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 第9章 恋人の数は、気になりますか?

「君の妻が、僕に?」
「そう。一度会いたいって言ってるんだ。それで、俺の家に来てほしいんだけど……」
 手を合わせて拝み倒す格好で、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)に、そう頼んでいた。ヴィナの後方には、内妻のカシス・リリット(かしす・りりっと)が立っている。2人の様子を、口を挟むことなく面白そうに眺めていた。
「俺の物理的生命の危機なんだ。助けると思って……気晴らしにもなると思うよ」
「…………」
 ルドルフを家に連れ帰らないとヴィナの命が危機に陥る。聞いた限りでは、その“妻”が、興味本位の気まぐれでルドルフに会いたがっているとは考えにくい。有無を言わさぬ圧力をもって、是が非でも物申す事がある――ルドルフはそう思い、ツッコミを入れるような気分で口を開いた。
「……それは、本当に気晴らしになるのか?」
「なると思うよ」
 背を伸ばし、ヴィナは笑顔になる。どうやら本気で、そう思っているらしい。強制連行ではないのか。
「たまの休日なんだし、会う機会が少ない人に会って価値観の再発見するのも楽しいことだと思わない? ルドルフさん」
「……分かった。行こうか」
 仕方ない、と小さく笑みを浮かべ、ルドルフは歩き出す。価値観とか気晴らしとかよりも、ヴィナの妻を一目見たくなったのだ。知的好奇心、というものだろうか。
「君も一緒に来るのか?」
「セージ達にも久々に会いたいし。それに、ルドルフさんも来るなら面白いお茶会の予感しかしないじゃない?」
 後に続くカシスに訊くと、彼はこう答えた。ちなみにセージとはセージ・アーダベルト、ヴィナの妻の名前だ。
 夫と妻と内妻と、そして自分――修羅場の予感しかしない、と、ルドルフは思った。

「まあ俺自身、ルドルフさんには是非セージと会ってほしいって思ってるんだ。俺がこの立場に悩んでた時、背を押してくれたのはセージ本人だったんだから。びっくりだろ?」
 空京の街を歩きながら、カシスが話しかけてくる。
「セージだったから、自分の気持ちを欺かずここまで来れた。そういう意味では、感謝してるし尊敬もしてる」
「ほう……?」
 恐ろしいだけではなく、尊敬に足る人物という事だろうか。
「よく分からないが、興味を感じないこともないな」
「ここだよ、ルドルフさん」
 やがて、ルドルフの足が止まった。非契約者であるセージは以前、ロンドンに住んでいた。それが、子供が小学校に上がるのを機会に空京に引っ越したのだそうだ。娘が誰かと契約するのかしないのか、それは娘自身が決めることだから何も言わない、とヴィナは道中で言っていた。
 勝手知ったる気楽さで、ヴィナは玄関を開けてルドルフとカシスを招き入れる。初めに目にした人物はセージではなく、ウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)だった。今日が休日ということもあり、薔薇の学舎があるタシガンから空京に戻っていたのだ。
「ルドルフ殿。我が主セージ様の邸宅にようこそ」
「君の主は、ヴィナではないのか」
「はい。私はかつて沈まぬ太陽に仕えた身ですが、2度目の生においては、澄んだ、激しい焔に仕えています。パートナー契約自体は、子育てを理由に断られてしまったのですが」
 最後の方では苦笑を交えつつ、ウィリアムは丁寧に言う。
「断る理由としては珍しいと思うのですが、契約者になるメリットよりも母親としてのあり方に重きを置くセージ様を、私は素晴らしいと思っています」
「ウィリアムだけじゃない。俺のパートナーの内の3人は、最初セージとの契約を希望してたんだ」
 続けて、ルドルフが補足する。
「……そうか。それだけ魅力的な方だということだな」
「はい。そしてセージ様は、物事を一括りにして考えるのが好きではありません。何事に於いても。そこがまた、私達を惹きつけるのだと思います」
