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スレッド 「【英霊人別帳】―自己紹介―」 への投稿 (全 92件)
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馬 超

馬 超

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年10月02日 06:22:35 ≫

23

蒼空学園所属の馬 孟起(ば もうき)と言う者だ。

懐かしき友に会えることもあると聞いて失礼をさせてもらった。


宜しく頼む。


【人物名】

姓:馬 名:超

字:孟起


【所属】

蒼空学園


【アピール・概略・その他】

扶風郡茂陵県の出。

父は馬騰。弟に休、鉄。従弟に岱という者がいる。

父の馬騰は羌族との混血であり羌族からの信望が厚かった。


若き頃より剛力称えられ、父・馬騰と共に各地の戦場で戦っていた。

父から軍の指揮権を引き継ぐと韓遂と共に曹操に対して反旗を翻すが敗北する(潼関の戦い)。


再起を図り夏侯淵や張郃を相手に転戦を重ね、建安19年(214年)、劉備に降伏し幕僚として迎えられる。

その後も漢中攻略戦に参戦するなど戦いを続け、左将軍に任命されるまでとなる。


222年、47歳で病没。


劉備陣営での評価は高く、多くの人物が彼を賞賛する言葉を残していたという。

クリスチャン・ローゼンクロイツ

クリスチャン・ローゼンクロイツ

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年10月06日 23:16:04 ≫

11

以前誘われてたんだが、今日付けで加入させてもらったよ。

名前は長いから、クリスって呼んでもらえると有難いね。

 

【人物名】

クリスチャン・ローゼンクロイツ

 

【アピール・概略・その他】

14~15世紀に生きていたと言われる中世ヨーロッパ伝説の魔術師。
10代にて様々な国を渡りその土地の賢者と呼ばれる人物から技を授けられる。

魔道書として有名な「Mの書」もそのときに授かる。

故郷のドイツに持ったクリスチャンは数人の同志や弟子と共に「薔薇十字団」を結成、

その存在を秘匿しつつ、無償で病を患う民を救い続けた。

その106歳で没したが、死ぬ間際に残した碑文には「120年後に蘇る」と書き残された碑文があったという。

 

…というのが史実だが、実際はナラカから這い上がるのに2世紀ほどかかり、

予言通りとはいかなくなりかっこよく登場できなくなって今に至る。

伊藤 若冲

伊藤 若冲

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年10月09日 21:16:23 ≫

65

どうもでーす!すっかり挨拶が遅くなってしまいました。申し訳ないです!

お誘いを受けたので加入させていただきましたよー!今後ともよろしくでーす!

【人物名】
伊藤若冲

【所属】
葦原明倫館

【アピール・概略・その他】
江戸時代中期に京にて活躍した日本画家。
写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。
生前は人付き合いが苦手で引篭もって妻も娶らずに絵ばかり描いていたが、どういう訳か正反対の性格で復活した。
しかし簡単に元の性格なんて変えられるはずもなく、ただ無理をしているだけなのが実情のようだ…。

まあ細かいことは気にせず仲良くしてくださーい!
あ、画像検索なんかでオレの名前入れれば生前描いた絵なんかも見れちゃったりするので、興味があったらチェックしてみて下さいね!本当便利な世の中ですよねー!

サー ガラハッド

サー ガラハッド

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年10月22日 17:11:32 ≫

53


やっとイラスト来たから、遅ればせながらちゃちゃっと自己紹介するねっ

【人物名】

サー ガラハッド

【所属】

天御柱学院(現在)

【アピール・概略・その他】

アーサー王伝説、聖杯伝説に登場する円卓の騎士の一人

そして聖杯を発見した三人の騎士の一人でもある。

 

円卓の13番目の椅子「危難の椅子」に平然と座り呪いに打ち勝ち

「最も優れた騎士にしか抜けない」岩に刺さった剣を見事引き抜いて見せた。

 

円卓の騎士に加えられパーシヴァル卿、ボールス卿と共に聖杯探索の任務を与えられる。

最期は聖杯を発見し、最も穢れの無い騎士として聖杯、聖槍と共に天に召された。

 

