み出ると、花を手に取った。影野 陽太だ。それがきっかけになったのか、次々と生徒達が進み出ては、花を手にして行く。

 その様子に、円華は、ホッと安堵のため息を漏らした。
「良かったですね、お嬢様。みんな、お花取ってくれて」
 なずなが、円華に笑いかける。

「後は、全員が花を手に取ってくれると良いのだけれど……」
 円華は、まだ少し心配そうだ。
「大丈夫ですよ、お嬢様。みんな、そのためにここまでやって来たんです。そのくらいの勇気は、持ち合わせています」
 確認に満ちた声で、討魔が言った。



(お務めお疲れ様でした、貞継様……。後の事は白姫にお任せ下さり、どうぞごゆるりとお休み下さりませ……。でも、もし……。もしも、無聊をかこっていらっしゃるようでしたら、また、白姫と遊んで下さいましね……)

 白姫は、想いを込めて摘んだ花を、そっと、両の手で押し抱いた。

「姫様……?泣いていらっしゃるのですか?」
「い、いえ。何でもありませんよ葉莉。それより、お前はどんな想いを込めたの?」
「ハイ!もちろん、『一日も早く、貞継様が元気になられますように』とお願いしました!」
「……まぁ。葉莉ったら。神様を詣でているのでは、無いのですよ?」
「あ!それもそうですね……。間違えちゃいました……。スミマセン、白姫様」
「謝らなくてもいいのですよ。有難う、葉莉」
 白姫は、そっと葉莉を抱き締めた。



「これが、その花か……」
宙野 たまきは、キラキラと輝くミヤマヒメユキソウを前に、改めて、(心の準備をしなければ)と思った。折角ここまで来たのに、関係ないことを考えながら手折ってしまったら、取り返しの付かないことになる。

(何か困っていることがあったら、俺でいいなら話して欲しい。こんな俺でも、君の役に立てるかも知れないから。それと出来れば……。偶には、俺の話も聞いてくれると、嬉しい)

 中々、友達以上になれない、あの子への切ない想い。その想いを込めて、たまきは、花を摘んだ。

「なぁ、環?」
「なぁに、お兄ちゃん?」
「この花、ラッピングして贈りたいんだけど、手伝ってくれないか?こういうの、俺あんまりやったコトなくて……」
「いいよ!一緒にやろう、お兄ちゃん!」
 環には、照れたように、ポリポリと頭を掻いているたまきが、いつになく可愛らしく見えた。



「卜部先生。先生は、どんな想いを込めたんですか?」
 如月 正悟は、卜部 泪の後ろから、彼女の手のひらを覗き込んだ。そこには、白い花がキラキラと輝いている。

「どんなって……。もちろん、『環菜さんに早く元気になって欲しい』って」
「ふ〜ん……。先生、好きな人とかいないんですか?」
「ふぅ……。ダメですよ如月君。大人の女性に、面と向かってそんなコト聞いちゃ」
「そ、そうなんですか?」
「そうですよ。だいたいそんなコト女の人に聞いても、正直に答えてくれる訳が無いでしょう?」
「そ、それじゃ、先生もウソついてるんですか?」
「わ……、私のコトはどうでもいいんです!それより如月君!君、摘んで無いでしょ?ミヤマヒメユキソウ」
「つ、摘んでませんけど……」
「はぁ……。ダメですよ、そんなんじゃ。いつまでも『おっぱい』ばっかり追い掛け回してないで、少しは、女性の中身の方を、真剣に考えなさい。今のまんまじゃ、将来ダメな大人になりますよ!」
「ぐぐっ……。せ、先生、ナゼそれを……」
「教師の観察眼と女の勘。どっちも甘く見てると、痛い目見ますよ?」
「わ、分かりました……」

 ギラッとした目で睨まれて、しょんぼりする正悟。それを見て、泪が『しょうがないなぁ』という顔をする。
「そうそう、如月君。君のワイン、中々美味しかったですよ。今度、お礼をしますから」
「え……!それじゃ、一緒に食事に行ってくれるんですね!」
「えぇ。アナタには、女性の内面の魅力について、一度きっちり教える必要があるみたいですからね!」
「え?もしかしてそれって……、2人きりってコトですか?」
「……こんなコト、ヘイズ君や森下さんに付き合わせる訳にはいかないでしょう?」
「や、やったぁ!」
 文字通り、飛び上がって喜ぶ正悟。

「ただし、ちょっとでも変な目で見たら、すぐに帰りますからね!」
「は、ハイ。重々気をつけます……」
 泪のキツい口調に、取り敢えず『シュン……』としながらも、内心喜びの隠せない正悟であった。



「ねぇ、キルティ。ホントにこの花、御神楽さんのために使ってよかったの?」
「え……な、なんで?」
「なんでって……。他にあげたい人、いるんじゃないの?」
「ぼ、僕のことはどうでもいいじゃないですか!そんなことより、秋日子さんこそ、あの人に渡せばよかったんじゃないんですか?」
「あ、あの人って?」
「強がっちゃって……」
「どっちが!!」



