葦原明倫館

リアクション

　２月１４日、バレンタイン。
　赤とピンクとチョコレート色に染まった空京の繁華街は、通りを歩くたび、角を曲がるごとにハートが目に入る。
　見えるものなら街灯にひらめくバレンタインデーの旗に店頭のディスプレイ。見えないものなら手をつないで歩くカップルたちから。
「みんなラブラブだなー。だけど、バレンタインもハートも、恋愛だけじゃないよね！」
　首から双眼鏡を下げた蒼空学園の女生徒守山　彩（もりやま・あや）にとってのバレンタインは、お世話になっている人へ感謝の気持ちを伝える日だ。
　相手は父親とパートナー。彼らの喜んだ顔を想像するだけで、チョコレート探しは楽しいものになる。
　しかし。
「どうせなら渡した時にドキドキして貰いたいんだけど、どんなのが良いかしら？」
　と、言いながら探し続けて三時間。まだ彩のお眼鏡にかなうチョコレートは発見できなかった。
　彼女が探しているのは、目が飛び出るようなレアなチョコレートで、でもそれは有名パティシエ・ショコラティエの高級チョコレートなんかではなく、もっとスペシャルでクールなものじゃなきゃいけなくて……、
「あ、あそこならあるかなっ？」
　やがて彼女が見つけたのは、お菓子屋さんでもデパートでもなく、雑貨屋だった。パラミタ各地そして日本から取り寄せた雑貨が、学生とりわけ女の子たちに人気で、この時期になると毎年バレンタイン特設コーナーは人で溢れかえる。彩は一般的な女の子とはちょっと趣向が違うから後回しにしていたが、珍しい雑貨も扱っている店なんだから、もしかしたら何か見つかるかもしれない。
　早速店に入ると、思ったとおり、多種多様なチョコレートがずらりと並んでいた。
　けれど、それでもなかなか気に入るものは見つからない。
「うーん、これもフツーよね。……プレゼントはインパクトだって、パパが言ってた気がする！」
　彩は高級チョコやラッキーチャーム型チョコはおろか、“チョコがけスルメ”や“ひとつだけ激辛なロシアンルーレットチョコ”などにも心が動かないようだ。
「もっとサプライズなものないかな……爆発するチョコとか」
　一応探し物はチョコレート。チョコレートですよ？　本当ですよ。
　……あ、これいいかも、と彼女はやがて、「びっくり箱から飛び出すチョコ」（ただし勢いが良すぎてチョコにノックアウトされる危険性あり）を手に取った。それからチョコレートを物色しながら手作りコーナーの方へ移動する。こちらにも何かあるかもしれない。
　手作りコーナーでは、百合園の制服の少女ロザリンド・セリナ（ろざりんど・せりな）が一人、両手にしっかりとチョコレートを握って、真剣な顔でパッケージを見つめていた。
（本当は手作りがいいのですが……）
　ちらり、と視線を棚に戻す。製菓用クーベルチュールチョコレートは、当然のようにバラバラの欠片だったりタブレット型だったりして、凝ったチョコやケーキを作れるのは、料理が趣味かとても得意な女の子くらいに思えた。
　その横の、溶かして固めて、ドライフルーツを乗せるだけキットも、卵焼きだってなかなか難しい彼女の料理の腕では、とても綺麗に仕上げる自信がない。いや、できるかも、しれない。でも、もし失敗してしまったら……、と暗い考えが頭をもたげてしまう。
　手の中に視線を戻す。
　彼女が持っているのは、成型済みの長方形のチョコプレートに、カラフルなチョコペンがセットになったものだった。チョコペンで絵を描く、これなら自分にもできる気がする。
　ロザリンドはチョコレートを渡したい、大切な人の姿を思い浮かべる。
（喜んでくれるでしょうか。ああ、そもそも受け取ってくれなかったらどうしましょう。……でも……渡して、伝えたい。そして……きっと来年は自分の手で作るんです）
　そんな決心をして踵を返そうとしたロザリンドと、そしてその横で奇妙なチョコを選んでいる彩の二人に、突然横から包みが差し出される。
「どうぞ、チョコレートです。ご賞味くださいませ」
　秋葉　つかさ（あきば・つかさ）だった。下着が見えそうなほど短いミニスカメイド服に、片手にバスケットを下げている。その中には二人に渡したのと同じ、たくさんの小さなチョコレートの包みが入っていた。
「販促ではございませんよ。お世話になった……これからなる皆様へ、私から手作りの、甘いミルクチョコレートです」
　甘い、のところにアクセントを置いて、つかさは意味ありげな微笑を浮かべる。
　慇懃に差し出されたチョコを二人が受け取れば、つかさは丁寧にお辞儀をして、次の知り合い──これから知り合いになる人──を求め、店から出た。
　そして、チョコレートを配り歩く。手作りといっても、これはただの義理チョコ。曲がりなりにも夜のお相手を探すのだから、市販品では恰好が付かない。
　──本命チョコもひっそりと作ってきたけれど。きっと、彼女に渡すことはないから……。
「どうぞ」
　甘いミルクチョコレート。蕩けるような甘い甘い一夜を過ごす相手がどれだけいても、どれだけできても、本当の恋は、片思いで、打ち消せないほどに苦くて。
「……はぁ」
　つかさはため息をそっと吐く。こんなことをしていれば当然、彼女には会うこともない。といって、特別行動を起こして会うつもりもなく……。
　やがてそのまま夕暮れを迎えて、彼女は予定調和を知りながら、半ば暗い気持ちで、自室でたった一つ残った、本命チョコの包み紙をゆっくりと開いた。
「あぁアレと同じ味……苦いけれどおいしゅうございます」
　苦みの強いビターチョコを口に含みながら、つかさは恍惚とした表情で、一人呟くのだった。