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第四章 パートナー

「……これ、は……」
 姿見の前に立ち尽くすシェディは、戸惑いを露に呟いた。
 気取った燕尾服を身に纏い、上品なメイクの施され、王冠やネックレスといった装飾の施された己の姿。極めつけは自分自身の体から香る、フルーティーな香り。香水、と知識こそあれ付けたことは全くないその薬液を吹きかけられた部分へ鼻を近づけたシェディは、軽くむせてすぐに顔を離した。
「うん、これで良いんじゃないかな」
 香水を片手に満足げな笑みを浮かべ、翔太は頷いた。メイク道具を片付ける響も首肯して同意を示し、衣服を整理するアイザックがそれに続く。見違えるほど綺麗になったシェディの姿に、ビューティー★サークルの面々はひとまずの安堵と喜びを覚えていた。
「本当に美しいのは、誰かを想う気持ちを忘れていないシェディ君の気持ちだと思う。だから、それをヴラド君に気付かせてあげたいんだ。シェディ君になら、それが出来る筈だから」
 その為にシェディ君を綺麗にしたんだ、と胸を張る翔太に、ヴラドは困ったように眉を下げる。
 そこへ、突然一人の青年が駆け寄ってきた。クライス・クリンプト(くらいす・くりんぷと)は後方のローレンス・ハワード(ろーれんす・はわーど)へ手招きしつつ、シェディたちを見回す。
「貴方が……この屋敷の主のパートナー、ですか?」
 屋敷中を走り回ったクライスは僅かに呼吸を荒げながら、それを極力押し殺して問い掛ける。一同の中で最も目立つ一人、シェディへと視線を向けて。
「……シェディ、だ」
 短く答えたシェディの言葉を受け、クライスは双眸を細めて厳しい面持ちを作った。怯む内心を抑え込み、伝えたいことを伝えるために、強張りながらも強気な表情を繕う。
「シェディさん。皆さんが彼を何とかしようとしているのに、どうして貴方はこんな場所にいるんですか」
 玄関から真っ直ぐ大広間を目指したなら、決して通ることは無い廊下。屋敷の持ち主のパートナーであるシェディが道に迷うとは考えられない。ならば、逆にここに身を隠しているとしか思えなかった。
「……俺が出ていけば、逆効果、だ」
 低く頑なに答えるシェディを真っ直ぐに見詰め、クライスは深く呼吸をして心を押さえる。騎士を目指す身たるもの、簡単に感情に身を委ねる訳にはいかない。
「彼は今、真に美しくなろうとしています。この屋敷だって、最初は酷い有様だったのをヴラドさんも一緒に掃除したと、先程あちらで伺いました」
 シェディを探すうちに道に迷ったクライスは、始め客室で眠る丸洗い班の元へ辿り着いた。そこで聞いた話をここぞとばかりにシェディへぶつけると、彼は微かに動揺を示して双眸を瞬かせる。
「……ヴラドが、か?」
 頷くクライスへ目配せを交わして許可を取り、彼の背後に控え黙していたローレンスは一歩を歩み出た。シェディの視線が映るのを確認してから、緩やかに口を開く。
「主は、心配なのです。このまま御二人の心が完全に離れてしまうのではないか……と」
 大広間の位置する方角へと一度視線を動かし、ローレンスは静かな声音で告げた。息を詰めるシェディへ、クライスの言葉が続く。
「お願いします。彼が真に美しくなるためには、貴方こそが必要なんです。……協力してあげて下さい!」
 強く訴えかけるクライスの言葉に、シェディは唸り声を上げた。拒む理由は最早無い。しかし、その一歩を踏み出すことが出来なかった。

 悩むシェディの眼前を、突然一人の少年が駆け抜けていく。足元を構わないその走り方に危険を感じたローレンスが咄嗟に彼の肩へ手を掛け、その衝撃でようやくクリスティーは足を止めた。
「どうなさいましたか?」
 問い掛けるローレンスを見上げ、その周囲の人々を見回し、クリスティーは我に返ったようにあっと声を漏らした。急いで駆け戻ろうとする彼の背中へ、シェディが声を掛ける。
「……どうした」
「……、……。ボクたち、歌を歌おうとしていたんだ」
 諦めたように足を止めたクリスティーは、ぽつりと零した。それを皮きりに、溢れ出す感情を口にする。
「だけど、クリストファーとなんて歌えないよ! 目玉焼きは片面しか焼いてくれないし、ボクはしっかり焼くのが好きなのに半熟にするし、ボクとクリストファーは……」
 そこで言葉を失ったクリスティーは、俯いたまま語尾を濁した。どうしたものかと沈黙が流れる中で、おもむろにシェディは歩み始める。クリスティーの横を通り抜ける傍ら、前を向いたままにシェディは足を止めた。
「……お前たちは、あいつの為に歌を歌いに来たんだろう」
 唐突なシェディの言葉が誰を指しているのかは、言うまでも無く明らかだった。頷くクリスティーを見ないままに、シェディは言葉を続ける。
「今あいつに必要なのは、誰かを想う心、らしい。……見せてやってくれないか。パートナーとの絆、とやらを」
 他人事のように言うや否や歩みを再開したシェディを暫し呆然と見送り、俯き加減に考え込んでいたクリスティーは、静かに顔を上げた。シェディの去って行った方向へと、真っ直ぐに歩きだす。
「一番身近なパートナーを想うことも出来ないで、誰かの為に……なんて、おかしいよね。ボク、クリストファーと一緒に歌いたい。ちゃんと、歌いたいんだ」
 誰にともなく呟いて一人頷き、クリスティーは駆け出した。