【現在】

パラミタに召喚された際に女性化してしまった。

原因は不明だが、本人は「なってしまったものはしょうがない」と全く気にしていない様子。

于禁 文則

于禁 文則

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年10月26日 21:46:09 ≫

56

【人物名】

于禁 文則

【所属】

シャンバラ教導団

【アピール・概略・その他】

曹操の配下として活躍し、五将の一人に挙げられた。

剛毅で威厳があり清廉な人柄だったが、法律を以て人を率いた為、兵や民からは恐れられはしたが人望はなかった。

219年、樊城の戦いで関羽の水攻めの前に降伏し、捕虜となった。一方、廰徳も関羽に敗れて捕らえられたが、忠義を貫き関羽を激しく罵倒、斬死した。これを聞いた曹操は、「于禁を知って30年ほどだが、死に臨んで廰徳に及ばないとは知らなかった」と嘆いた。こうして名将于禁はその名を失う事となった。

221年、呉から魏に還される。文帝は表向きは苦労を慰めた後、曹操の陵墓を参拝するよう命じる。そこには関羽の前に降伏する自分の姿が描かれていた。于禁は怒りと恥の為に病を発し失意のうちに没した。

諡号は厲侯。厲は「無辜の者を殺戮した」「災い」「厳しい」という意味で、死後までも嘲られたのだった。

この事が原因で卑屈でひねくれた性格になって復活してしまった。

 

 

いいよなぁ、イラストがある奴らは・・・

どうせオレなんて・・・


程昱 仲徳

程昱 仲徳

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年10月26日 22:14:19 ≫

63

あ、今更だけど人別帳に記しておくね

【人物名】

程昱 仲徳(ていいく ちゅうとく)

 

【所属】

葦原明倫館

【概略・アピール・その他】

日輪を持ち上げる夢をみて程立から程昱と改名する。

 山にこもって学問にふけっていたところを、荀彧の推挙で曹操に仕えた。後に郭嘉を推挙する。

 官渡の戦いが始まる前に、袁紹が大軍で黎陽から渡河しようとき、程昱は対岸の城に七百の兵で守っていた。曹操は援軍を派遣しようとしたが、援軍を断った。袁紹は程昱の城を攻撃せずに別方向へ進軍した。これを見た曹操は程昱の肝の太さを賞賛し、「程昱の度胸は、孟賁・夏育(戦国時代、秦の武王に仕えた勇士)をしのぐものがある」と言った。その後、倉亭の戦いでは『十面埋伏の計』で袁紹軍を撃破。

赤壁の戦いでは、呉軍の火攻めに用心するように進言し、黄蓋の偽装投降を真っ先に見破ったが、間に合わなかった。

しばらく隠居し、曹丕が即位すると衛尉に復職し、安郷侯に昇進した。そして三公に抜擢されようとする矢先、八十歳で死去、曹丕は涙を流し車騎将軍を追贈した。

しかし、現世では只の隠居おにーさんである

 

吉川 元春

吉川 元春

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年11月08日 12:21:18 ≫

42

出来れば、父上が居られる内に挨拶に参上したかったのですが……

 

【人物名】

吉川駿河守元春

 

 【所属】 
天御柱学院(※現在は姉妹校のアカデミーに所属)

 

 【アピール・概略・その他】

享禄参年生まれ。

その武勇は父の毛利元就をして『我は戦では元春に及ばぬ』といわしめた。 

生涯で76度の合戦に臨み、64度の勝利を収め、一度として敗れたことのないとされる毛利家屈指の武将。

中国地方の覇者として名を馳せた毛利元就の次男であり、後に名門の吉川家に養子へ出され元就の中国地方統一に大きく貢献した。

実弟の小早川隆景と共に「毛利両川家」と呼ばれ文字通り毛利家繁栄の屋台骨となったが、隆景、更には実姉の五龍局との間で度々喧嘩が絶えず父の元就に諌められたという記録が残っている(三本の矢の訓戒は此処から生まれた)

 

宜しくお願いしますね。

馬謖 幼常

馬謖 幼常

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年11月16日 18:02:52 ≫

22

【人物名】

馬謖 幼常

【所属】

イルミンスール魔法学校(ウィール支城・ウィール砦に駐屯ちゅ)

