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【2】

  PM 16:00
    百合園女学院 学生寮



 如月 日奈々(きさらぎ・ひなな)が風邪で寝込んだとあったら、冬蔦 千百合(ふゆつた・ちゆり)が看病をするのは当然のことで。
 体調を崩している日奈々を置いて学校に行くなんて選択肢は生まれず、千百合はずっと日奈々の傍に居た。
 遅めの昼食を摂り、一息ついている。
「……千百合ちゃんの、手作りごはん……美味しかった、ですぅ」
「本当? 良かった。あたし、料理得意じゃないから……」
「得意、不得意、より……私にとっては、千百合ちゃんが作ってくれた、っていうだけで……嬉しいし……それに、本当に、美味しかった……」
「あ、あんまり言われても照れるな」
「……ふふ、照れてる千百合ちゃん、可愛い……」
 微笑んで日奈々が言うと、千百合は顔を赤くしてそっぽを向く。少しして、千百合のスカートがくいっ、と引っ張られた。日奈々の細い指が、スカートを握っている。その手を取って、両手で包み込むように握りしめるとくすぐったそうに日奈々が笑った。
「何かしてほしいことはある?」
「え、っと…………、……汗、かいて気持ち悪い、から……身体、拭いてもらえますかぁ……?」
「……身体、拭くの?」
「い、いや、ですか?」
「嫌じゃなくて、えっと……」
 身体を拭くということは、今着ているパジャマを脱がせてからしないといけなくて……。
「……いいの?」
「千百合ちゃんなら……」
 そう言われて、お湯とタオルを用意した。パジャマのボタンを、外していく。
 ひとつ外した。鎖骨が完全に露わになった。
 ふたつ外した。薄い桃色のブラジャーがちらりと見えた。
 みっつ外して、下着が露わになって、よっつ外して、小さなおへそが見えた。
 いつつめでボタンは全部外れて、白くなめらかな肌が晒される。脱がせようとした千百合の指先が脇腹をかすめて、日奈々がの肩がびくりと震えた。「ぁ、」と小さな声が漏れる。
 色っぽい。
 風邪を引いている相手なんだ。襲ったりしたら、だめ。絶対、だめ。千百合は自分に言い聞かせてパジャマを脱がせた。
 タオルで肌を拭いていく。優しく丁寧に、壊れ物を扱うようにゆっくりと慎重に。
 そのゆっくりとした手つきのせいか、日奈々は何度かびくりと震えている。
 胸のあたりを拭いた時も。
 パジャマの下を脱がす時も。
 太腿を拭いた時も。
「千、百合、ちゃん。……もっと、強くしても……平気、ですぅ……」
「……日奈々、ちょっと黙ってて」
 今のキミの声、すごく色っぽくて理性が飛んじゃいそうだから。
 もちろん全部言えるわけが無くて、黙っていろとだけ言うと、日奈々は両手で自分の口を押さえて声を出さないようにと努めた。その素直さが可愛くて、ああ。
「…………我慢できなくなりそう」
「?」
 口を塞いでいるから、視線で疑問を送る日奈々。答える代わりに千百合はキスを落とした。
「んっ……、……千百合ちゃん……?」
「なんでもないよ」
「あ……、喋っちゃった……ごめんなさい、ですぅ……」
「それは、もういい。日奈々、身体拭く以外にしてほしいことある?」
「……えっと、……寂しい、から……一緒に、寝て、欲しい……ですぅ」
「添い寝?」
「……はい」
 小さく頷いて、上目遣い千百合を見る。千百合は日奈々に新しいパジャマを着せながら「いいよ」と微笑んでベッドに潜った。
「これでもし、あたしに風邪がうつっちゃったら日奈々が看病してね」


