天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

ようこそ! リンド・ユング・フートへ 2

リアクション公開中!

ようこそ! リンド・ユング・フートへ 2

リアクション


■第6章

「こんな……こんなことって…!」

 翌朝の新聞を、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)扮するカルロッタは足元に叩きつけた。
 新聞の一面を飾っているのは、あの赤い髪の小娘。
 シャンデリアを一撃の下に破壊し、記者たちの取材にはひと言も発せずどこかへ消えたという、謎の女だ。

 『マルガレーテ』を演じたカルロッタについての記事は、1行もない。

「脅迫を受けていたのはこの私! それでも屈せず舞台に立ち、いやがらせにあいながらも果敢に歌ったのはこの私なのよ!」

 ――正確には違うんですけどね。カルロッタではありますね。ハイ。

 ……ガクッ。
 カルロッタはどこまでも芝居がかった動きでうなだれ、テーブルに手をついた。
「私のどこがいけないというの? 演技も、歌も、私にかなう者などいないじゃない! 私は常に一番であり続けようとしただけ! だって、それが神から与えられた私の才能なのよ!? 私はオペラ座のプリマドンナであれと、天によって選ばれた人間なのに!!」
 そのための努力もした! 毎日欠かさず数時間におよぶレッスンを受け、容姿の手入れも怠らず、常に流行の最先端であるべくセンスも磨いた!
 その実力もないくせに、陰謀をたくらみ、私をおとしいれようとする愚か者たちの策略もことごとく打ち砕いてきた! そんなものに負けるような弱虫ではないのだ!

 ――というか、そう言うカルロッタこそクリスティーヌを策略におとしいれようと画策していたんですけどね。棚上げですね。ええ。

「……なのに、たったひと言、名前すら記事にしてもらえないなんて…」
 もしかして……もしかしてだけれど。
 私は……………………だれからも必要とされていない、その程度の存在?

 厭世感にとらわれ、がっくり肩を落としたまま、ティーポットから紅茶をそそぐ。
 しかしそれが熱くなく、冷めかけたぬるいお茶と知った瞬間、カルロッタはカーッと頭に血をのぼらせた。

「ルナ!! ルナ!!」

 ガシャン! ティーカップを壁に投げつけ、新米歌手で付き人の1人を呼びつける。
 ルナ、こと天夜見 ルナミネス(あまよみ・るなみねす)は、しおらしげに両手を前で組み、俯きかげんに入ってきた。
「お呼びですか、お姉様」
「お呼びですって? これで呼ばれないと思ったの!? こんな冷めたお茶を出すなんて! ああ、まずくて飲めやしない!!」
 セッティングされてから飲むまで、自分が時間をかけたせいだとはかけらも思わないカルロッタだった。
「申し訳ありません。ただいま入れ直してまいります」
 この程度のやつあたりなどいつものこと、とばかりにルナは来たときと全く変わらず淡々と応え、軽く膝を曲げておじぎをする。
「――もういいわ! 出て行って……出て行きなさいよ!」
「かしこまりました」
 くるりと背を向け、歩き去るルナ。
 しかしその口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 ……クククククク。

 部屋を出る寸前、ちらりと肩越しにカルロッタを見る。カルロッタはすっかりうつっぽくなり、頬杖をついて何かをぶつぶつつぶやいていた。
 どうせまた、周りの者に対しての愚痴だろう。自分を正しく評価してくれていないとか、そんなことだ。

(そうです、お姉様。そうやって、自分以外の世の中に不満を持ち、疑問を持ち、やる気をなくし、興味を失うのです…!)
 ルナはうっとりと考えた。
(そうしたなら、お姉様はわたくしだけのものになる…)
 と。

「すべては、あの怪人の言う通り」
 くすくす。
 ルナはやかんを火にかけながら思い起こす。
 怪人が、言ったのだ。

「新聞社に行って、記者とかけあってカルロッタの記事を見せてもらいなさい。そして、カルロッタの名前を全て削除するのです。ただの一文字も、カルロッタの名前が出ないように。そうすれば、カルロッタはあなたのものになる」

「すべて、あのおかしな仮面の人の言う通り…」
 歌うように言いながら、紅茶をトレイにセットした。
 ただ、記者にはちょっと……アレだったけれど。
「仕方ないですわ。わたくしだって、ただでは大事なものを見せたり、書き替えさせたりはしませんもの」
(ああ、でも変な趣味の記者。足を舐めさせてほしいだなんて)
 世の中、変な趣味の人もいるものね――ルナはひょいと肩をすくめ、そのひと言で昨日の出来事を記憶から振り捨てた。

「お姉様、お紅茶をお持ちしました」
 不要と言ったけれど、その通りにしたらそれはそれでへそを曲げられる方なのだ。

 ルナはお姉様のことなら何でも知っている。いいところも、悪いところも。すべてひっくるめて、ルナのものにしたい。


 だがそんな彼女の思惑とは裏腹に、予想外の結末を迎えることになる。

 部屋にカルロッタの姿はなかった。
 開け放たれたフランス窓から入る風が、机の上の置手紙をはためかせている。

『リシャールが誘いにきました。このまま2人で旅に出ようと思います。捜さないでください――――カルロッタ』

「お姉様!!」


 翌日の新聞に、オペラ座プリマドンナのカルロッタが病気のため長期療養中との記事が載り――そしてその下に小さく、クリスティーヌ・ダーエという歌手が行方不明になったという記事が掲載されたのだった。