「……何があったんでしょうねぇ」
 大広間の中央で見事な合唱を繰り広げる四人組の姿に、ヴラドはぱちぱちと目を瞬かせた。
 立ち聞きした際の状態とはまるで違う、掛け合えば美しく互いを追い掛け、重なれば華麗に互いを引き立てる彼らの歌声、そして穏やかな伴奏を務めるシャンテのリュートの音色に、ヴラドは惹き込まれるような心地を覚えた。広間のあちこちから歓声が上がり、ところどころから聞こえていた歓談の声も今は無い。
 校歌だ、と薔薇の学舎の生徒が呟いた。ヴラドにはその曲が何であるのかはわからない。しかし、心を奪われるだけの何かが込められた、酷く優雅な旋律だった。
 時折乱れるリアンのバスパートも、シャンテの視線によりすぐに修正される。それはかえって合唱であることの意味を引き立てているようにさえ思えた。

 一瞬のような永遠のような時間の後に、リュートの旋律が曲の最後を締め括った。割れんばかりの拍手が上がり、つられたように手を打ち鳴らすヴラドへ、一歩前に出たリアンが一礼の後に語り掛ける。
「歌の得意でない我がここまで歌えたのが彼らのお陰であること、伝わったのなら幸いだ」
 シャンテ、クリストファー、クリスティーを純に示し、それだけを言葉にして、リアンはもう一礼と共に引き下がった。震える唇を、ヴラドはすぐには動かすことが出来なかった。
 収まらない鳥肌が、ぞくぞくと背筋を襲う。リアンの用意した蜂蜜入りの喉に易しい紅茶を共に飲む彼らは、とても輝いて見えた。歌の美しさ、それ以上の何か。先程から立て続けに襲う悪寒にも似た感覚に耐え切れず、ヴラドは壁のスイッチを叩くように押し込んだ。
「それは?」
 さり気なくヴラドに用意した紅茶を片手に、真は問い掛ける。
「……たまを呼びました。到着次第、次に移ります」
 低く感情の込められないヴラドの言葉に、真は無意識のうちに己の後ろ頭へ手をやった。

「美しいって言ったら、やっぱ炎だろ!」
 ワンドを縦横無尽に振り回し、炎でその軌跡を彩るウィルネスト・アーカイヴス(うぃるねすと・あーかいう゛す)が愉快そうに声を上げ、空いた広間の中心へと躍り出る。火の粉を散らす彼を生徒達は遠巻きに見守り、高い天井を良い事に一際大きな火柱を立てたウィルネストは、天井付近に控えるパートナーのヨヤ・エレイソン(よや・えれいそん)へと杖の先で指示を出した。
「まったく……」
 呆れ返りながらも、ヨヤは手にしたバケツから真下の火柱へと水を撒く。鮮やかに盛る炎に蒸発した水が薄らと辺りへ立ち込めた瞬間、火柱を消したウィルネストは、次なる術を展開しようと杖を振り上げた――が。
 ぼとり。
「……。う、わああああ!?」
 水と共に足元へ落ちた黒光りする生物を見下ろし、その虫の正体に思考が辿り着いた瞬間、ウィルネストは絶叫しつつやたらめったらにワンドを振り回し始めた。その先端からは、ごうごうと燃え盛る火術が放たれ続ける。
「そもそも美しさとは本人の感受性によるところが大きい訳で、一概に美しいといっても視覚的な物から感情的な物まで幅も広く尚且つそれを見る側の美意識によっても……っておい、ウィル! 何をやってる!」
 バケツをひっくり返した体勢のままぶつぶつと一人呟いていたヨヤは、真下で繰り広げられる光景に怒鳴り声を上げて飛び降りた。もともと距離を取っていた生徒達に被害は無いものの、床のあちこちが焦げてしまっている。
「落ち着け、ウィル!」
 羽交い絞めにして彼の動きを制止し、ヨヤは耳元で大声を上げた。途端にがっくりと糸が切れたように気を失うウィルネストを呆れたように抱えつつ、いやに歓声の大きい一角を見遣る。
 どうやら、布に隠されていたゴミの山が今の炎で焼き払われたらしい。思わぬ効果とそれ以上の床の惨状に、ヨヤは肩を落として溜息を吐き出した。
「だいじょうぶかなー」
 そんな彼の魔法をじっと見詰めていたティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)は、気絶した幼馴染の姿を見ると心配そうに呟いた。