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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~2009年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~2009年~
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リアクション


第1章 13日の魔物 12

『了解しました。作戦はお台場で敢行。イレイザースポーンによる騒動の鎮圧、及び歴史の改竄の阻止――間違いないでしょうか』
 携帯電話を片手に、通話口の向こう側にいる相手に確認を取ったのは一人の女だった。
 年は一見すると20代後半といったところか。しかし、女性の年齢というのは一目では分からぬことが多い。実際のところはいくつの齢にあるのか、不確かなのが現状だった。
 林田 樹(はやしだ・いつき)――それが、女の名である。
 彼女もまた未来から2009年へとやって来たパラミタの契約者だった。その目的はもちろん、インテグラルの陰謀から世界を救うことにある。ただそうでなくとも、彼女はシャンバラ教導団員としての使命を帯びている。
 金 鋭峰(じん・るいふぉん)団長がこの作戦に従事している以上、団員である彼女もそれに従うのは道理だった。
 ピッ――と、電話を切って、樹は仲間たちに向き直った。
「現場に向かおう」
「ヘリファルテなら用意してあるよ。お台場までそう時間もかからないはず」
 樹に答えたのは、微笑を浮かべている穏やかな印象の青年だった。
 緒方 章(おがた・あきら)という、樹のパートナーである。彼はヘリファルテの鍵を樹に投げ渡してから、ふと真剣な表情で尋ねた。
「樹ちゃん、電話では何を確認してたの?」
「……お台場に、『ステラシアター』という一座が来てないかと思ってな」
「それって……前に樹ちゃんが話してくれた旅芸人の一座……?」
 問いかけるような彰の言葉に、樹はうなずいた。
「だが、死ぬべきだった人間を助けることは、してはいけない。それは今作戦で重大な作戦違反になるからな。それに、未来を変えてしまう可能性も高い。特に、人の生き死には」
「そっか。そうだよね」
 多少は期待を持っていたのかもしれない。
 彰は諦めたように息をついて、それからそれまで黙っていた他の仲間たちに視線を送った。
「だ、そうですよ、『先生』」
「…………そうですか」
 彰に『先生』と呼ばれた男は、消え入るような声でそう答えた。
 アルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)――普段は樹たちと敵対関係にある、天御柱学院の生物教諭である。見た目の理性的で人当たりのよい印象とは裏腹に、その腹の底は深い闇で満ちている。
 今回は世界の生存がかかっているということもあって、作戦に協力するようであるが――彰の視線は明らかにこの男を信用していなかった。
「まあ、教導団の作戦というのは不本意ですが、従いましょう。緒方君、足を引っ張らないようにお願い致しますよ」
「『先生』こそ、余計なことはしないでください」
「キサマァ! マスターに対してそんな口聞くんじゃねぇ!」
 彰の侮辱の言葉に反応して、激昂したのはアルテッツァの傍にいた強化人間だった。ポニーテールの黒髪の下は清楚な顔つきをしており、それまでは儚げな印象を受ける娘だった。しかし、彰の言葉を耳にして一変している。
 獰猛な獣が牙を剥き出しにするように、今にも飛びかかりそうな勢いだった。
「スバル、落ち着きなさい。ここで争っても仕方ないでしょう」
「だけど、マスターっ」
「すぐにお台場へ向かいましょう。作戦は早いに越したことはないのでしょう、イツキ?」
「ああ。今回は貴様との共闘だが……おかしなことは考えるなよ」
「……ええ、わかっていますよ」
 お互いを視線だけで牽制し合って、彼らはそれぞれ現場に向けて動き始めた。

「いつき〜、買い出しはこれで全部よ、荷物持ててる?」
「ママーイ、私にばかり持たせるの、修行か何か?」
 お台場に買い出しに来ていた少女と女性の二人組が、買い物を終えて帰路についている途中だった。
 荷物はなぜか少女が全て持っている。よたよたとしながらも歩くその様子を、ふくよかせ母性に満ちたような女性が微笑ましそうに見つめていた。
 女性は日本人ではなかった。色黒の肌にくるくると巻かれた茶系の髪――ブラジル人で、エバというのがその名だった。
