地球と空京両方の警察がこのところ取締りの手を厳しくした謎の契約詐欺集団『コクビャク』。おかげで新たに契約する被害者は減っていますが、彼らの斡旋で契約した地球人契約者のロスト症状の続出はますますひどくなっています。
ここにきて空京警察は、焦りの色を濃くしていました。
というのも、このロスト症状の続出に対して出される当然の疑問――「彼らと契約したパラミタ種族の契約者が、どこで何の故に大量に落命しているのか」という、その疑問が解決できていないのです。
警察はパラミタ大陸中を念入りに捜査していますが、コクビャクが関わっていると見られる闘争、もしくは命が脅かされるような状況での過酷労働などというものが、一向に確認できないのです。万が一抗争などであれば、当然コクビャクと敵対している勢力があるはずで、そのような勢力から何らかの情報が持たされていてもおかしくないはずなのですが、それすら全くないのです。
こうして手を拱いている間にも、どこかでパラミタの種族がコクビャクの手で理不尽に命を落としているかも知れない――頭を抱える空京警察では、捜査の範囲を地球に広げるべきか否かの検討にまで入りつつありました。
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「何だってこんなに人が溢れてるってのに誰も俺たちの話を聞いてくれねえんだっ!! パラミタ人ってぇのも薄情だなオイ!!」
「喚いてもしょうがないっしょロクさん、それより1口どうだい、まだあるぜ」
「オッ悪いねぇムギさん。むかっ腹立つ時ぁこれに限るや」
「2人とも……多分それだから誰も聞いてくれねんだよ。ここは俺たちの河川敷とは違うんだ、地球以上にパラミタじゃあ、路上で飲むなんて下品なことなんだろうよ」
「ガ、ガモさん……すまねぇな、俺たち、つい……」
「全くだ……こんなとこまで来たのは何よりアンタのためなのに、勝手に舞いあがっちまって……申し訳ねぇ」
「いや、飲まなきゃやってられねぇ気持ちもわかるけど、あんまり派手にはやらん方がな」
空京新幹線駅を出たすぐの路上に、何やら場違いな様子のオジサン3人組が騒いでいます。
彼ら的には精一杯身嗜みを整えているのでしょうが、その様子はどう見ても――新幹線に乗ってこられたとはとても思えない、地球のホームレスです。
しかも、ムギさんとロクさんなる2人は、拾い物らしいぼろぼろのスキットルに酒を入れてちびちびやっています。
通りすがりの人が怪訝そうな目を向けながら避けて通るのも当たり前かもしれません。
「しかし何で誰も聞いてくれねえんだ!? コクゾクとか何とかのキョーイってやつは、パラミタじゃあどうってことないのか!? あぁ!?」
「ロクさん、コクゾクってのは戦時中のナニだろうがよ。コク……ビャク? だっけかなぁ? ガモさん」
「コクビャク、だな。パラミタでも騒ぎになっていると聞いているんだがなぁ」
「あんたたち、何?」
そこに通りかかった、3人の男女が声をかけました。
――ホームレスたちには分かっていないですが、それは実は普通の人ではありません。人の姿を取った魔道書です。
普段はイルミンスール内の特殊施設で暮らしている3人の魔道書――『オッサン』(秘儀書『水上の火焔』)、『騾馬(らば)』(錬金図解書『黄金の騾馬』)、『姐さん』(『山羊髭夫人の茶会』)なのでした。たまたま通りかかった3人は、この場に如何にもそぐわないホームレスたちを訝しげに見ています。
しかし、とにかく聞いてくれる人が現れたと思ったホームレスたちは、構わずに無遠慮に話しだしました。
「おおお兄ちゃん姉ちゃん、聞いてくれよ! このパラミタじゃあ、コクビャクっつー連中の悪さは知られてないのかい!?」
「コクビャク? ……いや、人から聞いたことはあるな」
「聞いた話じゃ、今警察とやらが血眼になってアジトを探してるっていうが」
「それが何か?」
姐さんの問いに、ひときわ大声でよく喋るロクさんが、ガモさんの肩を掴んで3人によく見せようとでもいうかのようにずいっと押し出しました。
「このガモさんがな、そいつらの口車に乗って契約したんだよ!!