【アピール・概略・その他】

後漢末期から三国時代にかけての武将。蜀に仕えた。字は幼常。襄陽宣城の出身。襄陽の名家である「馬氏の五常」の中の五男として誕生した。白眉で知られた馬良の末弟。

 

228年春3月に諸葛亮は第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭の守備を命じた。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。
 
その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫する。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、馬謖を処刑した。諸葛亮はこの為に涙を流し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった。王平伝には馬謖及びその配下の将軍である張休・李盛を軍規に基づいて処刑したとある。

 

全てはその字が悪かったのだの典型例。(ぁ

とは言え、汚名返上の機会を得たーと健気に現在砦にて書類と格闘中。

張 宝

張 宝

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年11月20日 23:57:08 ≫

51

あの女顔が入ってやがるのに、俺様がはいってねぇのは納得いかねぇ!

って、事で邪魔するぜ。

 

 【人物名】

張宝(字不明)

 【所属】 
葦原明倫館

 【アピール・概略・その他】

後漢末期の人。

黄巾の乱首謀者である張角の弟であり、地公将軍を自称していた。

乱を起こした時既に兄が床に臥していた為、実質的には張宝が指揮を執っていた様だ。

史実では籠城末、大敗。三国志演義では部下にやられている。(他では劉備に)

 

…だが、死ぬ間際に自身の魂を竹簡に移し変え、生き延びた様だ。

今ではただのヤンキーチックな兄さんとなっている。

因みに本体の竹簡は生前自身が書き記した妖術が記されているらしい。

バルバロッサ・ハイレディン

バルバロッサ・ハイレディン

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年12月19日 19:46:42 ≫

53

俺達の仲間は全員入ってるようだな、ここは流れで入るのが妥当だろう…

 【人物名】

バルバロッサ・ハイレディン(洋名:ハイレディン・バルバロッサ)

 【所属】 
葦原明倫館

 【アピール・概略・その他】
オスマン帝国の提督。

エーゲ海のレスボス島出身と言われる。【バルバロス(赤髯、バルバリアの王の意)】と呼ばれ、ヨーロッパ人から恐れられた大海賊。アルジェを拠点として北アフリカで活動する海賊を率いていたが、オスマン帝国に艦船や人員丸ごと帰順した。帰順後、オスマン海軍司令官職のカプタン・パシャに命じられ、スペインとのプレヴェザ海戦において、オスマン帝国を勝利を導いた。

 

現世に転生してからも海賊を続けたが、ある時、隆政の船を襲撃した際に返り討ちにされそのまま隆政に降る事になった。

 

十河 存英

十河 存英

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年12月19日 23:37:12 ≫

55

眠いからぐぐって出たカンペでいいか…

 

【人物名】

十河 存英(別名 惣次大夫)

 

 【所属】 
蒼空学園

 

 【アピール・概略・その他】

生年月日不明(説では1575年)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。

1586年、父が戸次川の戦いで戦死すると豊臣秀吉から所領相続を認められずに改易され、幼くして流浪の身となる。

1615年5月、大阪の陣に豊臣方として参陣し、摂津尼崎で戦死。

彼の死と同時に十河氏は滅びることとなる。

 

…で、お家復活のために戻ってきたんだが、もうどうでも良くなってきたな。

第二の人生を謳歌するつもりだ。よろしく頼む。

ジャック・ザ・リッパー

ジャック・ザ・リッパー

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年12月23日 17:04:25 ≫

32

全身カットも来たことだしぃ、とりぁぇず僕の設定でも晒してみょぅかなぁ



 【人物名】

ジャック・ザ・リッパー(本名不詳)

 【所属】 
空京大学

 【アピール・概略・その他】

1888年8月31日から11月9日までの間、ホワイトチャペルにて売春婦5人をバラバラにした連続殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーこと切り裂きジャック

・・・ではなく、実際は450年ほど昔の解剖学黎明期の時の無名の解剖学者

本名は本人曰く「忘れたしぃ、覚ぇてぃてもぉ、教ぇる気はなぃよぉ」とのこと

本当の切り裂きジャックは死体を見つかるように遺棄していたが、当人はひたすら隠し続けていたため、無名となり後世の切り裂きジャックと同一視された模様

現在は解剖学の研究をまったりゆるりとし続けている



こんな感じかなぁ、ともかくょろしくぅ

サー ベディヴィエール

サー ベディヴィエール

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年12月26日 19:55:27 ≫

12

まったく、あのようじょは無駄な事ばかり・・・。

 

