リアクション
【11月】 「こっちでいいですよね」 ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)の小さな手には、古ぼけた手書きの地図が一枚。 「そうですね……この印があの木ですね」 地図を横から覗き込んだジーナ・ユキノシタ(じーな・ゆきのした)が、指差して答える。人差し指の先には、立派な大樹がそびえていた。 「きっとずっとこの景色を見てきたんでしょうね。私達が来てびっくりしているでしょうか」 自然を楽しむハイキング、この時期なら欠かせない紅葉狩りに訪れた生徒達は、途中小さな村に立ち寄っていた。契約者を噂にしか聞いたことがないという彼らは快く道と、面白い話と、そして地図を持たせてくれた。 この地図は、かつて、村の長老が若かりし頃、周囲を探検しつつ書き記したものだという。 「この辺りには、昔から恐ろしい人喰い怪物が出ると言われておってな」 血気盛んな若者だった長老は、仲間と一緒に怪物退治に出かけたという。けれど地滑りに巻き込まれ仲間とはぐれ……、 「その時に見たのじゃよ。水を求めて辿り着いたその泉には、人を喰うどころか、不思議な生き物がおってな」 怪我をしていた長老はその泉で体を休めさせてもらった後、一匹の獣に、村の近くまで案内してもらったのだという。 尤も、帰ってみたら何処をどう歩いたのかさっぱりわからなくなっていて、迷いながら書いた地図も、大分適当なものだというのだが……。 「ま、契約者が噂に聞くような力の持ち主であれば、無事に帰ってこれるじゃろう。気が向いたら行ってみるといい」 「──とは言っても、今のところは不思議な生物の予兆はないですね」 足を迷わず進めるジーナ。だが、ソアはそんなこととは関係なく、周囲をきょろきょろ見回しては、 「あ、あそこにリスさんがいますよ」 木の上、赤や黄の葉っぱの影を指差して、枝先を走る灰色のリスに嬉しそうな声を上げ、少し歩いたところでは、木陰の草むらに耳をそばだてて、 「あ、今がさって動きました。鹿さんですよ」 鹿が三頭、木立の陰からこちらを物珍しそうに見ていたが、振り向く気配に気付いたのか、落ち葉を蹴った。蹴られて舞い上がった紅葉に目を奪われているうちに、鹿はいつの間にか姿を消してしまっていた。代わりに細く高く残されたのは鹿の声。その声に遠くから、こちらはやや低い声が呼応する。 鹿の声を聞くと秋の寂しさ切なさを感じるともいうけれど、どこか民族楽器にも似たその声が誘うのは、異国の地でも感じる懐かしさだった。 ジーナはともすればまだ見ぬ生物を求めてつい足早になりそうだったが、ほんわか笑顔のソアが足を時々止めてくれたおかげで、他の生徒たちとバラバラにならずに済んだ。というのも、後続はもっと歩くよりも景色よりも、別のことに夢中だったからだ。 一行唯一の百合園女学院の生徒はずっと太陽を眺めるばかりで心ここにあらずと言った様子。 最後尾の白砂 司(しらすな・つかさ)は、ハイキングよりも錬金術の材料採取に真剣で、真剣すぎてはぐれかけそうだった。 「司さん、命をいただくのに真摯なのは良いことだと思いますけど……、きっと噂の場所には、もっと珍しい生き物がいると思うんです。日が暮れないうちに行ってみませんか……?」 珍しい植物やキノコに足を止め、一つ一つ材料を吟味しながら背嚢に入れていく司の元へ、ジーナは取って返して、控えめに提案してみる。 司とは、ドルイド学科のジーナも、錬金術学科の授業で顔を合わせたことがあり、彼が錬金術や薬学に熱心なのは知っていた。しかし……。 「何かおかしいか?」 司の手の中にあるのは、どこをどう見ても警告色としか思えない、ベニテングタケを三倍派手にした色のキノコで、荷物からはみ出ているのも、うねうね動く食虫?植物らしき蔦。更には荷物の中からギチギチ音が鳴っている。 「この音は何でしょうか」 「ああ、さっき見つけた実をもいだら、鳴り始めた。爆発はしないだろう……おそらく」 「そ、そうですね。……多分」 「どんな薬を作るにも、材料がなければな。日頃から自然に目を配っていなければ、見逃すものもあるというものだ」 司はあくまで真剣に、そう言う。 ハイキングに訪れたこの山は、イルミンスールから遠く離れ、しかも人の手が殆ど入っていない。それだけに、よく見れば紅葉や山の生物に混じって、見たことのない植物などがひっそりと生えており、司にとっては宝の山だった。とはいえすべてを持って帰ることなどできない。その中から一々熟考、取捨選択して採取したものだ。 「……だが、そうだな。