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星降る夜のクリスマス

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星降る夜のクリスマス
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●ユマ・ユウヅキの心

 ユマ・ユウヅキが林鳳明に相談をしたシーンを覚えているだろうか。
 あの後、鳳明がしたアドバイスは、
「オープンにしたほうがいいんじゃない?」
 だった。
 ユマは、それに従った。
 だからパーティ終了後、会場の出口ホールにユマは二人を招いたのである。
「……あ、あの、すでに面識はあるかもしれませんが……こちら、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)さん、そしてこちらは、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)さん……です」
 互いに存在は知っていた。
 面識も、なかったわけではない。
 だがこうして、真司とクローラが互いにユマに紹介されるのはこれがはじめてのことだった。
「……どうも」
「よろしく」
 真司もクローラも、黙って視線をかわしあった。
 一応、愛想笑いはしているつもりだが、目が笑っていない。
「……ごめんなさい。今日、お二人からほぼ同時にクリスマスツリーの下に誘われてしまって……。私としては……その、どちらかを受けてどちらかをお断りするのは心苦しく……真司さんは、私がボロボロだった頃に優しい言葉をかけてくれた方で、クローラさんは保護観察の身だった頃にお世話になった方で……」
 この日、事前にユマに誘いをかけたのは二人とも同じことだった。だがユマは丁重に断りを入れた。二人ともにだ。
 そしてパーティの途中で、終了後なら応じられると双方に申し入れていた。それは「オープンにしたい」と決めたからのようだ。
 その結果が、現状である。
 一触即発の気配ではないのだが、真司もクローラも、どちらからも言葉を切り出しにくい状況だった。
「あら〜、まさかのライバルとご対面ね。どうするの〜?」
 リーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)が、真司の肩にとりつくようにして笑った。
「どうするもこうするも……」
 言いながら真司はクローラを見る。
 真司から見たクローラは、理知的で相当切れる男のように思えた。軍人らしく実に姿勢がいい。顔立ちからして育ちが良さそうで、きっちりと締めた礼服のボタンからするに、規律と秩序を重んじる性格に見えた。
「今すぐユマに決めてもらう、ってわけにはいかないんだろうなあ」
 とセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)は苦笑いした。
「茶化さないでくれ」
 クローラも真司を見る。
 クローラから見た真司は、口より先に行動するタイプという印象だ。整った顔立ちだが野性味がある。人付き合いは良くなさそうだが、その分情に厚い……といった雰囲気だ。『優しい言葉をかけてくれた』とユマが言ったのは事実だろう。
「どうしようかしら? この場で決闘でもしてもらって勝ったほうとつきあう?」
 リーラが冗談半分の口調で言った。
「やめてください! そんな……!」
 弾かれたようにユマが飛び出した。
「ごめんなさい。私……お二人のこと、それぞれ尊敬しています。……好意も……抱いています。
 以前私は、『自分を好きになれないから、男性とおつきあいする資格はない』というようなことを言いました。でも心境は、あの頃より変わってきました……クローラさんも真司さんも、私に変わるきっかけを与えて下さった方です」
「でも決められない、って言うのね?」
「…………そうです」
「それってさあ、すっごくワガママじゃなあい?」
「わがまま……ですか?」
「そう」
 つかつかと歩いて、リーラはユマの顎の下に竜の手を差し入れた。長い鉤爪のある手だ。やろうと思えば一瞬で、ユマの喉を切り裂けるだろう。
「あなた、可愛い顔して相当な悪女よね。男二人手玉にとって、『決められません』ってさ」
「よせ!」
 真司は反射的にリーラの肩に手をかけ、クローラも身を屈めた。あと一センチでもリーラの指が動けば即座に、豹のように飛びかかるだろう。
 しかしその緊張の糸を断つかのように、セリオスがパンパンと手を叩いてリーラに近づいた。
「すごいねお姉さん。僕、お姉さんみたいなタイプ好きだよ」
 世間話でもするような口調だ。
「あら、ありがとう。あなたもハンサムね」
 同じくリーラものんびりした口調なのである。そういえばリーラは、厳しいことを言っているが一度も声を荒げていない。
「それはどうも。……何が好きってね、そうやって、わざと悪役を買ってくれているところ」
「私は青鬼だから〜。知ってる? 赤鬼のために悪者になって暴れる青鬼の話」
 相通じるところがあったのか、セリオスとリーラは笑みをかわした。
 そして、ユマと話させてもらえる? とセリオスが言うと、どうぞ、とリーラは下がったのである。
「ほら、これ。クローラからもらったんだ」
 新品の革の財布をセリオスは取り出した。
「クリスマスプレゼントとしてね。実用主義すぎて笑えるよね。ま、クローラらしいけど」
 はは、と苦笑して彼は、掌に乗りそうなテディベアをユマに手渡した。
「はい、これは僕からのプレゼント。手作りなんだよ」
「ありがとうございます……可愛いです」
「それでさ、クローラからもユマにプレゼントがあるんだって。渡すだけの時間、作ってあげられないかな?」
「だったらうちの真司にも時間がほしいわ。プレゼントなら真司も用意してるんだから」
 リーラが言ったので、
「じゃあ交互に時間を作ってもらっていいかな……十五分ずつ」
 とセリオスが提案した。
「……は、はい。真司さんとクローラさんがそれでいいのなら……」
「何を勝手に……」
 真司は抗議するがリーラは聞く耳を持たず、それどころか、
「せっかくのクリスマスなんだから、こんなときくらいヤドリギの飾りの下でユマの唇にキスするとか押し倒すとか大胆に行きなさいよ、十五分あればできるから」
 などと真司にだけ聞こえるように小声で耳打ちするのである。
「おい!」
 思わず真司は大きな声を出してしまっていた。
 一方、クローラもこの提案には渋っていた。
「俺も……困る」
「いいの? エスコートもできずダンスも誘えず、プレゼントも渡せず……だったらあまりに虚しいクリスマスにならない?」
「それは……」
 結局は二人とも、了承した。
 どちらが先にユマと話すか……それが問題だったが、リーラとセリオスのコイントスによって真司が先と決まった。