(早く良くなって下さいね、環菜さん。そして、一日も早く元気な姿を見せて、『皆』に笑顔を取り戻してあげて下さい)

五月葉 終夏は、《幸せの歌》を口ずさみながら、花を手折った。『皆』のくだりのトコロで、一瞬山葉 涼司(やまは・りょうじ) の顔が浮かんだが、それは敢えて気にしないコトにした。

「花はもう摘んだかい、終夏君?なら、僕が預ろう」
 セオドア・ファルメルが、両手を差し出す。もう他の仲間達からは集めたらしく、そこには花が、全部で3輪、載っていた。

「え……?セオが、持ってくの……?」
 疑わしげな目で、セオドアを見る終夏。彼が自分から何かすると言い出すときは、大抵何かしら企んでいる時だ。

「心配しなくてもいい。私は、御上先生のトコロまで持って行くだけだ」
「そ、そうなの?」
「あぁ。御神楽前校長宛の花は皆、御上先生が集めて持って行くコトになっている」

「そ、そうなんだ……。じゃあ、お願いね」
 どこか拍子抜けしたような顔をしながら、セオドアの手に花を載せる終夏。

「……ちゃんと、先生のトコロに持って行ってよ」
「大丈夫。任せなさい」
セオドアは、大事そうに花を両手で包むと、御上の方へと歩いて行った。
「何か、ひっかかるんだよね……」
 言いながら、最後までセオドアから目を離そうとしない終夏だった。



(急がずとも良い。待っているぞ)
 短く、そう想いを込めて、イーオン・アルカヌムは花を摘んだ。

『花を贈れるのは一人だけ』
 という円華の言葉に、御神楽 環菜とセレスティアーナ・アジュア(せれすてぃあーな・あじゅあ)のどちらに花を贈ろうか、最後まで迷ったのだが、結局イーオンは、環菜に贈る方を選んだ。
(セレスティアーナには、直接あって伝えればいい)と、思ったからだ。

(環菜に花を贈ることで、却って自分の気持ちに整理がつくとはな……。人の気持ちとは、難しいものだ)
 小さな花を見つめながら、イーオンの心は、早くもセレスティアーナに飛んでいた。



「鉄心、これ……」
「ん?」

 呼びかけられて源 鉄心が振り向くと、そこには、イコナ・ユア・クックブックがいた。
 手のひらに、ミヤマヒメユキソウが載っている。

「あぁ。なんだ、それなら、御上先生の所に持って行くんだぞ。……しょうがないな、貸してみろ。俺が、一緒に持って行ってやる」
 ひょい、と花を取り上げる鉄心。
 すると、その花をイコナが物凄い勢いでひっつかんだ。

「な、なんだ……?どうした、イコナ?」
 一体何が気に入らなかったのか、イコナは、頬をぷうっと膨らませて怒っている。

「もういい、鉄心のバカ!」
 そう言って、手にした花を食べようとするイコナ。だが、花が一瞬で姿を消した。

「あ、あれ?」
「ダメですよ〜。折角今まで頑張ったのに、最後の最後で癇癪起こしちゃ〜」
 その声にイコナが振り返ると、すぐそばの岩の上に、なずながしゃがみ込んでいた。手には、イコナの花を持っている。

「か、返して下さい!」
 ムキになってぴょんぴょんとジャンプするイコナ。だが、届く訳がない。

「返してあげてもいいですよ?ただし、ちゃんと渡すって約束するならです。約束出来ますか?」
「……はい」
 唇をとんがらせて、頷くイコナ。
「そうこなくっちゃ!さぁ、勇気を出して」
 なずなは、イコナの手に花を戻し、優しく笑いかける。

 その顔をじっと見ていたイコナは、「うん!」と返事をすると、改めて鉄心に花を差し出した。
「鉄心。これは、鉄心にあげる花です」
「え?俺にか?」
「ハイ。だから、鉄心が食べて下さい!」
「わ、分かった……。有難う」

 狐につままれたような顔で、花を受け取る鉄心。隣で、なずながパチパチと拍手をしている。

「な、なぁイコナ。これ……、今食べなきゃダメか?」
「ううん。そんなコトないけど……。どうして?」
「いや、なんだか、食べるのがもったいないような気がして……」

『食べたら、泣いちゃいそうで』とは口が裂けても言えず、鉄心はそうごまかした。

「……鉄心の、好きにしていいよ」
「有難う、イコナ。俺は、本当に嬉しいぞ」
「うん!」

 そう言って、イコナの頭をくしゃっとする鉄心。イコナは、心底嬉しそうに笑った。



 ロートラウト・エッカートは、そっと花に手を添えると、今彼女の頭を占めている懸念に、思いを巡らせた。

(環菜ちゃん、早く元気になって、ルミーナちゃんを助けに行こうよ!実は、涼司くんが好調になってから、最近蒼空学園も火の車でさ。環菜ちゃんが大丈夫でも、ルミーナちゃんがいなきゃ、このままじゃリアルタイム通信が唯一可能な空京から離れられないよ!)
 深くため息をつきながら、ロートラウトは花を手折った。

