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リアクション
クランジΚは、書架の一つに背中を当てて息をついた。
敵だらけだ。また標的から遠のいた。
だが辛いとか苦しいとは思わない。そういった感情を彼女は身につけていない。
感情、といえば、契約者と呼ばれる者たち、そしてそのパートナー、いずれも甘いとΚは考えている。
彼らは情に脆すぎる。思い込みも強すぎる。戦闘者として、これらは弱点以外の何物でもない。
それなのに、
(「ときとして彼らは、理論上絶対不可能な状況を覆してきた――」)
軽く調べた範囲でも、契約者たちの成し遂げた偉業の数々が次々と見つかった。Κ自身、ヒラニプラの深雪の中、彼らと戦ってその潜在的可能性の高さを目の当たりにしている。
(「非論理的だ」)
非論理的すぎる、とΚは思った。
しばしここで小休止しよう。
図書室を進む。この辺りは破壊された形跡がなく。無数の本が閑かに、手に取られ、読まれるのを待っていた。
本は人間の叡智が結実した物だ。そこには知識のみならず、歴史、あるいは感情が詰まっている。しかし現在のグレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)に、本の背表紙に目を向ける心の余裕はなかった。
イルミンスールにもクランジが潜入していたという。しかも、生徒に姿を変えて。
(「また……知らないクランジが出てきたみたいだな……。会ってみないと最終的な判断はできないが……できれば助けてやりたい……ただの道具としての生から……」)
だが、と決意を固める。
(「……相手がラムダのような非道な奴だった……その時は……」)
グレンは唇を噛んだ。心が痛み出す。心臓に、錆びた釘を突き刺されたような気がした。
死の瞬間、ラムダは涙をこぼした。それが忘れられない。もしかしたらあれは、ラムダからの『助けて』というサインだったのかもしれない。今となっては、決して真相は判らないが……。
迷ってどうする、グレンは自分の心を叱った。迷えば、助けられる命を助けられなくなるだろう。
(「ラムダを倒したから……レンカの友達であるパイを守れた……その事を忘れるな……」)
なのに、いくら己に言いきかせようと、彼はひとつの矛盾から目を逸らせることはできなかった。
(「……クランジを助ける為にクランジを殺す……か……。俺は……何がしたいんだろうな……」)
乱れる心は藻のように、グレンを絡め取っていた。
(「グレンお兄ちゃん……なんだかいつもと様子が違う気がするな……」)
彼の同行者レンカ・ブルーロータス(れんか・ぶるーろーたす)は敏感に感じ取っていた。グレンは元々言葉数の多いほうではないが、今日の沈黙は、普段より重いように思えた。
「グレン」
ずっと無言だった彼に、ソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)がたまらず声をかけた。
「クランジに会うのが怖いんですね……」
グレンは否定も肯定もしなかった。ソニアは続けた。
「けれど貴方は前のパイさんの様に、クランジに命を狙われている方を放ってはおけない……それが……助けられなかったクランジに対する償いだと、思っているのでしょう?」
(「……自分がどれだけ傷付こうとも……」)という一言をソニアは自分の心に伏せた。
グレンはやはり返事をしなかった。けれどソニアには彼が、「ああ」と言ったのが聞こえた気がした。
「私は、グレンに協力します」
「俺もだ」
李 ナタ(り なた)も口添えた。そう言ってやることで、少しでもグレンの負担が軽減すればと考えていた。
「レンカも!」と、応じるつもりだったレンカだが、小さく息を呑んでそれを引っ込めた。
代わりにレンカは、
「パイおねえちゃん? ……いや、ちがう……誰?」
身を屈め、両手を頭に置いたのである。
「どうした」
悩みを頭から追いやると、グレンは手を伸ばしてレンカに触れた。
か細く震えている。
「……パイおねえちゃんと似た感じがするの。似た人が、近くにいるの……」
花妖精のレンカは、時々不思議な直感力を発揮する。それが出たというのか。
クランジΚは書架と書架の狭い隙間から姿を見せた。
隙間に入ったとき、彼女は黄金の半仮面をつけた黒髪の少女だった。
出てきたとき、彼女はエリザベート・ワルプルギスだった。瓜二つの姿に変身していた。
「おい、そこのお前!」
ところがΚは、乱暴に呼ばれて凍り付いた。
「新手のクランジだな! エリザベートに化けるとはいい度胸だ!」
ナタの声である。水晶のような青い目が怒りに燃えていた。
「なぜ……」
言いかけたΚを見てソニアは断じた。
「ということはレンカの感じた通りだったのですね。あなたは『クランジΚ』、能力は、他者への変身」
エリザベートの姿のまま、冷めた口調でΚは言った。
「語るに落ちたというわけか」
「最初は、レンカがなんとなくそう思っただけなの。このあたりに、パイおねえちゃんと似た人がいるって……」
レンカは真実の鏡をΚに向けていた。
そこには、黄金の半仮面をつけたΚの姿が映り込んでいた。
Κは少しずつ三人と距離を取りながら、懐から黄金の仮面を取り出し、これを顔に、
――つけようとした瞬間、焔をまとった弾丸が半仮面を粉砕した。
「ッ!」
仮面の材質はセラミックのようなものだろうか。簡単に砕け散り、エリザベート(Κ)はまなじりをつり上げた。
「初めて会うことになるな。……俺はグレン・アディール、得意技を封じさせてもらった。仮面がなければそれ以上変身できないことは聞いている」
レンカら三人とは別方向よりグレンが、黒い軍用コートをなびかせて歩み来た。
「……これ以上危害を加えるつもりはない。投降してほしい」
彼は銃口をΚに向けてぴたりと止めた。空飛ぶ箒を使って足音を消し、こちらに回り込んでいたのだ。
「殺すという選択肢はないわけだな」
Κは言った。
「ない」
グレンは断じた。
「なら」
すらりとΚはアサシンブレードを抜いた。エリザベートが剣を握り立っているという奇妙な構図になる。
彼女は、自分の剣を自分の喉に当てた。
「それ以上近づくな。自分をここから去らせろ。さもなければ、自害する」
エリザベートの鼻にかかったような声で、しかしΚの淡々とした口調で彼女は言った。
「待て。それは……」
グレンは反応することができなかった。
「甘いのだ。貴様らは」
Κは剣を喉に当てたまま後退する。
グレンは動けない。
ソニアも同様だ。レンカも。
ただナタだけは「一か八か、飛びつくことができれば……」と言いたげな視線をグレンに送ったのだが、グレンはそれを許さなかった。
「仮面がなければそのままだぞ。エリザベートの姿でこの図書室から抜けられるとでも……」
というグレンによく見えるように、Κは左手上げた。
例の半仮面が三枚ほど握られていた。
「前回の反省だ。ストックくらい用意している」
少しずつ、少しずつ距離を取り、やがてΚの姿は闇に飲み込まれるようにして消えた。
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