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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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■第17章



 その日は朝から霧雨が降っていた。


 それでも夜の祝祭は敢行されて、月が昇るのを待ちかねたように人々は踊り、歌い、飲んで食べて、春の訪れを盛大に祝っていた。
 弐ノ島太守の娘サク・ヤは当時17歳。冒険をしてみたい年ごろで、その月の最初の満月の夜に地上では祝祭があると本で読んだ彼女は、地上への憧れの想いがこじれるあまり、ついに世話係の少女と2人で強引に壱ノ島へ行き、そこから密漁の船に忍び込んだ。
 密漁船はしばしば雲海でとれた魚を地上へ売りに行くと聞いたからだ。めずらしい魚だと、島で売る数倍の値段で売れる上、地上の品を仕入れてくれば島で高値で売れる。
 当然、雲海を抜けて行くのだから危険極まりない。またキンシたちに見つかれば厳しい処罰を受ける。
 しかしサク・ヤは気にしなかった。船に乗り込んだときには、もう地上のことしか考えられなかった。
 そしてついに祝祭の会場へついたときには達成感と、それを自分1人でやり遂げたのだという誇らしい気持ちで有頂天になっていた。
 ここにいる人はだれも彼女のことを知らない。南カナンのいろんな場所から人は集まってくるから、知らない顔があってもだれも気にしない。わたしは太守の娘でもなく、ただの村娘のサク・ヤだ。
 サク・ヤはたががはずれたように笑って人々の輪に入って踊り、歌って、また踊った。疲れることを知らないかのように踊り続ける彼女を、だれもが春の妖精ではないかとうわさしていた。
 その姿がカディル・ジェハド・イスキアの目にとまった。
 彼は当時学生で、南カナンにある学舎へ留学していたのだ。孤児の彼を引き取り、育ててくれた東カナン貴族の義父のためにも勉学にいそしんでいた彼は、学友に息抜きにと誘われて祭りを訪れていた。
 カディルはサク・ヤと2人でひと晩じゅう祭りを楽しんだ。そして夜明け近くには2人はすっかり互いに魅了されていた。

『おれは東カナン国のカディル・ジェハド・イスキアといいます。どうかおれと結婚して、おれの妻になってください』

 泥でぬかるんだ地面にひざをつき、カディルはサク・ヤに結婚を申し込んだ。
 大切そうに両手で彼女の左手をとり、額に押しつけ、甲に口づけるカディルの姿に、サク・ヤは胸を打たれ、有頂天になった。
『はい、カディル。喜んであなたと結婚します。……わたし、あなたの妻になるわ!』
 サク・ヤは1も2もなく彼の求婚を受け入れ、指輪を薬指に嵌めた。カディルに抱き締められてその口づけを受けているときも、島にいる婚約者ニニ・ギのことなどチラとも思い出さなかった。
 ニニ・ギは生まれてすぐ両親が話し合って決めた婚約者で、サク・ヤにとっては何でも話せる幼なじみのおとなしい男の子というイメージが強く、それはニニ・ギの方もそうだとばかり思っていた。だから、きっと今夜の運命の出会いの話をしてもきっと彼は驚かないだろうし、婚約破棄してもなんらダメージは受けないだろうと……。




 目を覚ましたサク・ヤは、朝だというのに周囲がいつも以上に暗いことを不思議に思った。
 寝台を下り、窓に近づいて鎧戸をはずすと、外は雨が降っていた。だから暗いのだろうと合点がいった。
 しとしとという雨の音を聞きながら、テーブルのろうそく立てに火を入れ、明かりを灯す。身支度をしながら、夢について考えた。
 もう何年も見ていなかったのに、どうしてあんな昔の夢を見てしまったのか。
 雨のせいだろうか。
 それとも……あの指輪を手放してしまったから?