急ぐとしようか」 しかし熟考を重ねた結果、一人はぐれてしまっては危険かもしれない。 司はジーナたちと共に、先を急ぐことにした。 紅葉でできたトンネルの中の細い土の道を抜け、木立の間のけもの道を抜け、やがて道そのものが消えた頃──、 「あ! おっきなリスさんですよ!」 ソアが嬉しそうな声を上げたかと思うと、駆け出した。 そのリスは、リスと言ってもひとかかえもあるような巨大なパラミタリスだった。小柄なソアならその背中に乗れてしまいそうだ。両手にどんぐりを抱えたリスは、ソアの声に気付くとぷいっと顔をそらし、走り出す。 ソアはあっけにとられていたが、 リスはたたた、と走っていったかと思うと、途中でくるりとソア達を振り向き、どんぐりを頬袋に詰めて、再び走り始めた。 「待ってください! ……みんな、あれはきっと、“不思議な生き物”ですよっ!」 何かに気付いたように言うや否や、目を輝かせ、リスを追って足早に歩き始めた。お昼過ぎになっていて脚も疲れ、お腹もすいてきたが、リスとお話ししたい、という気持ちの方が勝っていた。道中美味しそうなベリーを見つけ、鞄に入れると再び後を追う。 そんなソアの白い背中を、学生たちも追った。どこまで行くのだろう、と彼らは少し不安に感じもしたが、追いかけっこはそう長く続かなかった。 数百メートルもいかないうちに、突如草むらが切れて、泉が姿を現したのだ。 森の生き物の憩いの場になっているのだろう、そこにはさっき見た鹿やパラミタリス、小鳥たちが集っている。 「リスさんリスさん、これをどうぞ」 ソアはリスに近づくと、ベリーをパラミタリスに差し出した。リスは大きな頭を傾げて、指先でベリーをつまむと、早速口に入れる。 「ふふふ、美味しいですか? まだ少しありますよっ」 「もう馴染んでるんですね」 ジーナが泉に近づけば、彼女の目の前をさっと虹色の透明なものが過った。その光をよく見ようと目を凝らせば、それは空を泳ぐ小さな魚たちだった。空から降り注ぐ太陽の光を透かせ、反射させながら柔らかい羽衣のような尾を引いていた。 「綺麗ですね……何ていう名前の生き物なんでしょうか」 見とれて指先を光の中に差し上げるジーナに、司は何かの薬の材料に役立つだろうか、と言いかけて、口をつぐんだ。代わりに視線を巡らせて、泉の側に咲いている草の中から、一番禍々しそうな植物を選んで葉裏を眺めると、根元から引き抜いた。 ソアとジーナが動物たちと戯れ、司が植物の採取に熱中している間、真口 悠希(まぐち・ゆき)は一人ぼんやりと景色を眺めていた。 思い出すのは、いや、毎日思い出さない日がないのは、桜井静香(さくらい・しずか)と今年の新入生歓迎会で交わした会話。そして、伝えたかった言葉。 今は距離を置くように言われて、近くにいることはできないから、だからこそ忘れられない、伝えたい言葉。 (ボクがダメだったのはボクのせいです……。突然恋の競争が始まってボク、好かれたいって依存心が強くなり過ぎてました……。ただ……解ってたんです……甘えてばかりじゃダメだって解ってたから、ボク頑張って変わっていきますって意志表示で、静香さまも大変だけど一緒に頑張っていこう……変わっていこうって、背中を押し励ませたらって……) 悠希は、そんな自分の気持ちが静香に伝わっていないと思うと、悲しくなる。 (でも……ボクの真意はともあれ、静香さまに自分のせいでボクがダメに……って悲しい気持ちにさせてしまった……。いくら自分を責めても責め切れない……けど今、一番辛いのは静香さまです……) 悠希は涙をこらえて、頭の上の太陽を仰いだ。 (静香さま……ボク、太陽になりたかった。静香さまがボクを心の底から温めてくれた様に、ボクも辛い気持ちの人達を照らし温める事のできる……。 11月の太陽は今のボクの様に雪を溶かせる程強くないけど、ボク……変わります。もう静香さまだけを照らす様に依存はせず、けど完全に離れ離れでもない……。本当に皆や静香さまの心の雪を溶かして、幸せに導ける太陽になりたい) 悠希は太陽と自分を重ねて、こうありたいと願う。 けれど、悠希が自分の決意が伝わっていなかったと思うのと同様に、静香の言葉もやはり、全ては伝わってはいないようだった。 静香にとって、距離を置くことは望んだこと。好んで友人と距離を置いたわけではないけれど、こちらの方が良いと考えたのだ。だから“一番つらい”わけではない。 そして、「距離」とはもちろん物理的な距離だけではない。心理的な距離のことだった。 |
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