プロフィール
(いとう・たけあき)
本名は伊東甲子太郎武明。藤堂平助に誘われ新撰組参謀に就任するが、度々起こる思想のずれに耐えかね孝明天皇の御陵衛士として公式に組を脱退。 その後、「一和同心」をスローガンに日本の一致団結を求める政治運動を行っていたが、慶応3年11月、新撰組の手により殺害。 人格は温和で文武ともに優れていたが、武に頼ることよりも話し合いを重視しており、生涯、人を斬ったのは暗殺者への反撃の一太刀だけだったと言われている。