 対して少女は純粋な日本人である。『いつき』――そう呼ばれた幼い林田樹は、いい加減にエバも持てと言わんばかりにふくれっつらになった。
「ママーイ、いじわる……」
「あはは〜、そういうワケじゃないんだってば、たまたまよ、たまたま。ジャポンの食べ物はどれも美味しそうなんだもの〜。つい、いっぱい買っちゃったわ」
「トキオは物価が高いんだから、あんまり買いすぎるとよくないよ」
「はいはい、わかってます。さ、帰ったら食事作りよ、いつき、いつもの通りお手伝いお願いね! あんまり食わない“あると”に、今日こそ食べさせなきゃ、ねっ!」
「うん、そうだね」
 買い出しした食材をエバと二つに分けて、二人は買い物袋を手に東京の街を歩いた。
 ダンッ――と、異形の影が目の前に降りてきたのはそのときだった。
「……な、なに……っ」
 一瞬、それが何であるのかはまったく分からなかった。
 だが更に分からなかったのは、イツキには見えていても、エバにはその姿が見えていないことだった。
「ママーイ、何か、変なの、いる……。翼が生えている……あれ、ガーゴイル?」
「え、ガーゴイル? そんなの見えないわよ、いつき。それよりも、どうして突然あすふぁるとがへこんだのかしら?」
 そんなことを言って、首をかしげながらエバは魔物に近付いていく。
「エバッ! 危な――」
「え……?」
 瞬間、突風のような風が吹きつけたと思ったとき、エバの腹部からおびただしい量の血が噴き出た。それはイツキにしか分からぬことだったが、ガーゴイルの振るった爪によって斬り裂かれたからだ。
 イツキはエバに駆け寄る。倒れ伏したエバの手を握って、彼女は泣きじゃくった。
「エバッ! エバッ……しっかりして!」
「イツキ……泣かないでよいつき……もうダメなの……分かってるから」
 それが何であったのかはエバには分からない。しかし、自分がすでに息絶える寸前にあることは彼女には分かっていた。死とは、そういうものだ。
 突然、訪れることもある。旅芸人として当てもない旅を続けていたら、そんなときもいつかは来るのではないかと、漠然とした予感があった。
 それが――今だった。それだけのことだ。
 そのとき、泣きじゃくるイツキの傍に影が降り注いだ。
「えっ……?」
 顔をあげると、そこには二人の男女が立っていた。
 かたや一人の女は、目の前にいたガーゴイルに向けて二丁拳銃を構える。火を噴いた二丁拳銃の嵐によって、ガーゴイルは一気に殲滅された。
 そして一人の男は、イツキの傍に膝をつく。
「大丈夫。僕らがついてるから」
「う、うん……」
 誰か傍にいるという、それだけで少しは救われたのか。イツキは少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。
 ガーゴイルを倒した女は、男と同じようにイツキに目線を合わせ、彼女に事情を説明した。
 ガーゴイルたちはこの一匹だけではなく、街中で現れているということ。そしてそれはつまり、旅芸人一座である『ステラシアター』にも危険が迫っているということ。
「いつき、テントに戻って、何が起こったのかを知らせるんだ、良いな!」
「…………」
 事情を理解したイツキは女に説得されて、力強くうなずいた。
 旅芸人のテントがある方角へと走り去っていくその背中を見送って、女――時間を遡った林田樹はエバを見つめた。
「樹ちゃん、もう一度彼女を見送ることになるから、早めに立ち去った方が……」
「大丈夫だ、アキラ。今の私は、ちゃんとママーイを見送れる」
 そう言って、彼女はエバの手を取った。
「……あら? ……いつき、あんた何時の間に……大きく……なったの?」
「ついさっきだ、エバ」
「隣にいるのは……ハポネス? ……あんたにしては……いい男捕まえたじゃない」
 エバは嗚咽混じりに途切れ途切れの言葉を紡ぐ。
 一言一言を口にするたび、胃液混じりの血が唇から漏れていた。
「……あとは……あると……の……」
 それが、エバの最後の言葉になった。
 動かなくなった彼女の瞼を降ろして、樹は立ち上がった。それが、彼女の過去との邂逅――
「……私たちもテントに急ごう」
 うなずいた彰とともに、樹は過去の自分の後を追ってテントに向かった。

「アルト、よく聞くんだ」
 旅芸人一座『ステラシアター』の団長は、テントの中で目の前にいる少年に静かに語りかけた。
 まだ初老の男性である。家庭を持ってもおかしくない年だが、かといって隠居に近い年でもない。しかしながら、多国籍の人間を多く抱えるこの旅芸人一座を一人で纏めあげている有能な男だった。