*...***...*


  PM 16:00
    学生寮


 指先に力をこめているつもりなのに、あまり感覚が無い。
 そのくせふわふわと浮いているような感じはする。ただそれは、どうも生理的に受け付け難い浮遊感で、気分が悪いといったらない。
 このまま死ぬかもしれない。
 テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は漠然とそう思い、身震いした。寒気からか恐怖からか、判別がつかない。
 気が弱くなっている。今の自分は誰よりも弱い。そんな自分を見られたくない。
 だから誰にも連絡をしなかったけれど、思い切り裏目に出ていた。ろくに動けないのに、一人きり。
 どうしてこうなってしまったのだろう。
 思うのはそればかりで、答えは出ないまま同じ言葉ががぐるぐるぐる。回る頭に大切な人がぼんやりと浮かんでは消えて、
「……陽、」
 たすけて、と言いたくて、言えなくて、口を噤む。
 ぅー、と唸りながらぼんやりと開いた目に、見慣れたパートナーの姿が見えた、気がした。
 視界が暗くなる。意識が遠のく。ああ、本当にこのまま死んでしまうのではないだろうか。
 手を伸ばす。宙に伸ばす。何かにすがるように、伸ばして。
 その手を握り締められたように感じたところで、暗転。

 四。
 何日姿を見ていないか、数え始めてその数字。
 冒険に出掛けて、連絡なく姿を見せなくなることはあったけど、その期間が四日というのは初めてだった。
「どうせどうせ、ボクはテディの足手まといにしかならないよ。なれないよ」
 自虐的に、皆川 陽(みなかわ・よう)は呟いた。
 テディの冒険について行くことすらできない。テディのオマケだって? オマケのほうがもっといい働きをするんじゃないか。ボクなんて、居ても居なくても同じ。変わらない。
 でも、ボクはテディが姿を見せないとこんなに不安になるなんて。
「不公平だ」
 ぽつりと呟いて、立てていた膝に顔を埋めた。なぜか泣きそうになった。不安なんだ。怖いんだ。何が? よくわからないけれど。
 だから、会いに行くことにした。
 テディの部屋に着いて、ドアを叩いた。返事が無い。ドアノブを捻った。あっさりと開いた。不審に思い、「テディ?」部屋の主の名前を呼ぶ。やはり返事はない。不安が募る。
 部屋に入って、ベッドの上で苦しそうに喘ぐテディの姿を見て、不安的中。駆け寄って、だらりと伸ばされた手を掴む。握ると、かすかに握り返してきた。もう片方の手を額に当ててみる。熱い。尋常じゃない。
 手を離し、水に濡らしたタオルを持ってきて額に乗せて、部屋から氷枕を持ってきて頭の下に敷いて、それからもう一度手を握る。
 バカは風邪を引かないとか、言うし。
 実際いつもうるさくて元気だったから、こんなことになっているなんて予想していなかった。
 自分がうじうじと俯いている時、テディは一人で苦しんでいたのかな、なんて思うと心苦しい。
 もう少し連絡をとり合うようにすれば良かった。
 そう思いつつも、こんなに弱っているのに連絡もくれないんだ……とヘコんだりして。

 心地好い。
 そう思ったのは、熱っぽいところを冷ましているものの温度か、それとも握られた手の感触か。
 薄く目を開けて、そこに陽が居たことにテディは驚く。陽はなんだか難しい顔をして眠っていた。身じろぎすると、額に乗っていたタオルが落ちて陽の頬に触れた。タオルをつまんで退かすと、「うぅ〜……」と呻く声がして、思わず身体を強張らせる。起こしてしまっただろうか。
「テディの、ばか……」
「……」
「こんな時くらい、頼って……くれたって」
 それ以降は口を開かない。
 寝言、だろうか。それにしてははっきりとしていたけれど。
「……ごめん」
 強くならなければ、と思っていた。
 弱いところは見せたら駄目なんだと。
 じゃないと、陽を守れないんだと。
 そうして前を向いて走った結果こうなったのだとしたら、自業自得だし酷く無様で、さらには陽も傷つけた。……たぶん。
「次からは、もうちょっと頼る」
 辛い時に駆け付けてくれるくらい、陽は頼れるんだから。
 弱さを曝け出すのを怖がって歩み寄らずに居ないでみようと。