 屋外に移る。
「さて、真司とユマを観察……いや、見守らせてもらうわよ」
 リーラはワイングラスを片手に、『ダークビジョン』と『ホークアイ』で二人を観察していた。
 だがちょうど、二人はヤドリギの下のベンチに消えてしまった。あの場所は死角になっており、様子はうかがえない。
「ちぇ……こうなったら上手く行くことを祈るしかないか……」
 
 時間が遅いせいかもう人の姿は見えない。
 クリスマスツリーの下、真司とユマは並んでベンチに座った。
「すまない。なんだか妙なことになってしまって……」
「いえ、リーラさんのおっしゃることもわかります。私が、はっきりしないのが悪いんです」
 真司は優しく首を振った。
「自分を責めるな、ユマ。いいんだ。ユマのせいじゃない」
 それで……と彼は話を切り替えて、
「さっき触れていたが……少しは、自分が好きになれたようだな。おめでとう」
「……ありがとうございます。真司さんに……クローラさん、それに、鳳明さんたちたくさんの友達に支えてもらっている私は幸せ者です。それを否定するのは皆さんに申し訳ないし……罰当たりだと思って」
「罰当たり、とはまた古風な」
「え、古いですか?」
 この短い会話で、いくらか緊張がほぐれたと思う。
「メリークリスマス、ユマ」
 ささやかながらプレゼントだ、と真司はムーンライトイヤリングを手渡した。
 月明かりのように優しく輝くイヤリングだ。大人びたデザインだが、それがユマには似つかわしい。
「ありがとうございます。いずれつけさせてもらいますね。それであの……これ」
 ユマからもプレゼントがあるという。
 それは男性用の雨傘、英国製の高級品だ。柄は木製、正装に似合うシャープな黒だった。
「気に入っていただけるかわかりませんが……」
「ありがとう。使わせてもらうよ」
 それで、と軽く咳払いして真司は言う。
「ユマ、ヤドリギの飾りについての言い伝えって知ってるか? ヤドリギの下でキスをすると幸せになるって内容なんだが……」
「え? 知りませんでした。でも……それは……」
 彼女の顔をのぞき込み、真司は静かに笑った。
「無理にとは言わない。またの機会にさせてもらうよ」
 リーラだったら押せ押せ、と言うかもしれない。
 だが、少しでも拒否の色がある以上、無理強いはしたくなかった。

 クローラはユマに、真司とのことを聞くべきか迷った。
 何を話した、とか、何をもらった、とか……だがいずれも、自分が惨めになるだけだと思ってやめた。
 十五分きっかりで真司とユマは戻ってきた。交替となり、やはりヤドリギの下に来ている。クローラは知らないことだが、さっきユマが真司と腰掛けたのとは別の地点だ。
 ――迷っていても仕方がない。自分のできること、今したいことをしよう。
「メリークリスマス」と、彼は小さな包みを手渡した。
 受け取るユマに重ねて、
「そして、ハッピーバースディ」
 大きな袋も手渡した。
「え……? 誕生日、覚えていてくれたんですか……?」
「大蛇事件で渡せなかったから、少し遅れてしまったな」
 クローラは笑って、開けてみてくれと言った。
 小さな包みの中は手袋、ブラウンのレザー製で、内側がカシミヤだ。ユマの細い指によく似合うデザインだった。
 そして大きな袋には、ロシア風のコートが入っていた。
「俺が着ている物の女性用だ。普段使いにできると思う」
 いいんですか、と驚くユマに、気にしないでくれと言って彼は続けた。
「俺たちの故郷は地球のロシアという国でとても寒い。コートは必需品だ。ユマを一度連れて帰れたらと思う……白と灰色の世界が遅い春を向かえ、短い夏を謳歌する頃に」
「お国にはご両親が?」
「両親? あ……あぁ、他界した。家族は誰もいない」
 だがセリオスとユマがいてくれるから――そう言いかけたが、そうやって同情で気を惹くのは卑怯な気がして、恐縮するユマに「いいんだ」と微笑するにとどめてクローラは話題を変えた。
「そういえば、龍の舞の習得を祝福させてくれ。いずれ使う日が来るだろうが……」
「不安はあります。急ぎ足で習得したものですし、責任は大きいので……」
「ユマは心を解き放って一心に舞うといい。俺がユマを守る。ユマには俺がいる」
「クローラさん……」
 ありがとうございます、と彼女は深々と頭を下げた。
 クローラは一度、ヤドリギを見上げたがそれ以上は告げなかった。

 真司とユマ、クローラとユマについての聖夜の物語はここで終わりだ。
 ユマも、いつまでもこのままではいけない、と考えるようになったということだけ、事実として書き記してこの章を閉じたい。
 遠からず、彼女は心を決めるだろう。