スレッド 「【英霊人別帳】―自己紹介―」 への投稿
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罪と呪い纏う鎧 フォリス
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月22日 18:40:57 ≫
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信長殿に誘われて参加する事になった、よろしく頼む。
【人物名】
罪と呪い纏う鎧 フォリス (本名はベイリン・ル・ソヴァージュ)
【所属】
葦原明倫館
【アピール・概略・その他】
アーサー王伝説に登場するノーサンバランドの騎士。湖の乙女が王宮に持ち込みアーサー王を含むすべての騎士が抜く事の出来なかった「最も優れた騎士が抜ける剣」を抜いた騎士でもある。イングランド統一戦争では弟と2人でアーサー王に敵対するリエンス王を捕え、続く戦いではその弟ネロを打ち破り、更にロット王を負傷させるなど鬼神の如き働きを見せ王の勝利に大きく貢献した。
そういう星の元に生まれたのだと言わざる負えないほど絶望的に運が無く、やることなすこと全てが裏目に出て結果、多くの悲劇を引き起こし、自身もまた悲劇的な最期を遂げた。その一つが後の聖杯探索の旅の原因にもなり、そのことから王国の崩壊の遠因を作った男であるとも言える。
運の無さは相変わらずで英霊となってすぐに悪魔に捕まり魔鎧にされてしまい今に至る。
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呂蒙 子明
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月22日 23:33:57 ≫
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魏の猛将夏候惇殿や典韋殿もいるようですな。 織田信長殿に誘われ参加しにまいり申した。お邪魔いたす。
【人物名】 呂蒙子明 【所属】 蒼空学園 【アピール・概略・その他】 178~219年(享年41歳) 汝南郡の出身。孫策の代から若くして仕え、数多の功績を立てた。孫権のもとでも、赤壁の戦い、荊州攻略などに参戦したが、主君の孫権から教養の大切さを諭されて勉学に励む。その後、魯粛が「呉下の阿蒙に非ず」と驚くほどの文武両道の士に成長。魯粛の死後、計略を巧みに用い、関羽を撃破して荊州南部を奪回したが、まもなく病死した。
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織田 信長
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月23日 00:05:44 ≫
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ふむ、呂蒙よ書き込みに失敗した場合は管理者の元就に言えば失敗したスレだけを消してくれるから消してほしい箇所を元就にキャラメールか雑談で言うと良いぞ。
元就よ私の書いたこのスレも消して構わぬぞ。
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許褚 仲康
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月23日 00:06:32 ≫
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織田信長殿に誘われ馳せ参じ申した次第でござる。
夏候惇殿に典韋殿お久しゅうござる。
まさかこんな未来で出会えることになろうとは思わなかったが・・・(苦笑
さて、自己紹介でござったな。
【人物名】
許褚仲康
【所属】
天御柱学院
【アピール・概略・その他】
生没年不明
村人を守って山に立て籠っていたが、曹操が汝南、潁川地方を平定した際、典韋が追っていた山賊の何儀を横取りした。怒った典韋と激しい一騎討ちを演じ、命を惜しんだ曹操にスカウトされて配下となる。以後、曹操の護衛として活躍。没年は不明だが明帝(曹叡)の時代まで生き、没後は壮候と諡された。
こんな感じでござろうか・・・後は某武勇には自信があるが学が無い故曹操様には「虎痴」と呼ばれていたでござる。
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諸葛亮 芽依
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月23日 00:32:53 ≫
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【人物名】
諸葛亮 孔明
【所属】 百合園女学院
【アピール・概略・その他】
光和4年(181年)生まれ。三顧の礼を以て、劉備玄徳の配下となる。
赤壁の戦い、入蜀の戦いを経て軍師将軍に。
劉備没後は劉襌に仕える。
建興12年(234年)秋、五丈原の戦いの陣中にて病気により死去。享年54歳。
・・・
分霊化した際、性別が女性化、書籍やネットワーク等でよく見られる『孔明の罠』
というキーワードから、本来とは全く趣旨の異なる英霊としてパラミタに誕生する。
策略に長けた智将の筈が、トラップ好きのイタズラ英霊になってしまった。
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メガエラ・エリーニュエス
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月23日 02:06:23 ≫
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神話じゃアレコレ言われてるけど、別にドSってわけじゃねーぞ? とりあえず、宜しくな!