――でな、その誰とも知らない契約相手っつーのが、ガモさんに夜な夜な夢で助けを求めているって言うんだ!」
彼らはもともと、東京某所の河川敷で暮らしているホームレス仲間でした。
数週間前、ガモさんはどこからかやって来た素性のしれない男に、「パラミタ人と契約してほしい」と頼まれたと言います。
――公共の学術施設で勉強しているのだが、能力向上のため契約を望んでいる、しかし人材もつてもない。
――この人の人生の成功のため、温情をかけると思って。契約してくれるだけでいい。金を取ったり、パラミタに連行したりすることは間違ってもない。
押し切るような頼みに負けて、薄謝とともにガモさんは、契約を受諾してしまいました。
ホームレス支援ボランティアの人から、最近世間を賑わせている「コクビャク」の話を聞いたのはつい最近のこと。
あれは悪質な詐欺だったのかと、ガモさんは自分の身の危険を感じると同時に、では誰とも知れぬ契約相手もまた命の危機にあるのだろうかと考え、暗澹たる気持ちになりました。
その日の夜。
ガモさんは夢を見ました。
薄暗い、廃工場のような殺風景な場所で、青ざめた顔の少女が、切迫した表情に目を見開き、こちらに向かって訴えているのです。
『お願い、私たちを助けて』
『もうじき私たちは【丘】に送られてしまう』
『【丘】に送られたら、もう帰ってこられない……!』
その夢を、繰り返し何度も、ガモさんは見ました。
そして、結論しました。
この少女は自分の契約相手で……逢ったこともない自分に助けを求めている、と。
「それで、空京に来たってわけ、か」
騾馬の言葉に、ホームレスたちは一様に肯きます。
河川敷で暮らしている自分たちは取締りの対象になることもあるので地球の警察に駆け込むのはためらわれ、あの時貰った薄謝とかき集めたありったけの金で空京新幹線に乗ってここまで来たはいいが、この身なりのせいか誰にも話を聞いてもらえず、困っていたということも打ち明けられました。
「しかも、俺たちガモさんについて来たはいいが、この空京って街以外から出られないらしいんだよ」
「情けねぇ。しゃしゃり出てついてきちまったけど、俺らとんだお荷物だよ」
ロクさんとムギさんはガモさんを一人でパラミタなんて別世界に行かせるなんて、と意気込んで護衛気取りで付いてきたのですが、契約者でない彼らは空京より外に出られず、その少女の居場所を探そうにも移動の足かせになりかねないという事実で、内心しょげていたのです。
「その女の子もだけど、ガモさん自身もロストって奴の心配があるのに……こんな時に何もできないなんて情けねえ」
「いいんだよロクさん、2人についてきてもらっただけで俺は心強かったからよ」
「うう……っ」
「要するに、契約者になれば、パラミタのどこを歩いても大丈夫になるんだろ?」
変に湿り気を出しているホームレスたちの感傷を断ち切るように、オッサンがずいっと口を挟みました。
「え? あ、あぁ」
「じゃあ簡単だ。ロクさん、俺があんたと契約してやるよ。そうすりゃ、どこへでもその少女を捜しに行けるだろ」
「えっ!?」
「だったら俺も、あんたと契約してやるよ、ムギさんとやら」
愛想の欠片もない表情で、騾馬がぶすりと言ってのけます。ホームレスたちは一瞬呆気に取られました。が、
「た、助かった!! 恩に着るぜ、アンタら!!」
「いいから、どうやったらその少女の居場所が分かるか、考えようぜ。手伝ってやるからよ」
「お、おう!」
突然二人が意気投合&契約してしまったこの状況に、姐さんただ一人が呆れ返っていました。
そもそもオッサンも騾馬も、人間に対しては強い不信と反感を抱いており、それがその場のノリで契約するなんて、考えられないことです。
……が、どちらも所謂「呑兵衛」なせいか、酒好きな人間には比較的心を打ち明けやすくなる傾向がありました。
(もっとも、それだけじゃあない、か)
恐らく2人とも、ロクさんやムギさんの「仲間思い」なところに共感したのでしょう。
実際、人間に対して馴染めないため普段はイルミンスールから出ない彼らが、わざわざ空京に出てきたのもその「仲間思い」が動機にあったのです。
3人は、ある人物に会うため、魔道書仲間たちには内緒で今日は街まで来たのです。ただ、その人物は不在で会えませんでしたが……
(まぁ、今日の予定は全くふいになっちゃったんだし、彼らに協力するのに別に何の支障もないわね)
姐さんもそう考えたのですが、
(けどあの2人、一旦契約したら二度と解消できないって、分かってて契約したのかねぇ……?)