 胸元に手を当てても、いつものような指を押し上げる突起物はなく、平らな感触しかない。
 あれをはずしていたのはニニ・ギと結婚していた間だけで、それ以外の間はずっとつけていた。そのせいかもしれない……。
 あんな小さな指輪なのに、なくなっただけでこんなにも罪悪感と喪失感に胸が重くなるとは思わなかった。
 ……これ以上考えてもしかたない。あれを手放さないという選択肢はなかった。すべてはこの島のためだ。
 長い髪をいつものようにうなじで結って部屋を出る。
 今日は新しい工夫たちが来て、機晶石の採掘が再開される。これが本当に最後のチャンスだ。機晶石さえ採れれば、ほかの島へ輸出してこの島は裕福になれる。そうすれば島の防衛を築ける。
 もう二度と、雲海の魔物なんかに島の人たちを殺させたりしない。


 昼前には雨はもうやんでいた。
 空は厚い灰色の雲におおわれて太陽は見えなかったが、それはいつものことだ。
 ス・セリに屋敷のことを任せて、サク・ヤは工夫頭の男たち数人と港へ工夫たちを迎えに行った。そしていざ壱ノ島からの船が到着して工夫たちが下りてきたとき、正直、驚かずにはいられなかった。
 思っていたような肉体労働者たちではなく、どう見ても都の若者といった少年少女たちだったのだ。
 機晶石採掘はうす暗い穴倉で岩を掘る作業だ。はたして彼らで大丈夫だろうか? 1日と持たずに逃げ出してしまうのではないかとの懸念が浮かぶ。
 彼らは何か勘違いして、間違って応募したのではないかとも疑ったが、かといって、彼らに返ってもらうほど余裕はない。新しい工夫希望者が続々応募してくるほど給料は出せないし、おそらく労働者のなかでは相当悪評が広まっているだろう。
「皆さん、ようこそおいでくださいました。わたしが弐ノ島太守エン・ヤの代理で娘の――」
 集合した者たちを見回して、にこやかにあいさつをしていたサク・ヤの目が、彼らの一角で止まった。
 あり得ない存在を見た驚きに声を失い、言葉が一瞬途切れる。
「――サク・ヤ、と申します。
 こちらが工夫頭で現場責任者のカナヤ・コ。何かありましたらこのカナヤ・コに訊いてください。
 それではまず宿舎にご案内させます。そちらでいったん荷物を下ろしていただいてから、採掘場へ向かっていただきます」
 サク・ヤは動揺を押し隠し、笑顔を崩さずどうにか言い終わると後ろへ退いてカナ・ヤコと交代した。そしてゆっくりと自分の馬車へ歩いて行く。しかし心臓は今にも飛び出してしまいそうに高鳴っていたし、背中が熱く感じられるほどの視線を感じていた。
「……どうして……カディルがこの島に……?」


 サク・ヤという女性が出迎えに現れた瞬間、カディルの全身が強張ったことにセルマ・アリス(せるま・ありす)は気づいていた。
 しかし彼女を凝視するカディルのただならぬ様子からおいそれと訊けない空気を感じ取り、ためらっているうちに、相手のサク・ヤもカディルの視線に気づいた。
 カディルを見て、サク・ヤは青ざめたように見えた。ほんの一瞬だったけれど、おびえているようだった。
 ようやくといった様子で話し終えたサク・ヤは背中を向け、道に止めた馬車に向かって歩き去って行く。
「カディル、どうかしたの?」
「…………」
 セルマの質問に、カディルは答えなかった。というより、何も耳に入っていない様子だ。ひたすらサク・ヤの背中を見つめ――そして、何か決意した顔で彼女を追ってその場を離れる。長い足であっという間に距離を詰め、馬車に乗り込む寸前だったサク・ヤを呼び止めた。
「逃げるのか」
 10年ぶりに聞いたカディルの声。
 サク・ヤは息を止め、ゆっくりと吐き出して、振り返った。
「逃げたりしないわ。用が済んだから帰ろうとしてるだけよ。
 おひさしぶりね、カディル」
「へえ。おれの名前を覚えていたとは驚きだ。てっきりとうに顔も名前も区別がつかなくなっていると思ったよ、さんざんだましてきた男どものうちの1人としてな」
「カディル!?」
 中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)とともに追いついたセルマの耳に飛び込んできたのは、そんな侮辱的な言葉だった。
 彼とは知り合ってまだ日は浅いが、こんな口をきく人ではなかったはずだ。
 驚くと同時に、セルマはふと、昨日の船内での彼のつぶやきを思い出した。
(そういえば、彼は島の女性に形見の指輪を盗られたって言ってたっけ。――ってことは、まさかこの女性が!?)
