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第2章 石仮面の問答 4

 コビアたちが石仮面の扉を開くことに成功し、幾時間が経った頃――ぼんやりとした明かりの灯る第二の試練の部屋に、数名の影が降り立った。
 燃えるような赤い髪を靡かせ、先頭にいる娘は子どものように愛らしい童顔をほころばせる。一見すれば、明るく天真爛漫な娘だ。しかし、その後ろに隠れている気配とも言うのだろうか。それはまるで髪のように燃え盛る、狂気とも烈気とも取れぬ力の影を感じさせた。
「んー、試練の回廊二階到着! ……でも、なんか辛気くさい場所だね〜」
「そうですね……。一体、何があるのでしょうか?」
 赤髪の娘――霧雨 透乃(きりさめ・とうの)に、緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)が穏やかな返事を返した。
 陽子は部屋の中を見回して、扉以外に何もないことを確認する。その仕草は、まるでどこかのお嬢様とでも思わしき、はかなげでたおやかな仕草だった。
「この試練の回廊自体、何があるのかって感じだけどね」
「試練というよりは、自分を示す場のような気もするな……」
 透乃と陽子に遅れてやってきた霧雨 泰宏(きりさめ・やすひろ)は、生真面目にも自身の中で決然とした意思を固めている。その横では、月美 芽美(つきみ・めいみ)がつまらなそうに扉を見つめていた。
「どっちにしても、さっさと先に行きたいわ。ほら、扉を開けましょう?」
 芽美の提案を呑んで、透乃は扉を開こうとした。
 しかし、重く閉ざされた扉に手が触れた瞬間――それは現れた。
「私は心理の試練を司る者。汝らは試練を受ける者か?」
 扉の中心部に開いた闇の底のような穴から姿を現したのは、幾時間前にコビアたちに問いかけをしていたあの石仮面である。
 コビアたちの時と同様に、石仮面は冷厳として透乃たちの行く手を阻む。
「おおっ、これが第二の試練ってわけねっ」
「いかにも……。私の問いに見事答えることが出来たならば、扉を開こう。では、再度問う。汝らは試練を受ける者か?」
「もちろん! そのためにここまで来たんだから!」
「……では、問おう」
 透乃が言い放つと、石仮面は静かに問いを始めた。
「第一の問いだ。それをなくしてお前は生きられぬ。それをもってお前は死ぬ。それ、とは何だ?」
「また、えらく抽象的ね」
 芽美は面倒臭そうな顔をして言うも、自分が答えるとするべく前に進み出た。
 透乃たちが見守る中、彼女は自身の答えを語る。
「私にとって『それ』とは『殺意』だと思うわ。私は今も昔も、殺戮行為が好きなの。自分が楽しむための『殺意』を常に持っているわ。……私は、今は英霊だけど、昔は地球人だったわ。昔の私は、結局幽閉されて死んだけれど、家族や親しい人を私に殺された人たちは、きっと私に対して恨みという名の『殺意』を持っていたと思うわ。きっと、ほかにもあるのでしょうけど……そういう『殺意』が、私を死なせたのではないかしら」
 それは、まさしく彼女がかつてエリザベート・バートリと呼ばれていたときそのものを語っていた。たとえ、どれだけ残虐非道とされようとも、どれだけ嗜虐の果てにいようとも、彼女にとって『殺意』は、人の『死』というものは、何ものにも変えられない私欲なのだ。
 だが、それがなんだというのだろう。
 もはや生と死を分かつほどまでに、殺意は彼女の中に巣くっているのだ。そしてそれを理解している彼女は、ひどく恐ろしく、ひどく――完成されている。
「…………」
 石仮面は、まるで狼に恐れる小物のように、声を発することをやめていた。
 芽美の奥に満ちる狂気の世界は、人間のそれが持てるものを遥かに越えているのだろうか。
「……第二の問いだ」
 石仮面は次の問いを投げかけることにしたようだ。
 芽美は、記憶を思い起こしたことにつまらなそうな顔をしながら、その場を引いた。
「炎のように燃え上がるが、決して炎ではない。いつかは消える灯火だが、時に激しく燃え上がるものとは?」
 今度は、透乃が前へと進み出る。
「これは『心』……かな。嬉しい時や興奮した時、悔しい時や必死な時に強く燃え上がり、全てに満足し、或いは全てに絶望した時に消え行く。そういう『心』だと思うよ。『魂』とも思ったけど、「魂」が不死の種族もいるから……少し違うかな?」
 透乃の答えは、石仮面にとってはありきたりとも言える真っ当なものだった。
 しかし、なぜか彼は返答することをしない。もしかすればそれは、先刻の芽美の答えを聞いて、透乃の中にも見える奥底の不思議な気配を感じ取ったのかもしれない。
 もしそうならば、燃え盛る『心』も絶望したときに消え行く『心』も、意味がまるで違ってくるだろう。
「第三の問いといこう。これで全ての問いが終わる」
 石仮面の声に、前へと進み出たのは陽子だった。
「人は歩く。意思ある者は動くことを許される。ならば、気高き意思を以てしても動かざる哀しき存在はなんだ?」
 石仮面の問いは、これまでの二つと違ってより思考を要するものだった。恐らくは、石仮面の問いかけの要は、恐らくこれに重みを置いているのだろう。
 陽子はしばし考え込んだ後、口を開いた。
「……他に比べて難しい問いですね。「本能」……でしょうか。例えば、私は惨殺された死体を見ると興奮して、もっとそういったものを見たくなってしまいます。頭ではこのことが異常なことであるとは分かっていても、そんな意思とは関係なく、求める気持ちが出てきます。しかも、そんな自分を嫌だと感じることもありません。……食欲という「本能」もそうですね。これが意思とは関係なく存在するために、他者の命を食らわなければ生きられないのかもしれません。もし……動けない、ということが、変われない・消えない、と考えるなら、こういった「本能」というものは……哀しい存在なのかもしれません」
 陽子の物憂げな声が閉ざされると、同じように、石仮面は黙り込んだ。
 彼女たちの答えは、あたかも永年の歳月を経て作られた彫刻のように、精巧な重みを持っていた。一歩間違えれば、それが恐ろしい魔像と化す予感さえ覚えるほどに……。
 石仮面にとって、彼女たちはある意味で感嘆に値していた。だからだろうか――
「見事な答えであった……。扉を開こう」
 石仮面は重く閉ざされていた扉を開き、その場を後にした。
 中心の黒の中に沈むとき、石仮面は透乃たちの背後に一層深い闇を見た。だが、それと同時に、僅かに白い光のようなものも見た気がした。
 それはもしかするならば、希望にも似た可能性の光だったのかもしれない。