 そして少年の名はアルトといった。
 実際には――本名は別の名前がある。しかし、ブラジルにある生家の跡目争いで命を狙われていることによって、それから逃れるためにこの一座へと加入し、男に楽士として迎え入れられた10歳のころから――少年の名前はアルトになった。
 少年自身も、それを変えようとは思わない。もはや少年にとって、自分の名前はアルトなのだ。それ以外には、考えられなくなっていた。そしてそう思えるほどに、彼にとってこの旅芸人一座というのはかけがえのない家族の場所であり、自分の居場所なのだった。
 そんな旅芸人一座の長が、改めてアルトに話をしようとしている。
「ここに君がいるのが、『反対派』の奴らに見つかってしまった」
 それは驚愕の事実であって、アルトの目を見開かせるに十分だった。
「そんな……ちょっと待って団長。ボクは家督なんか継ぐ気無いんだよ。それはみんなの前ではっきり言ったし、叔父さんだって分かってくれたはずなんじゃ……」
「いいかいアルト、叔父さんは、マフィアと手を組んでしまったらしい」
「マフィア……だって……」
 それはアルトですら予想していない事だった。まさか、あの叔父さんがマフィアとまで手を組むとは……
「その情報を聞いた時から、いずれこうなるということは、分かっていたんだ。だから、ワタシは今回トキオに公演に来たんだよ。ここは『外国人』には冷たいから……ね。マフィアの抗争なんて、新聞の片隅を賑わせて終わりになることだろうさ」
 悲観した話だが、間違いではなかった。実際、長い経済成長によって大きく日本は発展したが、それでも外国との隔絶はいまだ十分以上にぬぐえてはいない。閉鎖的なこの国であれば、確かに団長の言う通りに事が運ぶかもしれなかった。
「おお神よ、なんと言うことだ! 幸いここはトキオ、ジャポンだ!! 黒髪で日系のイツキだったら、無事ならば、この日本に溶け込むことができる」
 団長は仰々しく手を振って、アルトに言い聞かせた。
「でもそれじゃ、団長だって危ないんじゃっ……。それにイツキが…ボクは昨日イツキに結婚を申し込んだばかりで……」
「……お前だけでも逃げろ、アルト、さあ、早く!」
「逃げろって言ったって……何処に行けば……っ」
 ダンッ。
 ドアを激しく開け放たれる音がしたのはその時だった。
「まずい、追っ手がもう来たのか?!」
 拳銃を手にして、団長は追っ手を食い止めてアルトを逃がそうとする。しかし、その前に二人のもとにドアを破ったその正体が顔を現した――それは、追っ手でもなんでもない、異形の化け物だった。
「え? がーご、いる……?」
 団長にはその姿が見えていないのか。アルトのつぶやきに、何事かを振り返った彼を、ガーゴイルは無残にも容赦なく引き裂いた。
「団長っ!? 団長ッ!」
 それからは、地獄絵図の様だった。
 ガーゴイルたちは一斉にテントの中に飛び込み、その場にいた団員たちを八つ裂きにしていった。アルトは立ちすくみ、動けなくなっている。ガーゴイルにやられるのも時間の問題だった。
 だが、団長が彼に覆い被さった。息も絶え絶えだが、彼は必死にアルトを守っている。
 そしてしばらくの時間が過ぎたとき――ガーゴイルたちの姿はいつの間にか消え去り、残されたのは団員たちの亡骸と、団長の血に染まったアルトだけだった。
「団長……みんな……死んじゃった、の……?」
 呆けたようにつぶやくアルトに答える者はいない。
 代わりに――きぃっとテントのドアを開いて、誰かが入ってきた。
「あると……?」
 それは、幼いイツキだった。彼女はテントの中の様相を見て、愕然としている。その密閉された空間での血臭と屍の姿に、思わず吐き気を催していた。
「これ、いったい……」
「お帰り、イツキ……みんな、死んじゃった……ガーゴイル連れた……マフィアに……」
 実際のところ、マフィアがいたのかどうかは定かではない。しかし、いまのアルトにとっては、自分に危険を成す全てはマフィアのせいであることと同義だった。
「……! そうだ、エヴァ……ボク等のママーイは、ママーイは無事だよね?」
「みんな、死んじゃった……ママーイも、ガーゴイルに……」
「ママーイも、死んだの?」
 それはアルトにとって最後の希望だったのかもしれない。彼の目は悲しみと怒りとにない交ぜになって、畏怖すらも感じさせる色を帯びていく。
「……イツキ、キミだけは、いてくれる、よね?」
「待って、これから、私たちどうしたら……」
 待って……?