 あらためてサク・ヤを見た。
 ひとをだまして盗むような女性だから、てっきり盗賊か何かだと思っていた。しかしサク・ヤはこの島の太守の娘で、見るからに気品があり、到底ひとの物を盗むような卑しい女性には見えない。
「なんとか言ったらどうだ?」
「……すべては済んだことよ。たしかに手紙ですませたのは悪かったとは思っているわ。だけど――」
「そんな物、おれは知らない」
「え? でもわたし、たしかに――」
「そんなことはどうでもいい」
 ぴしゃりとたたきつけるように言われて、サク・ヤは言葉を止めた。
「おまえの言うとおりだ、もう済んだことだからな。おれだって今さら蒸し返すつもりはない。
 おれがここへ来たのは、指輪を返してもらうためだ。それさえ返してもらったら、すぐにこんな辛気くさい島からは消えてやるさ」
「指輪?」ぎくりとなる。あの指輪は昨夜手放したばかりだ。「……知らないわね。何のこと?」
 とっさにサク・ヤはそう口走っていた。
「なんだと!?」
「カディル、抑えて……!」
 カッと頭に血を上らせ、今にも掴みかかっていきそうになったカディルを、前に回ったセルマがあわてて制した。彼の剣幕にサク・ヤも急いで弁明をする。
「だ、だって、10年も前のでしょ? それにわたし、結婚してたんだから、ほかの男の指輪をするはずないじゃない」
「チクショウ! ふざけるな! あれは幼かったおれを助けて焼死した母が唯一残してくれた形見なんだぞ!! 全部焼けて、あれしか残ってないんだ! それをおまえ、なくしたっていうのか!?」
 なんだっておれは、こんな女なんかに――!!
「た、たぶん……屋敷のどこかにあると思うわ……探せば……出てくるかも……」
 しどもどにおかしな返答をするサク・ヤと激怒しているカディル。双方を見て、観察していたシャオが冷静なひと声を発した。
「2人とも、ここが往来だっていうこと忘れてない?」
 とたん、ぴたりとカディルが動きを止める。
 3人がシャオを見る。視線が集まるのを待って、シャオはあきれたようにため息をつくと、まずカディルに言った。
「熱くなりすぎよ。どこかそのへんでも歩いて、少し頭を冷やしてきなさい」
「しかし――」
「いいから行きなさい。
 今のあんた、どれだけ最低な男になってるか分かる? ちっとも高潔な騎士らしくないわ。浮遊島でのあんたは、東カナンの騎士の代表みたいなものなのよ? オズを失望させたいの?」
 義父オズトゥルクの名を出したのがてきめんに効いた。反論に開けかけていた口をぐっと閉じて、カディルは自戒するようにうなだれる。
「指輪については私たちがちゃんと詳しく訊いておくわ。少なくとも今のあんたより上手にね」
「……分かった。きみに任せる」
 噛み締めるように応じると、カディルは指示されたとおり、どこかへ歩いて行った。
「だって……知らなかったんだもの……。知ってたらわたしだって、ちゃんと返したわ……」
 遠く離れたカディルの背中を見て、まだ動揺しきった揺れる声でサク・ヤはつぶやいた。目尻には涙があふれている。
「でもあのときは……どうしても手放せなかったの……」
 あの終わりのない悪夢のような苦しい日々のなかで残された、たったひとつのよりどころだったから……。
 サク・ヤが乱れた心を鎮めるのを待ってから、セルマは彼女に声をかけた。
「あの……。はじめまして、カディルの知人……でいいのかな? 俺たち」
「そこでなに急に弱気になってるのよ」
 こそっとシャオが脇から叱りつける。
「あ、ごめん。
 えーと。知人のセルマ・アリスと申します。
 こっちは仲間のシャオです。
 カディルがあなたから指輪を取り戻したいという話をうかがったので、今回同行させていただきました――けど、どうもさっきの話を聞いた感じでは、何か、いきさつに食い違いがあるというか、事情がおありのように思えたのですが。よかったら聞かせていただけないでしょうか」
「あのね、私たち、結局カディル側の話しか知らなくて、しかもカディルの指輪をあなたが持っていっちゃった経緯とか理由とか、全然知らないのよ。何か理由があるならカディルを説得することもできるかもしれないし。話してもらえる?
