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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

リアクション

2.

「ふぅ……芽、でませんねぇ……」
 暖かい場所に置いた鉢植えを見やり、嵯峨 詩音(さがの・しおん)が残念そうにため息をついた。
 薔薇学の医務室では、嵯峨 奏音(さがの・かのん)と詩音、そして、留守番を頼まれたファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が、生徒達の帰りを待っていた。
「普通の種とは、やっぱり違うのかなぁ?」
「色々、調べてはみてるんだけど……」
 サラームと詩音が話題にしているのは、あの『種』を、吸血鬼の身体を使わずに芽吹かせる方法はないかということだった。詩音が試しに普通の鉢植えに植えてみたのだが、今のところ成果はない。
「図書室で借りてきた本とかも、調べてみたの。でも、載ってなくて」
「あ、歌とか歌ってみたらどうかなぁ。はーやく芽をだせ、薔薇のたねー」
 そんな二人のやりとりを微笑ましげに見守りつつ、奏音は暗くなった空を見やった。保険医である彼は、今夜は、おそらくは傷ついて戻ってくるであろう生徒達のために、保健室で待機しつづけることに決めていた。
 そして、もし担ぎ込まれれば、それが喩え相手方であっても、治療することには代わりはない。勤め人である以上、校長の意向には逆らうつもりはないが、医師として命を奪う可能性もある行動を容認する訳にもいかないというのが、彼の本音だった。
 今のところは、昼に数人の生徒が負傷して戻ってきた後は、医務室は落ち着いていた。そのうちに、夕食を済ませておいがほうがいいかもしれない。
「二人とも、一度休んで、食事をとっておいたほうがいい」
「はい、にいさま」
 詩音はすぐに立ち上がったが、サラームはすぐに奏音の言葉が耳に入らなかったようだ。
「どうした?」
「あ……う、うん」
 言いよどむ様子は、普段の明るく子供っぽい彼にしては珍しい。おそらく、離れている早川たちのことが、心配でならないのだろう。
 俯いたサラームの赤いたてがみを、そっと奏音が撫でてやったときだった。
「……ぅ、……っ!!」
 突然、サラームが呻き、小さな身体を痙攣させる。
「ファル!?」
 詩音が驚きの声をあげ、彼に駆け寄ろうとする。それを手で制し、落ち着いて奏音はサラームの状態を確かめた。
 苦しげに肩で息をするサラームは、すでに意識も混濁しつつあるようで、反応はない。
「どうしたの、なにが……?」
「おそらく、契約者になにかがあったんだろう」
 奏音は眉を寄せ、気遣わしげにサラームの手当を続けながら、生徒達の無事をさらに強く祈った。
 時はやや戻り、アーダルヴェルト邸において。
 早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は、アーダルヴェルトにむかい、口を開いた。
 ……賭を、持ち出すためにだ。
「そもそも、薔薇の学舎を置く事を許したのはアーダルヴェルト卿でしょう。学舎の者達がタシガンの人々との融和を図ろうとしている中で、タシガン家の別荘を排斥派に提供しているとも取られかねない状況は好ましくないのではありませんか?」
 アーダルヴェルトは答えない。政治的な沈黙でもあった。否定でも肯定でもないという意味で。
 そのような反応は、予想の範囲内だ。早川はすっと右手を差し出し、その手のひらに乗せた『種』を見せた。
「俺がこの種を自分に使って、もし咲いたのが貴方の好きな蒼い薔薇だったら……。それに免じて今回の事を収めて頂けないでしょうか」
「……ほう、その吸血鬼に使うつもりか」
 アーダルヴェルトが、皮肉げな笑みを浮かべる。その吸血鬼とは、側に控えていたヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)のことだ。しかしそれに、早川は首を振った。
「いいえ。……俺自身です」
 その言葉に、黒崎フィルラントは、驚きの目を早川に向けた。
 吸血鬼のパートナーは下位の吸血鬼になり、究極的には融合に至るという。
 それならば、理論上では、契約者である早川でも苗床にはなれる筈だ。
 ――誰かを犠牲にするより、学舎の仲間とタシガンの人々の為に、早川は自らの命をさしだすことを選んだ。
「呼雪……」
 戸惑いもあらわに彼の名を呼ぶと、ラージャはじっと早川を見つめた。ユニコルノ・ディセッテ(ゆにこるの・でぃせって)は、その幼い姿に似合わぬ覚悟を、その青い瞳に秘めて、彼らを見守っている。
 早川はそんなラージャの頬を撫で、薄く微笑みかけた。
「お前を苦しませたくはなかったんだが……すまない」
 契約者たちは等しくダメージを受ける。命にも関わるものであれば、なおさらだ。しかし、自分が何を思い、そしてどんな選択をするか、パートナー達は理解してくれると彼は信じていた。
 そして、――早川は、種を飲んだ。
「…………!」
 胃の腑へと種が落ちていく、その感覚があった。次の瞬間には、全身の神経を食い破り浸食するかのような激痛が襲いかかった。
 痛みだけではない。本能的な嫌悪感。おぞましい感覚に吐き気がする。そしてそれは、全く同様に、彼のパートナーたちにも伝わった。
「う、ぁ、あ……」
 視界がぼやける。乗っ取られる。這い回リ縛り付ケ精神マデも犯サレル。コワレル。――
 ――早川がその場に倒れ、意識を失った時。その身体はすでに苗床となり、一目ではそうとわからぬほどの蔓が彼の身体を覆い尽くしていた。
 そして……薔薇が、咲いた。それは、悲しいほどに透明な青い薔薇だ。
「あ……」
 痛みに悶絶しながらも、ヘルはその薔薇を手にした。これを、校長に届けなければならない。それが自分の使命だ。しかし、一人ではもう彼は立ち上がることすらできなかった。ディセッテもまた、痛みに気を失っている。そんな彼らを、フィルラントやブルーズが、気遣わしげに介抱していた。
「賭けは、早川の勝ちのようだね」
 黒崎はそう言うと、アーダルヴェルトを見やる。
「……美し薔薇だな」
 アーダルヴェルトはぽつりと呟いたのみだった。しかし。
「おもしろかったね」
 そう口を挟んだのは、ウゲンだ。すぐさまアーダルヴェルトが頭を垂れ、その後ろへと下がる。無邪気な笑みのまま、ウゲンは言った。
「この薔薇に免じて、今回の件は、騒ぎにならないようにしてあげるよ。薔薇の学舎の生徒が、タシガンの民を傷つけたなんてことはね。ただ、僕も万能ってわけじゃないし、過激派を全部押さえ込むなんて到底無理だよ。それは、わかってほしいなぁ」
 それはつまり、どちらに対しても黙認するということだ。排斥派に与することも、薔薇学の全面的な味方になることもしない、と。
「アーダルヴェルト、それでもいいよね」
「……はい。ウゲン様が、そうおっしゃるのでしたら」
 深く頭を下げたまま、アーダルヴェルトは従順に頷いた。
「じゃあ、僕は館の始末もしておこうかな。確かそれがお願いでもあったよね?」
 ウゲンはそう言うと、執事を呼び、マントを手にとった。どうやら、夏の館に直接赴くつもりらしい。
「そうだ。帰りの馬車は用意させるよ。使うと良い」
 そして、ウゲンが出て行った後、黒崎とフィルラントは互いに手を貸し、早川たちを薔薇の学舎へと連れ帰ることにしたのだった。