 イツキにとって、それは理解しがたい言葉だった。
 待ってってなんだよ。イツキは……イツキは……僕の傍にいてくれないの? イツキまで、ボクの前から消えるの? イツキ……イツキ……ッ!
「!?」
 アルトがイツキに組みしかかったのはそのときだった。
「イツキまで……イツキまでいなくなるの……ねえっ!?」
 常軌を逸した顔になっているアルトは、イツキの髪にヘアバンドのようにしてついていた赤いリボンを引き剥がして、それでイツキの首を絞めた。
 そのリボンは、アルトがイツキに結婚を申し込んだときにあげたものだった。今となっては、単なる凶器へと変貌を遂げている。
 イツキは必死になって逃げようとした。すると、その手がある硬い物に触れる。
 それは――拳銃だ。
「イツキっ……イツキ……っ!」
 ドゥンッ。
 カラン――と、音を立てて、落ちたのは空薬莢だった。硝煙の煙が鼻につく。アルトの胸に穿たれていたのは拳銃の弾による穴だった。
 無我夢中で逃れようとしていたイツキが、勢い余って撃ってしまったのだ。
「イツ……キ……」
 アルトはそのままくずおれて動かなくなった。
 死んだ。殺してしまった。拳銃を持つイツキの手が震えている。後悔と……だけど、そうしなければどうしようもなかったという、無情の念が彼女を包む。
 もう、ここにはいられない。
「あると……」
 イツキは一度アルトを振り返って、彼がしかし動かないのを見ると――亡くなった団員たちの無念を振り切るようにテントを出て行った。

「……アルト、貴様がやろうとしていることは、過剰な介入だ」
 テントのすぐ傍にあったのは、アルテッツァに銃を突きつける樹の姿だった。
 アルテッツァは人知れずテントの中に潜り込もうとしていたのだ。目的はただ一つ――過去のイツキに出会い、彼女がアルトを殺してしまう事件を起こさせないこと。
 しかしそれは、目的の達成を目前にして樹たちに邪魔されてしまっていた。
「どうしてですか、イツキ。ここで介入すれば……ボクとキミは離れずに済んだのでは」
「そんなものは……そんなもので変わった未来はなんの価値もない。いくら辛かろうがこの事件は起こさなければいけないんだ。今の、こうしていまいる私たちの現実を守るために。この事件があったからこそ――我々はあの大地にたどり着けたんだ」
「その未来は……私には無価値なものですよ」
「往生際が悪いですね『先生』、早々に退場願えませんか?」
 反対側から剣を突きつける彰が、怒りを含んだ声音で言った。
「……オガタ、貴男も過去に来てまでボクの邪魔をするんですね」
「キサマ、どこまで邪魔立てをする気だぁ!」
 捕らえられているアルテッツァの味方をして、六連 すばる(むづら・すばる)が牙を剥き出しにする。アルテッツァの命がかかってなければ、今すぐにでも彰を組み敷くつもりだった。
「君もだよ、六連くん……だったっけ? 2人とも余計なことをしたら僕が斬るから」
「…………」
 アルテッツァはしばらく考えるように黙り込んだ。
 やがて、銃声がテントの中から聞こえる。おそらくは――あの事件が起こったのだろう。アルテッツァは諦めたようにため息をついた。
「介入できない過去に意味はありません……スバル、作戦本部に戻りましょう。……スバル?」
 気付いたら、スバルの姿がなかった。
 代わりにテントの中から魔法の光が発生している音が聞こえてくる。よく聞くと、歌声のようなものも響いていた。
「スバル……」
 それは治癒効果のある魔法の子守唄だった。
 テントの中に入ったスバルが、傷ついた幼いアルトを抱いて、彼の治療に当たっているのだ。
 アルトはその時――自分の記憶の奥底にあった光景を思い出した。幼いころ、誰かに助けられた記憶だ。イツキではない、誰か。とても綺麗で上手な歌声だった。イツキは音痴だったから……それはいったい誰なんだろう? そんなことを思っていた。
(そうですか……これが……)
 過去は変えられない。だけどアルテッツァは、少しだけ自分の過去が変わったような、そんな気がしていた。
 テントの中のスバルと、それに抱かれる幼い自分を、アルテッツァはじっと見つめる。
「……終わったようだな、行くぞアキラ」
「うん、そうだね、樹ちゃん。本部に戻って報告しよう」
 アルテッツァを一度見やってから、彰と樹はその場を後にした。