*...***...*


  PM 16:00
    学生寮


 リィル・アズワルド(りぃる・あずわるど)には夢がある。
 その夢は幸せになること。そして、その幸せの絵には天苗 結奈(あまなえ・ゆいな)の存在が不可欠だ。
 でも、何度愛していると言ってもかわされてしまうので。
 これはチャンスなのだ。
 風邪を引いて寝込んでいる結奈。看病して好感度UPを狙うのも、よからぬことをして既成事実を元に幸せの足がかりを作ることもできる。
 もう一度言う。チャンスである。
 後者は力技すぎるからあまりしたくない。きちんと自分の力で結奈を振り向かせたいから。けれど作っておくだけなら損にもなるまい。ただし、そのためには。
「結奈ちゃん、大丈夫ですか……?」
 つきっきりで結奈の看病をしているフィアリス・ネスター(ふぃありす・ねすたー)が邪魔になる。横目で睨むと、フィアリスも睨んできた。火花が散る。ただ一人、結奈だけ気付いていない。
「(結奈ちゃんによからぬことを考えているんじゃないの)」
「(ゆいの看病をしたいだけですわ)」
「(嘘仰いな。嫌らしい目をしていましたもの)」
「(被害妄想ですわ、はしたない)」
 結奈に余計な心配を掛けたくないからと目で会話をする二人は、仲が良いのか悪いのか――火花は相変わらず、散っている。
「ゆい! おなかはすいていないかしら? ワタシ、ゆいのためなら料理だってなんだってしますわよ」
「いえ、結奈ちゃん。私が身体に良いものを作って差し上げますから、是非そちらを」
「うーん、そんなに食べられる気がしないから……今は、平気だよ」
「じゃあ水分補給をしましょう。スポーツドリンクを用意してありますのよ」
「いいえ、風邪ならしょうが湯です。すぐに作れますし」
「んーと……? 二人とも、さっきからなんだか変だよね……? 私、大丈夫だよ?」
 病床に臥してなお、結奈は二人のことを思いやって微笑む。その微笑みにKOされているリィルと、子を見守る親のような目のフィアリス。
「可愛い……反則ですわ、あの笑顔……」
「私たちを思いやってのあの発言……結奈ちゃん、素敵です……」
 熱のある結奈よりも熱っぽい二人の発言には苦笑する他ない。結奈は苦笑しつつも、「うん、そうだな。喉、少し乾いたかも」爆撃のスイッチを押した。
 これにすぐ反応したのはリィルで、
「ならばワタシの用意したスポーツドリンクを! ああ、身体を起こすのは大変ですわよね! 起こさなくても結構、ワタシが口移しで飲ませて差し上げますわ!」
「ちょ……! リィル! あなたどさくさにまぎれて何を」
「りぃちゃんが飲ませてくれるの?」
「結奈ちゃんも流されないで! ほら、しょうが湯を用意しますから!」
「甘い方が、いいなぁ。それに私、熱いもの飲んだり食べたりするとやけどしちゃうかもしれないし……ほら、猫舌だから」
「ならふーふーして冷ましてあげますから! 甘い方が良いならはちみつレモンにしますから! だからリィルの発言はスルーしちゃってください! 毒牙にかからないで!」
「なっ、フィア! 黙って聞いていればさっきから、あなたねぇ! 失礼ですわよ!?」
「邪なオーラをばりばりと放っているリィルが悪いのです」
「なんですって――!」
 言い争いがケンカに発展しかけたその時である。
「……ふたりとも、ケンカしないで……?」
 うるんだ瞳で、紅潮した頬で、掠れた声でそんなことを言われたら。
「反則ですわ……」
「反則ですね……」
「?」
 そうしてフィアリスが緩んだ隙を、リィルは見逃さなかった。スポーツドリンクを素早く口に含み、結奈に口移しする。突然のことに戸惑って、飲みきれなかった水分が唇から顎へと伝う。
「ん、っ……」
「な――!」
「ふふ、ごちそうさまですわ♪」
 小さくガッツポーズして、リィルが笑った。
「あ……あなたねぇっ、病人相手に――!」
「ふふふ、やってしまった者勝ちですわ」
 再燃する言い争いを尻目に、ぽつりと結奈が呟いたのは、
「飲ませてもらったんだから、私がごちそうさまを言う側じゃないのかなあ……?」
 どこかズレたことだった。