その疑問は残りました。
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その、3人の魔道書が会えなかった人物、杠 鷹勢(ゆずりは・たかせ)は、実はこの時、空京の端にある喫茶店にいました。
彼と一緒のテーブルに、同年代の少女が座っているので、一見デートのようにも見えますが。
「……さっき、電話があって、バンを店の横に付けるので乗ってくれと言われました。
あと、小型結界装置はちゃんと持ってるかと念を押されたので、空京の外に行くのは間違いないと思います」
グラスを下げに来た店員に、鷹勢は小声で囁きました。
実はこの店員、変装した空京警察官です。
地球での取り締まりが厳しくなり、コクビャクは契約詐欺行為から撤退したかに思われました。が、実は空京の片隅でひっそりと、コクビャク傘下の小さな団体が、空京に来る非契約者地球人を相手に同じことを続けているという事実を、警察が先ごろ掴みました。
このところの取り締まり強化ゆえに、ネットのみで契約を済ませるタイプではなく、一応希望者に事務所に来てもらって対応する係員が説明して契約を完了させる、というタイプになってはいるようですが、相変わらず契約した同士が会えずにいる、というトラブルが警察の耳に入り、そこから掴んだ情報です。
警察はそこを逆手に取り、警察と内通する「契約希望者」を彼らと接触させ、契約へのディープな注文を少しずつ突きつけていくなどしてこの『斡旋事務所』の経営内部にじわじわと食い込んだアクセスを取り、彼らを一網打尽にする機を得ようと画策しました。
とはいえ、その「おとり」となる希望者は、実際非契約者でなくてはならず(契約者だと対面で気付かれるようです)、そのために白羽の矢が立ったのが、ロストで非契約者となった元契約者の鷹勢、そして、今鷹勢と一緒のテーブルにいる、空京の弁当屋のバイト少女・綾遠 卯雪(あやとお・うゆき)でした。
卯雪は地球の高校で一緒だった仲良しの友人に契約者が多く、その彼女らが口を揃えておとり役に推薦したための人選です。
「なんだか……ドキドキしますね」
「うん。でも、これで悪い奴らが捕まるならいいけど」
二人は緊張した小声で言葉を交わし、窓の外を見ています。
『僕は前のパートナーをロストしました。もし新たにパートナーを得られるなら奈落人の方がいいです。彼女が向かった場所を実際に知っている奈落人が』
『あたし、友達と皆で空京に来た時、一度契約しようと思ったけど、なんか「資質がない」とか言われて、結局できなかったんだよね。
看板に「どんな方にもぴったりの契約相手が見つかります!」ってあったけど、本当にこんなあたしでも契約できるの?』
警察の指示を仰ぎながらそんな難題をしぶとく突きつけていった結果、2人は今日、「実際に弊社と斡旋の契約をしている契約希望のパラミタ人」に会うために、指定された場所に向かうことになり、迎えに来る斡旋事務所のバンを待っていました。
「……来たみたい」
「そうね」
『お疲れ様です。そのまま、向こうの指定するバンに乗ってください。
我々は離れた場所からお二人を監視し、尾行します。
怪しまれないよう、携帯電話の使用にはくれぐれも気を付けてください』
そう、裏に走り書きされたレシートをもってレジで代金を支払い、2人は店を出ました。
「あれって、本当なんですか?」
ドアをくぐりながら、鷹勢は卯雪にそっと訊きます。
「? 『資質がない』って言われたってこと?」
「…えぇ」
「本当よ。ま、適性がないんだよね、多分。だから、誰が来ても契約できるとは思えないんだよねー」
そう笑って、卯雪は鷹勢と共に、バンへと歩いていきました。
今回、警察は、相手の戦力が分からないため、各校に応援を募って集めた契約者たちと連携を取り、2人を追う予定です。
「あの手のバンということは、空京を出てもそう遠くまで走るとは思えないな。
大荒野まで向かうことはない、か……?」
喫茶店の奥に控えていた警察の捜査班控室では、走り去ったバンを見ながら、目的地の推測が始まっていました。
「そういえば……ツァンダと荒野の中間部の沿空部に、撤退した地球の企業の残した廃プラント群があったな……」
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「工場っぽい場所、ってだけじゃヒントが少なすぎるだろ。せめて女の子の名前とか、種族とか」
「そうは言っても……夢の中にはそこまで詳しく出てこないんだよなぁ」
「夢だけがヒントなのか? だったらあんた今から寝てみろよ、そんで夢見てもっかい詳しく記憶して起きたら教えろよ」
「よしなよ騾馬、こんな路上で寝ろだなんて言うもんじゃ」
「あぁ? 姉ちゃん、心配いらねえよ。俺らぁどこでも寝られるんだからよ」
「いや、本当に横にならなくても…」
空京新幹線駅前の方では、何だか難航していそうな雰囲気です。