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静香サーキュレーション(第3回/全3回)

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静香サーキュレーション(第3回/全3回)

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【◎5―3・事態切迫】

 校長室の亜美は、姫宮 みこと(ひめみや・みこと)から猿の手についての報告を受けていた。
「みてくれは猿の前足のミイラ。しかしそれは代償と引き換えに所有者の願いを三つ叶えてくれるという魅惑の道具であり、三つの願いを叶えたとき。使い手は命を落とすことが多くみられるということです」
 亜美は説明の最後の部分に過剰なまでに反応していた。
 表情は平静を装っているようだけれど、さっきから重要ぽい書類に何十個もハンコを押している。明らかに不自然だった。
「以上がボクが先日調べ上げたことですが。静香校長から、なにか気になった点などはありますか?」
「え、あ。ううん。なにもないわよ――っと。なにもないよ」
 口調も女のものになっているのが誤魔化しきれていなかった。
(なんでしょう。どうもこの静香校長は様子がおかしいですね。もしかして……中身は亜美さん? 静香校長との入れ替わりを亜美さんが望んだということですか?)
 昨日一昨日と亜美と話してきたゆえ、そのときにも感じたこの腹を探るような雰囲気が伝わってきたのである。それに静香とも以前話したことはあるけれど、みことから言わせると目の前の静香とは似ても似つかない感じだと言わざるをえなかった。
(……となると、みたびループが発生している原因もこのあたりにあるんでしょうね。それなら!)
 みことは心を決めると、校長机を思い切り叩きながら叫ぶ。
「亜美さん、願いを取り消して元の体に戻るんです!」
 素直で世間知らずなところのある彼女は、からめ手など無用でいきなり直球勝負に打って出ていた。
 対する亜美もいきなり名前を呼ばれて戸惑いながらも弁明しようとするが。それより先にみことが弾丸のように言葉を連発していく。
「こんなことをしても静香校長はあなたのものにはなりませんよ」「いずれラズィーヤさんにも、他の人たちにも違いはばれるでしょう」「相手の全てを手に入れたいというのは、単なる気持ちの押し付けです」「真の慕情ではない。相手がいて、自分がいて、はじめて人と人は交われるんです」
 すっかり押されてしまった亜美は、もう壁際に背をつけて怯え気味になっていた。
 みこともさすがに飛ばしすぎたかと反省し、自分でも今更ながら恥ずかしくなったらしく。今度はややスピードを落とし、なだめるように言葉を繋げていく。
「亜美さん、あなたのその気持ちの奥底には、自分を否定する思いが隠れていませんか? このままでは『猿の手』はあなたの心の奥底の願いをかなえて、あなたという存在をこの世から消し去ってしまうでしょう」
「…………」
「今ならまだ間に合います。ボクは亜美さんにも死んでほしくないんです」
 素直な意思を伝え、またちょっと恥ずかしさが込み上げてきたが。みことは亜美から視線を逸らさなかった。
 そして亜美は、それにこたえる。
「嬉しいわ。そんな風に言ってもらえて」
「じゃあ……!」
「安心して。ワタシだって、ちゃんと考えてるわ。静香にこれ以上の負担はかけないつもりだし。もうじき全部終わって元通りになって、ループも終わるから」
「本当ですか? 信じていいんですね?」
「ほんとほんと」
 素直なにっこり笑顔の亜美に、みことはもうそれ以上はなにも言わず。安心して校長室を後にした。
「よかった、わかってもらえたみたいで。誰にも邪魔されないで、話ができたのがよかったんでしょうね……あれ?」
 そこでふと、みことは不自然なことに気がついた。
 ラズィーヤがあの場にいないのは、彼女は結構自由なところあるので問題ない。
 しかし護衛を誰一人としてつけていないのはどう考えても妙だった。
 みことは、それが一体何を意味するのか判断がつかなかった。