まぁ、仕方がありません。

所属しておいて挨拶無しでは申し訳ありませんですし

記載ぐらいはしておきましょう。

 

【人物名】

サー ベディヴィエール

【所属】

イルミンスール魔法学校(ウィール支城・ウィール砦に駐屯)

【アピール・概略・その他】

まぁ、これは・・・ベディヴィア様と一緒ですので其方を参考にしてくださいませ。

とは言え、自分に様付してるみたいで変な気分になりますね・・・。(汗

楽進 文謙

楽進 文謙

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年12月26日 22:37:46 ≫

62

【人物名】

楽進 文謙
【所属】
葦原明倫館
【アピール・概略・その他】
兗州陽平郡衛国県の人。190年曹操の挙兵に馳せ参じ、その後濮陽での呂布戦、雍丘での張超戦、苦での橋蕤戦、この全てで一番乗りの武功を挙げる。その後も張繡戦・下邳においての呂布討伐戦、更には眭固・劉備らも撃破する等多大な功績を挙げた。
官渡の戦いでは袁紹軍の兵糧庫である烏巣を奪取し、守将であった淳于瓊を討った。袁紹が討たれた後、その息子袁譚・袁尚を攻撃し、厳敬を討った。更に鄴から敗走した袁譚を追撃し雍奴を討った。また、曹操による烏丸侵攻の際に隙をついて反乱を起こした袁一族にあたる高幹を包囲し、参戦した曹操と共に鎮圧した。曹操による荊州侵攻に従軍、赤壁の戦いに曹操が敗れた後は、合肥の守備を張遼・李典と共に任され、孫権による度重なる侵攻を寡兵で見事に防いだ。その後、襄陽へ駐屯し、文聘と共にこれを守備し、関羽・蘇非の侵攻を防ぐ。218年、病死した。

はじめまして・・・楽文謙と申します・・・
魏の皆さま方や曹操様にまたお会いできてうれしい限りです
宜しくお願いしますね。

望月 千代

望月 千代

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2011年12月29日 10:00:00 ≫

42

【人物名】
望月千代女 (別名:望月千代


【所属】 
葦原明倫館
 

【アピール・概略・その他】
武田信玄に仕え、各地を回って芸や舞を見せ、
敵国の情報を収集する「歩き巫女」の頭領を務めた。

 

甲賀流忍者を構成する甲賀五十三家の筆頭である上忍の家柄 「甲賀望月氏」の出身。
甲賀望月氏の本家に当たる信濃豪族の望月氏当主・望月盛時に嫁入りした。
200人を超える少女に祈祷や忍術を教えたといわれる

 

 

俺に関してはこれくらいしかないが・・・まぁ、よろしく頼む。

サー アグラヴェイン

サー アグラヴェイン

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2012年01月07日 17:36:20 ≫

15

己の事を語るのも気恥しく思いますが、挨拶の意味も兼ねて私事の書かれた文献を紹介させていただきます。

【人物名】
「堅い手の」アグラヴェイン

【所属】
白百合女学院(現在)

【アピール・概略・その他】
アーサー王物語に登場する円卓の騎士の一人。ガウェイン卿の弟でアーサー王の甥にも当たる人物。

ランスロット卿と王妃の不義密通の証拠を掴もうと行動し、モルドレッド卿達とともに密通の現場を押さえた。しかし、その場を脱出しようとしたランスロット卿により殺害される。
(少し額に青筋が浮かぶ)

…ランスロット卿の不正を告発した勇者と称えられてもおかしくはないのだが、性格・人品が卑しいと強調されており「邪悪な騎士」との烙印まで押されている。
(文献を持つ手に力がこもる)

また、王国の崩壊について「その全てはアグラヴェイン卿とモルドレッド卿が原因である」との記述まで…。
(ここで文献を壁に叩きつける)

ふざけるな!
どう考えてもランスロットの(聞くに堪えない罵詈雑言)野郎が我らの千年王国に亀裂を入れてるだろうが!!
死者に口無しと思って好き勝手言いやがったなあの野郎ぉ!!