 エヴァルト・マルリッツは大きく息を吸い込むと、勢い良く花に手をかけた。その瞬間、彼の想いが花に流れ込む。

(話に聞いているかどうかは知らないが、これは『想い』を直接伝えられるものだ。有り得ないとは思うが、中には貴女に否定的な想いもあるかもしれない。あるいは、もうそれを感じてしまったかもしれない。だが、それで気分を害する、というのは杞憂に終わることを願う。貴女は天下の蒼学設立者、病床にあるとはいえ、その程度で挫ける人ではない。いつまでも寝ていないで、さっさとレバレッジさんを救出しに行こう!)

「立て、立つんだジョーー!!」
 謎の掛け声と共に、一気に花を引き抜くエヴァルト。

「……ジョー?」
「……いや。何でもない。ちょっと雑念が混じっただけだ」



「ただいまです〜」
 なずなが、何処からとも無く討魔の隣に現れた。

「さっきからチョロチョロと、一体何やってたんだ?」
「チ、チョロチョロって……。若、人のコト、ネズミか何かみたいに言わないで下さいよ〜。みんながちゃんと花を取ってくれたかどうか、見て来たんですよ〜」

「それで、どうだったの?」
「バッチリですよ、お嬢様!みんな、花を取ってくれました」
「だから、大丈夫だと言っただろう」
「念のためですよ、念のため!」
「そう……。良かった……」

 心の底から嬉しそうな顔をする円華。その手の上にも、白い花が光っている。



 不意に、辺りが暗くなった。
 突然のコトに一同が空を振り仰ぐと、そこに、信じられない者がいた。
 ドラゴンだ。
 とてつもなく大きい、純白のドラゴンが、大空を舞っている。

 ドラゴンは、一度、二度と空を旋回すると、ゆっくりと着陸した。

「ドラゴンだ!!」
 赤嶺 霜月は、歓声を上げて、ドラゴンに駆け寄った。
 元々霜月は、ドラゴンを一目見たくて、この登山に参加したようなものである。

「ドラゴンさん!」
 霜月の隣に駆け込んできたティー・ティーが、白龍に呼びかけた。
「私達、シャンバラを建国することが出来ました。でも、その過程で、多くの人が傷つきました。その中の一人に、山の元気を分けてあげたくて、みんなで来ました。花を貰っていってもいいですか?」

「もちろんだ。そなた達は、見事試練に打ち勝った。そなた達には、その花を手にする資格がある」
 ドラゴンが、朗々とした声で言った。
「し、試練?」
「そうだ、霜月。厳しい雪山の登山行も、巨人達との戦いも、全ては試練だったのだ」
「な、なんで俺の名を?」
「それはな――」

「私が、以前あなたにお会いしたからですよ、霜月」
「ハルキノス!お前が、ドラゴンだったなんて……」
「今まで黙っていて、申し訳ありませんでした。あなた方が目的を果たすまで、正体を明かす訳にはいかなかったものですから」

「あなたが、この山の守護者なのですか?」
 円華が、ハルキノスに訊ねる。
「そうです。古の契約に基づき、私が、この山とこの花の守護を務めています」
「守護者?」
 霜月が、怪訝そうな顔をする。

「はい。マホロバでは、『白雪の想い』に使う花のある所には、必ず『守護者』がいます。守護者は、人の場合もあれば、獣人、精霊、魔獣など、様々です。ですが、ドラゴンというのは、初めて聞きました。それに、マホロバだけの風習だと思っていたのですが……。シャンバラにも、いたのですね」
「もう数千年も前のことです。私の母が、東からやって来た巫女と、契約を結びました。『この花を守り、この花を求める者に、然るべき試練を与えよ』と」

「お母様?」
「はい。私の母は、すっかり年老いてしまって、今では目を覚ますことはほとんどありません。そのため、息子の私が、母に代わって守護者の務めを果たしているのです。といっても、私が母に代わりになってから、もう数百年経ちますが、実際に花を求めに来たのは、あなた方が初めてです」

「私達の一族は、もうずっと前から、小さな島に閉じこもり、外界との連絡を絶ってしまったのです」
 どこか寂しげに、円華が言った。

「あなたのお陰で、僕達は、花を手にすることが出来ました。全員を代表して、礼を言わせて下さい」
 御上が、頭を下げる。

「いえいえ。私も久し振りに人と話すことが出来て、楽しかったですよ。それに、このことが広まれば、少しは私も忙しくなるでしょうし。訪れる者もない山で、滅多に目覚めぬ母と過ごす生活というのは、それはそれは退屈なのです」

 ハルキノスが、にっこりと笑う。それは、御上にも負けない極上の笑顔だった。