【人物名】
メガエラ・エリーニュエス
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】 ギリシャ神話の女神。 親殺しや偽誓の罪に対する「復讐の三女神」として知られるエリニュスの一人。 アレークトー(止まない者)、ティーシポネー(殺戮の復讐者)の二人の姉がいる。 名前は「妬む女」を意味する。 神話のよく知られるエピソードでは、母イオカステーの死の原因のオイディプスをいじめ殺し、
親殺しの罪人オレステースを狂気に追いやるなどした。 地下のタルタロスに棲み、罪を犯して冥界に落ちた人間達に罰を与える役目を持つという…
現在は後になって現れた閻魔大王に罪人を裁く役目を奪われ、姉妹共々ニート生活を続けていた。 暇で暇でしかたない退屈地獄の中、興味本位によるMCの呼び出しを受け、脱出(抜け駆け)。 現在は絶賛パラミタバカンス中。たまに姉たちから最大級の嫉妬の念が籠もった手紙が届く。
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安芸宮 稔
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月23日 20:18:21 ≫
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【人物名】
安芸宮 稔
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】
本名不明・自称「オオトシガミ」
BC5000年位にいたと言われる日本の英傑、記録は少なく、その詳細はほぼ失われてその功績を称える名と子孫(安芸宮 和輝他)のみが残る。
…ええ、超マイナーですとも。
なお、その名前から正月は「自分を祭っている神社」での稼ぎ時。
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オクタヴィア・レゾナンス
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月24日 09:25:03 ≫
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【人物名】
オクタヴィア・レゾナンス
【所属】
シャンバラ教導団
【アピール・概略・その他】
紀元前63年9月23日生まれ。
ローマ帝国の初代皇帝。
志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き帝政を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。
数々の称号を頂き、その稀に見る、才覚と才能を持ち合わせているが、生前は病弱体質で戦闘や軍事に関しては腹心に任せ、常に無理をしない生活を心がけていた。
セリアの英霊となるまでに、どうやら大きな変化を遂げたようで、病弱体質は改善され、剣技に関しては超一流、軍略、戦術眼などの才能を得るようになったが、唯一金づちで水辺では役立たず。
卓越した人生経験の持ち主か、人を諭すことも多く、セリア一行の姉的存在。
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陳宮 公台
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月24日 19:39:20 ≫
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失礼いたします。
織田信長という人物から誘いがあったので、参加させていただきましたぞ。
以後、お見知りおきを。
【人物名】
陳宮 公台
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】
中国後漢時代末期の呂布軍軍師。
元は曹操の下に仕えていたが、徐州攻撃の留守中に反逆。後呂布の配下となる。
反逆の理由は曹操に疑いを抱いたとあるのみで不明。
曹操に敗走後、劉備より徐州を奪う。
城に立て篭もるも兵の寝返りにより降伏。
最後は自ら望み刑を受けた。
この陳宮はファンの間での「幸薄き天才軍師」というイメージが強く出ている・・・?
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ヒルデガルト・フォンビンゲン
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月24日 20:11:57 ≫
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【人物名】
ヒルデガルト・フォンビンゲン
【所属】 天卸柱学院
【アピール・概略・その他】 西欧最大の幻視者と言われた、聖ヒルデガルトこと ヒルデガルト・フォンビンゲンと申します 以後、お見知りおきお願いいたします
著書も数冊ありますし、聖歌なども多く残しておりますので ご存知の方もおられるでしょうか? こちらには、私が書物等で見知った錚々たる方々がおられる様子で 私、少し緊張しております…
では皆様、これから、よろしくお願いいたします(ぺこり
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ヴラド・ツェペシュ
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月24日 23:19:58 ≫
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なにやらお誘いがあったようなので策と一緒にお邪魔させてもらうッ!