 あ、ことわっておくけど、嘘ついても分かるから。内容によってはあんたの手助けができるかもしれない。だから正直に言ってほしいわ」
 涙を目尻から払い、気持ちを立て直したサク・ヤは、道を渡った反対側にあるテーブルとベンチを指さした。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。
 たしかにあのようなみっともない姿を見せて、何のご説明もなしでは失礼すぎますね……。よかったら、あちらへ移動しましょう」




 ベンチへ腰を下ろすころには、先のカディルの怒鳴り声を聞きつけて、何やら深刻そうだと集まってきた遠野 歌菜(とおの・かな)月崎 羽純(つきざき・はすみ)枝々咲 色花(ししざき・しきか)八草 唐(やぐさ・から)の4人も加わっていた。
「なにからお話すればいいか……。たぶん、カディルが信じていることが真実なんです。わたしたちは結婚の約束をしました。ですが、わたしが考えを変えて、一方的に破棄しました。指輪は……返す必要がないと、思ったんです……。卑怯と思われるかもしれませんが……。てっきりあの夜、わたしが知らないうちにどこかの店で購入した物だとばかり思っていて……」
「あなたはそれを手紙に書いて渡した?」
「あのころは地上へ行くのは密漁船だけでした。ス・セリに頼んで船長に渡してもらったんです。南カナンで、出してもらうようにお願いして……。でも、届いてなかったようですね。
 それはしかたありません。雲海を越えるのは多大な危険を伴います。きっと何事か起きたのでしょう。それに、結果は同じでした。わたしは彼とは結婚できないと書いたんですから……」
「そんなことない!」
 歌菜が即座に声をあげた。
「全然同じだったはず、ないよ!
 それに……これは話してるサク・ヤさんを見てて感じた私の勘だけど、本当は今もカディルさんのこと、大好きなんじゃないの?」
 ストレートに問われて、サク・ヤはとまどう。
 最初は笑みでごまかそうとし、だけどそれもうまくいかず……視線をよそへそらした。
「昔のことです。求婚を承諾したのがそもそもの間違いでした。子どもだったんです、わたし。好きとか、お互いそれだけではどうにもならないことがあるって、何も分かってなかった……」
「一体あなたに何があったんだ?」
 「そんなことない!」と再び言いかけた歌菜を、抑えるようにとそっと手に手をかぶせた羽純が冷静に問う。
「何も。ただ、この島に戻ってきて、現実を見たんです。この島の現実を……」
 サク・ヤがいない間に、島を雲海の魔物が襲撃していた。大勢の人々が亡くなり、魔物に連れ去られて行方不明となり、そしてそれ以上の数の人々が二度と元に戻らない傷を負って苦しんでいた。
 そのなかには彼女の2つ下の弟チル・ヤと、婚約者のニニ・ギの姿もあった。
 2人は病床のエン・ヤに代わり、太守の息子として、そして次代の太守として、懸命に島の人々を守って戦ったのだ。
 結果、チル・ヤは背骨をやられて長く生死の境をさまよったのち、下半身麻痺となった。だが命が助かっただけまだマシだった。ニニ・ギは胸部と頭部を魔物に爪でえぐられ、もってあと2週間と宣告されたのだ。
『どうか今すぐあの子と結婚してやってください……!』
 2人の姿に呆然となっていた病室で、ニニ・ギの母親に泣きつかれた。
『あの子はずっとあなたのことが好きだったんです! あなたと結婚する日を楽しみに待っていて……18になったら、って……』
 もうニニ・ギが18になる日は永久に来ないのだ。
 破壊され尽くされた島の惨状、家を失って途方にくれた人や、痛みにのたうちまわる人々の姿を前に、サク・ヤは100年の夢から覚める思いだった。
 なぜわたしは島から離れてしまったんだろう? 太守の娘として、わたしにはここにいて、この島を守る義務があったのに。
 冒険とか、はしゃいで! 遊んで! 運命の恋人に出会えたと、うかれて!