 ルドルフは思案する。褒めすぎ、もしくは持ち上げすぎな気もしたが、純粋にそれ程の人物ということなのか。それとも、何か担がれているのか。
 それから、案内に従ってリビングに向かう。セージを見てルドルフは驚くだろうか。そう思いながら、ウィリアムはドアを開けた。余裕のある表情でソファに座っているのは、赤い髪をボブカットにした細身の女性。座っていても上背があるのが判る。カシスと同じくらいだろうか。
 ――しかし、思っていたよりも普通の容姿だ。
 そんな考えが顔に出たのか、ヴィナが小さく耳打ちしてくる。
「ちなみに、セージは物理的精神的に俺の何倍も強いよ。今まで色々物理的な生命の危機に陥ったことが……」
 それから、笑顔で彼女を紹介した。
「ということで、彼女が俺の妻のセージだよ。ごめん、2人は席を外してくれるかな」
 同室に居た少女2人を促して退室させてルドルフに着席を勧める。入口付近に控えるウィリアム以外の全員が、ソファに腰を落ち着けた。
「……ほう、いい男だな」
 セージは品定めをするように目を細め、仮面の奥まで貫こうとするような視線でルドルフを見てから感想を漏らす。
「私達の夫の目は、腐っていなかったようだ」
「それは、ありがとう」
 慇懃にルドルフが礼をすると、そこで楽しそうに、カシスが言った。
「家に来てほしいってルドルフさんに頼み倒すヴィナの姿、セージにも見て欲しかったな。あんなヴィナ、滅多に見れないからね。ああ、なかなか可愛かったよ」
「勿体無いことをしたな。まあ、ヴィナに頼みごとをされる機会はこれからもあるだろう。頼まれる相手として、今度よく見ておくとしよう」
 カシスはその後、セージに他愛ない近況報告等を話して聞かせた。それぞれの前にはお茶とお菓子が用意され、お茶会の時は和やかに過ぎていく。切りのいいところで、セージはおもむろにルドルフに言った。
「あなたには、私達がどう考え、ここにいるのかを語っておきたかった」
 本題に入ったようだ。やはり皆、彼女の用向きを知っていたのだろう。束の間の沈黙の後に、カシスが言う。
「1人の夫に対して、2人の妻。他から見ればちょっと歪な関係かもしれないけど、俺もセージも間違った選択をしてないって自信と覚悟があるんだ。ヴィナは俺達が好きで俺達もヴィナが好き。それだけ。そしてそれが揺らがないことも知っている」
 先程とは打って変わって真面目な表情だった。話し終わると、カシスは照れ笑いを浮かべてお茶を飲んだ。少し、顔が赤くなっている。
「あー……セージの前だとつい気持ちそのまま喋っちゃう。やだやだ、素直に口にするってのは何でこう恥ずかしいもんかな。……俺のターンはここまでってことで」
「私達は十分愛されている」
 火照りを冷ますように手で顔を仰ぐカシスの次に、声に重みを込めてセージは言う。
「それを知っているから、世間は気にならん。あなたは気にするクチか?」
「……そういう文化も尊重しないととは思っているよ」
 イスラエル出身のルドルフは、恋人、夫婦というものは一夫一妻とは思っている。だが、それ以外にも多様な文化、形があることは知っているし、彼等を否定するつもりもない。
 だから彼はそう答え、彼女に――3人に対して軽い笑みを浮かべ、答えた。
 これはあくまで雑談だ。その姿勢を崩さずに。
「俺からルドルフさんにどうこうしてほしいとか、ごちゃごちゃ言うつもりはないんだ。選択するのはルドルフさんだし、それに難しいよね、いろいろと」
 その彼にヴィナは困ったような笑みを浮かべ、彼女の補足をしようというのか言葉を連ねた。確かに、選択を迫っているわけではない。だが、こういった話をしようと3人で彼を招いた時点でその言葉が適用されるのか――
「でも、知ってては欲しかったんだ。俺達がそういう想いでここにいる、ってことをさ」
「世間の目や一般論を気にして自分の想いを殺すことなんて勿体無い――私は、そう思う」
 最後に、夫に優しげな目を向けてから、セージは笑った。
「だって、大事なのはそんなことじゃないだろう?」