*...***...*


  PM 16:00
    百合園女学院 学生寮


 遠鳴 真希(とおなり・まき)が風邪を引いたとメールを受けて、ヴァイシャリーまで来たのはいいが――よく考えれば自分は男だし、寮に入れるわけがないよな、と瀬島 壮太(せじま・そうた)は立ち止まった。
 見計らったように、そこでメールが届く。開いてみると、『待合室がありますので、そちらで』簡潔に書かれた文章と、添付ファイルに待合室までの簡易地図があった。それを見ながら待合室に向かうと、居た。ユズィリスティラクス・エグザドフォルモラス(ゆずぃりすてぃらくす・えぐざどふぉるもらす)が、長い足を優雅に組んでソファに座っている。
 ユズはすぐに壮太に気付き、立ちあがって出迎えた。それからもう一度座る。壮太もそれに倣って座った。
「ども、真希は――」
「お会いさせられません」
 挨拶よりも先、ぴしゃりと言われた。ぐ、と言葉に詰まる。沈黙。
 ユズの目は、冷たい。真希を見る目はすごく暖かいのに、壮太を見る目は冷たい。
「……それで。真希の容体は」
「わたくしがあなたにお知らせする義務はないかと思いますが?」
「じゃあ何で待合室まで教えてくれたんだよ」
「わたくしから伝えたいことがありまして」
「……?」
「真希様は体力のある方です。いつも元気で、笑っておられる方です。それはあなたもご存知でしょう? 真希様はこれくらいの風邪で倒れるはずはないのです。
 なのでわたくしは考えました。どうして倒れてしまわれたのだろう? どうしてあんなに苦しそうな顔をしてらっしゃるのだろう?
 答えはすぐに出ました」
 それまで淡々と、どこを見るでもなく謳うように言っていたユズの目が、鋭く壮太に向けられた。
「あなたがいらぬところに連れまわしたりするから、真希様のお身体は弱っていたのではないのですか?」
 ……本当に?
 だって真希はいつも楽しそうに笑っていた。壮太さん。壮太さん。ありがとう。楽しい。もっといろんなところに行きたい。そう言って笑っていた。
「否定しますか?」
「肯定はできねぇよ」
「病は気から、と申しますし……ならば精神的なものかもしれませんね」
「精神的?」
「いろんなところで浮名を流されているようで、お噂はかねがねお聞きしております。これでは真希様の気も休まりません。
 それと、真希さまからお聞きしました。『大人の』女性がタイプだそうですね」
 ユズが微笑んだ。冷ややかな、とても冷たい笑み。気の弱い相手ならこれで凍り付いて動けなくなりそうだ、と壮太は思う。なまじ綺麗な女性の笑みなので余計にそう感じる。
「言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「お遊びでしたら、そろそろ身を引く頃合だと思いますが?」
 壮太の言葉にユズは間髪入れずそう言った。
「遊びじゃねえ」
 こっちも間髪入れずに答える。
 沈黙。
 しばし後、壮太がため息を吐いた。頭をがりがりと引っ掻く。
 なんでだろう。
 オレはもっとこの人と、普通に接したいのに。
 真希が大事に想っている相手で、真希を大事に想っている相手で。
 それなのにどうしてこんな風に、冷たい目を向けられるんだろう。
「オレはもっとユズ姉さんと仲良くなりたいんだけど」
「それはわたくしの見た目が『大人の女性』だからですか?」
 せせら笑うようにユズが言った。
 だめだ。真っ直ぐ伝わらない。
 俯いて、再びため息を吐いたときだった。
「!? 真希様?」
 ユズの声に顔を上げるとパジャマ姿の真希が立っていた。額に冷却シートを張りつけ、熱で辛いだろうににこにこと笑って、そこに。
「来ちゃったー……えへへ」
「横になっていてくださいと言ったでしょう?」
「ユズと壮太さんが喋ってるって聞いたから。ずるいよ〜、あたしだって寝てばっかりじゃなくてお喋りしたい」
 真希は壮太の横に座り、寄りかかろうとして壮太の膝の上に倒れ込む。「ありゃ」と小さな声が聞こえたから、そうしたくてしたのではないのだろう。まだふらふらしているのかもしれない。
 壮太は真希の額に手を乗せて、
「このまま寝てろ」
 と言った。頭を撫でる。さらさらの髪を手櫛で梳く。くすぐったそうに真希が笑った。
 少しして、寝息が聞こえてくる。寝てからも壮太は真希を撫でていた。愛しそうに。
「わたくしは、瀬島様のそういうところが嫌いなのです」
 ユズが呟いた。ああ、今日初めて名前を呼んでもらった。言いたいことを言って、いくらかマシになったのか。それとも真希が来て、何か途切れたのか。
 ギスギスしきっていた空気がゆるんでいた。
「オレはユズ姉さん好きだけど?」
「そういうところも、嫌いです」
 少し、笑えた。