 そんなことに現を抜かすよりも、わたしはまずこの島の人々を守らなくてはならなかったのではないの!?
 とりかえしのつかないことをしたと、己への憎悪に泣きながら、サク・ヤはカディルに「あなたとは結婚できません。婚約者と結婚します。どうかほかに良い女性を見つけて、その方と幸せになってください」と手紙を書いた。
「……ニニ・ギとわたしは翌日結婚しました。彼が昏睡から目を覚ましたときに、病室で、急いで。彼、「夢みたいだ」って笑って、その笑顔のまま、式が終わるとすぐまた昏睡に入りました。そして昏睡と覚醒を繰り返して……そのまま……。
 彼と結婚したことを悔いたことはありません。むしろ、結婚してよかったと思っています。弟は持ち直したのですが、その後寝たきりになって……5年ほどして、けがが元の肺炎で亡くなりました」
「そんな……!
 じゃあそれをカディルさんに話せば、きっと彼も――」
「話す気はありません。先ほども言いましたが、どうにもならないことです。彼とともに生きることはできません。わたしには生涯この島を守る責務があり、そうしたいと思っています。この島の人々のために生きることが、わたしの望む生き方です。
 だからあのとき、彼に手紙を書いたんです。それが分かったから……」
 もしニニ・ギがあのあと奇跡的に生き延びたとしたら。今も2人で愛する弐ノ島のために尽くしていただろう。
 それはカディルとの間に生まれた愛とは違うかもしれないが、親友として、同じ目的はともに生きる強い絆となったはずだ。彼が死んでしまったのがとても残念。
 サク・ヤはほほ笑んだ。しかしそれは精彩に欠ける、静かな笑みだった。
 おもむろに紙とペンを取り出して、何かを書き始める。
「カディルに伝えてくれませんか? 指輪は金策のため、先日壱ノ島の質店に売ってしまいました、申し訳ありません、と。連絡先と店名はこちらです。ひと月の流質期限がありますので、まだ売れてはいないでしょう。店の主人にはこれを持参した方に売るようにと書きましたから、これを見せれば売っていただけると思います。残念ながら今のわたしには買い戻す力がありませんので、彼に買ってもらうしかありませんが」
「分かったわ」
 シャオが受け取ろうとしたそれを、ひったくるようにして横から歌菜が奪い取る。
「待って!
 やっぱり私、そういうのは間違ってると思う! きちんと説明する義務がサク・ヤさんにはあるんだよ! サク・ヤさんはただ逃げてるだけ! その結果が今、こうなってるんでしょ?
 10年前は手紙にした、それはしかたないと思う。だけど今カディルさんはここにいるんだから、全部彼に話すべきだよ! たとえ別々に生きることになったとしても、和解して、納得して、別れなくちゃ! それが誠意ってものでしょ?」
 そうサク・ヤをさとすと、今度はくるっとシャオとセルマに向き直った。
「指輪は私たちが取り戻してくるから、それまでなんとか時間を稼いで、カディルさんをサク・ヤさんに近づけさせないでくれるかな?」
「……え? どうやって?」
「分かった」
 とまどうシャオの横で、歌菜と視線を合わせたセルマが請け負う。
 十数分後。
 カディルが長い散歩を終えて悄然と戻ってきたとき、そこで待っていたのはセルマとシャオだけで、セルマは彼が近づくのを待ってこう提案した。
「ねえ、カディル。考えたんだけど、サク・ヤさんが指輪を探すのをただ待つだけって退屈だし。採掘場で1日工夫として手伝ってみるっていうのはどう? 俺もやるから」