 その自由なラズィーヤはというと。
 このループでは校長室を離れ、来賓室で水橋 エリス(みずばし・えりす)ニーナ・フェアリーテイルズ(にーな・ふぇありーているず)と共に猿の手を調べていた。
 現在箱は開かれ、鎖に繋がれた紅く禍々しい手があらわにされているが。いまのところ沈黙を保っている。
「これが、猿の手なんですね……思っていたよりずっとグロテスクですね」
 エリスはそう言って、こくりとつばをのみ額から一筋汗をこぼれさせている。
 ニーナも、強力な力を持つ猿の手に感じ入る物があるらしく。青ざめた顔でエリスの影に隠れながら猿の手から少しでも遠ざかろうとしていた。
「えっと、これはもう試しましたわね。では次は……」
 ラズィーヤは古い本を片手に、なにかの薬をたらしたり、文字を刻みこもうとしてみたりを続けているが。猿の手は時折狂ったように跳ねたかと思えば、すぐにまた沈黙に戻ったりするくらいで。他に変化はないようだった。
「あの。それがもし危険な物でしたら、私がイルミンスールに持ち帰って処分しても構いませんけど。アーデルハイトなら、こういったものにも明るいですし」
 エリスの提案に、ラズィーヤは軽く首を振る。
「ダメなんですの。わたくしも一度、これを外へ持ち出してみたんですけれど。結局ループが起こって元の場所に戻ってしまいますから……」
「ループ? なんですかそれは?」
「ああ、ごめんなさい。おふたりはループを認識していないんでしたわね」
 ラズィーヤの言葉の意味がわからず疑問顔のエリス。
 ニーナのほうは、普段のムードメーカーぶりが嘘のように怯えつづけている。
「なんにせよ。これはおそらく、もう標的を見定めている状態にありますわ。調査に何日もかけている猶予はないでしょうね」
 そのとき来賓室の扉が開いた。
 やってきたのは、なぜかとんでもなく暗い顔の静香と、にやにやの表情な菫、そして笑いをかみ殺しているクリストファーとクリスティーだった。
「亜美さん? どうして、ここに」
「ラズィーヤさん……とりあえず、話を、聞いて」
 ただごとでない様子に、誰も口をはさめず耳を傾ける。
 最初のほうは自分が静香だということの説明だった。そのへんはラズィーヤはもう既に知っていたが、今ヘタに傷つけるのもなんなのでようやく気付きましたという芝居をしておいた。
 そして肝心のここへ来るまでになにがあったかの話になる。
 格子戸の部屋を出たあと、アキラに生徒達の目を引きつける役を任せ。おかげで難なく校内に入りこむことに成功したのだが。
 そこで運悪く校内を捜索していた村上琴理(むらかみ・ことり)に発見されてしまったのである。
 不幸中の幸いとして見つかったのは彼女ひとりだったので、琴理をトイレへと連れ込んで事態の説明にあたり。
「ほら静香! また秘密の暴露をしないと!!」
 ほぼ悪ノリ気味の菫に言われ。再びやむなく暴露話を繰り広げることになったのがいけなかった。
「えっと……なんだか、そこまであけっぴろげにされますと、信じないわけにはいかないですね。むしろなにも見ませんでしたし、聞かなかったということにさせてください」
 結果なんだか可哀そうなものでも見るような視線を向けられてしまうことになり。
 静香は軽いトラウマと引き換えに、ここへ辿りついたということだった。
「一体どんな暴露をしたのか、とても気になりますわね」
「いいから! そんなことより、ラズィーヤさん。肝心の猿の手はどこに!?」
 それなら箱の中に、と続けようとしたラズィーヤだったが。
 いつの間にか箱が傾いていて中身がどこにも見当たらず。
「エリス、気をつけて! 上だよ!」
 それを目で追えていたのは力に敏感になっていたニーナだけだった。
 注意を受けたエリスは、そちらを向くことなく横っ飛びに避ける。
 直後そこを紅い手が滑るように降下していき、今度はクリストファーにむかって獲物を狙う鷹のように低空飛行してくる。
「嘘だろっ!? 猿の手が動いてる、てか飛んでる!?」
 咄嗟にしゃがんで避けると、迂回して今度は静香に向かってきた。
 エリスがリカーブボウで猿の手を撃つが、たやすく矢が弾かれてしまった。
「うぅ……ぱるぱる……どうなってるんですか? 攻撃がきかないです」
 撃しても無意味そうなので静香はよけようとしたが、こういうときに限って絨毯に足がひっかかって転んでしまうのがこの人。
「いけない!」
 静香は反射的に目をつむろうとして。
 寸前で、猿の手が白い光を放つのが見えた。
「え? な、なに……?」
 直後、目の前が真っ暗になった。
 静香はまだ目を閉じていない筈なのに、なにも見えない。
 ラズィーヤも、エリスも、ニーナも、菫も、クリストファーも、クリスティーも、
 来賓室のソファも、絨毯も、椅子も、テーブルも、壁さえも見えなくなっていた。
 なにもない闇の中でひとり。
 わけのわからない事態に、パニックになりかける静香だが。
「静香さん……!」
 耳元で、かすかにラズィーヤの声がした。
「気をしっかり、もって……精神を…………囚われてしま…………」
 しかしそれも途切れ途切れになっていく。
「聞……て……なら、猿の……わた……が…………次の……プ……すべてを……」
 おそらくだが。
 猿の手は次のループでなんとかする、というようなことをラズィーヤは告げたのだろうと静香は想像した。
 つまり、なにが起きたのかはわからないけれど。
 このループではもう抵抗しようがないのだろうと悟る。
 次のループは一体いつはじまるのか。それはわからない。
 闇の中で佇んでいると、時間がとんでもなく長く感じられる。
 静香は襲ってくる孤独と闇の恐怖に押し潰されそうになりながら、必死に自分を保ち続けた。