…(ぜぇ、ぜぇ)

…と、ともあれ…何卒よろしくお願い致します…。

山県 昌景

山県 昌景

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2012年01月11日 02:45:00 ≫

51

【人物名】
山県 昌景 


【所属】 
シャンバラ教導団 


【アピール・概略・その他】


享禄2年(1529年)生まれ。通称・三郎兵衛尉。


甲斐武田氏に仕える。信玄揮下の武田四名臣のひとり。身長130~140cm程度の小男であったとされるが、戦場に於いては「赴くところ敵なし」とまで評される猛将であった。

元の名を飯富源四郎といったが、兄(叔父?)の虎昌が信玄の嫡子・義信と謀反した際にこれをいち早く知らせた功により、虎昌の率いた赤備えを引き継ぐとともに、山県の名跡を与えられ、改名したという。


三方ヶ原の戦いで逃げる徳川家康を激しく追い詰めて、脱糞したのも気づかないままに「山県という者、恐ろしき武将ぞ」と言わせるなど、おおいに恐れさせた。


長篠の戦いでは撤退を進言するも容れられず、やむなく敵陣に突撃を敢行。両腕に銃弾を受けたため、口に采配を咥えて指揮を執り奮戦。敵の要である馬防柵目前まで迫ったが、全身に銃弾を浴びて戦死した。



 ・・・と、こんなところか。まあ、よろしく頼む。



サー・ガウェイン

サー・ガウェイン

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2012年02月14日 23:56:49 ≫

56

【人物名】

「忠義の騎士」・「太陽の騎士」 サー・ガウェイン

【所属】
蒼空学園

【アピール・概略・その他】
アーサー王物語に登場する円卓の騎士の一人。アーサー王の甥に当たりアグラヴェイン卿・ガヘリス卿・ガレス卿・モルドレッド卿の兄。
朝から正午までは力が三倍になるという特性を持ち、円卓の騎士中ランスロットに並び立つ存在。
その特性から「太陽の騎士」との異名を持つ。

強情で勇猛果敢故の失敗も少なくないがアーサー王の片腕として分別を働かせることもあり「忠義の騎士」として名高い。
(文献を閉じる)

・・・とまぁこんなところでしょうか。
かつての戦友・同志、更には弟までいるみたいですね・・・

何はともあれ宜しくお願い致します。

チンギス・ハン

チンギス・ハン

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2012年03月08日 12:55:01 ≫

12

【人物名】
チンギス・ハン

(テムジン)


【所属】 
葦原明倫館


【アピール・概略・その他】

モンゴル帝国の初代皇帝(在位1206-1227)

(名前は当時はチンギス・カンと呼ばれてたらしい)


大小様々な集団に分かれてお互い抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一

中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服

最終的に当時の世界人口の半数以上を支配する人類史上最大規模の世界帝国

『モンゴル帝国』の基盤を築き上げた


帝国は百数十年で解体された

しかしその影響は中央ユーラシアにて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛された

特に故国モンゴルでは神となり、現在のモンゴル国で国家創建の英雄として称えられている

また世界に最も子孫を残しており、2004年には男系の子孫は1600万人にも登るとされている



フン、我様に関しての文献の一部だ。残りは勝手に調べることだ

我様でも、この人数の英霊を相手取るのは遠慮したいからな、よろしくしてやろう!

桐咲 ジャック

桐咲 ジャック

Re:【英霊人別帳】―自己紹介―

≪ 2012年03月11日 20:37:12 ≫

64

ようやく俺様のイラストが納品されたんで、いっちょ自己紹介と行くかね!

 

【人物名】

桐咲 ジャック

 

【所属】

葦原明倫館

 

【アピール・概略・その他】

かの有名な切り裂きジャック・・・ではなく、一八〇〇年代中期に存在した殺し屋

手口が酷似しており、さらに世代も大きく離れてはいない為、

後に有名になった切り裂きジャックと同一視された。

 

現在は絶賛軟派男中。