パティシエール『薔薇の雫』。
ヴァイシャリーの街の片隅に店を構える、人気洋菓子店です。
このお店のお菓子はどれも美味しいのですが、人気の秘密はそれだけではありません。
恋のおまじないが掛けられているお菓子は、意中の人に贈れば恋が実り、恋人同士で食べればその愛は永遠のものとなる――と、いう噂です。
「おまじない」の内容は企業秘密なので、本当に何らかの魔法が掛かっているのか、はたまたただのジンクスなのか、真偽のほどは定かではありませんが。それでも、噂を聞きつけて買い求めに来るお客さんが絶えないと言うことは、一定の効果があるのでしょう。
特に二月三月は、ここ数年でヴァイシャリーにも広まりつつある日本式バレンタインデー&ホワイトデーの習慣を受けてお店は大にぎわいなのですが――
「材料が届かないですって?」
ある日、薔薇の雫の店主である相澤 かしこの声が店の厨房に響き渡りました。
「ええ……タシガンからの飛行船が空賊に襲われたそうですの」
かしこのパートナーでもあり、店のオーナーでもあるシェスティン・ユーハンソンが困り顔で答えます。
店は迫り来るホワイトデー商戦に向けて大忙しの時期。
看板商品である、店の名前を冠した「薔薇の雫」――白薔薇のエキスを配合した魅惑の味のガトー・オ・ショコラ――を切らすわけにはいきません。
「もう二回も連続でこの店の荷物を載せた船が襲われていますのよ。しかも相手は同じ空賊だったそうですから、偶然ではありませんわね……」
「次の船も襲われたら、ホワイトデーまでに届かないわね……」
「薔薇の雫」を作るためには、タシガンでしか取れない白い薔薇、ロサ・レビガータのエキスが欠かせません。
ホワイトデーに「薔薇の雫」を贈ると愛の絆が深まる――そんなジンクスも広まってきているため、楽しみにしているお客さんは多いのですが……
「次の便は、我がユーハンソン家の名誉と威信に賭けて、守り通してみせますわ!」
シェスティンは、固い決意を露わにしました。
一方そのころ、タシガン空峡。
「お頭ァ! 次のヴァイシャリー行きの船の航路がわかりやしたぜ!」
お世辞にも上品とは言えないだみ声が、一隻の大型飛空挺に響き渡りました。
大型飛空艇とは言ってもあまり綺麗なものではありません。どちらかと言えばおんぼろです。
「おう……でかした」
お頭、と呼ばれた男が、船長席で偉そうに答えます。
彼だけは、おんぼろな飛空艇の中で唯一、ちょっぴり小綺麗な身なりをしていました。わざとボサボサに立てていますが金色の髪はつややかだし、青い瞳には知性があります。
ニクラス空賊団。政府の目がエリュシオンとの戦に向いた隙をついてごくごく最近結成された、駆け出しも駆け出しの空賊団です。
が、攻撃・略奪用の小型の飛空艇や武装もある程度揃っており、規模の小ささを逆手に取って取り締まりの目をかいくぐり、積極的に活動しています。
お頭はニクラス・リヒター。彼は元々ヴァイシャリーに居を構える貴族の息子だったのですが、堅苦しい家柄に嫌気が差して飛び出して、持ち出した資産を元に飛空艇を手に入れ、今では空賊の親玉です。
「よし……何が何でもその船の荷を奪うぞ! ホワイトデー等という地球の行事に浮かれている奴らを絶望のどん底へたたき落としてやるのだ!」
ニクラスの熱弁に、うおおおおお、と団員たちの熱い咆吼が答えます。
当然、この中に恋人が居る者は一人もいません。――バレンタインにチョコレートを貰えた者も。
実際のところ、ひとつの店の一つの看板商品が作れなくなったところで、ホワイトデーを楽しむ全ての人々の邪魔をすることなどできないのですが……ニクラスが『薔薇の雫』の荷物を狙うのには、何か他に訳があるのかもしれません。
ただ、永遠の愛のジンクスを信じて楽しみにしている恋人達が居ることも事実。このまま空賊達を放っておくわけにはいきません。