以下、適当に自己紹介。
【人物名】
ヴラド・ツェペシュ
【所属】 シャンバラ教導団
【アピール・概略・その他】
生前は串刺し公と呼ばれた事もある。
ドラキュラのモデルだけど実は悪役と言うよりも正義感の強い武人。
現在はただの串刺しジャンキーな少女。
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孫 策
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月24日 23:31:22 ≫
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うちの大将が「交流の輪でも広げて来い」と言ったので、
俺も参加させてもらうぜ。
俺の自己紹介はこんなところだな。
【人物名】
孫 策 (字は伯符)
【所属】 シャンバラ教導団
【アピール・概略・その他】
小覇王と呼ばれていた事もある。
パラミタで英霊として復活。
その後、父が遺した中華料理チェーン店「孫堅厨房」の2代目オーナーに就任。
競合店との熾烈な戦いを生き抜く為、有用な人材を数多く登用し店舗の強化を推進。
そして今に至る。
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毛利 元就
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月25日 00:22:07 ≫
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>呂蒙 対応遅れて申し訳ない…
というか返事も碌に出来ずにごめんなさい
皆、よろしく!
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ジャンヌ・ダルク
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年06月25日 18:37:36 ≫
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信長さんからお誘いいただきました
【人物名】
ジャンヌ・ダルク
【所属】 蒼空学園
【アピール・概略・その他】
1412年1月6日フランスのロレーヌ地方、ドンレミ生まれ。
百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与した。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑にされた。
かなり簡単な自己紹介ですが宜しく
というか私は偽物なのですが参加してもいいのでしょうか?
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黒田 隼人
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年07月03日 21:34:18 ≫
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信長さんに誘われたから参加することになったからよろしく。
【人物名】 黒田隼人(生前は黒田孝高(官兵衛)) 【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 天文15年(1546年)生まれ。 祖父・黒田重隆の代に播磨国に入り、御着城を中心に播州平野に勢力を持っていた西播最大の大名小寺政職に仕えた。 天正8年に播磨国の山崎に1万石を与えられ、秀吉の与力となって参謀として活躍するようになる。 竹中重治(半兵衛)とは、後世、共に秀吉の双璧と謳われ、「両兵衛」・「二兵衛」と称された。
アピールって言われてもこんなこと位かな。 詳しく知りたいなら小さくなって俺のところに来てね。 あ、因みに昔はちゃんとした性格だったから。 小さいもの好きになったの最近だし。 あ、言っとくけど…
俺はロリコンじゃなくて、小さいものなら何でも好きだ!!
