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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 24

 校舎裏の星が綺麗なんだって、と琳 鳳明(りん・ほうめい)は丘に誘う。
「ファイ……いえ、今は『ファイス』だったよね。ほら」
 鳳明はファイス(クランジΦ)の手を引く。ようやく見つけた彼女は、多くの『友達』に守られていた。自分もまた、ファイスの友達の一人になりたいと思う鳳明である。友達だから、細心の注意を払う。
(「怖くない……というより、こちらが怖がってないよ、ってことを知ってもらわないとね」)
 知ったときは驚いたものだ。見慣れぬ美少女がいると思いきや、その子が塵殺寺院の機晶姫だったなんて。
(「でも、兵器としての姿を知らないまま、一人の機晶姫として知り合えて良かったのかも」)
 鳳明にとって幸いしたのは、その恐ろしさを直視していないことにある。かつてクランジと対戦した者の多くが、酷い怪我をしたと聞いてはいるが、この小柄な、浴衣を着て淡いブロンドを結った少女が、それほどの脅威とはどうしても思えなかった。だからファイスに対しては、畏れより好奇心が勝る。
「出店回ってお腹一杯食べて遊んで……今日はたっくさん楽しいことと出会ったみたいだね。これが気になるの? ふふっ、これは焼きそばといってね、夏祭りの定番なんだよ。美味しそうな匂いがするでしょ? 食べてみる?」
 そして鳳明はファイスを、星の見える丘に連れて行くことにした。
 祭の会場からわずかに離れただけで、人工の光は失せ、朧気ながらも印象的な光景となる。
 七枷陣が空の一角を指して言う。
「星はええもんやろ? 知ってるか? あの光って、何百年だか何千年前だかの光らしい」
 星を除けば黒一色の夜空のようでいて、その黒の濃淡は均一ではない。暗黒星雲の黒い筋、これが竜巻のように固まり、あるいは散って、星の渦のような光景を作り出している。陣が指したのは、その代表的な一つである。
「通称を干潟星雲、いて座の散光星雲ですね。あの光は、3900年ほど過去のものになるようです」
 小尾田真奈が補足した。
「どう、綺麗なものでしょう? 面白い?」
 鳳明が問うと、ファイスは小さく頷いた。
「本機のデータには、存在しないものばかりだ」
 色気のない機械的な反応だが、これはきっと、ファイスなりの最大の賛辞であろう。
 その証拠にファイスの目には、知性の輝きが宿っていたのだ。

「ほら、あれが夏の大三角形、こと座のベガ、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイルって言って……」
 コトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)がクランジに星を説明していた。コトノハは直感的に相手の正体を見抜いている。
(「この子、きっと機晶姫ですよね。しかもどこか危険な雰囲気がある……以前逃走したクランジΦって子なのでしょう……」)
 コトノハは彼女を『Φ』だと思い込んでいるものの、その実、彼女は『Υ』なのである。Φと面識のないコトノハはそのことに気づいていない。すでに能力の片鱗が認識されているファイ(現在はファイス)より、ユプシロンのほうがずっと危険な存在ではあるが、たとえそのことを知っていたとしても、コトノハは態度を変えたりはしないだろう。
「そして、あれがさそり座。さそりは鋭い毒針で生き物を殺してしまう恐ろしい虫……でも、さそり座を象徴する1等級の星『アンタレス』は。万物の幸せを願って自分の身を焦がし、自らを犠牲にしてまで
炎となって宇宙を照らしているんです」
 ユプシロンの視線の先を確認し、続けた。
「だから、あんなに赤い星なんだと……言われています」
 コトノハの意図は通じただろうか。人を殺す力も使いようによって皆を幸せにする力に変えられる――このメッセージは。
「犠牲、ですか……」
 ユプシロンはその言葉を繰り返した。何か、感じ入ったのだろうか。
 コトノハとユプシロンは、髪の色が似ている。切れ長の目という共通点もある。事情を知らない人が二人を見れば、姉妹かと思うかもしれない。
 コトノハとクランジを、影のように見守る姿があった。
(「はぐれ機晶姫……とでもいうのか? 機晶姫が単独行動しているというのは不可解だ。何かから逃げているのかもな」)
 ルオシン・アルカナロード(るおしん・あるかなろーど)はクランジを保護しようと考えていた。
(「恐らく彼女は、命令を喪って行動方針のない状態、ここで保護して味方にできれば……」)
 戦いにおいて有利になるということ以上に、価値あることだとルオシンは信じる。
 それと同時に心配なのは、妻であるコトノハのことだ。飼い慣らされた虎でも、突如として飼い主に牙を剥くことがあるという。ましてや相手は殺人兵器だ。コトノハとて覚悟の上だろうが、それでも、万が一の事態がないとは言い切れない。そうなったらルオシンは、命を賭して彼女を守る決意である。ゆえに彼は気配を消すようにしながらも、剣――常に佩く『エターナルディバイダー』の柄から片時も手を放さないのである。
 このときルオシンの懸念が、突如として現実となった。

「任務開始します」

 ユプシロン、菫色の髪のクランジは、突然機械的な声で呟くと、傍らのコトノハを押しのけた。
「えっ!」
 反射的にルオシンが飛び出す。彼女を守るという彼の目的はすぐに達成された。なぜならユプシロンの目的はコトノハではなかったから。
 クランジ『Υ』はその本来の使命に移ったのである――それは『Φ』の破壊。
「破壊対象発見、コードネームC・U・R・N・G・E。個体名『Φ(ファイ)』!」
「Υ(ユプシロン)――!」
 ファイス……ファイは駆け出した。彼女を取り囲む友達の輪から逃れ、自分を殺しに来た刺客と向き合った。
 クランジΦとΥが対面する。
 いずれも浴衣姿。星灯りのみの闇の中。
 だがファイスの浴衣は、裂けた。
 伸ばしたユプシロンの腕の先から、鋭く尖った鉄串のようなものが噴射されたのだ。串は、ファイスの肩を貫通し地面に突き立つ。
 二人は、機械工学の生み出したカインとアベルのように睨み合う。
「ユプシロン……本機を追ってきたか」
「任務に失敗した個体の末路は一つ。本機の目的はその執行……処理する
「拒否する」
「抵抗は無意味。量産前提で作られた後期型が、よりオリジナルに近いタイプIII(スリー)に勝つことは不可能。現実を受容せよ」
「拒否する!」
 このときグレン・アディールがいち早く飛び出していた。
「刺客まで紛れ込んでいたとはな……!」
「たった一体で仕掛けてくるたぁ良い度胸だ!」
 李ナタの行動も早い。紅蓮の槍を真横に構える。
 ほぼ同時に逆方向から、
「やっと見つけた! その人は……!」
 葛葉明が姿を見せ、ジークフリート・ベルンハルト、セルマ・アリスも到着していた。
 ユプシロンの言う『処理』が破壊であるのは明白、琳鳳明は我が身を省みず飛び出している。
「させない!」
「ファイス様を破壊する気なら、先にスカサハを破壊することです!」
 スカサハ・オイフェウスも身を挺し、大切な友人を守ろうとする。
 真の闇夜だった空が、予告もなく七色に光り輝いた。
 花火だ。空に打ち上げられ、ぱっと周囲が明るく照らした。この一瞬の間を突いてファイスは身を屈め走り出し、ユプシロンもこれを追って姿を消す。
 すべてが、わずか十数秒の出来事であった。