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黒田 流
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年07月03日 21:45:58 ≫
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信長公に誘われたのでお邪魔してみたら…。 父が変なこと言ってて本当にすみません…。
【人物名】 黒田流(生前は黒田長政)
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 永禄11年(1568年)黒田孝高の嫡男として生まれる。 天正5年から織田信長の人質として、織田家家臣の羽柴秀吉の居城・近江国長浜城にて過ごした。 この時、信長は孝高がいつまでたっても戻ってこない為、村重方に寝返ったと考えて長政を処刑しようとしたが、竹中重治の機転により、一命を助けられている。 父が隠居したために家督を相続し、同時に従五位下、甲斐守に叙任した。 関ヶ原の戦いでは、東軍武将として西軍の小早川秀秋や吉川広家など諸将の寝返りを交渉する役目も務めていた。
自分、アピールとか苦手ですが、こんなところでしょうか…。 父共々よろしくお願いします。
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小早川 秋穂
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年07月03日 22:04:47 ≫
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信長公に誘われたので参加させていただきます。
【人物名】 小早川 秋穂(生前は小早川秀秋)
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 天正10年(1582年)、木下家定の5男として近江の長浜に生まれる。 3歳の時に、義理の叔父である羽柴秀吉の養子になって幼少より高台院に育てられ、後に羽柴秀俊と名乗った。 その後、秀吉の命により小早川隆景と養子縁組し、以後小早川氏を称するようになる。 関ヶ原の戦いでは当初、西軍として伏見城の戦いに参加したが、離反し、本戦では1万5千の軍勢を率いて関ヶ原の南西にある松尾山に布陣した。
…優柔不断とか幸薄そうとかよく言われてるけど優柔不断じゃないし、幸、薄くないよ! 確かに、生前も色んなところに養子に出されたり、旧臣たちは関ヶ原での裏切りを責められたりしたけど…。 今…うん、追いかけられたり、追いかけられたりしてるけど…薄くないからね! うぅ…自分で言っておいて…心折れそう…と、とにかく皆さんよろしくお願いします。
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大谷 紬
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年07月03日 22:13:55 ≫
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あの有名な、織田信長公に誘われたから参加。
【人物名】 大谷紬(生前は大谷吉継)
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 永禄2年(1559年)近江国で生まれた。 天正13年7月、従五位下、刑部少輔に叙任される。 その後、越前国の内で敦賀郡・南条郡・今立郡の5万石を与えられ、敦賀城主となった。 関ヶ原では三成との友情に殉じたとされるが、吉継自身は徳川家康とも親しかったとされている。 癩病を患っており、崩れた顔を白い布で覆っていた。 また失明していたとも言われており、そのために政治の表舞台で活躍する機会が無かったとされる。
三成と、衆道関係だった、とか言われてたけど…否定も肯定もしないでおく。 現に、私は今、女で、三成とはそういう関係だしね。 あぁ、私、あんまり外に出ないけど、まぁ、たまには三月と一緒に来るから、よろしく。
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石田 三月
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年07月03日 22:28:47 ≫
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信長公に誘われたし、紬の居るし、面白そうだら俺も参加しよう。
【人物名】 石田三月(生前は石田三成)
【所属】 葦原明倫館
【アピール・概略・その他】 永禄3年(1560年)石田正継の次男として生まれる。 父・兄とともに一家そろって秀吉に仕官し、自身は小姓として仕える。 秀吉の関白就任に伴い、従五位下治部少輔に叙任される。 関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として指揮を取る。
うーん、俺アピールって苦手なんだよね。 昔、いろいろあったし。 なんか因縁の在る人とか結構居るけど、まぁ、皆仲良くしようよ。 って訳でよろしく。 あ、でも紬に手出したら許さないから。
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厳 顔
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Re:【英霊人別帳】―自己紹介― ≪ 2011年07月03日 23:02:48 ≫
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ちと遅れたが、ここでわしの自己紹介じゃ
【人物名】
厳顔
【所属】
蒼空学園
【アピール・概略・その他】
生没年不詳、後漢末期から三国時代の武将。益州巴郡臨江県の人。
劉焉、次いで劉璋に仕え、巴郡の太守を務めていた。
劉備が益州を奪い取ろうと攻めてきたとき、巴郡を守っていたが、劉備軍の張飛の攻撃に遭って捕らえられた。しかし、捕虜になったのだから自分に跪けと言う張飛に対して、「あなた方は無礼にも、わが州を侵略した。わが州に首を刎ねられる将軍はいても、降伏する将軍はいない。早く首を斬れ」と堂々と言い放った。
これに張飛は感嘆し、厳顔の縄を自ら解き、厚く持て成したといわれている。このため厳顔も降伏し、以後は劉備の家臣となった。※Wikiより抜粋
三国志演義では老将として登場しているが実のところ不明である。
「みすてりあす」なところがわしの魅力じゃぞ!がーっはっはっは
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